ささやかな仕返し
「うぅ、こんなはずでは……」
環のドーナツを全て平らげた天童は、なぜか膝から崩れ落ち、一人しくしくと泣いていた。
「申し訳ありません、絵里先生……」
よく分からないが、母さんからの期待を裏切ってしまったもよう。
果たして、環のドーナツを食べることにいったい何の意味があったのか全くもって分からないが、その目的は結果として、天童自身の底抜けな食欲によって阻まれてしまったらしい。
まぁ、俺としてはありがたい話ではある。
何の理由があるにせよ、あんなものを食べ続けていればきっと、俺の胃は間違いなく崩壊していたことだろうからな。
コイツと一緒に暮らせと言い渡された時はどうなるものかと思っていたが、意外と充実した生活を送れるのではないかと少し思えてきた。
見たところ家事は一通り出来るようだし、面倒臭がらず自分から率先してやろうとする気概も感じる。
頭がおかしいのと暴食であることは致命的ではあるが、それも母さんに比べれば全然マシな方なので、まぁギリギリ許容範囲といえよう。
なによりあの環の料理を美味しそうに平らげてしまえるところが本当に素晴らしい。
いつもは食品ロスを減らすため必死に口に運んでいたものだが、代わりにコイツが食べてくれるというのならば一安心である。
寿命が大きく伸びた想いだ。
これからも、環の料理は全て天童に任せようと思った。
「じゃあ俺、もう寝るから」
十分なカロリーも摂取できたことだし、今日はもうそそくさと自分の部屋に戻って休もうとしたところ、
「ちょっと待ってください!」
天童に腕をガシッと掴まれ、止められてしまう。
「なんだよ?」
半ば面倒な想いで振り返ってみると、縋りつくようにして腕を掴む天童が、まだ諦めきれないといった眼差しを真っ直ぐ俺に向けていた。
「このままでは終われません! 今からもう一度ドーナツを吐き出すので、それを食べていただければ!」
「狂ってんのかお前は!?」
その頭のおかし過ぎる提案に、俺は堪らず絶叫を上げた。
先程の惨劇を再び繰り返そうとする天童に、ただならぬ恐怖を感じる。
俺は天童の手を強引に引き剥がし、力任せに突き飛ばした。
「あうっ」
「次またゲロなんか吐いたりしたら、今度の今度こそ本気でぶっ飛ばしてやるからな!」
尻もちをついた天童から小さな悲鳴が上がるが、それでも俺は容赦のない一言を浴びせてやる。
傍から見れば酷いことをしている風に見えなくもないが、流石に風呂上りにまたゲロまみれにされるのは嫌だ。
「うぅ……」
すると天童は何を思ったのか、突然うるうると瞳を湿らせながら、まるでか弱い少女を演じるかのようにぽつりぽつりと泣きごとを言いだしてきた。
「さっきから酷いですよ優さん。天使といえども私だって一人の女の子なんですよ? もっと優しくしてくれてもいいじゃないですかぁ……」
「……あ?」
あまりにも白々しい演技に、また怒りの熱が沸々と湧いてくる。
そんなもので俺の同情を誘えると本気で思っているのだろうか、コイツは?
確かに幼気な少女としての演技は十分形にはなっていると思う。
思うが、そもそもの話、かなりの怪力の持ち主だと知っている俺にその演技は通用しない。
もしもここに俺達以外の人間がいたら、そいつらを味方につけることが出来たかもしれない。
もしも俺が天童を天使だと知らなければ、この演技でも普通に騙されていたかもしれない。
だが、見て分かる通り今はそれらが生まれるような状況ではない。
使う相手とタイミングを、完全に間違えている。
だから俺はそんなバカなことをしている天童を止めてやるため、もう一つだけ、容赦のない一言を浴びせてやることに決めた。
この一言で本性をさらけ出さない女を、俺は知らない。
「うるせーよ、ブス」
「──なっ!?」
予想通り、天童はガーン! とショックを受けた様子だった。
あんぐりと口を開け、わなわなと間抜けずらを晒しながら絶句している。
その様は見ていてとても滑稽だった。せめてもの情けとして、盛大に笑ってしまいそうになったのをなんとかして堪えてやる。
あまりやり過ぎても後が怖いしな。この一言だけでも十分に天童にダメージを与えられたようだし、ゲロまみれにされた復讐はこれくらいで許してやろう。
「じゃ、おやすみ」
ぷるぷると震える天童に背を向けて、俺は扉をバタンと閉めリビングから出ていった。
直後、扉越しの背後から天童の怒声が聞こえてくる。
「優さんのアホォォォォォォォォォ!!!」
ほれ見たことか。
やっぱり元気いっぱいじゃねーかよ。