衝突
ギラつく太陽の熱が、俺たちに容赦なく襲いかかってくる。
熱砂エリア――数あるダンジョンの中でも、特に特殊なこのエリアを晶たちは歩き続けている。見渡す限りの砂漠、迷宮などではない……この熱砂の地獄こそが、このエリアにおける《《ダンジョン》》であり、闘技の中でも過酷を極める屈指のエリアだ。
「ふ~、快適ですわ」
ナタリーは、上空から降り注ぐ冷たい水のシャワーに心地良さそうな笑みを浮かべる。
「長くはもたないよ。晶、オアシスはまだなの?」
沙耶が不安そうな表情で、俺にささやいてくる。
沙耶の武器モイライの水が発動させている水の魔法によって、晶たちの周囲には水の膜が張っていた。おかげで、このエリアにおいて、モンスター以上の脅威となる熱波は防げているのだが、魔法威力、持続時間、使用回数などが沙耶のスキルレベルに依存しているため、無限にこの状態を維持できるわけではない。
「とりあえず、沙耶は出来るだけこの状態を維持していてもらわないといけないから、戦闘へは参加しないでくれ。ナタリーは沙耶の護衛として側についててほしい、戦闘は基本的に俺ひとりで行う」
「朴念仁にしては、いい判断ではないかしら。わかりましたわ、沙耶の護衛はわたくし『疾風』ナタリー=シトリュクが引き受けましたわ」
前回の闘技以降、晶と沙耶はナタリーの住居へと強引に移される事になった。
いくつかの部屋数を持つナタリーの家は、コルを神に捧げて手に入れた物で、なんというか……まぁ、ひと言で言うならナタリーらしい家だった。沙耶がいたく感激し、ナタリーに抱きついていたため、沙耶がいいならどうでもいいという感じで俺も黙ってそこへ移った。
それからだ、ナタリーの俺への呼び方が朴念仁に変わり当たりがやたらと強くなった。
ナタリー曰く『あなたには、沙耶に相応しい男になっていただきます』との事なんだが、相応しくもなにも、相応しくなければ、絆を結ぶ時に女神が認めずに姿を消していただろう。
沙耶は、ナタリーがその話をするたびに顔を真っ赤にして、ナタリーを止めに入っているし、晶は自分がどういう状況に置かれているのかが、さっぱり理解出来なかった。
「みんな止まれ」
「晶どうしたの?」
何が起きたかわからず、不安そうな表情を浮かべる沙耶をよそに、晶とナタリーは顔を見合わせ頷き合うと、晶が水の膜から飛び出し、ナタリーは氷属性の細剣『ベガルタ』を引き抜く。
荒涼とした熱砂の地獄。熱を帯びた乾いた風に、水気のない大地上でサラサラと音をたて、砂が盛り上がり形成された斜面を川の水が流れ落ちる様に、流砂が発生している。
水の膜を出て、数十秒で晶の全身に水玉の汗が浮きはじめる。晶はそんな状況下で、地面を潜行しこちらに近づくたしかな殺気を正確に捉えていた。
晶は出来るだけ派手な音をたてながら駆けふたりから距離を離す。ふたりの方へ視線を移すと、ナタリーと沙耶が一歩も動く事なくその場でじっとしている。潜行してくる敵が釣られて、晶の方へ進路を取った事を確信し、唇の端が持ち上がってしまう。
グラムを上段に構える。潜行している影が晶のすぐ側まできた――
振り下ろした魔剣の一撃が地の底を潜行していたモンスターを叩きだす。魚のような姿をした巨大なワニのようなモンスターが地中から飛び出てきた。
砂サメ――熱砂エリアにおける、エリアボスだったモンスターで、凶暴さ、耐久力、俊敏性のすべてにおいて、通常エリアのサイクロプスを上回るモンスターだ。
晶の初撃、魔剣グラムによる渾身の一撃は、大地が盾となる事で威力がそがれ、砂サメに致命的ダメージを与えるには及ばなかったようだ。地上に放り出された砂サメは、4つの足で立ち上がると晶に向けて威嚇の声をあげてきた。
晶はグラムを背にしまうと、砂サメの威嚇に応じるかのように走り出し、攻撃を加えるべく急接近していく。
砂サメはそんな晶の接近に呼応するかのように前脚のかぎ爪を振り上げ、接近しようとする晶の事を切り裂こうとした。
晶は上段から振り下ろされた砂サメの前脚を冷静に掴み取ると、相手の攻撃の反動を利用して、投げ飛ばし地面に叩きつける。
腹を見せひっくり返る砂サメに晶は追撃を加えるべく肉薄すると、拳による乱打を砂サメにとってもっとも急所となる腹部へと浴びせた。
――戦闘評価C、評価者520人、報酬:43コル――
「まずまずですわね」
「そうだな、もう少し魅せれたかもしれないがな」
晶は戦闘を手早く終えると、水の膜の中に戻る。
短時間とはいえ、少し外気に触れただけでこの様か……俺は全身に浮いた汗を拭いながら考えていた。早くオアシスを見付ける必要があると。
「晶もナタリーも凄いね」
「なにがですの?沙耶」
「だって、あんなモンスターをひとりで一瞬で片付けたり……ううん、そもそも私はモンスターの接近にすら気付けなかった」
なぜかは知らないが、沙耶がひどく落ち込んでしまったようだ。そんな沙耶の顔を、ナタリーは両手で優しく包み込む。
「沙耶、あなたは今日で闘技は3回目なのですわ。言ってみれば、産まれたてのヒナのようなもの。わたしは、あなたがここに召喚される1年前からここにいるのですから、差はあって当然の事ですわ。まして、そこの朴念仁の人外の強さと比較しても時間の無駄というものです」
「エデンに召喚されて、1年でユニーク武器を取っているお前も充分普通じゃないと思うぞ」
「なにか、言いまして?朴念仁」
晶は首をすくめると、まだ何か言いたそうな視線を向けてくるナタリーから視線を逸らし、周囲に目を向ける。
見渡す限りの砂、砂、砂、地面が熱せられ湯気が立ちのぼる風景の先に、微かにだが揺らいで見える……水の青と、草木の緑が。
「オアシスだ……」
「えっどこですの?」
怪訝な表情で、晶の目線を追っていたナタリーの表情が明るくなる。
これで休める――俺は安堵の息を吐くと、休憩を取るためオアシスへと足を向けた。
◆◇◇◆
「ねぇ、本当に大丈夫なのかな?」
「わたくしを信用なさい、沙耶」
オアシスに到着して、沙耶達はようやく休憩出来る事となった。
落ち着く事が出来て、沙耶は改めて周囲を眺めてみる。
砂、砂、砂、見渡す限りの砂。前回は湿地地帯で、ぬかるみの気持ち悪さの中を探索した。いったい、どうやったらこんな現象を起こせるのか……神様というものは、本当にすごいと思う。
現在、沙耶とナタリーはオアシスで水浴びをするため、ナタリーに促されるまま湖に移動してきた。
キレイな湖面は、ここがコロッセウム内のダンジョンで、今が闘技中だという事を忘れさせるだけの魅力があった。今回の闘技は、なぜか理由は分からないけど、わたし達3人しか居ないという事もあって、晶が覗かない限りは大丈夫という状況だった。その、晶もナタリーに追い払われて近くの木陰に昼寝をしに行ってしまった。
「でも、神様からは見えてるんだよね……わたし達の事」
「沙耶、あなた本当に何も知らないのですわね」
ナタリーはそう言うと、左足の付け根にある痣に自分の手をあてがい、自身のステータス画面を呼び出す。
「ほら、沙耶あなたもステータスを呼び出して」
沙耶は、ナタリーに言われるがまま自分のステータスを呼びだす。
「ステータスの項目の一番下に、ビューアのオフ機能が見えるでしょ?最大で60分間だけ、闘技中にわたし達プレイヤーは、観客からの視界を遮断する権利が与えられてるのだけど、あの朴念仁からは……どうやら、何も聞かされてないみたいですわね」
やれやれといった表情のナタリーから、沙耶はステータスの簡単なレクチャーを受けながら、着ている衣服を脱いでいく。
湖の水は透明で足先をつけてみるとひんやりとして気持ちがよく、水浴びをしたいという欲求にどうしてもかられてしまう。
「沙耶、早く済ませてしまいましょう」
少し遅れて衣服をすべて脱いだナタリーが、迷うことなく湖に体をつけるのを見て、沙耶も湖の中へと入っていく。
湖の水で、汗と砂が混じり合った体の泥をキレイに洗い流していく。気持ちがいい――まだ、時間は充分にあるし、この束の間の幸福をしばし楽しもう。
「ねぇ、沙耶は晶の事を、どう思ってるんですの?」
「えっ、いきなり何?ナタリー」
とつぜんナタリーから振られた話題に、沙耶はすぐに答えられず質問に質問で返してしまう。
「晶と絆を結んだという事は、愛があるっていう事と思っていいですの?」
「う~ん、愛っていうのとも違う気がするけど……」
実際、彼が居なかったら、わたしはここに生きてはいなかっただろう。そういう意味では恩人といえる。あの絆を結ぶ儀式も、晶だったから決意出来た事は否定できない。
(わたしは、晶の事が好きなんだろうか?)
沙耶は、晶と過ごしたこの数日間を思い返してみる。
右も左も分からない異世界で、晶は常にわたしの傍に付いていてくれた。帰り方も分からない、でも元の世界に帰りたい気持ちを理解してくれていて、夜うなされて涙を流して起きてしまうわたしの事を、気分が落ち着くまで一晩中抱きしめてもくれた。
吊り橋効果というやつかもしれない。最初にナタリーとも知り合えてたらば、晶に対して違う印象の持ち方もしていたかもしれない。
(……でも、やっぱり愛なのかな)
晶の事を想うと心臓が高鳴るのが、はっきりと分かる。これは恋なのかもしれない。
「沙耶……あなたの純粋な気持ち、あの朴念仁にわたくしナタリーが、きっと理解させて差し上げますから」
そう言うと、ナタリーはわたしの事を優しく抱きしめてくる。線の細いナタリーの体の感触が、ダイレクトに伝わってきて、同性なのにドキドキしてしまう。
「沙耶……そのまま、静かに」
沙耶の事を抱きしめたまま、ナタリーが耳元でそっとささやく。
「何かが、近くにいますわ」
静かな湖――周りにあるのは、わずかばかりの木と草ばかり。どこかに身を隠せる場所などありはしない。
「ナタリー、何あれ?」
なにげなく湖面に目をやった沙耶の視界に、湖面に浮かぶ無数の影が映った。
(モンスター?)
だとしても、いまのわたし達に対処は難しい。装備を取りに戻ろうにも、湖の岸まで戻らないといけない。
「沙耶……できるだけゆっくりと、岸を目指しなさい。ここは、わたくしが抑えますわ」
「ナタリー、そんな事出来るわけないでしょ」
『聞き分けて』ナタリーはそう言うと、強引に沙耶の体を岸の方へ追いやろうとしてくる。その間にも、湖面に浮かぶ影は数を増していき、ゆっくりと沙耶たちを包囲しようと動いてくる。
「晶を呼ぼう」
「沙耶、それがなにを意味するか分かって言ってるんですの?」
裸を見られる――ナタリーの言いたい事は分かるけど、この状況下でそんな些細な事は正直どうでもいい。
「裸を見られる事よりも、今は助かるのが先だよ」
「わたくしは、あの朴念仁に裸を見られるぐらいならば、ここで命を落とす方を選びますわ。それに、武器がなくったってこの程度のモンスター……」
「沙耶、ナタリー!」
沙耶がナタリーを無視して晶を呼ぼうとしたその時……晶が、沙耶とナタリーの名前を叫びながら、グラムを片手に持って湖に飛び込んできた。
「晶!」
「沙耶、無事か!俺が退路を確保する。お前たちの装備はどこにある?」
「あそこ!」
沙耶は、晶に自分たちの脱いだ衣服のある場所を指し示す。晶はそれを見るとひとつ頷き、猛然とモンスターに向かって突撃していく。
「ナタリー!今の内に!」
ナタリーは両手で胸を隠した状態で、湖の中に体をつけて丸くなってしまっている。
「いやよ。男の人に肌を晒すなんて、将来を誓った相手でもないのに……そんなの、耐えられませんわ」
いつも冷静沈着なナタリーらしくない、取り乱した姿だった。
「晶なら、いまモンスターと戦闘中だから」
沙耶は、ナタリーの事を背中側から抱きしめる。ナタリーはおずおずと顔をあげると、戦闘中の晶へと視線を移した。
「わかりましたわ……沙耶、岸へ向かいましょう」
沙耶たちが着替えを済ます頃、晶が全身ずぶぬれの姿で帰ってきた。
「晶、本当にありがとう……」
「俺もビューアを切ってここへ来たからな、評価とコルは取り損ねたが、お前たちの体が俺の戦闘を通じて他に流れる心配はない。そこは、安心してくれ」
晶に言われて、沙耶はようやくその事に思い至った。
沙耶とナタリーが、ビューアを切っていても、晶が切ってなければそれを通じて、エデン中の神とプレイヤーに見られてしまう危険が確かにあった。
「晶、ありがとう」
わたしは、晶の配慮に心から感謝を覚える――けど、ナタリーはそんな晶になぜか食って掛かっていく。
「晶、あなたはモンスターの接近に、もっと早くから気付いていたのではなくて?」
「ナタリー、それは晶に対して失礼だよ」
沙耶は、興奮して晶へと突っかかっていくナタリーを抑えようとする。
「ナタリー……」
パン!――晶がナタリーの頬を平手で叩いた。乾いた音が再び静かになった湖に響き渡る。
「なっなにを……」
「なぜ、すぐに俺を呼ばなかった?」
「そんなこと、あの状況で出来るわけ……」
ナタリーは、晶に言いわけしようとして、真剣な表情の晶の目を見て口ごもる。
「ナタリー、お前を信用して俺は沙耶を預けた」
晶はナタリーにそれだけ告げると、わたしに向かって『そろそろ、ここを出る。ボスを探して、こんなエリアさっさっと終わらせるぞ』そう言って、踵を返して歩き去ってしまった。
「ナタリー……」
「沙耶、少しだけひとりに……すぐに行きますから」
「わかった……待ってるから」
ナタリーは、沙耶の言葉には答えず、顔をうつむかせ黙ってしまうのだった。