オリンポス
「晶、服ってこういう物しか売ってないの?」
沙耶は革製のスラックスを片手に、微妙な表情を俺に向けてくる。
「何を期待しているのかは知らんが、オリンポスは神が気まぐれに開いた街だ。ここには、沙耶が思っているような衣服の取り扱いはないと思うぞ」
あれから、一晩を同じ部屋で過ごし翌日を迎えた。沙耶の心中になんの変化があったのかは分からないが、朝を共に迎えてまず俺に対する呼び方が晶に変わった。妙に明るく振舞っている態度が引っ掛かる。最初は単にふっきれただけかとも思ったが、そうでもなさそうだ。
「なんていうか、こう……もう少し女の子らしい服がって思ったんだけど」
「沙耶、オリンポスにお前の装備を新調しに来たんだ。目的を忘れないでくれ」
オリンポス――神がきまぐれにエデンに創設した街で、人口は1万人弱ほどが暮らしている。よくもまぁ、こんなにも人を集めたものだと思うが、暮らしているプレイヤーの数は千人ほどで、残りは人外の存在だ。
「娘さん、それならこんなのはどうじゃ?」
ドワーフの爺さんが店の奥から取り出した衣服に、沙耶の瞳があからさまにキラキラし始めた。
緑や青、赤色のギンガムチェックのミニのスカート数点に、中に着用する革製のインナーパンツ、革製レギンスなどの足、腰装備数点、女性用ブーツ、上着は赤い革製ロングスーツとベスト型の着衣、その中に装着する鉄製の胸当て……なんだこの数は。
「爺さん、人間の女の絶対数の少ないこの世界で、よくもまぁ……こんなにも数を揃えたもんだな」
このオリンポスにおける、人間の男と女の比率は9:1、圧倒的に男の方が数が勝っている。こんなに、人間の女性装備を造っても売れ残りそうなもんだが……
「お前さん、何を言うとるのじゃ」
ドワーフの爺さんは、目を見開いて呆れた表情を向けてきた。
「あの、娘さんを見てみい。年頃の娘の事をなんも知らんと店に連れて来たんかい。コルは充分持って来ておるんじゃろうな」
(俺の所持金は、現在21536コルあるのだが……)
沙耶の様子を見ていると、あるだけの服、防具、すべて買い込みそうな勢いを感じる。爺さんの言葉に晶の背中を冷や汗が流れ落ちた。
「ありがとう晶」
「うっ……うれしそうでなによりだ」
晶は持ち切れぬ荷物を、両手に抱えきれないほど抱えて街を歩いている。それに対して、沙耶は嬉しそうな表情で、晶のすぐ前をスキップしながら歩いていた。
沙耶は宿を出るまで着ていた晶の予備の道着から、さっそく購入した防具に着替えを完了している。肩まで伸ばした黒髪に黒い瞳、日本人特有の顔立ちをした笑顔の可愛らしい少女。赤のギンガムチェックのスカートに、赤のロングコートがよく体に似合っている。
服装ひとつで女はこうも変わってしまうものか……俺はしばし、沙耶の後ろ姿に見とれてしまった。
「晶、次はどこに行くの?」
「えっ、つ、次?」
晶は沙耶にいきなり話しかけられて面喰ってしまい、すぐに次の言葉が出てこない。
「晶、何ボーとしてるのよ」
「別に、いきなり話しかけられて驚いただけだ」
「ふ~ん……」
沙耶は瞳を細めると疑いの眼差しを晶に向けてくる。正直、晶の調子はさっきからずっと狂いっぱなしだった。ずっと、コロセッウムと宿の往復しかほとんどしていなかったためか、晶の対人コミュニケーション能力は0どころか、マイナスといってもおかしくはない。
「次は武器を買いに武器屋に行く。沙耶、いい加減その目はよしてくれ……俺の負けだ。着替えたお前が、あまりにも可愛かったから見とれていただけなんだ」
「なっ……」
今度は、沙耶が言葉を詰まらせそっぽを向いてしまう。女はよくわからん、俺は本当の事をちゃんと伝えたじゃないか。
「すまない沙耶、俺はどうも対人的な付き合いというものが苦手らしい。気を悪くさせたならあやまる」
「別にわたし、怒ってるわけじゃなくて……」
沙耶は、晶に背中を向けたまま答える。
「じゃなくて?」
「もう!嬉しくて照れてたの!」
沙耶はいきなり振り向くと、晶の目の前まで駆けてきてそう伝えてくる。
「晶、あなたは確かに対人に関しては勉強が必要そうね」
沙耶は晶の鼻先を指で軽く突つきながら言葉を続ける。
「特に……女心」
(あぁ、俺は沙耶から学ばないといけない事が多いみたいだ)
クスクス笑う沙耶の表情を見ながら、晶はそんな事を考えていた。
オリンポスのメイン通り。中世ヨーロッパの街並みとはこんな感じかという風景がどこまでも続いている。ただ、通りを道行くドワーフやエルフなどの姿が目に入るたびに、やはりここは異世界なんだと思いしらされる。
コロッセウムでも、街でもそうだが、同じ人間と出くわすことなどほとんどありはしなかった。
ふたつの太陽に照らされた街中を沙耶と歩いている。見るものすべてが珍しいのか、沙耶は立ち止まっては話しかけてくる。
だが、俺は満足な答えを沙耶に与えてやる事は出来ない。俺はこの世界の日常、常識、風習、習慣、自然、生き物、歴史、何も知りはしない。俺はこの世界で生きていたわけではない。ただ、コロッセウムに放り込まれ、殺されぬために殺す。それを3年間繰り返していただけだ。
戸惑うばかりでろくな返事も返せぬ俺に、それでも沙耶は明るく話しかけ続けてくれる。ありがたい話だ……沙耶には頭があがりそうにない。
「皇 晶」
背後から、いきなり声を掛けられて晶は足を止めて振り返る。振り返った晶の目の前には、銀髪に青い瞳をした同い年ぐらいの少女が、手を腰に当てて立っていた。
「だれ、このひと?」
晶の背中から、ひょっこりと沙耶が顔を覗かせてくる。
「晶の知り合い?」
「いや、まったく知らん」
晶の言葉に、目の前の女の眉がピクピクと動くのが分かった。どうやら、まったく知らんという言葉がお気に召さなかったらしい。
「わたくし、ナタリー=シトリュクを知らないなんて、神殺しと言っても大した事はないのですわね」
「なにか良くは分からんが、知らない事で不快にさせたなら謝ろう」
「皇 晶、あなた本気で言ってますの?その日行われた闘技の記録映像の内容を確認しているならば『疾風』の異名を持つわたくしを知らないはずありませんわ」
(この女は、とつぜん人を呼びとめて何が言いたいんだ)
晶は、今一度どこかで会った事がある相手か、女の事をよく見てみる。
ミスリル銀製の高級な鎧に身を包み、左右の腰に細剣をひとつずつ差している。腰まである銀髪をたなびかせた姿は、沙耶とは別のタイプの美人と言っていいかもしれない。
「記録映像?なんの事かは知らんが、俺はお前を知らない。その事で不快にさせたなら謝罪する。それでいいだろう」
「よくありませんわ!それに、さっきからあなたの周りをちょろちょろしている娘は、いったいなんなんですの?」
ナタリーと名乗った女は、沙耶の事を指さし不快そうな表情をみせる。沙耶の方も、女のそんな態度にムッとした表情をみせていた。
「こいつか?こいつは沙耶だ」
「名前なんて聞いておりませんわ!あなたにとって、どういう存在かと聞いてるんですわ」
女は、声を荒げますますヒートアップしてくる。
「沙耶は俺と絆を結んだ、大切なパートナーだ」
晶は女に、左手の薬指のはめた指輪を見せる。女に指輪を見せた途端、沙耶がなぜか真っ赤な顔をして、晶の左手を自分の両手で握り締め隠してしまう。
「あっ晶!」
「なんだ?沙耶」
「『なんだ?沙耶』じゃないですよ!恥ずかしいんですから、他人にそんなポンポン見せないでください」
(恥ずかしい?なぜだ?)
俺と沙耶はお互い合意の上で女神からも認められたパートナーなのだ。なにを恥じる事がある。
「なっ!?絆ですって!あなた意味が分かってて、神殺しと絆を結んだんですの?」
女は、今度は沙耶に絡み始める。晶は正直、本気で面倒くさくなってきていた。
「意味は理解しているつもりです。晶となら……と、あの時心から思ったのは事実ですし」
「そっそうなんだ。驚いたわ。あなた昨日、神殺しが覚醒した現場に居合わせた新人よね」
「すまないが、俺たちは先を急いでいるんだ」
晶はそう言うと、沙耶とナタリーの間に割って入り、沙耶の手を握りナタリーに背を向ける形で歩きはじめる。
「まぁ、いいですわ。後日、いやでもお会いする事になるのですし……」
遠ざかる晶たちの背中に、ナタリーが何事かをつぶやいていたが、雑踏の喧騒にかき消されてしまった。
「あっ晶、晶ってば」
「沙耶、どうした?」
ナタリーと別れてしばらくして、沙耶が晶に話しかけてきた。
「あの、その、いつまで手を握ってるの?」
「いやなのか?いやなら離す。いやじゃないなら、俺は繋いでいたいと思っている」
「えっ……そんな、直球すぎるよ……晶」
顔を赤くして返答に困る沙耶に、女心というものは俺にはやはり理解しがたい、そんな風に思うのだった。