覚醒
狭い通路内に、ピリピリとした空気が張り詰めていく。
狭いと言っても、元々コロッセウムは召喚されたプレイヤーと、ダンジョン内のモンスターとの戦いを、観戦するための施設なため、通路は戦闘出来る充分なスペースが取られている。
青年と単眼の巨人サイクロプスは、互いの得意とする間合いを取ろうと譲らぬにらみ合いが続いていた。
(突っ込むべきか……)
青年にとっての最大の武器は、手にした大剣ではなく、さきほどリザードマン3体を速攻で殺した自身の拳である。
筋力パラメーターと、スキルにのみ極振りされた青年のいびつなステータスは、多少のモンスターの攻撃ではビクともせず、傷を負ったとしても常時発動型のスキル:レナトゥスによって一瞬で塞がるし、力比べやジャンプ力など筋力パラメーターが強く作用する動作などで、青年はその辺のモンスターに負けた事はない。
エリアボス――目の前の相手は、その辺のモブとはちがう。発動型スキル:ヴェルターブーフ、コルを消費する事で発動させれる事が出来る、このスキルで見たサイクロプスのステータスは、エリアボスに相応しいものであり、真っ向から攻撃を仕掛けるのは危険だと思われた。
だが、青年は負けるわけにはいかなかった。敗北は、そのまま少女の死を意味する。
(彰さん……)
背中に背負ったグラムに手を触れる――胸の奥から勇気が湧いてくるのを感じる。
「がぁ!」
にらみ合いが続く中、最初に焦れたのはサイクロプスの方だった。奴は右手に握り込んだ自身の大剣を地面に突き刺すと、そのままガリガリと地面を削りながら突進してきた。
意図の読めない相手の行動に、青年は一瞬動きに迷いが生じる。瞬間、サイクロプスは駆けながら剣を振り上げてきた。地面がえぐれ、人間の頭部ぐらいのサイズの土くれがすさまじい勢いとスピードをともなって飛んでくるのを目にして、青年は相手の狙いを初めて理解する。
飛んでくる土くれを、剣を持たない左腕で最小限ふせぎながらも、青年はその場を動くことなくジッと耐える。土くれを回避してしまうと、後ろにいる少女に土くれが襲いかかってしまう。そこまで、計算しての攻撃かは知らないが、相当に狡猾なモンスターである事には違いないなかった。
青年の視線は飛来する土くれにではなく、サイクロプスの動きのみを追い続ける。サイクロプスは地面をはね上げさせながら、青年に一撃を入れる事の出来るポジションを確保した……
「なに!」
青年は咄嗟にディフェンダーを構える。すさまじいまでの衝撃に、剣を手にした腕が痺れてしまう。
サイクロプスはいきなり、右から左へ手にした大剣を横なぎに払ったのだ。
「くっ」
なんて威力だ。今のは攻撃というよりは、剣を振るったという表現の方が正しいかもしれない。それで、この威力だ。今回はなんとか防げたが、次も防げるという保証はない。
青年は守っていても勝てないと即座に判断し、やつの体へと視線を走らせていく。
サイクロプスの方も、今の一撃で青年が吹き飛ばなかったのが相当お気に召さなかったらしい。大剣を握り直し、今度こそはという感じで構えをとってきた。
「渾身の一撃できてくれるなら、話は早い」
青年は、サイクロプスの挙動から次の一撃を予測すると、背中に背負ったグラムをパージして、少女の足元へと転がした。
身を軽くした青年は、次のサイクロプスの攻撃を誘発するため、懐に飛び込もうとする振りをみせる。サイクロプスは、そんな青年の行動を阻止しそのまま息の根を止めるため、剣を上段に構えるとそのまま地面に叩きつけてきた。
すさまじい速度と、威力で振り降ろされた剣を、紙一重のタイミングで横に体をずらし避ける。剣が大気を切り裂く余波を体に感じながら、青年は敵の攻撃に必殺の意図がない事を感じてほくそ笑んだ。
勝った――大剣が地面に接触すると同時に、そのままの勢いで青年がいる方向へと横なぎの攻撃に移ってくる。二段攻撃、一段目の上段打ちおろしから二段目の横なぎへのコンボ。だが、その動きはすでに見切っている。
青年は、自分の体を追尾してきた大剣の刃先にディフェンダーを押し当てる。そして、そのまま大剣の勢いを利用してディフェンダーを軸に、体を宙返りさせると巨大な大剣の腹に足を着地させた。
攻撃をスカったサイクロプスは、慌てて態勢を立て直そうとする。だが、青年がそんな間を与えるわけもなく、この機会に最大の一撃を加えるべく、サイクロプス目掛けて跳躍をした。
狙うは一か所――青年は巨人の単眼目掛けて、ディフェンダーを構える。が、巨人の目が青年を捉えていない事に気付き、慌てて手にした剣で跳躍の位置をずらすと、巨人の胸板を利用して後方へと飛び退った。
(なんてやつだ――)
サイクロプスは、青年の狙いを読んで標的を青年から後方にいる少女へと目標を瞬時に切り替えたのだ。
間に合え――青年は地面に着地すると、渾身の力を込めて地面を蹴り飛ばし、敵に背を向ける格好で猛然と駆けだした。サイクロプスが悠然とした動きで両手に剣を握り、構えをとるのが視界の端に映る。
避けれない相手を打ち抜くほど楽なものはない。青年が少女をかばい、その攻撃を身で受ける事をサイクロプスはよく理解している。その上での少女への攻撃だった。
「伏せろ!」
青年は少女の元へ辿り着くと、怒鳴りつけながら身を翻す。巨人と目が合う――奴の目が笑った様に見える。
すさまじい衝撃が体を襲い、咄嗟に構えたディフェンダーが折れる。左手に激痛が走る――青年は咄嗟の判断で地面を蹴り、胴を斬り飛ばされぬよう空中へ回避し、そのまま壁の方へ吹き飛ばされ……新たな衝撃が青年の意識を奪っていく。
◆◇◇◆
不思議な空間だった――草木一本生えていない真っ白な世界に、青年はひとり立っていた。足は確かに地を踏みしめてるはずなのに、その感覚が全然ない。
サイクロプスは?少女は?青年はさきほどまで、コロッセウムのダンジョンで、エリアボスと死闘を演じていたはずだった。
「ここは?俺は死んだのか……」
そう思うのが自然な気がした。この場所の異質な雰囲気、感覚のない体。死んだ者の魂が行きつく場所だとすれば……
青年は、そう思うと辺りを見回してしまう。もしかしたら、彰さんに会えるかもしれない……そんな事を考えたが、このだだっ広い空間、遮蔽物ひとつない場所には俺しかいないようだ。
「……彰?」
いきなり背後から声が聞こえ、青年は驚き慌てて、声がした方へと構えをとる。
若い女だった。白いワンピースのような服を着た、銀髪で銀の瞳を持った美しい無表情な女。
「あなた、彰じゃないわね?どうして、彰じゃないのにここに来れたの?」
女は、一方的に問い掛け続けてくる。
「聞きたいのは俺の方だ」
青年は、女の問い掛けを無視すると、女を睨みつける。
「ここは、どこだ?そして、あんたは誰だ?」
「彰は?」
くそ、話にならない。俺は少し考えて、女に対して譲歩する事に決めた。
それにしても、青年は考える。自分の名は晶だが、こんな女と面識はないし、この女の様子からしても、俺の事を指しているとは思えない……
「おまえが言う《《あきら》》とは、神庭 彰の事か?」
「そう……神庭 彰よ」
女は無表情に答える。
「彰さんは……俺の師は死んだ」
「そう、死んじゃったんだ」
女は彰さんの死に動揺を見せる所か、表情ひとつ変えようとはしない。それどころか、いきなり体を寄せてくると、俺の顔に触ろうと手を差し伸べてきた。
「なにをする」
「じっとしてなさい」
抵抗しようとした青年の事を、ひと言で制しながら、女は青年の顔に触れ、体に触れ、そして右腕にある忌まわしい刻印に触れ……
「そう、あなた受け継いだのね。アレを」
女は初めて笑みを浮かべると、青年に顔を寄せ唇に唇を重ね……
「戻りなさい。戦場へ」
女は、青年の唇から自分の唇を離すと、青年の目を見据えそう告げる。
「なっ……」
青年はさきほど女がしてきた行為に、戸惑い声を出す事が出来ない。
「戻りなさい。戦場へ、そして振るいなさい、皇 晶」
青年の意識が遠ざかっていく――女が、世界が遠くなる。
◆◇◇◆
「しっかりして!」
体を激しく揺さぶられる感覚と、顔に降りかかってくる水滴に晶は意識を取り戻した。
何が起こったんだ?晶は自身に起きた事を考える。
サイクロプスの必殺の一撃を受けた俺の体は、ダンジョンの壁へと吹き飛ばされたあげく、壁を破壊しながら地面に叩きつけられて……
まだ少し朦朧とする意識の中で、目の前に少女の顔を見――俺は自分の体が少女の腕に抱きしめられている事を自覚する。
少女は、晶の体を両手で抱きしめながら、涙を流し泣いていた。
「泣き虫なんだな」
晶は、右手を伸ばすと少女の頬を流れる涙を指ですくい取る。
「だって、だって……」
(泣かせてしまったな)
晶は少女の腕のぬくもりから、体を離すと静かに立ち上がった。身につけていた着衣は乱れ、ボロボロになってしまっている。
「もう、これは着れないな」
そんな事を口に出しながら、晶は自分の左腕が無くなっている事に、ようやく気が付いた。
「ごめんなさい、ごめんなさい……わたしの事を庇ったせいで」
「気にしなくていい、こんなものは《《ダメージの内に入らない》》」
晶が少女にそう答え終わるのと同時に、巨人の大剣が唸りをあげて晶と少女をまとめてつぶそうと振り降ろされた。
「すぐに終わらせる。そこで待っていてくれ」
晶は振り降ろされてきた巨人の剣を《《左手の指先のみで受け止める》》。
「それ……左腕。うそ、どうして?」
目を丸くして晶の左腕を見つめる少女。
「言ったろ。《《ダメージの内に入らないって》》」
晶は少女にそう告げると、背後で動かす事が出来ない己の武器を引き上げようともがく、単眼の巨人に向き合う。
さきほどまで、強大な敵に映っていたエリアボス。だが、今の晶の目には、か弱く小さな存在に映っていた。
「こい……グラム」
晶の呼び掛けに応える様に、グラムが右手に収まる。晶は握りの感触を確かめる様に片手で2、3度素振りをすると、左手に掴んでいた大剣を巨人の体ごと無造作に投げ飛ばした。
ダンジョンの壁を、盛大にぶち壊しながらサイクロプスは地面に倒れ伏す。その単眼は、自分の身に何が起こったのか理解できないという表情をしていた。
「俺は、こんな所で立ち止まっている場合じゃないんだ」
晶はそう言うと、身動きが取れぬ巨人に対して、無表情にグラムを振るった。
――戦闘評価A、評価者1280人、ボス撃破ボーナス×10、報酬:860コル――
晶は戦闘評価に目を通すと、少女の元へと足を向ける。
「またせたな」
エリアボス撃破のため、闘技終了を告げる鐘が鳴り始める。観客の大歓声に包まれながら、何事が起ったのかと周囲に目を走らせている少女に声をかけた。
「今度こそ終わったんだ。助かったんだよ」
「そう……そうなんですか」
少女はそう口にすると、急に力尽きたかのように気を失ってしまった。
晶はグラムを背負うと、少女の体を横抱きに抱きあげ、目の前に開かれたコロッセウムの出口を目指し歩き出す。
空を見上げる――青く澄み切った空の正体を、俺はもう知ってしまった――
晶は、観客の歓声を背に受けながら、コロッセウムを後にするのだった。