受け継ぐ者
ゆっくりとした動きで空を見上げる。エデンの空はいつだって青く澄みきり、雨が降るどころか、雲が漂っている所さえ見たことはない。
上空に映し出されたステータス画面。今日、開かれるコロッセウムの闘技に参加する者たちの情報が表示されていく。
画面に映し出された人間の顔と名前を順に見ていく。ほとんどが知らないプレイヤーたちだった。
(25人……多いな)
ダンジョンの参加人数は、通常は5~6人ほどに調整されている。こんな人数が、同一ダンジョン内に配置される理由は、ひとつしか思いつかない。
このエデンにいるプレイヤー全ての顔や名前を記憶している訳ではない。このような数のプレイヤーが配置されるのは、新人プレイヤーを、神々がまた召喚した時ぐらいのものだ。
新しく召喚されたプレイヤーたちは、最低限の装備とステータスの恩恵を与えられ、いきなりダンジョン内に固めて放り出される。集団で何の説明もなくいきなり放り出されたダンジョンで、最後まで生き残る事が出来れば合格。死ねば失格という単純な振るいにかけられて選別される。
出来れば、助けに行ってやりたいところだが……それは万にひとつの奇跡と言ってもいいかもしれない。
コロッセウムに出るようになって3年、その間にダンジョン内で他のプレイヤーと遭遇したのは一度か二度ほど。あまりにも広大で複雑なコロッセウム内で、闘技中に他のプレイヤーと遭遇するのは、それほどまでに難しい事だったのだ。
「俺の事を守ってください、彰さん」
青年は、背中に背負った漆黒の大剣に手をやると、目をつむり大きく深呼吸をする。
闘技の開始を告げる鐘の音が、コロッセウム内に響き渡る。
青年はひとつ大きく息を吐き出すと、愛用している大剣ディフェンダーを両手で構え、ゆっくりとした足取りでダンジョンを歩きはじめた。
通常エリア――しばらく歩いてみて、青年はダンジョンの様子からそう判断する。なんの装飾も施されていない無機質で無愛想な土くれの高い壁。この壁を見るたびにあの日、3年前にいきなり放り込まれた……あの時の事を思い返してしまう。
ハントの対象――狩られるだけの存在として、このエデンの地に召喚された。あの時すでに、この命は尽きていたも同じだった。
背中にずしりとのしかかってくる漆黒の大剣。背負うのが精いっぱいで、振るう事すら叶わぬこの剣を、彰さんは軽々と片手で使いこなし……生き残る可能性を指し示してくれた。
あの背中に追いつきたい。手を伸ばしても未だ届かぬ遠い背中に、いつか追いつき……そして追い越すために、この重い剣を背中に背負い戦い続ける。
「ゴブリン……に、オークか」
探索している迷路の先で、モンスター2体と遭遇する。
軽装にボウガンを構えた遠隔射撃装備のゴブリンと、大きい図体をした豚のような顔を持つオークのコンビだ。オークの方は、タワー型の強固なシールドに、鉈のような形状の片手剣という前衛盾役と言っていい武装で真っ直ぐこちらへと駆け出してきた。
だが、青年はそんなオークの動きは無視して、両手に持ったディフェンダーで体の前面を庇うように構える。ディフェンダーは切れ味はないが、その幅の広い分厚い刀身そのものが盾のような形状になっている『キィン』ディフェンダーを構えた瞬間、金属と金属がぶつかる乾いた音が鳴り響き、足元にゴブリンが射かけてきた矢が地面に落ちたのが、視界の端に映った。
「単純なんだよ」
青年はそうつぶやくと、ゴブリンとオークが対角線上に重なる様な形に体をずらし、ただ真っ直ぐにオークへと突っ込んでいく。オークはこちらが突っ込んでくるのを見ると、咆哮を発し青年の突進に自身の体をぶつける勢いで突撃してきた。
知性があり、集団によるコンビネーションが使えると言ってもしょせんはモンスター、くだらない浅知恵が経験を積んだプレイヤーに通用するはずがない。
オークに至っては完全に頭に血が上ってしまったらしい。当初、青年の攻撃をオークが受け止め足止めし、ゴブリンが隙をみて青年をボウガンで射抜くというのが、連中の作戦だったはずなのだ。だが、実際目の前の豚もどきは盾を構える事もせず、大型の鉈で青年の頭を叩き切ろうと、積極的に攻撃を仕掛けてきた。
「好都合だ」
打ち合いに応じるために、青年は、ディフェンダーをオークの放つ攻撃に合わせていく。オークと打ち合いながらも、目は常にゴブリンの動きを追い続ける。ゴブリンが、こちらをボウガンの射線に捉えれないように、うまく体の位置を調整しながら目の前のオークが繰り出してくる攻撃を、受け止め、受け流し、紙一重で避けていった。
思い通りにいかない戦況に、オークはますますヒートアップしていき、盾を投げ捨て剣を両手に持ち、上段から青年の頭を目掛けて振りおろしてくる。
恐ろしい勢いで振り降ろされた剣を、青年はディフェンダーで真っ向から受け止めてみせた。だが、その事で体は身動きがとれず、その場に縫いつけられたような状態になってしまう。
モンスターたちもその事に気が付いたのか、オークは醜悪な笑みを浮かべながら、その場に青年の体を釘付けようと、剣に力を込めて押さえつけようとしてくる。
ゴブリンが動く――動けない青年の体を射線上に捉えると、ボウガンを構え狙いを付けた。
(もう充分いいだろう)
敵と打ち合い、駆け引きを見せ、苦戦もしてみせた。見世物としては充分演出できたはずだ。
ゴブリンが、ボウガンを発射した――近距離から発射されたボウガンの矢は正確に青年の額を目掛けて飛び、そのまま額を打ち抜き、絶命させるはずだった。
青年は、両手で防いでいたオークの攻撃を右手だけで防ぎ、空いた左手で素早く矢をキャッチする。
矢をキャッチしたのと同時のタイミングで、右手から力を抜き体を横へずらす。突然の青年の動作に、力任せに真下へと全体重をかけていたオークは、青年がいきなり力を抜いたため、剣を地面に突き立て態勢を大きく崩してしまう。
青年は、オークが態勢を崩したのをしっかりと確認しながら、背中に背負ったグラムをパージし、右手に持ったディフェンダーの柄を足場に、オーク目掛けて飛びかかった。
狙いはただ一か所。青年は驚愕に大きく目を見開いているオークの喉元へ、左手に持ったボウガンの矢を突き立て、深くねじり込む様に蹴りで矢をオークの喉元深くに押し込めた。
「ごぼっ」
声にならない声をあげて、オークは苦しそうに喉を押さえる。青年はオークが戦闘不能に陥ったのを確認しながら、次の矢を発射しようとまごつくゴブリンの懐にすばやく飛び込んだ。
「おかげでコルを稼ぐ事が出来たよ」
ゴブリンに、人間の言葉が理解出来るかは青年には分からないし、別に返事を期待しているわけでもない。
「ありがとう、そして……」
青年はそう言いながら、両手でゴブリンの顔を挟みこむように掴んだ。
「さようなら」
骨が折れる感触と音が伝わってくる。ありえない方角に、首を捻じ曲げられへし折られたゴブリンは、最後のあがきのように青年の方へ手を伸ばし……絶命した。
青年はゴブリンが手にしていたボウガンを拾い上げると、息苦しそうに呻くオークの元へともどり、ボウガンの引き金を引いた。
――戦闘評価B、評価者750人。報酬:63コル――
観客からの歓声に応えるように、青年は右手をあげながら、さきほどの戦闘を振り返る。
評価Aに届かなかったか……少し、戦闘時間が長すぎたか。まぁ、いい……一週間分の生活費を差っ引いても、充分にお釣りがくる。残りのコルを武装に使うか、ステータスの更新に使うかだが……
いきなりコロッセウム内に、観客の大歓声が響きわたる。
何か起こったのか?青年がそんな事を考えた時、ダンジョンを駆ける複数の足音が聞こえてきた。
『早く行け!』『でもっ!』『せめて、君だけでも……』そんなやりとりが、青年の耳に届いてくる。
青年は上空のステータス画面に目を走らせ、観客の歓声の意味を知る。闘技開始直後25人いたプレイヤーは、たったの6人になってしまっていた。犠牲になったのはすべて新人たちだろう。
さきほど聞こえてきたやり取りが、新人たちのものだとすると――青年はもう一度ステータスに目をやる。
『月形沙耶』16歳、性別:女――唯一生き残った新人の生存者。
「月形 沙耶……あんたは幸運の持ち主だよ」
目の前に飛び出してきた少女の姿を見ながら、青年はグラムを背に背負い、ディフェンダーを手に少女へと歩き出した。