疼き
「いいわ、すごくいい」
女は恍惚な表情を浮かべると、モラルタ、ベガルタから繰り出される突き攻撃を紙一重に避けながら、ゆったりとした動作で接近してくる。
「くっ……」
当たらない……2本の細剣による、絶え間ない連続突き。いままで、数多のモンスターを絶命させ、危難を潜り抜けてきた必殺の突きが、目の前の女に全く通用しない。
このままでは、ラチがあかないばかりかじり貧になりかねない――ナタリーはそう判断すると同時に、女との距離を一旦開けると、腰のポーチから金属片を幾つか取り出し、女の方に向けて投げ上げた。
「あら、今度は何を見せてくれるのかしら?」
(その、余裕も今の内だけですわ――)
ナタリーは、モラルタの高速の突きで金属片を突き続ける。
高温に灼熱する剣先で突かれ続けた金属片が、赤く熱し始める。
熱く溶け始めた金属片を、ナタリーは、女に向けて打ち出していく――それと同時に、ベガルタで大気から氷の欠片を幾つも作りだす。
周囲に乾燥した熱風が吹き始め、ナタリーの額に汗が滲み始めた。
「これでも、喰らいなさいな」
女のすぐ側まで飛んでいる金属片に狙いを付け、ナタリーは氷の欠片を高速で射出していく。高温の鉄の欠片に冷気の塊が接触した。
怪訝な表情で、ナタリーの事を見ている女の顔のすぐ側で、最初の爆発が起こった。
爆発は欠片の数だけ起こっていく。女は、避ける素振りさえ見せていなかったため、まともに全身で爆発を受ける事となった。完全に虚をついた攻撃、これでダメージを負わないとなると……
女の体を覆い隠すように立ち昇る爆煙を眺めながら、ナタリーは油断なく剣だけは構えておく。
「あ~あ、この服……結構お気に入りだったんだけど」
(ノーダメージ……)
無防備な所へ撃ち込んだナタリーの攻撃を、女は避けるでもなく正面から受けきると、平然とした表情で、衣服に散ったススを手で払い落とし始めた。
「まぁ、いいわ」
女はそう言うと、何事もなかったかにように再びナタリーの方へと向き直り――再び、ゆっくりとと歩きはじめる。
(勝てない)
最初からわかりきっていた事とはいえ、こうまで実力差があるとなると……そこまで考えて、ナタリーはモラルタとベガルタを腰にしまった。
闘技中でも何度も危機はあったし、生命を落としかけたのも一度や二度の話ではない。
だからこそ分かる――わたくしは、ここで死んでしまうのだと。
「あら、残念。もう、お終いなんだ」
女は、拍子抜けしたという表情でナタリーの事を見つめてくる。
「刻印の影響で、闘争したい、生き残りたい、という感情は増幅されているはずなのに、それでも諦めちゃう事があるんだ」
『興ざめよ』そう言いながら、ゆっくりと女が間合いを詰めてくる。時間の流れが、ナタリーにはすごくゆっくりとしたものに感じられた。
全身から汗を流し肩で大きく呼吸をしながら、ナタリーは女の接近をただ待ち続ける。
「もう少し、遊べると思ったのだけど……」
女の手が、ナタリーの首へと伸びてくる。
「……さようなら」
女が、言葉を言い終えるかの瞬間――女との間に煙が立ち込め、視界が遮られていく。ナタリーが剣を腰にしまった際に、代わりに右手に握り込んでいた煙玉が、女の足元で炸裂したのだ。
そして、その瞬間を狙っていたように、ナタリーは素早く腰の細剣を抜くと、ここぞとばかりに炎と氷の乱舞を女にお見舞いする。
「うふふふふふ……」
煙の向こうから、女の不気味な笑い声が聞こえてくる。
タダで殺されてやるつもりはない。これでも、そこそこは名の通ったプレイヤーとして、幾多の闘技を戦い抜いてきたプライドというものがある。
持てる全てをここで出し切ろうと思った。たとえ殺されてしまうにしても、このまま黙ってやられはしない。腕の一本でも道連れにしてやるという気迫で、ナタリーは煙の向こうにいるだろう女に向けて、細剣による突きを続ける。
「諦めた……と見せかけての、最後の足掻きという所ね」
煙の向こうからいきなり突き出てきた女の腕に、ナタリーの首がわし掴まれ宙に持ち上げられる。
「かはっ……」
いきなり襲ってきた呼吸器への攻撃に、ナタリーはモラルタとベガルタから、たまらず手を離してしまった。
ナタリーは女の腕を引き剥がそうと、両腕で抵抗を試みるが、女の腕は見た目の細さに反して凄まじい力を持っており、ステータスによる恩恵を受けたプレイヤーの力でもビクともする事はない。
(このままでは、いずれ……締め殺されてしまう)
薄れゆく意識の中で、それでも抵抗をやめるという選択肢は、ナタリーの中には一切なかった。
それが、ナタリー=シトリュクとしての意地なのか、女が言っていたプレイヤーとしての闘争本能、生存本能からくるものなのかは分からなかったが、このままで終わりたくないという気持ちだけは本物だと強く思えた。
(あぁ……ここまでですのね)
ナタリーの両手から力が抜けていく。最後の抵抗の跡を残すように、女の衣服に爪を立て引き裂きながら宙にぶら下がり、動かなくなった……
とつぜん、ナタリーの首を絞めていた、女の手が緩まり外れる。
体が解放され落下する感覚を、もうろうとした意識下でナタリーは感じながら、衝撃に備えようと知らず奥歯を噛み締める。
「ナタリー!ナタリーしっかりするんだ!」
体が抱きとめられた――目を開けた先に晶の顔を認め、ナタリーは自然と瞳が熱く潤うのを自覚する。
「ゲホッ……ゲホッ……」
「無理にしゃべろうとしなくていい」
自分の体がゆっくりと降ろされるのを感じ、ナタリーは胸の辺りが微かに疼くのを感じた。
生まれて初めて感じる不思議な感覚――ナタリーは、自分の顔を心配そうに覗き込む晶の顔を見つめ返す。
「沙耶!ナタリーを頼む」
(沙耶?あの娘、ちゃんと無事だったのですわね)
横たえられた状態で、ナタリーはホッと息を吐くと、駆けつけた沙耶に笑顔をこぼした。
「よかった……本当によかった」
ナタリーは、自分の体を抱きしめ涙を流す沙耶を見て、久しく忘れていた感情が、自身の中に湧き上がるのを感じていた。
◆◇◇◆
(これはなに?)
シポネは、初めて感じる感覚に身をよじらせながら、右腕から流れる血を残った方の手ですくい上げると、不思議そうな表情でそれを見つめる。
「神も、血を流すんだな」
晶は、意外そうな表情でそうつぶやくと、手にした魔剣を肩に担ぎあげた。
油断のならない相手だ――晶は軽口を叩きながらも、冷静に相手との間合いを測る。
最初の奇襲で、女の右腕をグラムで切り飛ばしナタリーを救った晶だったが、女の持つ異質な雰囲気が『決して気を抜いてはいけない相手だ』と、自身に警鐘を鳴らし続けている。
晶は、沙耶の方へと少し視線を向ける。沙耶には、クロートーによる防御のみに徹するよう、この空間に斬り込む前に言い聞かせてある。正直言って、この女の相手をするのに、沙耶は足手まといにしかならないからだ。
「ねぇ、ひとつ尋ねてもいいかしら?」
シポネは、体を貫く不快な感覚に顔をしかめながら、目の前の人間の男に微笑みかける。
「なんだ?」
「あなた、どうやって《《ここに来れたのかしら》》?」
『神々の庭園』と呼ばれる青と白が混じりあい続ける空間。そこは誰しもが自由に出入り出来る場所などではなかった。
神が創造する別次元世界の箱庭は、創り出した神が許した者しか、その侵入を決して許さないはずだった。
だが、目の前の人間の男は、神のいわば絶対不可侵な領域に容易く侵入して来たのだ。
シポネとしては、神殺しと呼ばれている目の前の男と、神を斬りし魔剣グラムの実力を見極めるためにも、情報を引き出し持ち帰ろうと考えていた。
「空間を斬った」
シポネの問いに対して、男の返答は素っ気ないものであった。
「それだけ?」
「それだけだ」
シポネは、あまりのバカバカしさに、笑いが止まらなくなってしまう。神が創り出した神の領域をこうも容易く破壊してしまう、神殺しという存在の持つ可能性の大きさを感じずにはいられない。
(なるほど、これが神を斬る事が出来る神殺しの実力……)
シポネは、目の前の男の事をじっくりと見てみる。
「人の事をじろじろと……悪趣味な女だな」
「ふふふ……あなたのその、デタラメな能力の秘密を、わたしは知りたいのよ」
「教えれば、俺たちを解放してくれるのか?」
くだらない――問い掛けた後で、晶はひどく後悔を覚える。
解放もなにもありはしない。どこへ行こうが《《神》》がいるかぎり、俺たちに自由はない。
(それに……)
一瞬、脳裏によぎった内容を打ち消すように、晶は頭を左右に振るった。
「いいわ……後から入ってきた娘とあなたは、解放してあげる」
「ナタリーは、どうなる?」
「あの娘は、わたしの大事な贄なのよ。解放するわけないじゃない」
一瞬、両者の間に沈黙が流れる。
「……交渉は、決裂だな」
「そう、それは残念ね」
晶は、沙耶たちの方へ少し目をやってみる。
沙耶は、晶と女が会話をしている内に、自身の周りにモイラと従者の配置を済ませたようだ。
ナタリーも上体を起こしてこちらの様子をうかがっており、完全に調子を取り戻してはないにせよ、自分の身を守りながら沙耶をサポートするぐらいは出来るだろうと、晶はふたりの様子からそう判断した。
「わたしに見せて、あなたの実力」
女は、ゾッとするような妖美な笑みを見せると、軽くステップするような感覚で、いきなり晶との間合いを詰める。
「くっ……」
戦いにくい――晶は、シポネが繰り出してきた左の手刀をグラムで弾き返しながら思う。
普段相手にしているモンスターと、神との決定的な違い。それは、攻撃に感情がこもっているかの違いだと、晶は女の攻撃をいなしながら、そう感じていた。
「ねぇ、防戦一方じゃない?」
女は攻撃を繰り出しながら、不満げな表情を見せる。
「ちっ……」
再び繰り出されてきた女の手刀による突きを、晶はギリギリでなんとかかわしてみせる。
攻撃の際、モンスターならば一撃ごとにこもる殺気、殺意から、晶は相手の次の動作や行動を予測しつつ、攻撃を避け、受け、反撃していくのだが、目の前の神からは、そういうものが一切感じられない。
その結果……晶は、女の攻撃に対して判断に迷いが生じてしまい、反撃の機会を見失う事となってしまった。
「あなた、やる気あるの?」
『もう、いいわ』シポネはそうつぶやくと、男に対して一定の間合いをとる。
目の前の男の動きからは、強さも魅力もシポネは感じる事が出来なかった。だからといって、一度振りあげてしまった矛を収めるわけにもいかない。
シポネは思案する。そして、その目は男の持つグラムに注がれた。
「その剣……頂いていくわ」
シポネの足元から、幾つもの影が伸びあがったかと思うと、人の形をとって男の方へと、急速に接近し始める。
影――それが、シポネが仕える主神である、タナトスによって与えられた能力。
影は、シポネが望む物を取り込む。シポネは、男の持つ魔剣グラムを、自身の影へと取り込もうと考えていた。
――それが、あなたの能力……
晶の耳に、とつぜん声が聞こえてきた。
晶と女は同時に動きを止める。声は女にも聞こえている様で、女が動作を止めた事で、影もその動きを止めてしまう。
その声は、この場にいる全員に聞こえているらしく、沙耶とナタリーも声の正体を突きとめようと、辺りを見回している。
――同化。
「グ……グラム!?」
手の中で、とつぜん震えだした魔剣に、晶は戸惑いの表情を隠す事が出来ない。
こんな事は初めてだった。彰さんといる時も、こういう現象が起こった事は一度もないし、彰さんからは、何も聞かされてはいない。
グラムが青白い光に包まれる。青と白とが混じり合う空間を、発する光で濁すかのように、グラムは発光し続ける。
「な……なにを」
シポネが、困惑の表情で声をあげる。
自分の身に起きた現象をシポネは理解する間もなく、全身に今まで感じた事のない不快な感覚が広がり、魔剣と同様の青白い光が覆い始める。
シポネは、自身の身に何が起きているのかを、理解する事が出来ないでいた。
「神殺し……あなた……」
苦悶の表情を浮かべるシポネの全身を、より強い光が包んでいく……
「シポネ!」
いきなり声が響き、晶と女の間の空間に、いきなり亀裂が入る。
亀裂から何かが凄まじい勢いで飛び出し、晶が持つグラムと激しく衝突した。
ギンっと、鋭い音色と共に、グラムが弾かれ青白い発光も消えてしまう。とてつもない威力と精度の高い攻撃に、グラムを持つ晶の手がしびれを感じてしまうほどだ。
晶は、攻撃によって崩された上体を、両足で踏ん張り持ち直しながら、自身を襲った物の正体を見極めようと、亀裂の方を睨みつける。
「新手か……」
態勢を立て直した晶の目に映ったのは、一本の美しい造形の槍。槍は、ゆっくりと亀裂の中に引き戻されつつあり、槍の柄を握りしめる何者かの手を目にして、晶はようやくさきほどの攻撃が、この槍から繰り出された突きによる攻撃だったのだと認識した。
「ずいぶんと、苦戦してるようじゃないか?シポネ」
「今の青白い光は、神殺しの能力なのかな?」
亀裂の向こう側から、声が複数聞こえてくる。
声が聞こえるのと同時に――亀裂を押し広げるようにして、声の主が姿を現す。
ひとりは、鎧姿の騎士風の女、その後に続いて、見た目幼い子供の姿をした女。ふたりの出現と同時に、亀裂は閉じられ空間が元に戻る。
「神が、新たに2体か……」
1対1で、なんとか攻撃を凌いでいる状態である所に、更に2体の神も相手にするとなると、相当分が悪い――晶は、そう考えると後方にいるナタリーと沙耶の方を振り返る。
晶にとって沙耶とナタリーは、彰と別れて以来初めて出来た大切な仲間だ。
(最悪、自分の生命に代えても、必ずふたりは逃がす)
晶は、ふたりの姿を見ながら、改めて決意を固める。
「いま、いいところなの。邪魔をしないでもらえるかしら?」
メガイラとアレクト。ふたりの姉妹のとつぜんの参戦に、シポネはメガイラの槍によって自身が救われた事を、敢えて触れずに声を掛ける。
「いいところねぇ……わたしには、シポネ……あんたが苦戦しているように見えたがね?」
メガイラとシポネの間に、一瞬緊迫した空気が流れる。
「メガイラ姉様……!」
険悪になりかけた空気を切り裂くように、アレクトが晶の方を指さし叫び、シポネはメガイラから視線を外すと、アレクトの指さす先に目線を移した。
「グ……グラム!?」
男が、自身の持つ魔剣に向かって叫んでいる。
メガイラの槍の一撃によって、一旦落ち着いたかに見えた魔剣だったが、再び青白い光を放ち始めていた。
(またなの……いったい魔剣に何が起こっているの?)
シポネたちが見守る中で、魔剣の放つ輝きが増していく。
男は、なんとか柄から手が離されないように、両手で魔剣を抑えつけようとしているが、魔剣を抑える事が出来ていない。
そうこうしている内に、魔剣の光に呼応するかのように、先ほど魔剣によって切り飛ばされたシポネの右腕が青白く輝きだすと、宙に浮きそのまま魔剣の方へと吸い寄せられていく。
「なっ……あれは、わたしの右腕」
シポネは見た。吸い寄せられた自身の右腕が、魔剣によって吸収されていく所を。
シポネはなぜ、魔剣グラムが『神を斬り、神の血に染まり、神の魂に穢された剣』と呼ばれるのか、その真の意味を初めて知った。
「がっ……あっ」
右腕が魔剣に吸収されたのと同時に、シポネの中に得体の知れない感覚が急速に流れ込み、思わず呻き声をあげてしまう。
「な……なんなのですか……この、訳のわからないものは!」
シポネの心を急激に満たしはじめたもの――初めて感じる感覚にシポネの心がざわめき始める。
「神殺し!」
シポネが絶叫する。訳の分からぬ感覚に突き動かされ、
「その、剣を……魔剣をわたしに寄越せ!」
再び影を男の方へと飛ばす。
「アレクト!」
メガイラが、アレクトに声を掛けながら、影に対して出来るだけの距離を取ろうとしているのが目の端に映る。
アレクトの方も、メガイラの声が掛かる前には行動を開始し始めており、影から身を守れるだけの距離をすでに取っているようだ。
(わたしの身に、何が起こったのかは知らないけど……)
シポネは、自身の急変の原因である神殺しに視線を向ける。
儚くも、脆い存在――シポネが神殺しを間近に見て、最初に抱いた印象は、他の人間に対するものと変わりはない。しかし……
神槍ブリューナク――メガイラが手にするこの神槍からの一撃を、目の前の男が防せいだ事実。それは、神たる存在であるシポネに、警戒心を抱かせるに充分なものであった。
(だけど、わたしの影の前では、その程度の強さなど無意味よ)
シポネの持つ影。それは、相手が神であろうが、魔剣であろうが無差別に飲み込んでしまう能力であり、一度でも捕らわれると脱出するのは不可能と言い切ってもよかった。
(だが、もしも……)
影が敗られるような事があるとすれば……
(それは、それでおもしろい)
シポネは、愉悦の表情を浮かべると、しばらくの間、この得体のしれない感覚に身を委ねてみようと思った。
(グラムの……一撃の間合いに、奴を引き込めさえすれば)
女の足元から伸びる影が、巨大な手の形を成して晶を握り潰そうとするかにように追い続け、晶はそれを紙一重で避けながら、女に一撃を入れる隙を見出そうと、付かず離れずの距離を維持し続けている。
(くそ、このままでは……)
襲いくる複数の黒い巨大な手を避け続ける。だが、避けるだけでは女に勝つことは出来ない。晶は、女に対して反撃を試みようとするのだが、
――影に触れないで。
先ほどから聞こえてくる声が、影に触れるなと警告してくる。
――皇 晶、影を使いなさい。
声が聞こえたと同時に、晶は声の意味を瞬間的に理解し、人型の影を4体出現させた。
(2体は、女の影を防げ。残る2体は、女の動きを封じろ)
影は、晶の念じるまま忠実に動き、晶の目前まで迫っていた女の影と正面からぶつかる。
影は影を取り込めない――晶は、唇の端を持ち上げ笑う。女の能力を得、それを自在に操れる自分に、不思議と何も感じる事はなかった。
晶の目の前では、晶の影と女の影が、互いに喰い合うように混じり合う。
「なっ……それは、わたしの影」
女は驚愕の表情を浮かべる――神らしくない――晶は、女が先ほどから見せている表情や仕草に、強い違和感を覚えた。
晶は、狼狽えた様子を見せている女に対して、残りの2体の影を急がせる。
「神殺し!」
女が狼狽しながらも、晶の動きを読んで新たに6つの影を飛ばしてくる。
女を捕縛しようとする晶の影と、女の影が再び混じり合う。だが、残りの4体の影は、凄まじい勢いと速度で晶目掛けて迫ってきた。
「グラム!」
晶は叫ぶと同時に、手にした魔剣を自身から発生させた影で覆い尽くす。
影は、まるで生き物のようにグラムを取り込む――女の影が晶の目前まで迫った。
「ふっ!」
短い気合いと共に、影と化したグラムを晶は真横に払った。目前まで迫り、晶ごと魔剣を飲み込もうとしていた女の影が、横なぎに払われ消滅してしまう。
「おのれ!」
シポネは、目の前で男に影を切り裂かれ絶叫する。
あり得ない事であった。たとえ神を斬る魔剣であっても、影に切っ先が触れさえすれば、取り込んでしまえるからだ。だが実際には、シポネが飛ばした影は、神殺しが飛ばしてきた影と、影と同化した魔剣によって切り飛ばされてしまった。
シポネは、再び目の前の神殺しに目を向ける。
男の体に、影と化した魔剣が巻きつくように、まとわりついているのが見えた。
シポネにとってそれは、正直、信じがたい光景ではあった。影の能力を奪われたばかりか、シポネ自身持ち合わせていない要素を、新たに影に乗せて神殺しは影を操っている。
シポネは男に対する自身の中の、得体のしれない感情が大きくなっていくのを、感じはじめていた。
「そこまでだ。シポネ――」
シポネと男の間に、黒いローブの神が音もなく忽然と姿を現した。
(タナトス様)
シポネは自分の背後で、メガイラとアレクトがひざまずいたのを感じとっていた。
「御苦労であった、シポネ。おかげで、神殺しの……いや、魔剣の持つ能力をこの目にする事が出来た」
「タナトス様、わたしを戦わせて下さい。腕をもがれ、能力を奪われ……」
「控えよ――シポネ……」
シポネは、最後まで話す事さえ許されなかった。主神であるタナトスから発せられる気配に、シポネの膝が自然と折れてしまい、主神であるタナトスに服従の姿勢をとってしまう。
「影よ、消えよ」
漆黒のローブから白い骨の腕が突きだすと、ゆっくりとした動作で横へと腕を振るう。
たちまち、揉みあっていたシポネの影と、男の影がかき消されてしまった。
「さて……」
タナトスは影をかき消すと、シポネの方へと視線を向けてきた。漆黒のローブの奥底に宿る赤い光彩に射抜かれて、シポネは体から自由が奪われていくのを感じた。
「タナトス様!」
「シポネ……身体の一部を魔剣に喰われし、我が娘よ」
タナトスの抑揚のない声が言葉を紡ぐ。
「お前の時間を凍結し、持ち帰り調べさてもらう」
「なっ……」
シポネは、自分の耳を疑った。
(まだ、時間を止められるわけには……)
「うああああぁああ!」
シポネは、主神であるタナトスの呪縛を自力で解こうと絶叫した。そこには、冷徹鋭利で無感情な神としての面影は微塵も残されてはいなかった。
「ほぉ……我に歯向かうか」
主神の冷徹な声が、シポネの耳に届いた――それと同時に、シポネの体を深淵の闇が覆うのを感じ、自身の意識が時と共に止められつつある事を感じた。
(おのれ……神殺し……)
シポネは、最後の抵抗に目の前の神殺しを睨みつける。
――かならず……かならず蘇り、神殺し……おまえを……
シポネの意識は、完全に深い闇の中へと没してしまった。
(こいつは、いったい……)
晶は、いきなり女との間に割って入るように出現した、ローブ姿の神に言い知れぬ恐怖を感じてしまっていた。
漆黒のローブを着た神は、突きだした骨の腕の一振りで影を消失させ、さらには女の全身を深い闇の中に包んで封じてしまったのだ。そのあまりの手際の良さから、相当な実力者であると同時に、今の自分では到底敵わない相手だと、晶は瞬時に理解した。
「我が娘の一部を喰らい能力を奪うか……」
ローブの奥底で、神が声を殺して笑いだす。
「……貴様、エーテルだな?」
神がグラムを指さすと、そうつぶやいた。
――タナトスを逃がさないで。
声が、晶に語りかけてくる。いまや、声を発している主がグラムであると、晶ははっきりと分かっていた。
晶の体に巻き付いた影から、ひとりの少女が姿を現す。少女は、上半身のみを影から出して、晶の肩にもたれ掛かるような姿勢をとった。
「皇 晶、目の前の神。タナトスを逃がしてはダメ」
「グラム。あれは、かなり危険な相手だ」
「わかってる。でも、逃がしてはダメ」
グラムは、晶の肩越しに指先をローブの神に突きつける。
「わかった……だが、無理はしない」
グラムの考えが晶の中に流れ込み、その瞬間、知ってしまう――グラムの正体を。
魔剣グラム――その本質と正体を知り、晶は思う。
――自分はもう、引き返せはしないと――
「ほぉ……我と一戦交えるか……だが」
タナトスが、骨の指を晶の後方へと向けた。
「くそ!」
晶は、タナトスが指さす方へ視線を向けて思わず叫んだ。
晶の後方で、戦いの様子を観戦していた沙耶とナタリーを取り囲むようにして、エリアに置き去りにしてきたはずの、マンティコア3体が出現していた。
「我と遊んでいても良いのか?神殺しよ」
晶は、タナトスが言葉を言いきらぬ内に背中を向けると、ダッシュで沙耶とナタリーの元へ向けて駆け始めた。
「皇 晶。どこへ向かう……我らの敵はそちらではない」
「仲間を見殺しには出来ない!」
俺は誓った。何があっても沙耶を守ると――晶はグラムの制止を振り切ると、駆けながら2体の影を召喚する。
「ナタリー!モラルタと、ベガルタを借りるぞ!」
晶は、素手でマンティコアの一体とやり合っているナタリーに向かって叫びながら、地面に転がっている双剣に向けて影を飛ばした。
影は双剣の元に辿りつくと、全身を飲み込み影の内へと完全に取り込んでしまう。
「行け!モラルタ!ベガルタ!」
晶は、マンティコア相手に苦戦しているナタリーの元へ影を飛ばす。氷の軌跡と炎の軌跡を描きながら、双剣の姿をした影が2対、戦闘中のナタリーとマンティコアの間に割って入っていく。
(よし……)
ナタリーの方は、放っておいても大丈夫だろう――晶は、視線を2体のマンティコア相手に戦う沙耶へと向ける。
沙耶は、2体のマンティコアが繰り出す魔法と接近戦のコンビネーションに、反撃こそ出来ていないものの、モイライをよく操って攻撃を凌いでみせていた。
(よく、頑張っているじゃないか)
つい、最近エデンに連れてこられたばかりとは思えない沙耶の奮闘に、晶は頬が自然と緩むのを感じる。
負けていられない――晶は、グラムに呼びかける。晶の肩先で事の成り行きを見ていた少女は、一瞬何か思案するような仕草を見せ、そして……晶の呼び掛けに応えるように肩先から腕、手へと影となり移動し、剣の形へと変化した。
――戦闘評価S、評価者1名。報酬:15000000コル――
数刻の後、3体のマンティコアを倒した晶たちの前に、戦闘評価が表示された。
(ずいぶんと、ふざけた奴だ)
評価を下した神――タナトスがいたであろう場所に晶は視線を向ける。
すでに、タナトス達の姿はどこにも見当たらなかった。
「とりあえず、助かりましたわ……晶さん」
ナタリーが、モラルタとベガルタを宙に従えた状態で側へと寄ってきた。その表情からは『いろいろ聞きたい事がある』と言わんばかりだ。
「晶、わたし頑張ったよね」
沙耶は疲れたという表情で、肩で荒く息をしながら側へと歩いてきた。
「あぁ、上出来だ沙耶」
褒められた事がよほど嬉しかったのか、沙耶の表情が花のようにほころんだ。
――闘技の終了を告げる鐘の音が、不可思議な空間に鳴り響いた。
(とりあえずは、生きて無事に戻れるんだ)
後の事は、また機会がある時に考えればいい――手の中のグラムに言い聞かせるように、晶は心の中で呟くと、目の前に開いた出口から外へと出て行くのだった。




