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危機

 「甘いですわ!」

 繰り出した細剣ベガルタの一撃に貫かれ、アリの姿をした亜人型モンスター、フォルミーカが断末魔の叫びをあげながら倒れ伏す。

 戦闘が始まってどのくらい経ったか……ナタリーの通った後には、すでに10体近くのフォルミーカの遺骸が転がっている。

 (湖で汗と砂を流したばかりですのに……)

 左右を挟むように回り込んできた2体のフォルミーカが繰り出してくる槍を避けながら、湖での晶とのやりとりを思い出してしまい、ナタリーの目は少し離れた場所で3体のフォルミーカを斬り伏せている晶の後ろ姿をつい目で追いかけてしまう。

 生まれて初めて他人にぶたれた。あの時の晶の目、怒りでも悲しみでもない、そう――あれは、失望したという目だった。信頼を裏切られた者が裏切った者へ向ける目……

 何も言い返せなかった。わたくしは沙耶を守ると啖呵を切りながら、あの場面で判断を誤ってしまった。沙耶は気にしないでと言ってくれる……だけど、わたくしは自分自身を許せそうにない。

 考え事をしている間に、周囲をフォルミーカに囲まれてしまう――絶対絶命――普通ならば、命を落とす局面。ナタリーは素早く腰に差してあったもう一つの細剣モラルタを抜くと、ベガルタの剣先と触れ合わせる。ふたつの細剣の剣先の触れあう場所から、ナタリーの体を覆い隠すように霧が発生し始めた。

 疾風――ナタリーに付けられた異名。俊敏性に特化させたステータスの強化から得られる、スピード、一撃の弱さを補って余る連続攻撃によって、霧で視界を奪われ戸惑うフォルミーカ達を一瞬で沈黙させていく。

 それにしても、妙だ――敵の数が尋常ではない。パーティ制になって、闘技の難易度は確かに跳ね上がった。一度に出現するモンスターの数も増えはしたが……次々と、地中から湧き出てくるフォルミーカの群れにこの地獄の炎天下。

 ピンチ……ですわね――ベガルタが描く、氷結晶の軌跡が炎天下の空にキラキラと舞い散っていく。


 ◆◇◇◆


 「やってる、やってる。いやぁ、このパーティは思ってた通り強いね」

 薄い布地を一枚体に巻き付けただけの、見た目10歳前後の子供が晶たちの戦闘を眺めながらはしゃいでいた。

 「アレクト……はしゃぐのはいいけど、ほどほどにしておかないとタナトス様からお叱りを受けますよ」

 そう言って子供をたしなめるのは、スラリと背の高い妖美な雰囲気をまとった美女。真っ白なローブに身を包んだその姿は、聖女と言っても差し支えない神々しさを醸し出している。

 「だって、興奮しない?闘技をこんな間近で観戦出来るなんて、そうそうあることじゃないよシポネ姉様」

 「アレクト……野暮な事を聞いてやるなよ。我らが姉妹の中でシポネが一番好戦的なんだぜ。間近で闘技を観戦して、興奮していないはずがないだろう」

 ふたりの会話に、いきなり首を突っ込むように話を被せてきたのは、立派な鎧に身を包み、槍を携えた女騎士。キレイな紋様と装飾を施された鎧は、戦闘用というよりは観賞用なのではと思わせるほどに華美な物であり、携えた槍は一見するだけでも業物だと思える逸品だ。

 「メガイラ、その言い方は周囲に誤解を与えてしまうわ。わたしは、純粋に闘技を楽しんでいるだけ……」

 『よく言うよ』メガイラはそう言って首をすくめると、眼下の光景に再び視線を落とす。

 エリア上空――空の高みから、晶たちを見下ろす3体の女神――アレクト、シポネ、メガイラの3姉妹は、主であるタナトスの主命により、神殺しの実力を見極めるため、闘技に細工を施し難易度を意図的にあげ、モンスターと戦闘をしている晶たちの様子を観戦していたのである。

 「うふふふ……それにしても、あの娘……すごくいいわ」

 言ってるそばから……体を震わせ、切なげな声を出し始めたシポネに、アレクトとメガイラのふたりは呆れたという表情で顔を見合わす。

 「シポネ、目的を違えるな。タナトス様は、神殺しの現在の実力がどの程度かを見極めてこいとしか仰られていない。ここで、お前が余計な手出しをしてしまうと、正確な分析が出来なくなってしまう恐れがある」

 メガイラの表情が、少し厳しいものへと変わる。

 「神殺しに対して、余計な事をしなければいいのよ」

 眼下では、100体近くいたフォルミーカが全滅してしまったようだ。シポネは、それを無表情に見届けると晶に向けて右手を突き出した。

 「あっ……やっちゃったよ、僕知らないからね」

 アレクトが、眼下の情景を見ながら呆れた声をあげた。

 晶の周辺に、新たなモンスターが3体出現する。3体のモンスターはシポネの望みを叶えるべく、晶をナタリー、沙耶から遠ざけるような動きを見せ始めた。

 「神殺しの事はふたりに任せるわ」

 シポネはそう言い残すと、制止するメガイラを無視して姿をかき消してしまう。

 「行っちゃったよ……」

 アレクトが大きなため息を吐く。

 「ああなってしまうと手に負えん。まぁ、神殺しに手は出さないと言ってるんだ、しばらくやりたいようにさせておけばいいさ」

 メガイラは、アレクトのため息に同調するかのように頷くと、気を取り直し眼下の神殺しに再び視線を移した。


 ◆◇◇◆


 フォルミーカの群れをようやく倒しきったかと思った瞬間、晶の周囲を取り囲むように3体のモンスターが姿を現した。

 マンティコア――砂漠に出現するモンスターの中で、最も手強いモンスターとしてプレイヤーから忌避されているモンスターで、エリアボスでもないのにプレイヤーからボス扱いされるほどの強さを誇る厄介な魔獣だ。

 それが、よりによって3体も……

 多彩な魔法を使いこなし、接近戦もこなせる攻撃力と俊敏性を兼ね備えた素早い動きで、3体のマンティコアは晶に接近させない位置取りで攻撃を加えていく。

 「晶!」

 沙耶が叫び、晶の元へと駆け出しそうになる。ナタリーは、それを強引に留めつつ前方を睨みつける。目の前の空間がねじ曲がり始め、それと同時に辺りに異様な空気が立ち込めていくのがはっきりとわかる。やがてそれらのすべてが収まるのと同時に、ナタリーと沙耶の前方にいきなり女が姿を現した。

 「あなたは、取り乱したり慌てたりはしないのね」

 「慌てる必要などありません。あの朴念仁が負けるところなど想像もできませんわ」

 なんて、重圧ですの――相手の与えてくる重圧に圧倒されそうになってしまう。女は構えるわけでもなく、ただそこに悠然と立っているだけ……それなのに、感じずにいられない圧倒的なまでの力の差。

 「沙耶、わたくしの後ろに……」

 すぐ側にいるはずの沙耶に声を掛ける。けど、沙耶からはなんの返事も返ってはこない。

 「沙耶……?」

 沙耶が居たはずの場所――そこには、誰もいない。それどころか、砂漠ですらなくなってしまっている。

 (いったい、これは――どういう事?)

 ナタリーの目の前に広がる空間。それは、無機質なまでの青と白が混ざりあったような世界だった。

 青と白が、重なり合いながら再び分かたれていく様は、幻想的でそれでいて寂しいものに、ナタリーの目には映った。

 「ようやく、自分が置かれている状況に、気が付いたようね」

 女が微笑を浮かべる。ぞっとするくらいにキレイな笑みに、ナタリーの中の警戒レベルが最大にまであがっていく。無意識の内に、ナタリーはモラルタとベガルタを抜きさり女に向けて構えをとってしまう。

 「やる気充分という感じね。でも……そうでないと、わざわざ姿を晒した甲斐がないというものだわ」

 神――ナタリーの直感がそう告げる。女から感じる重圧、圧倒的な美と底知れない力。女の見せる態度は、どこまでも余裕があるようだった。

 「わたくしのようなただのプレイヤーに、神がなんの用なのです?」

 「そんなの……決まってるじゃない」

 いつの間に背後に……女の声がわたくしの背後から聞こえてくる。

 「あなた、いい髪質しているわね。サラサラしていて、触り心地がいいわ」

 「くっ……」

 反応する事も反撃する事も出来なかった。女の指先が、ナタリーの喉に掛かる。特に力を入れているわけでも、拘束されているわけでもないのに、ナタリーの体は完全に自由を奪われてしまった。

 「あら……反撃しないの?それとも出来ないの?少しは遊べると思ったのに、残念だわ」

 遊ばれてる――屈辱で体が震え抑えることが出来ない。どうにもならないまでの力の差を感じる。 おそらく、この女の強さは神殺しである晶よりも上……

 「あなたに、反撃の機会をあげるわ」

 女は、ナタリーの正面に突然現れると、両手を胸の前に組んで無防備な姿をさらけ出してきた。

 「早くしないと、気が変わってしまいそうよ。それとも、反撃も出来ないまま死ぬことをお望み?」

 やるしかない。女の気が変われば、確かにわたくしの生命は一瞬でもがれてしまう事だろう。

 女の目的が、わたくしと一戦交える事だけにあるならば、敵わないまでも抵抗してみる価値はあるかもしれない。少しでも歯ごたえを感じさせ、時間を稼いでおけば、その内きっと……

 そこまで考えて首を振る。今は目の前の事だけに集中するべきだ。

 「ナタリー=シトリュク、及ばずながらお相手させていただきますわ」

 炎と冷気の軌跡を後に引きながら女に一矢を報いるべく、ナタリーは2本の細剣を構え女に突撃した。

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