前哨戦の攻防
蜃気楼の街に響く声。
『さぁ、どう切り抜ける? 平野 類斗』
愕然としている暇などなかった。
この状態から起きる現象などそんなに選択肢に幅はない。
そして、俺の知っているアイツが相手なら、悠長に選択する暇など与えない。
俺に声をかけた時点で既にゲームを開始している。
「とりあえず、一目散に逃げますよ」
隣で、あまりの展開の早さに思考停止しているファリアさんの手を握って街の出口に向かって走り出す。
容易に予想がついてしまった未来。これから起きるのは未曾有の幻影ゴブリンの実体化だ。
「直ぐにこの街の全域に跳梁跋扈するゴブリンが実体化してくる筈です。街の中ではいずれジリ貧になります」
ファリアさんの手を引きながら、幾つかの角を曲がり門へと続く大通りへ差し掛かる頃。
触れられない緑の肌をした無数の生物は次々と実体化を開始していた。
『そんなに急いで何処にいくんだい? 』
付いて回る過去の因縁。
普通に考えれば、この流れからすれば出口に向かうのはわかっているだろうから、そこを集中して防衛すれば良い。
何処から見てる? この能力の本質はなんだ?
「お前は神様に会ったのか? 俺は会ってないからどんな姿をしてるのかもわからないんだ。どんな経緯でここにいるのか教えてくれないか? 」
致命的なのは相手のチート能力の全容が見えない事だ。
相手のペースに乗ったまま、逃げ回るのも会話するのもゴメンである。
わかっている事を並べる。
・本来のアドナイの街及び住人を消した様に見せられる。
・この蜃気楼の街のゴブリン、街全体の存在感を調整出来る。更に生物を変成することも可能。
・効果範囲は有限である。何らかの方法で此方を見聞き出来る。
既に自ら出てきた相手、なのに像を結ばない相手のチート能力の全貌。
[効果範囲の対象を自由に変成、編集出来る能力]辺りだろうか?
検討をつける。何も無いよりは幾分、マシであろう。
範囲内にいる俺やファリアさんに能力を使わない、ということは発動に条件があるタイプの能力なのだろうと追記する。
俺の能力で対応可能か? 手を繋いだままのファリアさんは、未だに事態の把握が追い付いていないらしく放心状態である。
相手の目的からして交渉の目はない。
しかし、よく知っていた相手ながら上手く事を運んだものだ。
俺の性格を読みきって張り巡らせた網、まんまと誘き出された俺。そこは称賛に値する。
『随分と余裕があるね、類斗。時間稼ぎでも考えているのか』
やはり、質問にはいっさい答えてはくれない様だ。俺も答えていないからお互い様ではある。
「いや、余裕がある訳無いだろうが! こっちは内心、動揺と混乱で形振り構わず必死だよ」
大通りを駆け抜けながら会話を続ける。
周囲のゴブリンの位置や、相手の此方を見ている方法を探すように“瞳術”を駆使して情報を集める。
「ただ、なんで俺が平野 類斗本人であると断定しているのか気になってね? 」
最近はあまり違和感もなく肉体を使っているが、俺は精神だけがこの世界の人間の肉体に宿っている状態である。
見た目で俺をルイト本人であると認識できる筈は無いのだ。
恐らく神様が、俺の事でも教えない限りはこんなピンポイントで罠は張れない。
神様に目をつけられるモブキャラってなんの冗談だ。笑えてくる。
俺の本質は、神様には筒抜けであるのかも知れない。
人族なら量産された魔道具でステータスを覗き見ればわかるだろうが、他勢力には魔道具は各十個しか与えられていないのだ。
人族が量産した腕時計型魔道具、争いに負けて奪われれば各勢力に流れ、相手に便利に使われると普通は思う。
しかし、そうはならないように安全装置がついている。
俺の今つけている魔道具だって、元の肉体主ルイス君のつけていた物とは別物である。
なんでも初期出荷時の個体認識で、その人物の魔力を登録しないと起動しない仕組みなのだ。
魔力紋とでも言うのか、指紋のようにそれは個人個人で違っているので誤作動する事は限りなく低いのだ。
オリジナルだけは特別で譲渡したり、略取しても使用可能らしいがソレ以外の量産品の魔道具は全部がオンリーワン製品である。
『類斗を特定した手段は何だって事? 復讐が終わったら教えてあげるよ』
この腕時計型の魔道具は持っていない。短い会話をして、各勢力の実力者が持っているソレを、アイツは所持している訳ではないと確認する。
しかし、復讐が終わったらと言うのは下手すると言わないのと同義ではなかろうか?
アイツの性格からして復讐が半端なものでは無いことは知っている。
これ、生き残れるかな。
「この辺か、もう少し右か」
探っている俺の周りに群がるゴブリンの群れ。
近寄ってきた相手を鞘当てで弾き飛ばす。
彼らの認識を変換でもして、俺達を外敵だと思い込ませているんだろう。
「ルイト、このままで良いのか? アドナイの住人はどうすれば良いんだ? 」
やっと思考が戻ってきたファリアさんは、俺の服の裾を掴み切迫した表情である。
「ずっと付いて回る声。そもそも逃げきれるのか? ただ逃げるだけなら私はアイツと戦うぞ!」
思考が戻ってきたファリアさんはしかし、興奮して混乱したままだった。立て続けに俺にしがみつきながら目を向けてくる。
『へぇ、良いね。その切迫した表情、ホラー映画のヒロインでも張れるんじゃない』
そんなファリアさんに声がかけられる。ビクッとして剣を構えて辺りを牽制する。
厄介なのは、相手は此方を観察できていて此方からは相手の居場所すら判明していない点だ。
不利を潰すため、目まぐるしく辺りを喋りながら観察していた俺の目に一匹だけ違和感のあるゴブリンの姿が入ってくる。
他の個体と違い、蜃気楼の街の建物の屋根の上にいる一匹。
「木の葉を隠すなら……」
違う。あれはミスリード要員だろう。目立ちすぎだ、必死に隠してますよアピールがする。
「木の葉の中が定石だろう!」
俺ならそうする。
相手の虚をつくための罠を張り巡らす。
そんな俺の戦い方を間近で見ていたアイツなら、こんな見も蓋もない手を使わない。
この当たり前のように群がるゴブリンの中の一匹こそ観察する術を隠している本命である。
「やっぱり、やりづらいな」
相手の此方を観察する術が特定出来ないのなら、文字通り煙に巻く。
“収納”の能力に納めていた焚き火の時に出た煙を解放する。
煙幕に使えると思って収納しておいて良かった。
すぐに晴れてしまうだろうが数秒なら大丈夫だろう。
たった一つだけ、本来のアドナイとこの街の共通する真実の部分がある。
俺達の立っている此処、地面とその地下には効果範囲が及んでいない。
これだけの大きな街なら整備してあってしかるべきライフラインの一つ。
過去に日本人が転送された世界で、伝えられていない筈なかった下水設備が敷いてある。
外へ繋がっているかどうかの確認は、レイラにやって貰っている。
「レイラ、汚れ仕事させて悪いな。今から降りる」
逃げの一手を選択した時から、レイラに繋げてある通話機能で一番大きな下水道を探して貰っていたのだ。
ポインタ機能で、この真下から数メートル辺り離れたところにレイラの青い点が見える。
「悪いが一旦、逃げさせて貰う」
月華に魔力を流し込み地面に突き立てる。そのまま円を描くように切り取ると中に空洞が有るのがわかる。
『流石は元リーダー。でも僕もなかなかだよ』
ファリアさんと一緒に飛び込もうとした瞬間、何かが俺達に躍りかかってくる。
即座に“陽炎”の能力で俺は躱す準備をした。
アイツの目的は俺への復讐。ファリアさんと俺の二人なら俺を狙って来るのが普通だろう。
『残念、外れ。今回、正体ばらして追いかけたのはこっちが本命』
身構えている俺の隣にいるファリアさんに影が迫る。
「なっ、なんでファリアさんを? 」
俺は開いた下水道へと通じる穴に落ちながら、相手に捕まってしまったファリアさんを見上げることしか出来なかった。
数秒で下水道の地面につく。
「く、くそ。俺が目的じゃなかったのか? 」
身体の力が抜ける。腰を抜かしたように下水道の地下通路の床に座ってしまう。
「頭、大丈夫。ファリアはどうしたの? 」
レイラが俺に駆け寄ってくる。そして隣にいる筈のファリアさんの所在を聞いてくる。
「捕まった。最後の最後で、俺の読みが外れたばっかりに」
床を殴り付ける。石で出来た床を殴り付けた拳が痛む。
かつての知己との思いがけない出会いに、冷静に押さえ込もうと必死だった心がガクガクと震える。
もう、逃げられないのだ。心的外傷を引き起こす要因、過去の傷。
ファリアさんが囚われた今、自ずと見えてくる相手の次の一手。もはや一刻の猶予もない。
「……やるしかないのか? 」
俺は生き方を変えないため、ある制限している。
この自己防衛の元に生きている。
その過程で生じたのが、現在は称号入りしている自称スキル“埋没する才能”である。
少しでも漢字に精通している人間ならわかると思う。普通はこう言う風には“埋没する”は使わない事に。
普通は「才能を埋没させる」などのように使うものだ。
目立たないように、可もなく不可もなく生きる為に。
あの痛みを味わいたく無い為に、二度と使うまいと深く深く埋没させ封印した“ある力”。
これは出来れば使いたくない切り札、その先の奥の手。
使用すれば、恐らく心的外傷が俺を襲うだろう。今度は心が壊れるかもしれない。
俺は今更、使えるのか?
でも今、やらないで心が死ぬぐらいなら覚悟を決めるしかない。
生半可な策でなんとかなる相手ではないのた。俺の持てる全てを使う覚悟をしなければいけない。
今後の戦闘で、何がどう転ぶかわからないのだ。
「レイラ、現状を立て直す。最悪でもファリアさんは助け出す。今日中に取り戻すぞ」
また、ヌルリと精神にまとわりつく黒く歪んだ痛みが無邪気に笑いかけながら俺を縛り上げてくるが、今は構っていられない。
さぁ、反撃に出るとしますか。




