調査の開始
理解不能な状況にあるアドナイの街。
見た目には質感を伴っている街をぐるりと囲む煉瓦の高さ五メートルは有ろうかと思われる防御壁。それにそっと触れてみようと手を伸ばす。
普通なら石特有のひんやりとした固い質感が感じられる手の平は何にも当たらない。視覚情報では煉瓦に腕が飲まれているように見える。
街へと出入りする西側の関門の扉も同様であった。木の触感を感じられない。関門側にある軍人の詰め所と思われる小屋も全く同じ透過する椅子や机、調度品の数々。
見えているのに触れられない。
そしてちらほらと動くゴブリン達が街の中に見える。
これ一つの能力で可能か? 複数の能力で作り上げた現場ではないのか? 纏まらない能力予測、目を閉じて可能なだけの予測を練り上げていく。
空間歪曲、幻影投影、亜空間転移等と可能性の有りそうな能力を考え付く限り上げていく。
俺の考えでは完璧な能力、完全無欠なチート能力はこの世界にはきっと無い。必ず弱点、綻びが見つかる筈なのだ。
アプローチを変えてみるのも有りだと気づく。
「これがチート能力。つまり恩恵と呼ばれる神様が与えた能力だとして相手は何がしたい? 何を望んでいる? 」
ファリアさんと二人でアドナイの街の入り口の前に立って腕組みして考えてみる。
「以前にヴァーンと話していた元の世界に帰る為の情報集めだけではないのか? 」
どちらかと言うと独り言に近かったが、声に出ていたようで隣で俺のように透過する町並みを確認しながら、律儀に返答してくれるファリアさん。
「うーん、なんか単に情報集めるだけにしては手が込んでいるんですよね。他にも目的があるのかなと今は感じています」
元の世界に戻る。それだけならばこんな不可思議な状態にする必要はない。
人物像の予測をしてみる。
オーク達に戦略を与えて開拓前線に戦力を集中させ、その間にアドナイの軍部の戦力の低下した所を一気に攻略した手際。
知能指数は決して低くは無いだろう。子供では多分、感情的安定に不安が有りそうで無理だと感じる。
これはゲームではない。
チェスのように捨て駒は捨て駒と割りきって動かせる非情さがならなくてはならない。相手は自分のやっていることに、人間の生き死にが関わっていると少なくても知っているそれなりに歳を重ねた精神が成熟している人間であろう。
更に冷静に陽動作戦を選択して生き物を駒として動かせるゲーム感覚の思考が、現実世界と剥離した残酷さを持った人物像を浮かび上がらせる。
次に触れられない、触れないと言う能力。他者との干渉を極度に嫌っているような能力である。相手は極度の対人拒絶体質なのかもしれない。
自分だけの理想とする世界の中から、好き勝手にこの世界に干渉して、自分に干渉されるのは拒絶する一方通行な行為。
「人物像で浮かび上がって来るのは、まるで引きこもりじゃないか……。」
そんな人物を選んで召喚して恩恵と呼ばれるチート能力を与えているのか?
なんだろ、本当に程度の低い神様達である線が濃厚になってくる。
「どうするのだルイト? まだ入らないのか? 」
予測した人物像に、交渉の可能性の低さを垣間見て愕然としてしまう。そんな立ったまま落ち込む俺にファリアさんが声をかけてくれる。
「ここで突っ立ったままでも仕方ないですね。とりあえず入ってみますか?」
気を取り直して二人でレイラの調べている軍本部へと足を進める。レイラが通話で言っていた通り、ゴブリン達は俺やファリアさんの存在に気付いていない様子である。
ゴブリン達のいる世界と俺達のいる世界。重なっているが交わらない世界。これは確かに現実世界と座標が違う。同じ場所なのに明らかに同一の場所ではない。
全てのものをすり抜けると事前情報としてわかってはいるのだが、建物に突進するという行為自体に馴れていないので普通に街の大通り歩いていていく。
「ファリアさん、このアドナイの街ってどの程度の人が住んでいたんですか? 」
大通りを歩くとゴブリン達が縦横無尽に行き交っている。当たらないようにと避けて通るも何体かは避けきれず、ぶつかりそうになり、俺やファリアさんの体と重なりあってはすり抜けていった。
「当たらないとわかっていても嫌な感覚だな」
ファリアさんはその美貌の顔を険しくして、避けきれずにすり抜けたゴブリンを見て感想を漏らす。
そのゴブリンは、ファリアさんをすり抜けて近くのゴブリンと何やら一時的に止まって会話的な行動をすると、また歩き出して視界から消えていく。
「不思議な感覚ですね。しかしコイツら何をしているんでしょう? 」
しばらく、このゴブリン達の行動を観察するという調査も念頭に入れておいても良いかもしれない。
「あぁ、すまんルイト。アドナイの住人の数だったか? 馴れない状況に聞き流していた」
先程の俺の質問を思いだしてくれたファリアさん。さすがに俺もこの状態で落ち着いて会話に集中出来る訳ではないので、気にはしていない。
「アドナイは北西最前線の複数の砦を維持する要の大きな街の一つ、傭兵上がりの軍人が約二千人規模で在籍していた。普通の街より戦士の数は多い街だよ。住人の数は非戦闘職を含めれば約二万から三万弱程度といったところかな? 」
大きな街だと思っていたが結構な人口数である。住人が最低数の二万だとしたら十人に一人が戦闘職に付いている計算になる。
そんな戦士だらけで街として成り立つのか? 俺としては大いに疑問が残るが、この周辺の開拓の村や小さな街の荒事を統括する軍部の本部のある街だから、これぐらいで良いかもしれないとも思う。そもそも今、考える必要はない疑問だ。
人口数二万だとして、今回のオーク襲撃に各砦に総勢千人規模の応援を派遣。
この時、約半分の軍隊が一気にアドナイからいなくなった事になる。その他の村や街に討伐業務等で出ていて街にいなかった軍人が多くて更にその半数いたとして、街に駐在する軍人は約五百人と想定する。
するとこうなる時点でアドナイには住人と軍人を合わせて一万八千五百人程度が居たことになる。
「万を越える人間達、いくらチート能力が凄いと言っても一気に消し去れる数じゃないと思うんですけどね。駐在する軍部本部の軍人や住人はどこに消えたんだ?」
大きな街だと言っても、街の中心部にある軍部本部の場所に数十分歩くと到着する。軍部本部の建物は元はアドナイ砦を流用して作られた頑強で武骨な石造りの建物であり、重々しいドアが目の前に現れる。
今までもゴブリンの往来する道すがら難しい顔で唸りながら俺は能細胞を働かせていた。
住人や軍人、街の全てが消えたと断定する考え方自体が無理があるのかもしれない。
「まだ調査は始めたばかりよ。取り合えずレイラと合流してから今後の方針を決めましょう」
そんな俺に声をかけながら、何気なくその軍部本部のドアの取っ手を掴もうとするファリアさん。しかし、そのままドアをすり抜けて通話越しに倒れたレイラ同様に床に倒れ込む。
「危ないですよ。ファリアさん」
レイラの一件があったので、床に倒れ込むファリアさんを抱き締める事に成功した。
「あ、ありがとう。ルイト」
両腕で抱き締めたファリアさんはキョトンとした顔で俺にお礼を言ってくる。
「気をつけてください。レイラも同様の事して倒れていますよ」
それだけいうと昨夜同様に、二人して意識してしまいしばらく固まってしまった。
そんな俺達の姿を近くの床に胡座をかくように座って頬杖を付きながらレイラが眺めてくる。
「ファリアそれは狡くないか? アタシが転んで腕を擦りむいた時は頭は側にいなかったんだぞ! 」
腕の肘辺りが赤くなっているレイラが俺の抱き締めているファリアさんへと抗議してくる。
「レイラ。い、今のは偶然だ。私は狙ってこんな事出来るしたたかな女ではない」
レイラに一連の流れを見られていた事に気づいたファリアさんは俺の腕から飛び退く。取り繕うようにレイラに反論して頬を真っ赤にしている。
ふとした拍子にラブコメ展開になったが、ここは相手の能力の中、ずっと続けている訳にもいかない。
「二人共、軍人の調査隊とは上手く交渉して別行動の許可は取れてるけど、あまり騒いで接触されると特にレイラは不味いんじゃないか? 」
軍人達の調査は砦への援軍で手薄な状態に輪をかけ周辺地域の優先順位が高い討伐業務の案件等も掛け持っている為、遅々として進んでいないのが現状で可能性は低いと思うが、あり得そうな話をして二人の気を引き締めておく。
「う、近くに軍人もいるんだっけ? 」
山賊の烙印を押されているレイラにとって軍人は非常に苦手な部類のようだ。いきなりテンションが下がっていく。軍部本部の中で辺りをキョロキョロと見渡す。
「そうだ、合流して今後の調査の方針を決めよう。だったな」
場の空気が変わったのにファリアさんも乗っかり、一度咳払いをしてからその場に座って隊長らしく纏め役になってくれる。
俺も二人に習いその場に腰を下ろす。
「……俺がここに来るまでに考察した内容が以上です。二人の意見も聞きたいけど良いですか? 」
俺が今までの調査の中で散らかしたまま思考していた内容を二人に報告する。
「頭がその恩恵の上限を神様以下に括っているのはどうしてなんだい? 好きな恩恵を貰えるなら攻略不能な“全能”っていう便利な言葉があるじゃない? 」
レイラはこういう時、分析タイプで頭が回る。最短距離で一番気になる点で俺が断定している所を質問を出してくる。
「そんなもの与えて万が一に自分の力を越える能力で反旗を翻されたら対応できないだろう。そもそもこの世界の神様達は全能タイプには見えない。恩恵も隙のない完全無欠なモノは望めないと思うんだよ」
お互いに喧嘩に勤しむ神様達。異世界から召喚した相手にチート能力を与えているのは場を少しでも撹拌して、面白く動かしたいからではないのかと今は思っている。例えるならトランプゲームのジョーカーの役割みたいなものを俺は想像している。
自分の手持ちのカードに自分以上の力を与えるはずはない。よって神様達の能力を超えるチート能力はこの世界には存在しないと予測出来るのだ。
「ルイトが不可思議な行動をとっている幻影ゴブリンの行動を観察する必要があると考えたのはどうしてなんだ? 」
次いで質問してくるファリアさん。彼女は順を追って考えていた中の疑問点を突いてくる。
「こちらはまだ推測の域を出ていませんが、俺が考えている事が当たっていると少々、目覚めが悪くなるんじゃないかと思うので今は答えられません。今は確信も持てないし外れていてほしい気持ちもありますから」
考えられる最悪。この能力の場合、アドナイの街全域にいるゴブリンの行動は重要な手がかりになると思っている。
「まぁ、ゴブリンの数が数ですからね。少しはショートカットはしようと思っていますが……」
これで俺の想像の一つが仮に確定したとして、他にも問題はまだ尽きない。これで確定するのは消えたアドナイの住人達の居場所だけである。
アドナイの街内であって街内でない、この場所の特定と本来のアドナイの場所。この現状を引き起こしている相手の理由と目的が不明なのだ。
今は一つ一つ確認していくしかない。調査はまだ始めたばかりである。慌ててもこの事態は改善する事はない。
その後も意見を交わしながら今後の方針を決めていく。二人に意見を聞き、何度か修正を入れながらその日は日が暮れていって調査は終えるのだった。
因みに、これは後日譚になるのだが……。
この時、俺はまだ相手の目的と理由を知り得なかった。
だが、それが後に俺の今後を大きく左右する事になるとは今だ知る由はなかったのである。




