ブルースハープ
リョウタはKOOLをくわえたまま、酒棚から薔薇の絵のバーボンを取り出すと封を切った。そしてガランとしたフロアーの隅で雑談しているコウヤとタケルの元へ運んでいく。
テーブル代わりのコーヒー豆の樽の上に置いたそれぞれのグラスに注ぐと、「お、封切ったのか。サンキュー」「リョウちゃん、いつもすまないねえ」二人は口々にそう言って、半分ほど注がれたバーボンを煽った。
―――ライブハウス『アッシュトレイズ・ローズ』は、リョウタがスタッフをやっている店だ。そしてイベントがハネた深夜になると、彼等三人のロックバンド『三羽鴉』のリハーサルスタジオとして、度々使っている。本番のステージで、しかも無料でリハ出来るのは、店長でありエンジニアの白井が彼等に期待しているからだ。
バンドは二時間ぶっ続けでプレイして、 今はブレイクタイムの最中。リョウタも樽の周りの椅子に腰を下ろすと、グラスのバーボンを味わう。
「前半はハードなヤツばっかだったから、少しミディアムな感じなのをやろうか」ドラムのタケルが、両手で器用にスティックを回しながら言う。
「ミディアムね、じゃあこんなのはどうだ?」ベースのコウヤが、心から敬愛するジャック・ブルースと同じGibsonのEB-3でフレーズを爪弾きながら、Aメロを口ずさむ。ヴィンテージのEBは、アンプを通さなくても乾いた響きを立てる。
「four until lateか、いいね」リョウタが傍らのスタンドに立ててある、これもヴィンテージのFenderストラトキャスターを抱えて、コウヤのフレーズに絡ませた。
三人とも空っ腹にストレートのバーボンを流し込んだので、すぐに気分が高揚してくる。ほんの30分ほどで薔薇のボトルは半分に減っていた。
「じゃあ今宵はcreamを偲んで、シブくキメますか」三人はタバコをもみ消すと、ステージに上がりアンプのスイッチを入れる。
『four until late』それはcreamのファーストアルバムに収録されているナンバー、少しカントリー調のブルースといったところだ。彼等はオリジナルより少しスローに、そして重たいビートを弾きだす。リョウタは中間のソロ部分に差し掛かり、リードのフレーズを弾くためにエフェクターを踏んだ。
その時、(・・・!)突然の怪現象に三人は目を合わせ、怪訝な顔を向け合う。リョウタはリードを弾くのをやめてコードのカッティングに戻す。コウヤはあたりを見回しながら、それでもベースラインを絡めていく。タケルは背筋に寒気を感じながらも、あまりのグルーヴの良さにプレイを止めることが出来ず、最後まで続けた。
白井は下のコンビニで買った缶コーヒーのビニール袋をぶら下げて、アッシュトレイズ・ローズへの暗い急勾配の階段を登りながら、階上から聞こえてくる彼等のプレイに耳を傾けた。
「creamか。・・・ん?ソロにブルースハープ入れてるな、いいフレーズだ。・・・誰を連れて来てんだろう?」白井はそう思いながら、二階から三階へと登る。
「・・・ん?この吹き方、聞き覚えがあるな。・・・たしかあいつの。でもまさか、そんなはずはないし・・・」白井は階段の途中で立ち止まり、少しの間逡巡した。
黒いドアを開ける頃にちょうど曲が終わった。白井が入り口のカウンター脇からステージを眺める。三人はプレイが終わっても茫然と立ち尽くしている。
「よう」白井が声を掛けるとリョウタが振り向くが、その表情は硬い。「白井さん、・・・今の聞いてましたか?」コウヤとタケルも同じような怪訝な顔で白井を見つめる。
白井はとぼけて、「どうした?」と聞き返すと、「今、俺たち三人でやってたのに、ソロのところからいきなりハープが入ってきたんすよ。姿はどこにも見えないのに。・・・そんで背筋が震えるような、すげえブルージーなハープなんですよ。聴いたことないぐらいすげえフレーズ吹いてて」リョウタが肩からギターを外しながら言った。
「俺たち、すげえ怖くなったんですけど、止められなくて。・・・見えないハーププレイヤーに『もっとやれ!もっとやれ!』って煽られてる感じで」コウヤはそう言うと、アンプのスイッチを切った。
「どういうことか判りますか?」タケルは言いながらタオルで手の汗を拭いているが、それは冷や汗かもしれない。
「まあ、そんなこともあるんじゃないか?お前らのプレイがあまりにも良かったんで、ブルースハープの精が下りてきて、セッションしたんだよ」白井は樽の上にビニール袋を置いた。
「またまた、そんな冗談を。・・・今日は気味が悪いから、もうやめようか」リョウタが二人に尋ねると、二人とも無言でうなずいた。そしてそそくさと片付けはじめる。
白井はその様子を眺めると、ステージバックの暗幕を見つめて、『あの男』のことを思い出していた。
三人が、「失礼します」と言って、最上階である四階の事務所に顔を出した。白井はパソコンに向かい、ライブスケジュールの管理をしている。「それじゃ俺たち、帰りますんで」とリョウタが言った。
白井は、「わかったよ、気をつけてな」とパソコンから目を離さずに言う。「いや、白井さんこそ気をつけてくださいよ。・・・実は今日おろしたばっかのバーボンなんですが、あのプレイのあとに見たら、空っぽになってたんですよ。・・・ますます気味が悪くて」リョウタの後ろにコウヤとタケルもいて、心配そうな顔で見つめている。
「わかった、わかった」白井は面倒くさそうに言うと、三人は帰っていった。
彼等が去ってしばらくすると、事務所入り口の反対側のドアの方からブルースハープのフレーズが聞こえてきた。・・・四階の事務所はペントハウスになっていて、ハープの音が聞こえてきたドアの向こうは、屋上になっている。そしてそこへ入るには、この事務所を通らなければ行かれない構造になっている。
ハープの音は遠くから徐々に近づいてきて、やがてドアの上部の磨りガラスの窓に、顔らしき影が見えた。ハープの音が止まる。
白井は、「ジャックか?」と尋ねた。すると『ドン』と影がドアを叩いた。
「今日がお前の命日だったの、忘れてたよ」白井が言うと、今度は、『ドン、ドン、ドン』と三つ叩いた。その響きはいくらか怒っているようにも聞こえた。
「相変わらず、いいフレーズ吹いてんだな。・・・でもさ、お前若いヤツらのバーボン、空にしやがっただろ?それで許せよ」白井はインドネシアのタバコに火を点けながら、影に呼びかけた。
しばらく影は佇んでいたが、やがてすすり泣くようなブルージーなフレーズを吹いた。そして音は徐々に遠ざかっていった。
『飲んだくれジャック』は五年前の今夜、自分のバンドのステージがハネたあと、薔薇のバーボンでぐでんぐでんに酔っぱらって、急勾配の階段で足を踏み外して一番下まで転げ落ち、頭を強く打って死んだ。
白井は、(今度、ヤツらのレコーディングに参加してくれないかな)と、異臭を放つ煙を天井に吹き上げた。