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奇妙な死角  作者: 村松康弘
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エキストラ

 「ちょっとお尋ねします」不意に声を掛けられて、私はホウキを動かす手を止めた。目の前に顔を上げると若い男が立っていて、150センチそこそこの私は見上げるような姿勢になる。

 長い脚に穿きこんだジーンズ、薄いストライプのシャツを着た男は180センチはありそうで、ドキッとするほど整ったいわゆる『イケメン』顔で、私は思わず顔が熱くなった。

 「グレイスマンションの場所をご存知でしたら、教えていただきたいのですが」男は私を見下ろしながら人懐こい笑顔で言った。その声も少しだけ掠れて魅力的に響く。

 「は、はい」私はさらに顔が熱くなり、心臓の鼓動も高鳴ってくる。

 ―――グレイスマンションはここから歩いて5分ほどのところにある5階建てのありふれた建物だが、デザインは名前の通り『優雅』な雰囲気のマンションだ。私は緊張してしどろもどろになりながらも、男に道筋を教える。

 「どうもありがとうございました」男は丁寧に礼を言うと、長い脚と広い歩幅でマンションの方向へ歩いて行く。私は片手にホウキを持ったまま、その背中をポーッとした顔で見送る。男の長い右腕には大きなトランクケースがぶらさがっていた。

 (あのマンションに引っ越してきたのかしら、・・・それにしてもイケメン。まるで俳優みたい)私は男がその先の角を曲がるまで眺めていた。


 「さっちゃん、なにボーッとしてんの!」店の中から声が掛かる。私が勤めている『タナカベーカリー』の店主の声だ。「さっきから見てたよ。店先でブツブツひとりごと言ってたかと思うと、ボーッと遠くを眺めて。どうかしたの?」店主は訝しげな顔で言った。

 「は?ひとりごと?・・・親父さん、あのイケメン見なかったんですか?」私は店主に向き直って言った。「イケメン?イケメンって男前ってことだろ?・・・さっちゃん以外に誰かいたかい?それより店の前を掃いたら袋詰め手伝ってよ。今日はたくさん注文入ってるんだから」店主こそブツブツ言いながら店の奥へ入っていった。

 (変な話。・・・でもあの人かっこよかったなあ)私はまたホウキを動かした。


 その日の夜は好きな恋愛ドラマの日だった、私は毎週欠かさず観ている。今日はお互いの誤解ですれ違いになっている主役のカップルが、誤解を解いてよりを戻すであろうというようなベタな展開だが、それが楽しかった。

 ・・・それは主役の男女ふたりが、喫茶店らしき場所で向かい合って話しているシーンだった。主役たちが熱心に会話している向こうの席に、新たな客が訪れて席につく。そしてメニューを拡げている姿が映し出された。単なるエキストラの登場だが、私はその姿を見てはっとした。昼間見たあのイケメンだとすぐに気づいた。

 (やっぱり!あの人、俳優だったんだあ!)私はエキストラでも、人気ドラマに出演している俳優と会話したことに舞い上がった。思わず前に乗り出してテレビを覗きこむ、ピントは合っていないがそれから二度ばかり、あの俳優の姿が映って別のシーンに切り替わった。

 (なんて名前なんだろう?)私はドラマの最後に流れるキャストをしげしげと見つめたが、わからずじまいだった。

 私は姉の携帯に電話を掛けた。「お姉ちゃん、今日のあのドラマ観た?」姉は、「さっき帰ったばかりだから観てないよ。でも予約録画してある」と言った。私は急ぎ口調で、昼間会話したイケメンがドラマに出演していたことを伝える。「そっか、あとで観てみるよ」姉はさほど驚いた様子もなく電話を切った。

 私がシャワーから出てくると電話が鳴る、姉からだ。「ちょっとー!あんたが言ったシーン観てみたけど、そんなエキストラなんて出てないじゃん!」姉はいくらか不機嫌な声でそう言った。私は、「そんなはずないよ、二度ぐらい映ってるよ」と言いながら、もう一度説明する。

 「だから出てないってば。あんたおかしいんじゃないの?・・・もういいよ、明日も早いからおやすみ!」姉は怒り口調で電話を切った。

 私は、おかしなこともあるもんだと思ったが、眠気が訪れたので気にせずに布団に潜りこむ。


 ―――数日後の昼間、私はタナカベーカリーのカウンターにいる。いつもは店主が立っているのだが、配達に出ているので留守番みたいなものだ。ちょうど客足も途絶える時間帯なので、私はあくびを噛み殺しながら、ガラス越しに見える通りをボンヤリ見ている。

 (・・・!)店の大きなガラス窓の前を、あの俳優が横切った。「あっ!」私は無意識に、目の前に並んでいるパンを適当にひっつかんで、カウンターから出るとドアを開けて飛び出した。・・・俳優は少し先を歩いている。

 「すみません!」私は思わず大声で呼びかけた。俳優は立ち止まり、ゆっくりとこっちを振り向く。・・・その仕草もまるで演技のように優雅で、まるでドラマのワンシーンのように思えた。

 俳優は私に気づくとこないだと同じ微笑をたたえ、「やあ、この間はどうもありがとう」と言いながら、私の方へ向き直る。・・・やっぱりかっこよくてドキドキしてしまう。

 「ドラマ観ました!やっぱり俳優さんだったんですね」私は俳優に近づき、手にしたパンを差し出すと、「これはありがとう」と俳優が受け取った。

 そして、「俳優といってもエキストラ程度でね、役者として世間一般はぼくを認めてくれていないから、・・・というか、ぼく自身を見てくれる人が、世の中にどれぐらいいるだろうか・・・って感じだよ」と言って笑った。それはどこか意味深な言葉だったが、快活な笑顔と声には爽快さが光っていて、私の気持ちまで爽やかになる。

 「もうファンになっちゃいました」私はそう言うと、ドキドキしながら右手を出す。俳優は快く握手に応じてくれた。指の長い大きな掌は、さらりとした手触りだった。

 「パンありがとうね、じゃあ」俳優は立ち去っていく。私は胸をときめかせて、その背中を見ていた。

 しかし、妙なことに気づいた。強い日差しを受けて、私の影は自分の右前にくっきりしているのに、俳優の足元には微塵の影もない。・・・はす向かいにあるカーブミラーは私たちに向いているのに、そこに映っているのは私だけだ。

 

 私は微笑む、(それでもいいんだ、いや、その方がいいんだ。彼は私だけの俳優。私だけのエキストラ)

 「またドラマ出たら教えてくださいねー!」思わず叫ぶと、彼はちらりと振り向き、大きな掌を上げてくれた。

 俳優の横をすれ違ってやってくる中年の男が、びっくりした顔であたりを見回して、不安そうに自分を指差した。

 私は曖昧に微笑む。

 

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