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奇妙な死角  作者: 村松康弘
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マークⅡ

 事務所の受付の前に古いマークⅡが停まるのが見えた。(あれはこないだ車検取ったやつじゃん)俺は修理工場内からリフトアップしたクラウンの下で、寝そべったままマークⅡを眺める。巷でまず見ないゴールドカラーだから間違いない。つい一週間前に、俺が車検整備した車両だった。

 しばらくするとフロントの松木が工場に入ってきて、「山浦、山浦」と呼ぶ。俺は寝板を滑らせてクラウンの腹下からもぐり出ると、そのままの姿勢で、「なんすか?」と松木を見上げた。

 「あのマークⅡ、こないだお前が整備した車だよな?・・・カーブ曲がる時、たまにハンドルが重くなるって言ってんだよ。そっちは誰かにやらせて、調べてみてくれよ」と松木が言った。

 (こないだ整備した時は、感じなかったがなあ)と思いながら、「わかりました」と言って、クラウンを後輩に任せると、事務所前のマークⅡに乗り込む。持ち主には代車を出したようだった。そのまま工場周辺の市街地を流してみた。わざと何度も交差点を曲がってみるが、俺が乗ったかぎり全く異常はなかった。

 工場に戻り、足回りとエンジンルーム、特にパワーステアリング機構を入念に点検してみる。やはり異常はない。車検時に劣化したゴムのブーツなどを交換しているので、見た目にもきれいなもんだ。俺はやりようがないので、そのままにした。


 夕方、松木と持ち主が工場に入ってきた。持ち主はまだ二十歳にもなっていない若造だった。俺は二人を前にして、「実際に走って調べてみたけど、どこにも異常はなかったよ」と言った。若造は納得のいかない顔で、「おかしいなあ、でも時々めちゃくちゃ重くなるんすよ」と言って首を傾げる。

 俺は、「うーん」と唸ると、「じゃあ、どこを走ってる時になったか憶えてない?」と聞いてみる。今度は若造が唸り、「ああ、地蔵のカーブで重くなったっすよ」と思い出した。俺は、「じゃあ実際に走らせてみようか?」と聞いてみると、若造がうなずいたので、俺たちは地蔵峠に行ってみることにした。

 俺が運転して若造が助手席に乗っている。「しかし珍しい色だよな、ゴールド。この車以外見たことないよ」俺が言うと、若造は恥ずかしそうな顔で、「目立ってしょうがないっすよ、でもこれ、塗り替えじゃなくて元かららしいんすよ。・・・親父が中古車屋で安く見つけてきたんすけどね」と言った。

 マークⅡは松代の古い町並みを抜けて、豊栄あたりからの坂を登る。最終的には真田町へと抜ける古くからの峠道だ。左の急カーブに入り口がある砕石プラントを過ぎると、急勾配・急カーブの連続で、カーブのたびに『○号カーブ』という表記があった。

 俺は足回りとステアリングに神経を尖らせて、カーブを次々に登っていく。このマークⅡは2000ccだが、ツインカムでもターボ付きでもない非力な直6だから、重いボディーが負担になって、走っていても正直全然面白くもない車だった。

 そして何の兆候も感じないまま、頂上のドライブインまがいの敷地にたどり着いた。ここを東に下れば大した時間も掛からずに真田町だ。

 「出ないね」俺が言うと、若造は首を傾げて、「うーん」と唸ったままだ。「まあいいや、戻ろう」と、俺は駐車場で方向転換すると、来た道を走り出す。あたりはもうすっかり暗くなっていて、眼下の市街の明かりがまたたくのが見えた。

 若造はとなりで、「おかしいなあ、でもたしかにこの峠で重くなったんすよ、ハンパじゃないぐらい。・・・女もおかしいねって言ってたぐらい」と言いながら、うなだれていた。

 

 ・・・それは突然やってきた。峠の中間あたりの右カーブだ。そこそこの速度で曲がろうとした時に、いきなりハンドルが重くなる。俺は一瞬、パワステのベーンポンプを回すベルトが切れたかと思ったが、そんなもんじゃなかった。大抵の車はキーを抜くとステアリングがロックする仕組みになっているが、その時の感覚に似ていて、力まかせに右に切ろうとするが、動かない。

 このままじゃガードレールに衝突すると思った俺は、フルブレーキを踏んだ。(・・・!)しかしブレーキペダルは、フルードが抜けたようにスコーンと突き抜け、何の手応えもない。「わー!ぶつかるー!」若造はとなりで喚いている。そして俺の右足はブレーキペダル上なのに、なぜかエンジンが吹け上がっている。一瞬の出来事だが、俺の全身に汗が噴き出す。

 その最中、視界に異常を感じた、ルームミラーの中だ。そこに真っ青に痩せた顔がある、垂らした前髪の中の両目だけが異常な光を帯びている。憎悪と期待がこもった邪悪な目は一見して、この世のものではないことが判る。

 『死ね!死ね!』脳髄に直接声が響く、それは叫びでもあり嘲笑でもあった。俺はドライブレンジを咄嗟にファーストに落とし、サイドブレーキを力まかせに引く。それは機能していて、ミッションが壊れるぐらいのエンジンブレーキが掛かった。

 だが目の前にガードレールが迫る、いくらか減速したとはいえ、マークⅡは派手な音を立てて左前部を衝突させた。衝撃で俺と若造は前にのめり出したが、シートベルトのおかげでフロントガラスにはぶつからずに済む。ポストに激突したらしく、そのまま停まった。

 『ちきしょうが!』また脳髄に叫びが聞こえ、ミラーの青い顔がスッと消えていった。俺と若造は荒い息を吐きながら、しばらくの間放心状態になっていた。

 

 翌日、俺は若造の親父にマークⅡを売った中古車屋に電話を掛けた。前のオーナーのことを知りたくなったからだ。中古車屋の営業員はしどろもどろして、あの車に関してはあまり話したくなさそうな様子だ。俺はイライラしながら、昨夜の様子を話して聞かせる。

 「え、○号カーブですか?」営業員はしばらく黙り込む。そして申し訳なさそうに話しだした。「実はその○号カーブのガードレールの隙間に転落して、前の持ち主が死んだんですよ。・・・しかし車体は奇跡的に大した損傷もなかったので・・・」中古車屋の返事は、おおかた俺の想像通りだった。


 俺は電話を切ると、ハイライトに火を点けながら、窓の外に蹲っているマークⅡを眺めた。フロント左側は大きく損傷していて、その影響はフレームにまで達していると思われた。持ち主の若造はとっくに手放す覚悟をしている。

 そして一瞬、フロントガラスに青い顔がぼうっと浮かび、あの陰惨な目が俺を睨みつけ、すぐに消えた。

 今の俺はヤツに恐怖など感じない、あるのはヤツに対する激しい憤りだ。(生きていようが死んでいようが、無縁の他人を巻き込むなんてのは許せねえ。スクラップにしてやるぜ、てめえみてえな亡霊のクズもろとも、木っ端微塵にしてやる)

 俺はマークⅡをしばらく睨みつけていた。

 

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