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奇妙な死角  作者: 村松康弘
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誰かが見ている

 (―誰かに見られてる)ひとり暮らしのアパートのリビングで、のんびりテレビを観ている時。狭いキッチンで料理や洗い物をしている時。夜寝る前に歯磨きをしている時。・・・背後や物陰から絶えず誰かが私を見ている気がする。ここ一週間ばかり前からだ。

 私は女子大を卒業した今年の春から、地方銀行に勤めている。親元を離れ、勤務先から歩いて10分ほどのアパートを借りて住みだしたのも、今年の春からだ。女子大時代は寮に住んでいたので、実質的なひとり暮らしは初めてといえた。

 (気のせいかな、でも確かに気配を感じる。・・・それにしても気持ち悪いな)私は生まれてから22年間、霊的な事柄には無縁といえた。見えたことも聞こえたこともなかったし、今度のように気配を感じることもなかった。

 友達の中には、「そこら中に浮遊してる霊が見えるよ」という子がいて、「今も見えてるけど、・・・見慣れればなんともなくなるよ」とも言っていたが、私には考えられないことだ。


 その二日後は、月明かりのきれいな夜だった。毎週欠かさず観ている恋愛ドラマが終わると、私はベッドに横になる。ドラマの余韻に浸り、(あんなドラマみたいな恋をしてみたいな・・・)などとぼんやり考える。私は過去にかなりの熱愛をしたことがあったが、その終焉は私にとって悲惨なものだった。以来、恋愛に臆病になっているのも事実だった。

 夜中に喉の渇きで目を醒ます。部屋の中は消灯しているが、月明かりで部屋の中のものはぼんやりと見て取れた。私が体を起こしながら何気なく目をやった先に何かが見えた。目を凝らすと、それは青白い光に照らされて立っている小さな人影だった。(・・・!)途端に私は凍りついたように硬直する。

 小さな人影は子供のようなシルエットで、顔は見えないが、私をじっと凝視しているのは頭部の角度で判る。私は恐怖で固まりその視線を外すことが出来ない。

 

 ・・・目覚めるとカーテン越しに朝日が差し込んでいる。私はあのあと失神してしまったのか、記憶はまったくなかった。ベッドで起き上がると、小さな人影がいたあたりを眺めた。

 私はその日勤務先へ行くと、先輩や同僚に夜中の出来事を話して聞かせた。すると、ある者は、「引越しちゃいなよ」ある者は、「小さい影なんでしょ?なら危害は大したことないんじゃない?」などと、無責任な他人事ばっかりだった。

 夕方になるとアパートに帰るのが憂鬱になり仲の良い同僚に、「ねえ、今夜うちに泊まりに来てよ」と懇願したが、その同僚は恋愛の真っ只中らしく、「今夜は彼とホテルに泊まるからダメー!」と舌を出され、おまけに聞きたくもないのろけ話を聞かされた。

 私は仕方なく家路をたどる。途中のコンビニでワインを買って帰り、二階への外階段を上がる。そして仕方なく夜を迎えた。シャワーから出てくると、チーズをつまみに買ってきたワインを飲む。・・・酔っ払って記憶をなくす作戦に出たのだ。普段は飲まないので、ボトルを半分空けた頃にはかなり出来上がっている。気持ちも大きくなっているので、怖いものなしの心境だ。そのままベッドに倒れこむ。


 夜中、私は激しく体を揺さぶられた。掛けている布団ごと揺さぶられている。目を開けると昨夜の小さな人影が、私に覆いかぶさるようにしている。その顔は青白いが男の子のようだ。私は恐怖で気絶しそうになったが、あまりに激しく揺さぶるので返って覚醒した。よく見ると、小さな人影はなにかを言っている。私は怖いながらも耳を澄ましてみる。

 『はやくにげて・・・はやくにげて・・・』小さな人影はそう言っている。

 途端に私の鼻腔にキナ臭い匂いが漂ってきた。あわててベッドから起き上がると、締めたカーテンの向こうが赤く染まっているのが見えた。ちょっとした隙間からどんどんと煙が立ち込めてくる。(火事だ!)私はテーブルの上の携帯だけを引っつかんで、玄関に走る。(あ!あの子・・・)と振り返ったがそこには誰もいない。「どこにいるの!」叫んだが返事もない。だが、まごまごしている時間はなかった。

 サンダルを突っかけてドアを開けた。(・・・!)右隣の部屋の通路に面したガラス窓が割れ、そこから赤黒い炎が噴き出している。炎は軒の上に這い上がろうと、まるで龍のように勢いづいている。「火事だー!」私は叫びながら飛び出す。幸い階下に下りる階段は左側だったので、あわてて駆け下りていくと、他の住人も次々飛び出してきた。みんな着の身着のままだ。

 アパートの前の道路まで逃げ出すと、闇夜を裂くようなサイレンと赤い燈火が見えて、消防車が次々と駆けつける。近所の住民も集まってきて、深夜だというのに、火事場は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。

 私は離れたところから、焼け続ける建物を茫然と眺めていた。炎は私の部屋も反対側の部屋もなめ尽くしている。消防車や消火栓から吹き上がる何本もの水柱も虚しく、アパートは時折爆発音を上げて焼け崩れていく。

 赤い化け物は踊り狂い、周囲に灼熱を浴びせ続けている。「ああ、なにもかもが燃えてなくなる」私は脱力し、へなへなとその場にしゃがみこんだ。

 トントンと、左肩を叩かれた。私が腑抜けた顔で振り返ると、小さな青白い顔が私を見ていた。一瞬ギョッとしたが、その顔には無邪気な笑みが浮かんでいて、見てるうちに、なぜか私も柔らかいような懐かしいような気持ちになる。

 小さな青白い顔が、「生きていてよかったね」と、かすれた声で囁いた。(そうだ、私はこの子に助けられたんだ・・・)と思い出し、私は「ありがとう、きみのおかげで死なずにすんだよ。本当にありがとう」と言った。小さな青白い顔は少し照れたような顔になる。

 「きみの名前はなんていうの?」私はその時、この子に対して少しの恐怖も不思議も感じなくなっていた。

 小さな顔は少し躊躇ってから、しかし思い切ったように言った。

 「ぼく、りくとくん。・・・生きていてよかったね。それじゃ、さようなら。ママ・・・」そういうと小さな顔は、足元の方から徐々に消えていった。右手は消える寸前まで振っていた。


 私は茫然と宙を見つめていた。(ママ?・・・りくとくん?・・・)私ははっとなった。そして思い出した。

 高校三年の頃、私は人生最大の恋愛をしていた。そして大学受験の時期に、彼の子供を身ごもった。そして私の両親と彼の両親は、泥沼のような争いになり、私は妊娠三ヶ月で中絶を余儀なくされ、そして私たちは無理やり引き裂かれた。

 まだ私が妊娠に気が付いてない頃、彼の胸に抱かれて言ったひと言、「将来、子供が生まれたら、『りくと』って名前にしたいんだ、漢字はまだ考えてないけど」

 

 赤い化け物が消防士たちに鎮圧されはじめた。見上げた空には今夜もきれいな月が出ている。

 

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