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第5話前編:ガトー・フロマージュ・キュイと苺狩り

 煉瓦造りの壁に囲まれた畑の中空に、ピンポン球サイズの丸い物体が幾つも浮かんでいる。

 その紫の球体が、猛スピードでこちらに飛び込んでくる。

 魔王様とコンセルさん、そして先生は、軽やかに物体を避けつつ、手に持っていた虫取り網で器用に捕獲していた。


「きゃああ!!」


 突如響く女の叫び声に、私は視線を移動させる。

 獣人族で、城のメイドである、ファムルだ。

 年の頃は私と同じくらいだろうか。

 長い睫毛に覆われた大きな赤い瞳は、涙で潤んでいる。

 赤味を帯びた金色の、耳が隠れるくらいのミディアムショートヘア。

 髪と同じ色の、猫よりやや大きい狐耳があり、耳を折り曲げて恐怖に打ち震えていると、球体がぶつかって地面に倒される。

 身長は一五十センチほどだろうか? 先生ほどではないが、小さいのに結構──いや、かなりメリハリのある体をしている、エロ可愛いだ。

 何度か攻撃を食らったせいで赤紫に染まり始めた白いエプロン、そして黒を基調としたメイド服の尻上部にある小さな穴からはフワフワの狐の尻尾がすっかり怯えの色に染まり、丸められて縮こまっていた。


「ファ、ファムル?!」

「うぇぇぇん! シホちゃぁん!」


 私は彼女の名を叫びながら、そのの眼前に迫る紫の球体を、咄嗟に口で捕獲する。

 ファムルは私に抱き付き、潤んでいた瞳から大きな滴を零し始めた。


 ……何故、こうなった?!


 私は冷や汗を流しながら、口に収めた紫の物体を噛み締める。

 少し張りのある紫の表皮の中は甘酸っぱい果汁が豊富に含まれた赤い果肉があり、その中には細かい白の種粒が柔らかい果肉のアクセントのように入っている。

 ──そう、これは苺(もどき)狩りという名の、本物の『狩り』だった。



* * *



 事の発端は、朝食の席での魔王様の言葉だった。


「午後からストレリイ狩りに行くぞ」


 ……ストレリイ狩り、だと……?

 そもそもストレリイとは何だ?

 狩りって、犬を放して狩るヤツか? それとも、紅葉みたいに見るものなのか?


 対象が動物なのか植物なのかも分からず、私が困惑していると、魔王様はそれに気付いたのか、言葉を足した。


「……シホはストレリイが好きだ、といっていたな? 以前シホが作った、ギュージーのムースに入っていた果物だ」


 ギュージーとは、チーズのことだ。

 ということは、以前作ったムースとは『ベリーチーズムース』のことだろうか?

 あの苺もどき、ストレリイというのか。

 確かに、ブルーベリーに似た色の表皮を持つ、ピンポン球サイズの苺もどきは美味しかった。

 溢れるほどに果汁が含まれたその果肉は、甘さに程良い酸味を兼ね備え、中の小さなツブツブも甘い果肉のアクセントとなり、いつまで食べても食べ飽きなさそうな果物だった。

 思い出すだけで唾液が溢れてきそうだ。

 私が口元を押さえて喉を鳴らすと、魔王様が満足げに瞑目しながら頷く。


「今日の午後は野外授業といったところか。教師には既に伝えてある。午前中に菓子を作っておけ」

「折角苺を狩るのに、午前中に作るんですか?! せめて夕食後まで待ってくださいよ!」

「それでは私が待ち切れん」

「クッキーでも食べててくださいよ。毎回、多量に作って渡してありますよね?」

「残る訳がなかろう。追加分も頼んだ」


 苺を狩るなら苺を使った菓子が作りたくなるに決まってるじゃないか。

 私の抗議に、魔王様が隠す素振りもなく本音を漏らす。

 それに対し、仕事中に摘めるクッキーを毎日のように作らされているため、そちらを食べるよう伝えると、悪びれもせず魔王様は即答する。


 ……仕方ない、何か作っておくか。


 それにしても、苺狩りとは楽しみだ。

 小さい頃は練乳ばかり舐めていた気もするが、自分で苺をもいで食べるのもまた楽しかった。

 急な展開に吃驚だが、最近、真面目に生活し過ぎて少々怠くなっていたところなので、素直に嬉しい。

 そして折角なら、より楽しく遊びたい。

 野外授業というけど、もしかしたらと思い、私は魔王様に尋ねてみる。


「出来れば一緒に連れて行きたい()がいるんですが、いいですか? 魔王様が紹介して下さった、獣人族のです」


 獣人族のとは、魔王様が異世界人である私の生活力を案じ、分からないことや必要なものはその娘にいうよう手配してくれた、同い年くらいのメイドちゃんだ。

 その可愛い生き物を手懐けるため、頻繁に菓子を持ち帰っては食べさせ、敬語からタメ語へ進化させることに成功した。

 普通のいい方をすれば、友達になった、だろうか。


「……ファムルか? まあいいだろう。メイド長には話を通しておこう」

「あざーっす!!」


 私の説明で魔王様もそののことを思い出し、軽い笑みを浮かべて首肯する。

 魔王様の言質を取った私は感謝の言葉を告げ、足早に厨房へと移動した。


 クッキーの作り方はすっかり慣れ、それなりに手際よく焼成に入る。

 そしてリコッタチーズに砂糖を入れてよく混ぜ、溶き卵と生クリームを少しずつ加える。

 小麦粉を篩いながら混ぜ、レモンもどきの汁と皮の擂り下ろしを加え、型に入れて焼き上げれば、ガトー・フロマージュ・キュイ──チーズケーキの完成だ。

 ちなみに、ガトーがケーキ、フロマージュがチーズ、キュイが火を通したという意味らしい。

 合わせて、火を通したチーズケーキ……まんまだな。

 それをそのまま冷蔵庫に入れて冷やしておき、私は自室にファムルを呼び、話を始めた。


「魔王様が苺狩りに連れてってくれるって! 一緒に行こう!」

「え?! わ、私もいいの?! でもシホちゃん、苺狩りって……何?」

「魔王様に許可は貰ってるよ。えー、と……苺じゃなくて……す……?」


 しまった、名前を忘れてしまった。


「……とにかく! 苗から実をもぐヤツだよ。果物だよ、美味しいよ」

「そっかー! 美味しそうだね」


 元世界で体験した苺狩りを思い出しながら説明すると、ファムルは私に同調し、嬉しそうに笑みを零す。

 私とファムルは期待に胸を膨らませ、お互いの眼を見つめて微笑み合った。


「おーい、支度出来たかー? そろそろ行くぞー」


 扉の外からコンセルさんの声が聞こえ、我に返った私達はそのまま扉の外へ出る。


「お待たせしましたー」

「おう。んじゃ、行くか」


 コンセルさんに声を掛けると、コンセルさんは軽く笑みを浮かべ、そのまま魔王様の執務室へと進み、中に入っていく。


 ……あれ? 何で魔王様の執務室?


「魔王様、お連れしました」

「こんにちは、シホさん。今日は課外授業ですので、しっかりね。そちらがお友達ですか? 私はシホさんの家庭教師のアピカです。よろしくお願いします」

「初めまして。シホちゃんの友達で、メイドとしてこの城で働いている、ファムルです。よろしくお願いします」


 コンセルさんが魔王様にお辞儀をすると、魔王様の隣にいた先生が、私達に声を掛けてくる。

 苺狩りに行くはずなのに、その手にはノートと筆記具が握られていた……何故?

 ファムルに気付いた先生がファムルに挨拶をすると、ファムルも緊張の面持ちで自己紹介を始め、頭を下げる。

 ファムルはそのまま視線を魔王様へと動かし、顔を赤らめながらお辞儀を繰り返した。


「……魔王様。許可を下さり、有り難うございました。……シホちゃんとお出かけ、嬉しいです」

「ああ、構わん。では行くか」


 こんなに可愛いコが、真っ赤な顔で耳をピクつかせ、尻尾を小刻みに震わせているというのに、魔王様は殆どファムルを見ずに、コンセルさんへ顎で指示を出している。

 コンセルさんは魔王様の様子に小さく頷き、執務室内にある右奥の扉を開けた。


 ……これ以上、部屋の奥に入ってどうするんだろうか?


「……何をボーっとしている? 早く行け」


 私は意味が分からず首を傾げていると、魔王様は私の背中を押して、私を扉の中へと移動させる。

 そこには十畳ほどの薄暗い部屋があり、床に魔法陣と思われる図が描かれていた。


「ほら。これを持ったら、陣の中央に乗って」

「……はい?」

「……え?!」

「楽しみですね」


 コンセルさんから手渡されたのは、壁に立て掛けてあった虫取り網だ。

 先生は楽しそうに虫取り網を受け取っているが、私には、全く意味が分からない。

 ファムルも小さく驚きの声を上げているので、私は同意を求めて視線を動かすと、彼女は怯えきった表情でこちらを見つめていた。


「……し、シホちゃん……く……果物を、もぎに行くんじゃ……なかったの……?」

「……そ、そうだよ。苺狩りって……」

「何の話だ?」


 ファムルの質問に答えながら、若干の不安を感じ、魔王様を振り返る。

 魔王様はいつもの黒いロングコート風の服に虫取り網を握り、周囲に違和感を撒き散らしながら不思議そうに私を見返した。


「? ストレリイ狩りに行くって、シホちゃんに聞いていなかった?」

「ス、ストレリイ狩り?!!」

「ええ、ストレリイ狩りですよ。楽しみですね」

「着いたぞ。外に出たら気を付けろ。ストレリイが襲ってくるぞ」


 青い顔色のファムルを心配そうに覗き込みながら、コンセルさんがファムルに声を掛ける。

 コンセルさんの言葉に、ファムルは目を見開きながら大声を上げる。

 先生は笑顔を振りまきながら、こちらへ同意を求めるように言葉を紡ぐ。

 そんな四人を余所に魔王様は、来た扉から外に出ようとしていた。


 ……え? 何だ? 皆のいっている意味が、全く分からないぞ……?!


「ちなみにストレリイとは、こう、書きます」


 先生が、手に持っていたノートを私の前で開き、文字を書いた。


 ……先生ェ……今、授業されても、頭に入らないぞ……

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