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最終話-2(挿話8):コンセル・リカードと精霊王

 シホちゃんが、死んだ。

プレジア様に借りたという短剣で腹を横一直線に切り裂き、血を噴き出させながら息絶えた。

あの時の咽返るような匂いは一生忘れないだろう。

見知らぬ環境で死にそうな目に遭っても自分を失わない、不思議な子だった。

どんな難題も淡々と成し遂げてしまう彼女が、魔王様が倒れた時だけ、その表情を一変させた。

普段あまり変わらない顔色を真っ青に変化させ、出血しそうなほど強く手を握り締め、人目を避けては己を責め立てるように拳を振るっていた。

我々の前では何食わぬ素振りをしているつもりだったようだが、土気色の顔、眉間に刻みっぱなしの皺、常に歯を食いしばっているせいか、顎にも皺が無数に寄せられていた。

そんな表情で無理矢理笑みを浮かべるシホちゃんの心を思い、胸が痛むが、俺には彼女の心を安らげる言葉も行動も、何も出来なかった。


 シホちゃんの亡骸は既にプレジア様達の手によって美しく戻され、今は私室のベッドで寝ているらしい。

傍に行きたい。しかし罪悪感のせいか、足が動かない。

大事な上司であり、大切な人を助けられなかった。

そのせいで俺は、好きな女性に全ての犠牲を強いたのだ。

罪悪感に苛まれ、身を縮こませながら魔王様の傍らに座り、シホちゃんが健気にも大量に作っておいてくれたクッキーを齧る。

シホちゃんが一番よく作る、サクッホロッと香ばしいギュール香るクッキーだ。

いつもと変わらない味の筈が、今日は妙に塩っぱいのは何故だろう……


「死んだみたいだね。正直拍子抜けしたけど、なかなか殊勝な心がけだよね」

「マ……マリンジ……様……」


 いつの間にか扉を開き、中へと入リ込んでいるマリンジ様と召喚されし者に、俺はこれ以上刻めないほど眉間の皺を深く刻み、眉を吊り上げて睨み付ける。

……いや、こいつにもう『様』は必要ない。

何しろ人間に攻撃を加え、魔王様の命を弄び……シホちゃんを殺した奴だ。

だが、魔王様を治してもらうまで逆らえないのが口惜しい。


「……ちゃんと、治していただけますよね……?」

「勿論! ただ、サジェスには異世界人の死因にボクが関わってるとか、余計な事言わないでよ? これ以上確執が増えるとボクとサジェスの仲がおかしくなっちゃうし?」


 マリンジは笑顔を浮かべながら軽妙な口を叩き肩を竦める。

そもそも自分がおかしな行動をしたせいだというのにぬけぬけと、こいつは何を言っているのだろうか。

抑えきれぬ殺意を無理矢理抑え込んでいるせいで、迂闊に動くと攻撃を加えそうだ。

俺は黙したまま何とか小さく頷き、懐から連絡珠を取り出す。


「申し訳ありませんが、監督係としてプレジア様をお呼びします。また何かされたら堪りませんので」

「……?! 随分失礼なものの言い方だね? ボクはサジェスに何かしようとした訳じゃないんだけど?! ……まあ、それで気が済むならそうすればいいさ」


 マリンジは唇を尖らせて俺から顔を背ける。

俺は連絡珠でシホちゃんの私室にいるプレジア様にマリンジが来た事を告げ、魔王様の寝室へ来るようお願いした。


「……随分早く来おったの。まるで何かで見張っておったかのようじゃな」

「ボ! ボクはキミと違って魔力感知能力が高いんだよ!! あんだけデカい魔力が喪失したら分かるに決まってるじゃないか!」


 扉を開けるや否や、プレジア様がマリンジ様を睨み付け、嫌味を述べる。

図星でも付かれたのか、マリンジの語尾が荒くなるが、今は関係ない。


「まあ、良いわ。さっさとサジェスを治すのじゃ!」

「い、言われなくてもそのつもりで来たんだよ! いちいち五月蠅いよ、キミは!!」


 重鎮という立場が精霊王より上なのか、唯一上から目線で物が言えるプレジア様の言葉に苛立ちを隠し切れず、マリンジはブツブツと文句を言いながら己の魔力を練り始める。

プレジア様と俺は一挙手一投足を見逃さないよう、マリンジの行動を見張った。


「……面白いんだよ、こいつ。一回魔力を渡して戻させると、いつも以上の力が発揮出来るんだ……そう、例えどんな力を持った異世界人にでも通用するくらいのね」


 マリンジは不遜な態度で呟きながら、召喚されし者に自らの魔力を流し込んでいく。

それを受け取った召喚されし者がマリンジへと魔力を戻していくと、圧倒されるような力がマリンジを渦巻いていくのが、魔力に鈍い俺にも分かった。

恐らく少女がシホちゃんに掛けようとした魔法珠の魔法もこの力で作られていたのだろう。

これでは如何な魔王様といえど、威力を弱める事すら困難だ。

……そこまでしてシホちゃんを……?!

敵対している訳でない、どちらかといえば味方陣営と言える者に対する処遇とはとても思えない。

……そこまでシホちゃんが憎くなる程、魔王様を愛していたのか?

だが、俺にはどうしても共感出来ない。

もしオレが魔王様を殺した所で、シホちゃんが俺に振り向いてくれるとはどうしても思えないからだ。

それに、俺のした事で悲しませるよりは、想いが叶わずとも、いつも笑っていてくれた方がずっといい。それだけで俺も幸せな気分になれる。

……魔王様に惹かれていくシホちゃんの姿を見つめているのは、少々つらいものがあるにせよ。

恋愛観の違いに思いを馳せながらマリンジの様子を窺う。

プレジア様もマリンジの考えには同意出来ないからか、魔力が思っていたよりも驚異的な力だからか、表情を更に硬くし、マリンジの手元をじっと見つめている。

マリンジは錬成した魔力を両手で混ぜ合わせ、魔王様の額へと魔力を向ける。

魔王様の表面を何かが壊れるような音がし、慌てて魔王様に顔を近付けると、魔王様の肌に少しずつ色味が戻ってくる。


「……魔力が! サジェスの体に吸い込まれていきおるわい!!」


 プレジア様の顔に歓喜の色が差し、魔王様の顔を覗き込む。

真っ白い髪の色も徐々に元の鈍色へと変化していき、頬が薄っすらと紅潮していっている。

どうやらマリンジの魔力が無事魔王様へと入り込み、魔王様に力を取り戻しているようだ。

脈も呼吸も無事に戻り、現状では眠っているのと大差ない様子にまで回復している。


「これなら……もう大丈夫じゃ……!!」

「だから! ちゃんと治してあげるって言ったでしょ?! これだから馬鹿は嫌なんだよっ!」


 悪態つくマリンジを余所に、プレジア様と俺は顔を見合わせ安堵の笑みを零した。

とその時、魔王様の瞼が微かに揺らぐ。


「……ぬ……シ、シホは……? 無事か……?!」


 意識を取り戻した魔王様の第一声は、他でもないシホちゃんの身を案じる言葉だった。

それが気に喰わないのか、マリンジの片眉が微かに動く。

魔王様はマリンジの様子に気付く事もなくゆっくりと瞳を開け、額に手を当てながら上体を起こしていく。

プレジア様と俺は急に動き出した魔王様の身を案じ、その身に手を差し伸べる。

マリンジは眉尻を下げ、態とらしく悲しげな表情を作り、魔王様の手元に跪いた。


「……残念だったね、サジェス……お気に入りの異世界人は……サジェスが自分を庇ったという自責の念に耐え切れなくて……自殺しちゃったって……」

「なッッ?! そ、そんな馬鹿なッッ?!! 勝手に庇ったのは私だ!! シホが責任を感じる事ではあるまいッッ?!」

「それでも、さ……第8大陸魔王であるサジェスと、菓子職人である異世界人じゃ、価値が違うしね……世界にとってどっちが必要か、なんて考えるまでもないし……それで責任、感じちゃったんだろうね」

「馬鹿な事を!! 命の価値に差などない!! ましてやシホは私などより遥かに……ッッ!!」


 悲しみを癒やす事で少しでも魔王様との溝を埋めようとしているのだろうか。

自愛に満ちた眼差しで懸命に魔王様を諭すが、諭し方がなっていない。

魔王様は己よりシホちゃんが大事だから、その身を捧げて庇ったという事をマリンジは忘れている。……いや、考えたくないだけか。

シホちゃんの身の上を知った魔王様はシーツを強く握り締め、激しくかぶりを振り、そのままシーツを頭に被る。

そんな魔王様の悲痛な状態にマリンジは額の血管を動かし、眉尻を上げて魔王様に怒鳴り付けた。


「や、やめてよ!! そんな事言うの!! 大体あの異世界人、お腹開いて死ぬとか、野蛮もいいトコだよ! サジェスも早く忘れた方がいいよ!! 夢に見そう……!!」

「……お腹開いて……のう。マリンジ、お主、何処でそれを見とったんじゃ?」

「……どういう事だ?」


 癇癪を起こし暴露するマリンジに、プレジア様が鬼の首を取ったような笑みを浮かべ、マリンジの肩を叩く。

プレジア様と、自分の失言に気付き額から汗を流すマリンジの様子に、何か不可解な出来事が起こったと悟った魔王様は二人の顔を真剣な眼差しで見比べている。


「……え? ど、何処って……べ、別に何処でもいいでしょ?! アイツは死んだ、サジェスは無事治った、それでいいじゃない!!」

「ところが、主人公(ヒーロー)はそう簡単には死なんのだよ……!!」


 突如、マリンジの背にある扉が大きな音を立てて開かれる。

そこには足を広げて腕を組み、不敵な笑みを浮かべるシホちゃんが立っていた。

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