第13話:タルト・オ・シトロンと曇天
「大分、実が赤くなってきたな」
暖かな日差しの中、私は畑で少し背の低い木に生っている赤い実を見つめている。
掌サイズの球体に、表皮は柑橘特有の凸凹がある。
レモンもどきだ。
黄色いうちは酸味がキツいが、爽やかな香りが強く、調理に使いやすいと思う。
赤くなってくると少しずつ甘味が増し、果汁もふんだんになり、どことなく柑橘系の果物らしくなる気がして、私は好きだ。
元の世界のレモンも、グリーンレモン、イエローレモンと収穫時期に依って色と味わいが異なるし、同じような原理かもしれない。
「今日の菓子はこれを使うか……ん?」
私が実を取ろうと手を伸ばすと、光の粒が実を照らしている。
不思議に思い目を凝らすと木全体から光の粒が溢れ出していた。
「……これは……魔術の粒と同じ……? いや、ちょっと違うな」
魔術の粒はもう少し透明感がないような気がしたが、この植物から出ている光は透明度が高く、油断すると直ぐに視界から消え失せてしまう。
魔術の粒も気を緩めていると見えなくなるが、これはかなり気合いを入れないと見えないぐらい、見えにくい。
しかし、魔術の粒と形状や光り方がかなり似ているような気がする。
「……そういや魔力の粒は『粒子』ともいうぐらいだし、生物から出てても、何もおかしくはないか」
私は光の粒を凝視し、その粒を動かして実を幾つか木から切り離す。
「……魔術も、呪文とか面倒いわないで、こういう風に出来りゃ、楽なのにな」
私は軽く溜息を吐きながら落ちてきたレモンを受け止め、そのまま城へと戻っていった。
「髄分シトーネを取ってきたな。まさか今日の菓子はそれか?」
「その予定です」
通り掛かった魔王様が書類から目を離し私に話し掛ける。
私の迷いない返答に魔王様は若干眉根を寄せて考え込む。
……そんなにチョコばっか作りませんよ、少なくとも私は飽きる。
「そんなに酸っぱいのを美味しく出来ちゃうから、シホちゃんって凄いな!」
「甘さを強調するなら他のものを入れろっていうし、何より私が甘酸っぱいのを好きだしね」
魔王様の傍らにいたコンセルさんが、興味深げにレモンもどきを眺めている。
コンセルさんは、強烈に甘い物よりは若干甘さ控えめの方が好みなようなので、レモンもどきを使った菓子というのに大分興味があるようだ。
コンセルさんの優しげな笑みに思わず笑みを返すと、魔王様が咳払いをしながら私に糾弾してきた。
「……どうも私に対する態度より、コンセルに対する態度の方が優しくないか?」
「菓子の嗜好の問題でしょうか? 多分魔王様の好みよりコンセルさんの好みの方が、私と合ってる気がするんで」
「……嗜好、か……うむ……」
何故か魔王様が顎に手を置いて考え込む。
そんな魔王様の様子に、コンセルさんは苦笑いを浮かべながら魔王様へと向き直した。
「……魔王様、それよりこの書類を早く上げねば菓子が食べられませんよ」
「……そうだったな。ではな、シホ」
「はい、また後で」
魔王様は書類に視線を戻しながら、書斎へと戻っていく。
コンセルさんは私に手を振りながら、魔王様に付いて行く。
私もコンセルさんに手を振り返し、厨房へと移動した。
作っておいたパイシートに重石を載せて焼いておく。
鍋に卵黄と砂糖、片栗粉を混ぜて牛乳を少しずつ加えながらとろみを付ける。
そこにバターを解けるまでよく混ぜ、少し冷ましてレモン汁と皮の擂り下ろしを加えると、レモンカスタードの出来上がりだ。
パイ生地にレモンカスタードを入れ、その上にメレンゲを載せ、軽く焦げ目が出来たら、タルト・オ・シトロン、パイバージョンの完成だ。
タルト・オ・シトロンのメレンゲは、載せない方がお洒落だという声もあるそうだが、私的にはメレンゲとのコラボを楽しみたい。
メレンゲにも三種類あって、冷たい卵白に砂糖を二~三回に分けて加えながら泡立てる一般的なフレンチメレンゲ、泡立てたメレンゲに熱いシロップを加えて更に泡立てるイタリアンメレンゲ、卵白を湯煎で温めながら砂糖を加えて泡立てるスイスメレンゲがある。
スイスメレンゲは焼メレンゲでよく使われる技法で、フレンチメレンゲはケーキなどによく使われ、イタリアンメレンゲは生で使うババロアやアイスに用いられることが多いそうだ。
一般的なフレンチメレンゲはサクッと口当たりが軽いのが特徴だが、メレンゲから水が出やすいのが難点だ。
そしてイタリアンメレンゲは、熱いシロップを加えることで殺菌し、更に木目細かいメレンゲで安定性が高く、離水などの心配がない分、ちょっと歯応えが変わる。
私はイタリアメレンゲの、少し歯に残るような感じが苦手なので、フレンチメレンゲにしてみた。
店に並べるのと違い、菓子時間に食べ尽くすのが分かっているので、こうして好みで作れるのは有り難い。
出来上がったタルト・オ・シトロンを食堂へ運び、切り分ける。
とろみのある甘いクリームにレモンの酸味が爽やかに香りだし、メレンゲはクッキーよりも軽い口当たりであっという間に口の中から消えていく。
外側のパイ生地はバターの風味と心地よい歯応えを伴い、その塩気が酸味有る甘いクリームと口の中で混ざり合い、絶妙なハーモニーを奏でている。
……自画自賛だが、なかなかの出来栄えだ。
「シトーネがこんなに美味しくなるなんて! 甘酸っぱくて美味しいですね!」
「うむ、シトーネが本当に菓子の主役になるとはな。上のサクサクも合わせると尚美味い」
「ホント、美味いよ!」
先生の感嘆の声に魔王様とコンセルさんも相槌を打つ。
レモンもどきを訝しげに眺めていた魔王様もお気に召したらしく、左眉が上がっている。
「他にも甘いタルト生地のパート・シュクレ、サクサクもろいタルト生地のパータサブレ、甘くないタルト生地のパート・ブリゼが有るけど、今回はパート・フィユテ……パイ生地を使いました」
「この下の生地にも色々あるのだな……」
「……全部食べ比べてみないと分からないなー」
「そうですね! 全部食べ比べてみないとですね!」
「確かに、全部食べないと分からんな」
何やら不穏なコンセルさんの意見に魔王様と先生も賛同し、私を見つめてくる。
……全部いっぺんに作らせて食べ比べる気か? しかし、そう上手くはいくかな……?
怪しい笑みで挑発する三人に、私は邪悪な笑みを浮かべ三人を一瞥する。
「……毎日同じタルトでいいなら、そうしましょうか。明日がパート・シュクレ、明後日がパート・サブレ、次がパート・ブリゼで」
一気には面倒だが、どうせ毎日一個以上作らねばならないのだし、そのメニューが決まっているなら考える面倒もなく寧ろラッキーだ。
自分が食べたい菓子は別に自分用で作ればいい。
「……まだ食べたことない菓子がいっぱいあるだろーしな……」
「当然、あるね」
「……チョクラの菓子も色々あるのか?」
「まだまだいっぱいありますよ」
魔王様とコンセルさんが毎日タルト・オ・シトロンになった場合の蟠りを私に尋ねてくる。
躊躇いのない私の返答に、魔王様とコンセルさんは押し黙ったまま空を見つめていた。
……この勝負、私の勝ちだな。
「……参りました」
「はっはっは、修行が足らんぞい!」
「私は嬉しいですよ! これ、すっごく気に入りましたし!」
テーブルの上に手をついて頭を下げる魔王様と、コンセルさんに高笑いを向けていると、先生が満面の笑みで私を注視する。
その事態に私よりも寧ろ魔王様とコンセルさんが狼狽し、事態を収束させようと額に汗を流しながら手を動かしつつあちらこちらへ視線を移動させる。
その時、コンセルさんの手が手元の砂糖壺に当たり、壺が転倒して中身が零れ落ちそうになる。
私は咄嗟にコンセルさんの魔力の粒を移動させ、砂糖を粒で受け止め、壺を元の位置に戻しつつ砂糖を壺の中に収めた。
「何だ、今のは?!」
「あ、ゴメン! 自分の魔力の粒だとちょっと遠いかと思ってコンセルさんの借りちゃったよ」
勝手に人の魔力の粒を借りてしまった。
咄嗟とはいえ申し訳なく思い、目を見開いて大声を上げるコンセルさんに頭を下げる。
「え?! いや、そうじゃなく! 今の魔術、何かおかしくなかったか?!」
「……というより、術が発動していなかったようだが……?!」
「……な、何ですか、今の……シホさんが何かしたんですか?!」
皆が顔色を青ざめさせながら、私に糾弾してくる。
物凄い剣幕で見つめてくる皆の様子に私は若干押されながら、状況を説明しようと思考を巡らせる。
「魔王様もやっていた無詠唱ってやつですよね?」
「全然違いますよ!! 無詠唱は魔術の行使です! シホさんのは魔力の操作です!!」
先生が物凄い形相で、テーブルから身を乗り出しながら捲し立ててくる。
……困ったな、違いが分からない。
顎に指を当て、魔王様の無詠唱との違いを模索する私に、魔王様は溜息を吐きながら言葉を紡いだ。
「……シホ、今のをもう一度やってみろ」
「……はあ」
魔王様にいわれるがまま、私は自分の魔力の粒を分裂させ、その場でグルグルと回転させる。
その力が風を起こし、私の手元で小さな旋風を作り上げた。
「……なるほど。どうやってそれを作り上げたか説明出来るか?」
「どうって……魔力の粒を増やすために分断させて数を増やして……そのままグルグル回転するように念じました」
「ま、魔力の粒子を分断?!! 一体どうやって?!」
「紙を千切るみたいに、頭の中でこう……?」
テーブルから身を乗り出していた先生が、更に私へ身を乗り出して事態を追求する。
魔力の粒はかなり小さいので実際は手で千切れないと思うが、感覚的にそうしていることを伝えようと、私は両手で紙を捻切るように交差させる。
先生は魔王様と視線を合わせ、大きな溜息を吐いた。
……みんなそうして少ない魔力を補ってやってるのかと思ったんだが、違うのか?
他に増殖させる方法があるなら寧ろ教えて欲しいんだが。
「……視覚出来る粒が少ないのか……しかし……粒の分断……精霊ですら……いや、まあいい。シホ、驚かせてすまなかった」
「うん、シホちゃんスゲー!! 俺ももうちょっと魔術が使えると、色々助かるんだけどなー」
魔王様が顎に手を当て何やらブツブツと呟いていたかと思うと、突然私に謝罪する。
それを聞いたコンセルさんも驚愕の表情を一変させ、穏やかな笑みで私に語り掛けてきた。
……何だかよく分からないが、これは気にしなくても良いという意味だろうか?
私は頭を抱えて突っ伏している先生へと視線を動かす。
黙り込んでいた先生は突然顔を上げ、両手で頬を叩いて私へと向き直した。
「シホさん!! その力を魔王様のためにもっと鍛……すみません、私としたことが少々取り乱しました。……何でもありません」
……先生、結構初中後取り乱してる気がするが、大丈夫だろうか?
先生は魔王様と視線を合わせ、軽くお辞儀をするとそのまま椅子に座り直した。
「ところでシホさん、次の授業は何をしたいですか? 風魔術を極める必要性はあまりないようにも思えるんですが、新しい魔術を覚えますか?」
風魔術は微風よりやや強い風魔術まで教わっているが、風魔術の高位術は私が作った竜巻と同じくらいのものらしい。
先生としては一つを極めるより色々な魔術を覚えた方が私には良いのではないかと提案してくれたのだが、どうしたものか。
確かに強い魔術を知るよりも、菓子作りのサポートが出来る魔術を覚えたいが、どんな魔術が菓子作りに使えるのだろうか?
「えー、例えば、とある物質から特定の成分だけ抽出出来る魔術とか、とある能力が特定の条件付きで発生する魔術とか、物質に特定の菌のみを繁殖させる魔術とか……そんな魔術ってありますか?」
「……融合魔術か。『物質に特定の菌のみを繁殖させる魔術』なら、確か料理長が持っていたはずだが」
「え?! マジですか?!」
魔王様の言葉に私は歓喜し、テーブルから身を乗り出す。
だとすると、シロップおじさんに麹菌を作ってもらえば、ずっと我慢していた味噌や醤油が食べられるかもしれない!
私が思わず鼻歌交じりに体を揺らしていると、先生が何か考え込むように顎に手を当て視線を下に向けたまま話し掛けてきた。
「……融合魔術を会得するためには、まず基礎となる魔術を覚えなければなりません。水火風地を基礎として、準基礎の雷氷木金毒光闇など、全て会得してからでないと……」
「あ、やっぱいいです」
先生が羅列する属性の多さに思わず私は後込みし、両掌を先生の方へ向けながら首を横に振る。
私の態度に先生は眉尻を下げ、溜息を吐いた。
「……どうして貴女は……シホさんの実力なら天下すら取れるというのに……」
「いや、私が天下取ってどうするんですか。それは魔王様の役目ですし」
私が先生に向けた掌を左右に振って拒絶しながら言葉を紡ぐと、その言葉を聞いた魔王様やコンセルさん、先生が大きく目を見開き、驚愕した表情でこちらを注視する。
……あれ? また何か間違ったことをいっただろうか?
「……シホは、私に天下を取ってもらいたいのか?」
「え? いや、そういう訳でなく、魔王ってそういうものかと……」
真剣な表情で尋ねてくる魔王様に、私は率直な見解を述べる。
確か魔王というのは、世界征服を狙うとか、そんな感じじゃなかっただろうか?
私が首を捻って考え込むと、コンセルさんが私の疑問を察したのか、補足説明をしてくれる。
「あれ? シホちゃん知らなかったっけ? 魔王様は魔王とはいっても、人間が滅びないように保護する精霊王の補佐役であって、他の魔王達とは、ちょっと立場が違うんだよ」
「……滅びない……補佐?! ……魔王……達?!」
「あれ? 教えませんでしたっけ? 各人種の王は七つある大陸ごとに存在し、魔王様は第八大陸の唯一の王様で、第八大陸やその魔王様の存在は、魔王様が選んだ従者と一部の王、そして精霊界にしか知られていない、極秘事項なんですよ」
コンセルさんの言葉に混乱する私を、先生が更に追い込んでくる。
何だかさらっと重要事項を述べられた気がするぞ?!
大体、魔王は一人で『はっはっは、よくぞ来たな勇者!』とか、やるんじゃなかったのか?!
「……すみません、根本的な部分を教えていなかったようですね。次の授業は世界史に変更です!」
「せ、世界史ッッッ?!」
元世界でも大の苦手だった、拒絶反応を起こす言葉に私が身悶えていると、先生が私の後ろ襟を掴み、引っ張り始めた。
だ、誰か助けてくれ……!
「……こればっかりは……知ってた方がいいしな、うん」
「……そうだな、私に天下を取れといわれても困るからな……」
魔王様もコンセルさんも、席に座ったまま引き攣った笑みを浮かべ、こちらを見守っている。
魔王様、私は天下を取れとはいってないし、いうつもりもないぞ?!
「さ、シホさん、無駄な抵抗は止めて、頑張ってお勉強しましょうね」
先生が迫力のある笑みを私に向けてくる。
先生の背後にある窓からは、私の心のようにどんよりと曇った空が見えた。




