第9話:風魔術とシュー・ア・ラ・クレームとエクレール・ショコラ
先日の発言はなかったことのように、いつもの日常が続く。
全く触れられないということは触れてはいけないのだろうか。
別段、私も聞きたいことはないので考えないことにする。
さて、今日の午前は魔術の授業だ。
「次の魔術に移る前に、もう少し魔力の練り方を練習してみましょうか」
早速庭に出て先生と照明魔術の復習を始めようとするが、不意に疑問が生じ、先生に尋ねてみる。
「そういえば私はお金がないんですが、魔術代をどうやって払うんでしょうか?」
この世界の魔術は使う度にお金が掛かり、月末締めの翌月十日に支払い請求が来るらしい。
最近何かと照明魔術も使ってしまっているが、私自身に請求が来たことはない。
『まさか』という思いと、『やっぱり』という思いを抱きつつ、恐る恐る先生に尋ねてみる。
「シホさんの魔術代は魔王様持ちじゃないですか? シホさんは魔王様が扶養してらっしゃるみたいですし」
先生は何の躊躇いもなく、事も無げに、あっけらかんと言い放つ。
……ですよねー。他に支払える手段ないし、しかし私は魔王様の子供だったのか……
子供っぽい魔王様の更に子供扱いは少々複雑な心境になるが、毎日一回以上菓子を作ることに対する対価の一つなのだろうし遠慮なくガンガン使わせてもらうことにしよう。
開き直った私は一際大きく強い光を放つ照明魔術を作り始めた。
「……シホさん、同じ魔術では同じ魔術代しか取られませんよ?」
先生が私の心中を察してか、そっと耳元で真実を囁く。
……そんな気もしたけど、気分なので良しとしよう。
「……あと、扶養家族は、子供だけと限りませんが……」
そこはどうでもいいので華麗にスルーした。
照明魔術を出すと、手に仄かな温もりが伝わってくる。
照明からは、ほんの小さな光の粒が無数に取り巻いており、その一部が光の球状を蛇行しながら上昇して消えていく。
その様子は、母の実家で見た回転行灯を思い出させた。
回転行灯とは、電球の発熱による僅かな上昇気流を、回転筒の風車が受けて回転運動に変動させ、フィルムの絵柄を映し出す、何とも幻想的な灯籠だ。
見た時は小三だったので、いまいちよく分かってなかったが、電球の熱で風が起きてるんだよと婆ちゃんが教えてくれた時は、分からないなりに何か感動したな。
小さな光の粒に意識を向け、手前に移動するよう集中する。
すると少しずつ光の粒が手前に寄ってくる。
それを奥に行くよう意識を向けると、その粒が今度は遠離っていく。
……何か、面白いな。
私が光の粒を押したり引いたりしていると、そのうち肌に感じるくらい、風が起こり始めた。
「シ、シホさん?! 自力で風魔法を出しちゃいましたか?! ……流石ですねえ……」
側にいた先生が風を操る私に驚嘆し、笑みを引き攣らせながら溜息を吐く。
どうやら今のは、照明魔術の魔力を用いた風魔法のようだ。
「よく見ると、照明の回りに小さな光の粒が沢山浮いてたんで思わず動かしてみたんですが、これが風魔法になるんですね」
私が先生の言葉に感心して感想を述べると、先生は目と口を、中身が飛び出さんばかりに大きく開いて動きを止める。
……何故?
「……シ、シホさん!! ……ま、魔力の粒が……見えるんですかっっ?!」
粒?……粒子のことだろうか? いや、そこまで小さなものは流石に見えませんて。
蹲って何やらブツブツ唱えだした先生を宥め賺し、どうにか立ち上がってもらう。
「……今更ですよね……シホさんは魔力に選ばれた民ですし……私と比べちゃ駄目ですよね……フ、フフ……」
「……先生、いっている意味が分からないですが、怖いです」
「……すみません、ちょっと意識が可怪しくなってしまいました。それより風魔術を覚えますか? もしかしたらシホさんの望む攪拌とか、出来るようになるかもしれませんよ」
先生の言葉に私は頭を何度も縦に振り、中腰で構えた。
……バッチ来い、攪拌魔術!
私は厨房で呆けながら菓子作りの準備を進める。
結局、今日教わったのは小さな微風が起こる魔術だった。
私は鍋に牛乳と水、バターに砂糖を入れ火に掛け、沸騰して火を止めて小麦粉を入れ、微風を交えながら掻き混ぜている。
風魔術・微風は、手作業より遙かにゆっくりと具材を鍋の中で回転させていた。
……これじゃ、生クリームからバターを作るのは、余計時間が掛かりそうだな。
というか多分いくらやっても、バターになるとは思えない。
ハンドミキサーみたいに、素早く掻き混ざる術が出来るといいが……
旋風の威力に文句を垂れている所へコンセルさんが現れ、私の背後から手元を覗き込んだ。
「へえ! 風魔術覚えたのか! やっぱシホちゃん、適性凄いな!」
「そうかな? 魔術っていまいちどのくらいで凄いか、分からないな」
「覚えられるだけ凄いって! 俺は照明魔術と、炎系がちょっとだけ、だな。いまいち苦手でなー」
コンセルさんは少し悔しそうに、苦笑しながら頭を掻く。
確かにコンセルさんは、魔術より物理攻撃の方が似合いそうだ。
それに、スッキリと無駄のない筋肉は、防御性も高く回避能力にも長けていることだろう。
私の視線にコンセルさんは不敵な笑みを浮かべ、手を顎へと移動させる。
「……魔王様やシホちゃんみたいに両方得意だと、色々な攻撃パターンが組めて、いいんだけどな」
「……イヤミかよ、それは」
「またまたー! シホちゃん、謙遜しちゃって!」
コンセルさんは私の言葉を受け、笑顔で私の背中を肘で小突く。
何か勝手に買い被って下さっちゃってるが、取り敢えず面倒臭いので、放置しておこう。
混ざった塊を再び火に掛け、ボウルに移して少しずつ卵を加える。
程良く混ざったら、絞り出し袋で長い形と丸い形を鉄板に絞り出し、焼成。
ボウルに砂糖と小麦粉と卵黄を入れよく混ぜ、沸かした牛乳を少しずつ加え、中火に掛けてとろみを出す。
これを冷やしておき、チョクラを擂る。
擂ったチョクラに砂糖を湯煎で溶かし入れ、半量をホイップした生クリームに入れる。
焼けた生地を冷まし、膨らみの半分より少し上を切って開き、長い方の中にチョコ入り生クリームを入れ、上に残しておいたチョコを塗る。
丸い方には冷やしたカスタードクリームと生クリームを混ぜたものを入れて、シュー・ア・ラ・クレームとエクレール・ショコラの出来上がりだ。
ちょっと格好付けてみたが、要するにシュークリームとエクレアだ。
カスタードに紅茶や苺などを入れても美味しいと思うが、今回は王道にしてみた。
「おお! 美味そー! こっちのチョクラはモロ、魔王様の好みっぽいな!」
私の手元を覗き込み、コンセルさんは感嘆の声を上げる。
私はコンセルさんの感想を聞き、手を伸ばして摘み食いしようとするコンセルさんの手を叩きつつ、提案してみる。
「ならコンセルさんの分、交換してあげれば?」
「ぜってー、やだ」
「……コンセルさんは、魔王様に対する忠誠心が少ない気がするな」
コンセルさんは眉を顰め、口を尖らせながら腕を組む。
魔王と側近という主従関係はよく知らないが、一般的な側近は、主に絶対服従するもんなんじゃないだろうか?
魔王様とコンセルさんは、主従というよりは、仲の良い兄弟のように見える。
二人とも超美形ではあるが、方向性が違うし、似てはいないので違うだろうけど。
私の疑問に、コンセルさんは屈託のない笑みを浮かべ、口を開いた。
「菓子のこと以外ではちゃんしてるから、大丈夫だろ!」
菓子好きの魔王様としては、そこにも重きを置いてほしいんじゃないかと思ってしまうが、どうだろうか。
私はコンセルさんにも菓子を載せた皿を持ってもらい、食堂へと移動した。
「こ……これは……っ!」
エクレアを食べた魔王様が、エクレアを手に持ったまま動きを静止させる。
瞑目し、空を見上げる魔王様の体は、微かに震えているようだ。
魔王様の様子にコンセルさんや先生も菓子を頬張りつつ、訝しげに見つめている。
「やはりチョクラとクリームは、お互いに出会うため、生まれてきたといっても過言ではない……!」
いや、過言だろ。
チョコも生クリームも、それぞれ色んなものと合うから、あまりにも過言過ぎるぞ。
魔王様の見聞を広めるためにも、もっと色々チョコ菓子を作った方がいいかもしれない。
私は決意を新たに、エクレアを口に放り込んだ。
「……そういえば魔王様、シホさんは照明魔術から風魔法を錬成なさったんですよ」
魔王様の作り出した異質な空気を払拭するべく、先生が話題を提供してくる。
それに気付いたコンセルさんも話題に乗り、会話を弾ませる。
「さっきも菓子を作りながら風魔術を使ってましたよ」
「……そうか、丁度良かった。変わった調理器具を開発出来た。使ってみると良い」
魔王様の視線でコンセルさんが立ち上がり、奥から袋を持ってくる。
コンセルさんから手渡された袋を開けると、中には泡立て器のようなものが入っている。
その柄からは金属の細長い棒が伸び、先端にプロペラのような金属の板が何枚か付けられている。
その周囲をホイッパーによくある細長い金属がプロペラを囲むように覆っていた。
……ちょっと下から見ると、扇風機に似てる気がする。
私が不思議な気持ちでそれを眺めていると、魔王様がその道具について説明し始めた。
「その風車は、風魔術によって回転する仕組みになっている。現在、魔力を込めるだけで回転するよう工夫を凝らしてはいるが、取り敢えずの試作品だ」
「……へえ!」
試しに風魔術を使ってみる。
重く、若干硬いそれは、ちょっと微風な風魔術では回転しそうもないが、光の粒を利用して風の動きを早めると、少しずつプロペラが回転速度を上げ、結構な早さになってくる。
……ハンドミキサーだ!
「おお! すげーな! いつかそれで、空でも飛べそうだな!」
「シホさんなら、出来そうですね!」
コンセルさんがハンドミキサーの動きに感嘆の声を上げる。それを受け、先生も頷きながらハンドミキサーに見入っている。
これで飛ぶとか、どんだけ軽い人間だよ。
青い猫のアイテムじゃあるまいし。……しかし、ここは異世界だしな……
思わずちょっと、頭の上に掲げてみると、魔王様が苦笑いを浮かべながら顎に手を当てた。
……いや、ちゃんと分かってるって!