第三十二話:差別や虐めでの精神負荷
まあ、喜んでもらえているようで良かったが、こんな生活、とても続けていられない。
私も施設の食事が酷かったせいで空腹だ。ミルククリームのブッセをメインに、菓子を頬張っていった。
菓子の時間を終え、私は魔王様とコンセルさんに続き、魔王様の執務室へと向かう。
魔王様は机に置いてあった分厚い本を手にし、小さな文字を示しながら話し始めた。
「ここに、精神的負荷が過剰である者が、その負荷を放置した状態で脳に大小関わらず損傷すると、魔力が自身を守るために昏睡状態へ陥らせる、という罹患者の症例がいくつか書かれていた」
「確かに、アルの状態と似てますね……」
五人組や教官から、手酷い虐めを受けていたと思われるアルは、その苦しさを感じさせず、明るく振る舞っていた。
我慢していれば、正規兵になれれば終わると考え、苦痛ではあるが、何とかやっていけるとアルは考えていたのだろうが、アルの精神は既に限界を超えていたのだろう。
頭をぶつけたアルは昏睡状態となるはずだったが、偶々ストレスフリーな私が傍におり、アルの魔力が助けを求めて私の魔力を吸収したのではないか。ということが、文献を読んだ魔王様の推論だった。
「……虐めは解消したと思うんですが……アルはまだ意識下で倒れたままです……」
「……意識下のアドゥルに、解決したことを伝えられれば、起きるんじゃ?」
私が苦悶しつつ呟くと、コンセルさんも思考を巡らせ、一つの案を思い付く。だが、話し掛けても意識がなく、話が届かないアルの精神体に、どうやって知らせるか。
私がコンセルさんの案に熟慮していると、黙考していた魔王様は手段を思い付いたのか、徐に口を開いた。
「……ふむ。かもしれんな。私の魔力で伝達してみるか……」
「けど、魔王様が魔力を送っても、私が吸っちゃって、アルには届かないんじゃ……?」
「故に、通常の魔力ではなく、伝達魔術に似せた魔力を送ろうかと思っている」
「伝達魔術に似た、魔力??」
それは多分恐らく、魔法というヤツじゃないだろうか。だが、精霊に配慮する魔王様は『魔法』ではなく、あくまでも特殊な状態の魔力、ということにしているようだ。
魔王様に促され、私はソファーに寝転がると、魔王様がコンセルさんに私の体を持ってくるよう、指示を出す。
私はソファーで目を瞑り、真っ暗な空間の中で動かない、アルの意識体に話し掛ける。魔王様のいう方法を試してみるが、周囲の暗闇が私の魔力を押し戻し、伝達させてくれない。
「……やっぱり、私では駄目です……」
「シホへ全面的に依存しているのであろう。シホを逃さぬよう、余計な真似をさせまいとしているのではないか?」
確かに魔王様の言う通り、アルの魔力から私に、とにかくアルを動かしていろ、というような圧力を感じる。
このままじゃ根本的な解決にはならないと、アルの魔力は考えないのだろうか。
……そういえば、多少、魔力操作能力が戻ってきた気がしたようだったな。
私はアルの精神体を睨み付け、今日あった出来事を強く考え、伝わるように念じる。
すると、アルの精神体から靄のようなものが湧き上がっているようだ。この調子で説得出来ないだろうか。
音もなくコンセルさんが戻り、どうやら私の体もソファーへ横にされたらしい。
アルの魔力が、私自身の体にある魔力を感じ取ったようだ。
アルは、私が戻ってしまうことを懸念したのか再び警戒状態に入り、元の微動だにしない状態に戻ってしまった。
再度、集中して命じてみるが、やはりそこまでは実力が戻っていないようで、今度は全く反応がない。
「……シホ、気を落ち着かせていろ。私が試そう」
「……すいません。お願いします」
私はアルの精神体から離れ、意識を現実に移す。
今度は魔王様の魔力がアルに送り込まれ、何だか心が温かくなっていくのを感じた。
その瞬間、私はアルの精神体に引っ張られる。
暗闇の奥に、小さな光が見え、私はその光に向かって吸い込まれていく。
突如明るくなった景色の眩しさに目を屡叩かせると、そこには山に囲まれた自然溢れる田舎の光景が広がっていた。
……此処は、アルの夢の中なのか。深層意識なのか。
雑草が踏み潰されたことで露出する土の道には、轍が幾つか重なり合っている。
私は何気なくその道を進んでいくと、木の柵に囲まれた小さな村に辿り着いた。
村には家が点在し、麦畑が太陽の光を浴びて金色に輝いている。
村の端を流れる川では水車が回っている。その側の小屋にはコッケーが、囲われた柵から顔を出し、餌を啄んでいた。
村の周囲は草原で、芥子色の中に白い髪が一束生えている短髪に小麦色の肌をした、デニム生地のような厚手のオーバーオールの小さな子が嬉しそうに駆け回っていた。恐らく、幼い頃のアルだろう。
友達と楽しそうに遊んでいるアルの背後、やや距離を取った数人が、アルに視線を向けながら眉を顰め、話をしている。
「……四人種とか、暴走しそうで怖い……」
「……魔力も高くて筋力もあるとか……人工的で気味が悪い……」
アルの周りから友達が一人、また一人と減っていく。
一人残された、小さなアルの周囲を、暗闇が纏い始める。
「……聞いた? 闇と毒の属性持ちだって! やっぱ四人種って気持ち悪ーい!」
「……近付くと呪われそう……!」
アルは暗闇の中、膝を抱えて屈み込み、嗚咽混じりに呟いた。
「……闇と毒はちょっとだけで、地もちょっとあるし、メインは他なのに……!」
「何で、四人種が混ざると気持ち悪いの……?! 二人種なら、多いから平気なの? ……何で?!」
アルの表情が悲しみに歪む。
私は耐えきれず、アルを強く抱き締めた。
「気持ち悪くない! 人種も属性も関係ない! そんなこと言う奴らの方が奇怪しいんだ!! アルはこんなに可愛いし、こんなにいい子なんだ!!」
「……お姉ちゃん、だれ?」
「アルのことが大好きな友達だよ! アルが嫌な目に遭ったら直ぐに言うんだ! 全員、打っ飛ばしてやる!」
「……大好きな……友達……?」
「そうだよ! 私だけじゃない! アルを大好きな友達、もっといるのは、知ってるよね?!」
「でも……きっと、いなくなっちゃうよ……。みんな、そうだもん……」
「離れない!! アルが嫌がっても、私はアルから離れないよ! 大好きだから! 異世界人で、元世界にも体がある、私の方が変じゃないか! 何にも気にしなくていい! 嫌なことは、ちゃんと嫌だって言うんだ! アルが苦しい方が、私は嫌だっ!!」
私は小さなアルを抱き締め、どれだけ大事な友達か、感情的に捲し立てる。
アルは、アルを抱き締める私の腕に顔を擦り寄せ、目を閉じて微笑んだ。
(……あざっす、シホちゃま……。うちも、大好きっすよ……)
遠くから、今のアルの声が響いてくる。声の方を振り返ると、不意に辺りが暗闇に覆われ、小さなアルの姿もない。
私は闇に飲み込まれそうになり、慌てて抜け出そうと手足を振り回して足掻く。
気が付くとそこは魔王様の執務室で、私は自分の体に戻っており、ソファーの上で涙を流しながら上体を起こしていた。
「……あれ? アルは?」
「シホ! 無事か?!」
「シホちゃん!! 大丈夫か?!」
私は心配して寄ってきた魔王様とコンセルさんの顔を呆然と眺め、ハンカチを取り出し、涙を拭く。
部屋を何気なく見渡すと、テーブルを挟んだソファーの上、アルが寝息を立てて眠っていた。
その寝顔は嬉しそうな表情をしており、私は安堵の息を吐いた。
言葉が訛っていなかったのは、精神の中、心の声だったからか。でなければ会話が成り立たず、上手くいかなかっただろう。
「上手くいったようで良かった。結局、シホが治したようだな。力になれず少々悔しいが」
「いえ、魔王様の魔力がなければ、アルの心に会えませんでした。有り難うございます」
「シホちゃん! 無事で良かった!」
私は二人に無事を告げ、ソファーから立ち上がる。
そしてアルの元へ歩み寄り、ソファーの前に膝を突き、アルの寝顔を眺めた。
アルは相変わらず気持ち良さそうに、口元を緩ませた笑顔で寝入っている。
「……眠っている間に、寮へ連れ帰るか」
「そうですね。気が付いたら魔王様の執務室とか、アルが吃驚してまた意識がなくなると困るし」
「それは本当に困るよな。ちゃんと改善しないと、またシホちゃんを人質にされそうだ」
「コンセルさん、その時はアルに味方するから、よろしく」
「さ、最善を尽くします!」
魔王様とコンセルさんと私は、顔を見合わせて笑い合う。
コンセルさんは衛兵部隊全班長と会議を行うことになり、一足先に最高司令官室へと向かった。
私は自室からアルの荷物を保って執務室へ戻り、浄化魔術を掛けてもらう。
そしてアルの部屋へ、アルと共に魔王様の脇に抱えられて空を移動した。
よく寝ているアルをそっとベッドへ寝かし、その他、服や備品を元の場所へ戻していく。
そして私は魔王様に抱えられながら、空を散歩するように城へと帰っていった。