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声を上げる間もなく、口を布のようなものでふさがれる。
踊り場の陰に、人が潜んでいたのだ。
「やっぱり来たのね、朝倉さん」
知らない女の人が小声でそう言った。
手に持っていたジュースが転がっていく。
コインも。
誰もいない薄暗い空間に、不気味にそれが転がっていく。
階段は、とても静かだった。
人の気配がしなかった。
塾には、受付の後ろにすぐエレベーターがあり。
わたしもそれに乗って来たし、みんな行き来にはエレベーターを使っているようだった。
ここには、誰もいない……。
「あなた、嘘つきね。記憶がないなんていうから、田辺さんを使って講座に誘ったら、ほら、やっぱり楡井先生の講座にだけに出て。色気出して。あなた、あれだけ忠告したのに、まだわからないみたいね」
田辺さんを使って?
この人が、村沢先生か。
「あなたみたいな、勉強ばかりの子、楡井先生は同情で優しくしているだけだって、わからないの? つまり、教育の一環よ。教育の。なのに、あなた、楡井先生とだけ親しくして。わたしはね、あなたみたいな子を良く知っているの。あなたみたいな無神経な子はね、そういった先生の厚意につけこんで、どんどんといろんなことがエスカレートしちゃうのよ。取り返しがつかないほどに。だから、警告してあげたの。いわば、これは優しさよ? 楡井先生の授業に出るんじゃないわよって、あなたが出るのは分かっているのよって、手紙まであげたのに。ほんと、あなたのせいよ。わたしがどれだけ手紙を出したと思うの? おまけに、わたしのことを、あなたに怪我をさせるまで、追いこんで」
この人、何を言ってるの?
悪いけど、彼女の言ってることはめちゃくちゃだ。
笙子にはこの脅しが通るのかもしれないけれど、25歳のわたしには、「はぁ?」ってな感じだ。
とはいえ、塞がれた口が苦しい。
なんとかならないものかと、もごもごと口を動かす。
そういえば騎士楡井はどこにいるの?
そばにいるって、信じているからね!
「ふふ。怖い? ここね、階段、結構段数あるのよねぇ」
わたしがもがいているのは、恐怖のためだろうと村沢先生は思ったのだろう。
嬉しそうな、甲高い笑い声が階段に響く。
「あなたみたいに、ひ弱な人、ここから思いっきり突き落したらどうなるかしら」
そのとき、視界の端に、動く人影があった。
「あなた、あの事故で死ねばよかったのに。死んだのは、お姉さんなんですってね。お気の毒。なんで、あなたが生きているのかしら」
――なんで、あなたが生きているのかしら
その言葉に、わたしの心が――そして、笙子の体が、心が反応した。




