第20章:告白
「・・・・どうして?」
普段の彼女からは想像もつかないか細い声で、彩音が言った。
「どうして? ねえ、どうして優が犯人なの? どうして殺したの?」
ぼろぼろと涙をこぼしながら、彩音がすがるような声を出す。
優は辛そうに彩音から目を背けた。
「・・・・復讐」
小さな声で、優が言う。
「復讐だよ。ひたすら無意味で自己中心的な、ね」
「どういうことなんだ? 教えてくれ、優。どうしてお前は、こんなことをしたんだ?」
優が犯人である。
その事実は受け入れがたいが、事実なのだ。
では、なぜ優はこんなのことをしたのか?
それは崇史にもまったく見当がつかなかった。4年前に起きたという事故が何か関係しているのだろうか。
優は、ゆっくりと頷いた。
「4年前のあの日。僕は今でもよく覚えているよ。あの日は、雨だった。ぼろぼろのアパートで、僕は母親が帰ってくるのを待っていた」
崇史は優の母親の顔を思い浮かべていた。何度か見たことがある。
少し太めの体躯で、どこかぎらぎらした目をしていた中年女性。
あんな意地悪そうなオバサンから優みたいのが産まれてくるんだな、と何度も思ったものだった。優本人に直接そんなことを言ったことは、1度もなかったが。
優は続けた。
「でも、帰ってこなかった。気がつけば朝になっていて、周りには親戚のおばさんやおじさんがたくさんいて。『可哀想にね』って何度も言われたよ。そのとき僕はなんとなく理解した。もう、お母さんは帰ってこないんだって」
「帰ってこない? 何言ってるんだよ。お前の母親は今も元気で・・・」
言いかけた崇史に、優は少し寂しそうに笑いかけた。
「あの人は、本当の母親ではないんだ」
あの人。
優は今確かに、そう言った。
赤の他人だと、拒絶するような言い方で、そう言った。
「交通事故だって言われた。犯人が捕まったのかとか、そういうことは誰も教えてくれなかった。あのときは僕も混乱していたからね。犯人がどうとか、そんなこと考える余裕もなかったよ。
それから、僕は今の家に引き取られたんだ。『如月』の家に」
「『如月』の家?」
「僕が生まれたとき、僕の名前は松川優だった。僕が7歳のとき、僕の名前は香野優になった。そして母親が死んで、僕は如月優になった」
「どういう、ことだ?」
「僕が7歳のとき、両親が離婚したんだ。僕は母に引き取られて、そのときに苗字が変わった。そして母が死んだあと、僕は遠い親戚の家に引き取られたんだ。それが今の、『如月』の家」
松川優から香野優になり、そして如月優になった。
自分の名が変わるたび、彼は何を思ったのか。
「母は僕を引き取ったあと、必死に働いて、女手一つで僕を育ててきてくれた。生活は苦しかったけど、いつも僕に優しく接してくれていた。でも、突然母は死んでしまった。あの4人に、轢き殺されて」
「それじゃあ、あの4人が轢き殺してしまったっていう女の人って・・・」
「僕の母だよ。名前は香野明子。職場から家に帰る途中で、その事故に遭ったんだ」
「だからあの4人に、復讐をしようと考えたのか?」
優は躊躇うように視線を泳がせたあと、口を開く。
「あの交通事故を引き起こしたのが誰なのか、ずっと調べてたんだ。警察は頼りにならない。それくらい分かっていたから、全部自分1人で調べた。そして、とうとう突き止めたんだ。あの4人のことを。それを知ったとき、僕はどうしても許せなくなって、あの4人を殺そうと考えた。中学2年の、秋ごろのことだよ」
「中2のとき?」
「うん。そのときにも1度、あの4人を殺そうと考えたんだ。でも、出来なかった。殺人犯になるのが怖かったのか、僕の中のわずかな理性が押しとどめたのか。どちらにしろ、そのときの僕は、4人を殺せなかった」
そのときの、というところを優は強調した。
今の自分は殺人犯であると、自覚しているからなのだろう。
「そのあとは、普通の生活を送ろうと努力したよ。あの4人のことは忘れて、普通の学生としての日常を送ろうと努力した。でも家に帰るたび、思い出してしまうんだ。母が帰ってくると信じていた、あの雨の日のことを」
崇史はふと、あの意地の悪そうな中年女性の顔を思い浮かべた。
家に帰るたび思い出してしまう、とそう言った優の顔は心底今の家庭を嫌がっているように見えた。
本当の母がいないから。だからそんなに嫌がるのだろうか?
崇史がそういうと、優は少し笑った。
「・・・鋭いね、崇史は」
優はそれだけしか言わなかったが、何かがあったのだと連想させるには十分だった。如月家の家庭環境は、決して良好ではなかったのだ。
そういえば、あの家には優より3つ年上の浪人生がいたはずだ。如月夫婦の実子なのだろう。
頭の出来は優の方が遥かに上だと思われる。
自分の息子より、遠い親戚の子供のほうが優れているなんて、如月家の人間にしてみれば面白くなかったに違いない。これもただの推測に過ぎないのだけれど。
そんな家庭環境の中で、優は次第に追い詰められていった。そういうことなのか?
優は、話を続けた。
「そして今回、僕は彩音にスキーに誘われた。そのときはまだ、何も知らなかったし、誰かを殺す気もなかった。でもいざこの場所に来てみればそこにはあの4人がいた」
「・・・偶然、だったのか?」
「うん。本当にこれは、偶然だったんだ。僕はあの4人のことをさり気なく観察してた。苗字が変わってたから、僕が自分たちが轢き殺した女の息子だとは、誰も気がついてなかったみたいだったよ。4人を見ているうち、僕の中でまた憎しみが広がっていった。殺してやりたいほど憎いと、そう思った」
優はいったん言葉を切り、更に続けた。
「そしてあの晩、僕はついに清城さんを殺した。準備も何もなくてあせっていたから、清城さんにとどめをさせなかったんだね」
「だからダイイングメッセージを残せたのか」
「それから僕は合鍵の束を盗み出して、須賀さんと柏崎さんの部屋に忍び込み、毒を仕込んだんだ」
「待って」
そこで今まで黙って聞いていたことりが口を挟んだ。
「ここにあの4人がいたのが偶然だったのなら、あなたはどうして毒薬や睡眠薬を持っていたの? 普通そんなもの持ち歩かないじゃない」
「・・・・睡眠薬は、眠るときいつも飲んでいるんです。あれ無しじゃ、眠れないので。毒薬もいつも持ち歩いていました。何万円も使って、やっと手に入れたものです」
「何でそんなものをいつも持ち歩いていたの?」
「・・・死ぬため、だと思います」
ことりが、はっと息を呑んだ。
それは崇史も同じだった。
「僕が『如月』の家に引き取れてすぐのころは、何度も死にたいと思いました。でも、どう死ねばいいか分からなかったんです。だから毒薬を手に入れて、それを飲めば死ねると思って、買ったんです。『如月』の家にきてから、1ヶ月も経たないころのことでした。でもそれを飲む前に、僕は思いとどまった。その毒薬をまだ持ち歩いているのは、癖みたいなものですね」
そしてそれが、この殺人で使われることとなった。
「今思えば、そのとき飲んで、死んでおけばよかったのかもしれませんけどね」
独り言のように、優が呟いた。
「ごめんね・・・」
沈黙が流れていた空間に、不意に彩音の声が響いた。。
泣きながら、彩音は優に謝っていた。
「ごめんね。気づいてあげられなくて、ごめんね。あたしたち、友達だったのに、あたし、何も知らなかったんだね。あたし、何も知らなくて・・・・ごめんね。あたし・・・あたし・・」
彩音は泣きじゃくり、それ以上は言葉に出来ないようだった。
痛々しい泣き声をあげる彩音に、優は微笑んだ。
「彩音が謝る必要なんてないよ。道を踏み外したのは僕自身で、それを願ったのも僕自身なんだから。彩音は何も悪くない。
それにね、僕は彩音と崇史には、とても感謝しているんだよ。何度も命を救われた」
「え?」
「さっき言ったよね。1度毒薬を飲んで自殺しようとしたって。そしてそれを思いとどまったって。それはね、彩音と崇史のおかげなんだよ。どうしようもなく辛くて、死んでしまおうと持っていたとき、2人は僕の友達になってくれた。僕なんかの友達になってくれた。それが凄く嬉しくて、救われて・・・僕は、自殺を思いとどまったんだ」
彩音は泣いたまま、優の顔をじっと見ていた。
「辛いときはいつだって、2人の笑顔に励まされた。2人が僕に元気をくれた。なのに僕は、それに報いることが出来ずに、結果がこれだよ。くだらない復讐心に踊らされて、自滅の道を進んだのは僕自身なんだ。そんなこと、誰も望んでいないってわかっていたのに・・・」
優の目から、一筋の涙か流れていた。
涙を流しながら、優は笑っていた。その笑顔はどこまでも悲しそうだった。
何か言葉にして、優に伝えなければ、とそう思った。
自分の気持ちを伝えなければ、絶対に後悔する。なんとなくそんな気がした。
崇史は、口を開いた。自分の想いを、言葉にするために。
「優。俺は・・・俺は、お前のこと、今でも親友だと思ってるから。たとえ殺人犯でも、お前は俺の大事な親友だから。その気持ちはいつまでも変わらない。だから俺、待ってるよ。何十年でも、何百年でも。またお前と会えるのを、ずっと待ってる」
彩音も泣きながら何度も頷いた。
「あたしも! あたしも、ずっと、待ってるから。ずっと・・・ずっと・・・」
そこから先は嗚咽になっていた。
優は驚いたように、2人を見比べていたが―――やがて、また笑顔になった。
その笑顔は優しげな、いつもの優の微笑だった。
気がつけば、崇史の目からも、涙があふれるように流れていた。