第8章:動機
その日はドアを叩く音で起こされた。
ドンドン、ドンドンと荒々しい音が聞こえてくる。
昨日あまり眠れなかっただけに今日はぐっすりと眠っていたのだが、時計を見るとまだ8時前だった。
「はいはい。誰っすか?」
いきなり起こされて不機嫌になりながらも、緒方崇史はとりあえず声をかけた。
「あたしよあたし! 崇史! 早く来て!」
ドアの外から聞こえてきたのは幼馴染の麻島彩音の声。
崇史は欠伸をかきながら鍵を開けて、ドアノブに手をかけた。
そのままドアを開くと、そこにいたのはやはり彩音だった。ただ、彼女の瞳は、少し涙ぐんでいた。
「ど、どうしたんだよ?」
戸惑いながら聞く崇史の腕を、彩音は無言で引っ張った。
彩音に手を引かれながら、崇史はまた嫌な予感を感じていた。
「多分、毒にやられたんだな」
柏崎健介が呟いた。
誰もそれに答えなかったが、心の中では賛同していただろう。
目の前に転がっている須賀美咲の死体の顔は紫色に変色しており、近くには割れたガラス製のコップが転がっている。
最初に美咲の死体を発見したのは深森ことりだった。
朝食の準備ができたので、他のものを順々に起こしにいったことりが、ドアをノックしても返事がないことに不信感を感じ、大広間にいた者たちにそれを報告したのだ。そしてそのときおきていた人間、ことり、優、比呂の3人でドアを破って中に入ってみたところ、美咲の死体を発見した、というわけだ。
「これに毒が入っていたんだな」
春日部比呂はそう言って机の上においてある酔い止めの薬に目をやった。
確かに、状況としては酔い止めを飲んだ美咲が、それに仕込まれていた毒によって死んでしまったと考えるのが自然だろう。
「ひ・・・・ひぃぃぃぃぃぃ!」
崇史の隣に立っていた男が一歩後ろへと下がった。全身ががくがく震えている。
顔を真っ青にして怯えたような顔をしている落合英明はそのまま「ひぃぃぃぃぃ!」と奇声を発しながら今いる美咲の部屋を出て行ってしまった。
「次に殺されるの、あいつかもな」
汚いようなものを見るような目で、比呂が呟く。
崇史は自己紹介のときも比呂が英明に同じような視線を送っていたことを思い出した。
そして比呂のその視線は、ゆっくりともう1人の人物へと向けられた。
美咲の死体をじっと観察していた、柏崎健介に。
健介は、そう、何かに取り憑かれたかのように黙々と美咲の死体を調べている。
そういえば明澄が殺されたときも、真っ先にあのダイイングメッセージを発見したのは健介だったはずだ。
「け・・・・健介?」
異様な雰囲気に耐え切れなくなったことりが声を出した。
健介は答えない。
ただ目をぎらつかせながら、美咲の死体のあらゆるところを調べていた。
ついに精神的に限界を迎えたらしいことりは、そのまま無言で走り去って行ってしまった。
「・・・崇史。もう、帰らない?」
少し青ざめた顔で如月優が崇史に言った。優にはこの異常な雰囲気は耐えづらいものがあるのだろう。
「ああ、そうだな。でも、その前にある人にあることを聞いておきたいんだ」
「え?」
驚いたような顔で、優が声を上げた。
崇史はそのままゆっくりと1人の人物に近づいて行く。春日部比呂のもとへ。
「春日部さん。ちょっと話いいっすか?」
いきなり声をかけられた比呂は少し警戒したような様子を見せた。
「心配しなくても、2人で、とは言いませんよ。優と彩音も一緒にってことでどうですか? それなら心配ないでしょ?」
「・・・・何の話なんだ?」
「今回の事件の、動機についてですよ」
比呂は目を見開いた。
「春日部さんは検討ついてるんじゃないですか? 今回の事件の動機も、次に殺されそうなのはだれなのかも」
「・・・・・・」
比呂はしばらくの間黙っていた。
まだそこに残っていた者全員の視線が崇史と比呂2人に注がれた。健介でさえ、美咲の死体を調べることを中断して2人を見ていた。
「・・・・余計なこと言って犯人に恨まれるのはごめんだから、詳しいことは言えない。でも、これだけは確かだ」
比呂は冷たい視線を健介に向ける。
「明澄と美咲、それからこいつと英明はクズだった。本物のクズ野郎どもだ。最低のやつらだよ」
吐き捨てるようにそう言ったあと、比呂はそのまま美咲の部屋を出ていった。
先ほどまであんなに熱心に美咲の死体を調べていた健介も、崇史たちから注がれる視線に耐え切れなくなったのか、足早に部屋を出て行ってしまった。
去り際に「俺は死なねぇぞ」と呟いていたのを、崇史ははっきりと聞いた。
そしてその部屋には崇史と彩音と優、それから美咲の死体だけが残された。
「おい」
突然横から聞こえた声に、崇史は思わず声を上げそうになった。
そうだった。完全に忘れていた。部屋にはまだ、崇史たち以外にもう1人に残っていたのだ。
崇史が視線を向けると、そこには壁にもたれかかりながらこちらを見る、小宮悠紀の姿があった。
その数分後、崇史たち3人は、悠紀の部屋へと来ていた。
「本当に教えてくれるんですか? 清城さんたちが殺された動機について!」
彩音が身を乗り出して聞いた。
悠紀はゆっくりと頷いた。
「これから言うことが必ずしも動機だとは言い切れない。でも、俺は間違いなくこれが動機だと思う」
「詳しく教えてください」
崇史の言葉に、悠紀は再度頷いた。
そして話し始める。4年も前に起きた、ある「事件」について。
「あれは今から4年ほど前のことだ。あの日は高校の同窓会があって、ここにいるメンバーは全員その会に出席した。その帰り道、明澄と美咲と健介と英明の4人は同じ車に乗って帰っていた。英明の車だったらしいな。どうせ親に買ってもらった高級車だろう」
悠紀はふんと鼻をならした。
「あの日はみんなかなりの量の酒を飲んでいた。あの4人も例外じゃない。みんな酔っ払いながら、英明の車を運転していたのさ。飲酒運転だ。あいつらも久々に高校時代の仲間に会って気持ちが浮ついていたんだろう。・・・そしてあの事件がおきた」
「・・・・誰かを轢き殺してしまった、ということですか?」
優の言葉に、悠紀は首肯した。
よくある事件だ、と崇史は思う。悲しいことだけれど、よくある事件。
「あの4人は1人の女を殺してしまった。自分たちの不注意でな。そのあと4人はどんな行動をとったと思う?」
「そのまま逃げちゃったんですか?」
悠紀はふう、と小さく息をついた。
「それだけじゃない。あいつらはあの事件をもみ消したんだ」
「もみ消した?」
「ああ。英明の父親は大病院の院長だ。政治の世界にもつながっているらしい。4人は英明の親に頼み込んで警察に圧力をかけ、結局もみ消してしまったんだ」
「・・・・ひどい」
彩音が呟く。崇史も同感だった。
「・・・・なぜ、僕たちに教えてくれたんですか? 春日部さんは口を閉ざしてましたけど」
優の問いに、悠紀はふっと笑みを浮かべた。
「殺される心配がないからさ。比呂は相当警戒していたみたいだが、俺は自分自身に危害が及ぶ恐れはないと思っている。犯人が殺すべきはあの4人だけだ。俺が殺される道理はない」
「でも、俺たちに変なこといったって犯人にばれたら、小宮さんにも危険が及ぶかもしれないっすよ?」
「いや、そもそもこの話はかなり広まっているからな。俺たちじゃなくても高校の同級生なら知っているやつも多いはずだ。そんな話を部外者に少し話したところで、犯人は見向きもしないさ」
「たくさんに人が知ってるってことは、これ、噂かなんかじゃないんですか?」
「噂じゃない。あいつらは自分から語っていたよ。あの事件について」
「自分から?」
「ああ。楽しげにな。危ないところだった、とか英明がいてよかった、とかな。笑いながらあいつらは言っていたんだ。まるで何かのゲームをした後のようにな」
「そんな・・・・そんなの・・・・酷すぎる・・・」
彩音は手で顔を覆って声を漏らした。
崇史にも今なら理解できた。比呂のあの視線の意味が。
「・・・・俺としたことが喋りすぎたな。俺は本来饒舌な性質なんだ。興味ないことには何も言わないけどな」
悠紀は「もう帰れ」と言った。
崇史たちは素直にその指示に従い、立ち上がる。
「貴重なお話を、ありがとうございました」
律儀に頭を下げて礼を言う優に、悠紀は軽く笑った。
崇史は、また嫌な予感を感じはじめていた。