妻。
短編。
世間がハロウィンだなんだと騒いでいる頃。私は自室で一人、眼帯の縁に手をやりながら陰鬱な気分でソファに腰を沈めていた。
目の前のテーブルには蓋の閉まった瓶が置いてある。長年放置されたものらしく、本当にこれは透明なのか疑わしいほど汚れていた。蓋も同様だったが、こちらは一度開封を試みた際に付いた跡のおかげで多少綺麗になっている。
「……さて、こいつをどうしたもんか」
興味本位で持ち帰ったはいいが、こんなものを何故あそこから持ち帰ったのか、自分でも定かでない。言ってしまえばなんとなくであるが、そうではない理由が自分にあるような気がして、まさにそれにより男は頭を悩ませているのである。
妻が亡くなったのは一昨日、この時期にしてはいやに蒸し暑い日だった。私が通常通りの時刻に帰宅すると、妻は玄関を開けた直ぐそこで事切れ、横たわっていた。階段から、落ちたようだった。
警察は事件性が無いとした為、その日の内に葬儀社と遠方にいる妻の親類に連絡を入れ、翌日の葬儀が終わるまでを私は無心で過ごした。
妻の葬儀を終えて帰宅した私は、まず家の掃除を行った。妻の痕跡を消し去りたかったのである。
夫婦の寝室とは別にある、妻が専ら仕事に用いる部屋を検めていた時、文机にある錠前のついた引き出しが気になった。鍵はやはりかかっていたが、視線を少し上に移した先にあるペン立てに、目的のものが見つかった。
鍵を開けると、中には数枚のまっさらな便箋と、くしゃくしゃに丸められた紙きれ、そして可愛らしい封緘シールの貼られた茶封筒が入っていた。
(やはり……)
茶封筒の中身を検めようとして宛名を見ると、そこには予想していた名前とは違い、私の名前があった。困惑しながら中の便箋を見てみると、そこには
【うちの蔵も調べてね。】
男は翌日、昨日も訪れた妻の実家を訪った。生前彼女と約束していたと言うと、元義父母は快く探索を承知し、蔵への地図も書いてくれた。
10分も歩くと、件の蔵が見えてきた。誰が見ても一目でそうと分かる見た目をしていて、壁面には蔦が這い回り、上部の明かり取りには蜘蛛の巣が張っている。
扉まで近寄ると、私は自身の浅慮を後悔した。鍵がかかっているのである。
いかにもという見た目の蔵に相応しい、いかにもといった錠前で、無理に外すのは不可能に見える。途方にくれた私は、一旦引き返して鍵を借りて戻ってこようと思ったのだが、そう考えているうち、蔵を探索しようという気持ちはもう薄れていた。
一応、帰るという挨拶だけはしておくか。私はポケットのスマートフォンを取り出した。
きぃん からん
スマートフォンを取り出した時にポケットから落ちたのか、そこにはあの、文机を解錠した鍵が落ちていた。
まさかと思った時には、役目を果たした鍵と共に錠前は音を立てて足元に転がり、目の前には重厚な石造りの引き戸が佇んでいる。
ソレがたてるであろう音を裏切らずに喧しく動く引き戸を開けると、中は存外に明るかった。明かり取りはきちんと計算されて作られていたようだ。だが、肝心の中身の方は期待外れと言っていい。とにかく、物がないのである。
唯一目に入ったのは古めかしい観音開きの収納棚で、蔵の主の如くに見える。
少なければその方が楽か。と考えた私がその収納棚を開くと、そこにもめぼしいものは無さそうだった。 ――ソレを除いて。
振ってみるとわずかに水音がすることから、中身が液体だということだけは分かる。洗剤を付けて拭いても変わらないことから、この汚れは内側に付着しているようだ。瓶の蓋にはラベルが貼ってあり、10月30日と読める。
用意したゴム手袋を嵌め、私は力任せにビンの蓋を開けようとした。だが、さほど力を入れていないにも関わらず、蓋はあっさりと開いてしまった。
メガネを外して上から覗き込んでみるも、内側の汚れと濁っているらしい液体のせいで中身は未だ判別出来ない。
思い切って私はジャムを作るのに使っている瓶とステンレスのザルを用意し、中身を移すことにした。
そうしてジャムの瓶に移されたのは、鼻にツンとくる酸っぱい匂いの液体。そして、ザルの上に残されたのは
――眼球だった。
得心した私はソレを水で洗い、口に含んでゆっくりと咀嚼する。
液体のせいかひどい臭いだが、味自体は結構悪くない。
嚥下し終えた私はカーテンを開け、眼帯を取って遠くの住宅街に目を向ける。景色に心躍ったのは数瞬のことで、直ぐに飽きてカーテンを元に戻した後、一昨日アレを流したばかりのシンクは避けてトイレにジャム瓶の中身を流し、久々の感触に目を擦りながら風呂場へ向かう。
入浴を終え、寝支度を済ませてベッドに入ったのだが、どうにも1つ気になることがある。
ラベルの日付は来年のものだったが、果たして大丈夫だろうか?