第七話 静けさの裏で、音楽が悲鳴に変わるとき
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「一体、何が起きているんだ…?」
コウタは俯き、目は虚ろに揺れ、声は震えていた。
昨夜の出来事が胸に張り付いたまま、まだ消えない。
「この村って…本当にいろんな“異様”があるんだ…」
彼は今度はもっと小さな声で、まるで自分自身に語りかけるようにつぶやいた。
湿気を帯びた地下室に揺れるランプの灯り。
大地の匂いが濃く漂う空間。
揺れる影が壁に絡みつく。
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「昔はな…」
叔父が静かに口を開いた。
「毎年夏休みには、コウタがお前の家に来てくれていたんだ。でも、2年前──お前が来なかった年、正直、ほっとしたんだ。理由もなくな。」
コウタは叔父と叔母を見つめる。
隣のハクボも無言で、顔色がまだ蒼白だった。
「その夏の祭りの夜から──2年前から、すべてが狂った。村も役所も、夏祭りも灯篭流しも全部中止にした。でも…そのあと、異変が始まった。ここだけじゃない。隣村まで、同じような話が上がったんだ。」
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「それから…奇妙な“何か”が家の中まで侵入するようになった」
叔父は小さく息を呑んだ。
「だから村人たちは、近隣の村と協力して、自宅に地下部屋を作ったんだ。」
「祭りの日、あの“ガムラン”の音が聞こえたら──もう、隠れるしかなかった」
叔母が続けた。
「地下が…唯一の、一時の“安全地帯”だったの。」
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「…待って」
ハクボが口を挟んだ。
「2年前?それって…橋から子供が落ちた事件と関係が…?」
叔父はゆっくりと頷いたが、すぐには言葉を継がなかった。
「確証はないが…その前からその橋は、悲鳴と静けさを繰り返す場所だった。大人まで、自ら命を絶つ人が増えていた。まるで──呼ばれているように。」
叔母が声を潜め、震える声で続けた。
「祭りがなくなったら、呪いが解けると思っていた。でも…逆だったわ。人は消え、朝には戻ってくる。でも無言で。夜は不穏になり、どこだか分からないガムランが鳴り響き、子供たちの笑い声が闇に響いたの…それに…」
彼女は手に力を込め、ロングスカートを握り締めた。
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「じゃあ…祭りを元に戻せばいいんじゃないか!? 音楽も灯篭も、昔のままに!」
ハクボは目を丸くし、叫んだ。
叔父は眉を寄せ、重い声で答えた。
「そんなに簡単じゃないんだ。我々も密かに小さな“再現祭礼”を開催したことがある。」
彼は深く息を吐いた。
「だが…ガムランが鳴る前に、楽器は鳴り始めていた。人々は憑かれ、海に消え、踊り倒れ…そして、また倒れた。」
叔母が低く続けた。
「まるで、誰かが怒っているようだった。私たちが“正しくない祭り”をしたから──。」
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静寂。
そして…
トク…トク…トク…
天井から、しずくが落ちる音が繰り返された。
彼らは一斉に振り向く。
「今…何の音だ?」コウタが震える声でつぶやいた。
叔父がランプを掲げ、湿った天井を照らす。
小さな水滴が、床にぽたぽたと落ち、じっとりとした水たまりを作っていた。
「古い配管がほんの少し…漏れているだけだ」
彼は早口で言い、その声はどこか焦っていた。
ハクボはコウタを見つめ、二人は一致して…これはただの水漏れではないと感じた。
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時がゆっくりと流れ…
そして改めて静かになった。
遠くに響いていたガムランも、今は完全に消えていた。
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「…大丈夫だと思う」
コウタの父が、小声でそう言った。
叔父が慎重に地下の扉を開け、一歩一歩階段を登る。
「少し様子を見よう…安心できるか確認しよう」と彼の声は緊張を孕んでいた。
木の階段を一人ずつ上がり、やがて皆で地下から出た。
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家の中…人の気配はなく、ひんやりした夜風だけが漂う。
コウタはカーテンの隙間から外を覗いた。
家々は暗く、窓もしっかり閉ざされている。
静寂が訪れた──だが、それは“死”のように重かった。
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しかし──
「ウワァァァァァァァァァ!!!」
「クラァァァァァァァァァ!!!」
叫び声が闇を裂き、空気を吹き飛ばした。
恐怖と苦痛に満ちた絶叫が村にこだました。
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人々は突然飛び起き、家の扉が一斉に開いた。
部屋に閉じこもっていた者たちも、慌てて外へ飛び出した。
コウタとその家族も急いで出た。
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月明かりに照らされた細い村道。そこで彼らが見たのは──
地面に転げ回る男が、一心不乱に苦しんでいる。
彼の叫びは肉体から引き裂かれたようだった。
二メートルほど離れた場所では、
女が膝をつき、身を震わせながら、涙声で誰かを呼んでいた。
「ア…あなた…!」彼女の目には恐怖と絶望が滲んでいた。
手は空中で小刻みに震え、進むかとどまるか迷っている。
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「おい!憑かれてるぞ…!!」と青年が叫んだ。
村人たちは混乱しながら取り囲んだが、
老人がゆっくり腕を上げ、声を張った。
「下がれ!邪気には近づくな!場所をあけろ!」
人々は距離を取って円を作る。
中央で苦しむ男はまだ体をよじり、床を掴んでは離すを繰り返している。
そして…
急に静寂が襲った。
男はぱたりと止まり、そのまま意識を失った。
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「終わったようだ…」
老人は疲れた声でつぶやいた。
「さあ、家に運んで手当てを急ごう」
若者たちが囁き合いながら男を担ぎ上げた。
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だが──心の奥は騒ぎ続けていた。
夜風の冷たさに暖かさはなく、
月は隠れていくように鈍い。
静か…だが、その静寂は重く、硬質だった。
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「本当は…いったい、何が起きている?」
コウタの声は囁き声だが、村人全員に届いた。
その声に応えるのはごく短い沈黙。
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ハクボはそっとコウタの腕を握った。だが言葉はない。
老人の額には汗がにじんでいた。
そして、誰も…目を合わせず、ただ俯いた。
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彼らの胸にある恐怖が、
すでに声にならない叫びになっていた。
この村は…ただの“幽霊騒ぎ”ではない。
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ご閲覧いただき、ありがとうございました。
『沈みゆく太鼓。音なき夏。』の一部をお届けしました。
次回のエピソードでまたお会いしましょう。
もし、真夜中にガムランの音が聞こえてきたなら──
絶対に窓を開けてはいけません。
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