第六話 追いかけてくる夏の音
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コウタは固まり、息が止まりそうだった。
「あ…あれは…いったい…?」
その声はかすれ、ほとんど聞き取れない。喉がカラカラに渇き、両膝がふるえる。
隣のハクボは固まったまま、顔色は蒼白。言葉を失い、体が小刻みに震え、ただ唾を呑み込むしかできなかった。
あの人形の影は…微動だにしない。
しかしその後ろに漂う沈黙は…まるで拷問のように圧迫感を放っていた。
その刹那—
人形の口元が動いた。
歪んだ笑みが、さらに大きく広がった。
「カ…はは…」
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「うわああああああああああああっ!!」
二人の叫び声が同時に部屋を突き破った。
本能的なパニック。生々しい恐怖の悲鳴。
彼らは慌てて部屋を飛び出し、息も絶え絶えに走った。
古びた木の床に足音が響き、背後を振り向けば――ゆっくり開く扉の奥に、黒い影が一瞬だけ揺れた。
そこに何かが…こちらを見ている。
「ひぃぃぃぃ!!な、なにあれ!?」ハクボが絶叫する。
突然、廊下の端の障子が激しく開いた。
ばしゃんっ!!
そこに立っていたのは伯母だった。
「いたのね!ここにいたのね!」と安心の声を上げるが、表情はひきつっている。
「おば…!」とコウタは涙声になる。
「早く!こっちよ!」
伯母はコウタの腕を引き、三人は細い廊下を駆け出した。高い窓から差し込む月の光だけが道を照らす。
どこか遠くから、夏祭りのガムランの音色が微かに――
どん…てん…どん…
「その音…!」ハクボは震え声で泣き出す。「どんどん近づいてる!」
「来てるわ!早く!!」
廊下の突き当たりには、コウタの父と母、そして伯父が床の板を外して待っていた。
床下へと続く隠し扉。
「飛び込め!!」と伯父が叫ぶ。
一人ずつ飛び込む。コウタが最後に飛ぶ前、振り返ると――
廊下の先から黒い水のような“何か”が這い出してきていた。まるで顔を持った水の塊。
目は黒く、表情は歪んだ笑顔。それでも形は液体のようで、ポタポタと床に跡を残していた。
「コウターー!!」母の声が響く。
心臓が爆発しそうな恐怖の中、コウタは飛び込んだ。
ドンッ!!
扉が閉まり、内側から固く閉ざされる。
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静寂。
…
…
彼らは地下室の隅で膝を抱えて震えていた。息は荒く、胸が上下し続けている。
呼吸音だけが静けさを裂いていた。鼓動よりも重く。
…
…
「カ…ケ…」
「カ…」
パシャアッ!!
水が弾けるような音。まるで誰かの頭が砕けたかのように…
その音を最後に、すべてが消えた。
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夜は再び静けさを取り戻す。だが、水の流れだけは…止まらなかった。
彼らは誰一人声を出せず、地下で震えていた。
あの夏祭りは――まだ終わっていない。
そして、“彼ら”は…まだ、何かを“求めている”。
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お読みいただきありがとうございました。
『沈んだ太鼓 ― 声なき夏』の一幕でした。
次回のエピソードでまたお会いしましょう。
もし、真夜中にガムランの音が聞こえてきたら――
そのときは、決して窓を開けてはいけません。
ブックマークと評価が、物語を続ける力になります。
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