第三話 静かな家と、遠くからの音
「静けさ」は、時に耳を塞ぐよりも恐ろしい。
その家には音がなかった。ただ、それだけのはずだった。
けれど、夜になればわかる。沈黙は、時に何かの“兆し”になることを——。
---
彼らの乗っていた車が止まり、目的地に着いたことを知らせる。
その古びた木造の家は、まるで時を拒むかのように、村の中心に静かに佇んでいた。
引き戸を開けた途端、古い木材の湿った匂いが、まるで長い間閉じ込められていた吐息のように鼻をついた。
「お邪魔します……」
コウタは玄関の前で靴を脱ぎ、中に入った。
和風の広い居間が彼を出迎えた。高い天井に、滑らかな板張りの床。穏やかさを感じさせる空間――のはずだった。
だが、何かがおかしい。
空っぽだからでもなく、寒いからでもない。
ただ、あまりにも……静かすぎるのだ。
床の軋む音、扇風機のうなり、時計の針の音さえも、
まるで空気に吸い込まれたかのように感じられない。
「ふぅ〜、田舎の家って、本当に落ち着くな〜!」
ハクボウが気楽にサンダルを蹴り飛ばしながら言った。
「……静かすぎるだろ」
「それが一番なんだよ。車の音もしないし、人の叫び声もない。東京じゃ、こんな静けさは味わえないよ。」
コウタはうなずいたが、心は落ち着かない。
この静けさは……安らぎではない。
空虚だ。
空っぽで、何かを吸い取るような静寂。
そのとき、台所の方から女性の声が聞こえた。
「いらっしゃ〜い! 遠いところからありがとうね〜!」
「お久しぶりです」と、コウタの母が土産を差し出しながら答える。
「ちょっと待っててね、今お部屋を掃除してるから。」
彼らは居間の端に座り、冷たい麦茶を出された。
氷がグラスの中で小さくぶつかる音が響く。
その音さえも、どこか遠く感じた。
「なあ」と、コウタは父親に尋ねた。
「昔はこの家、もっと賑やかだったよな?」
「ああ」
父は障子の向こうの夕日を見つめながら答える。
「子どもたちもたくさんいてな。隣近所もよく集まって、夏になると祭りの太鼓の音がここまで聞こえてきたもんだ。」
「今は……?」
父は少し黙ってから、静かに口を開いた。
「……今は、どんどん人がいなくなっていく。」
「えっ?」
「“あの出来事”があってから……」
それ以上は語らなかった。
その瞬間、空気が凍りつくような沈黙が流れる。
時間さえも止まったかのように感じられた。
そのとき――
「お部屋、できたよ〜!」
と、奥の廊下から叔母の声が響く。
会話はそこで途切れた。
だが、“出来事”という言葉は、コウタの胸の奥に棘のように残ったままだった。
---
夜が訪れた。
夕食を終え、歯を磨いた後、コウタとハクボウは2階の客間へと向かった。
コウタは布団に横になり、天井の木目を見つめる。
「やっぱり、静かすぎるよな……」
「またそれか。気にしすぎだって。布団ふかふかだし、空気もうまい。最高だろ。」
だがコウタには眠れなかった。
この静けさは安らぎではない。
まるで、音そのものが押し潰されているような……重圧。
目を閉じた――その瞬間。
トッ……トッ……
小さな音。
静かで、一定のリズム。
誰かが、ゆっくりと廊下を歩いているような……。
「なあ、今、何か聞こえなかったか?」
「ん? 何も聞こえなかったけど。何?」
「足音……下の方から。」
ハクボウは毛布を引き寄せただけで、気にする様子はない。
「どうせ叔母さんだろ。」
コウタは黙ったまま、耳を澄ませる。
だが、もう何も聞こえない。
……ただ、首筋に冷たい感覚。
風じゃない。
まるで、誰かの吐息のような――
とても近くて、生々しい気配。
ゆっくりと頭を動かして窓の方を見る。
そこには、何もなかった。
……でも、心臓の鼓動は、どんどん速くなる。
コウタは布団を首まで引き上げた。
そしてようやく――緊張を抱えたまま、眠りについた。
---
障子の向こう。
縁側に沿って、ひとつの影がゆっくりと横切った。
誰にも見られることなく。
何の音も立てず。
本来、乾いているはずの床板には――
小さな水の跡が残っていた。
ポタ……ポタ……
二、三滴の水がこぼれるように。
それは地面に落ちる前に、ふっと消えた。
そして、家の中には再び――
完璧すぎる沈黙が戻ってきた。
---
ご覧いただきありがとうございました。
「音が消える家」、それはただ静かなだけではありませんでした。
次回、夜が深くなるほど、“それ”は近づいてきます。
よろしければ感想・評価・ブクマ、励みになります……。