第二十五話「雨音に紛れる悲鳴」
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村の大きな集会所は、準備の喧騒のただ中に堂々とそびえていた。
外にいるだけで、すでに賑やかな声が響き渡る——叫び、指示、そして楽器の音が入り混じった音の洪水。
裏庭の広い空間では、少女たちが夏祭りの舞を練習していた。浴衣の袖が風にひらめき、手の動きは優雅でありながら力強い。舞踏部の指導者、天野恵子は鋭い眼差しで一人ひとりの動きを見つめ、細やかな指導を与えていく。
「腕を固くしないで……流れを感じなさい」
澄んだ声が、伴奏の三味線の音色と重なって響いた。
一方、集会所の中では歌声の練習が響き渡っていた。声の上下はまるで波のうねりのように広がる。歌唱部の指導者、橘涼は真剣な表情で立ち、右手に持った小さな指揮棒を振りながらテンポを刻む。
「もっと深く吸って! 迷わず声を出せ! 君たちの声が祭りの魂だ!」
その一方で、長い机の上には巻物や小さな地図が散らばり、村の重鎮たちが集まり協議をしていた。白月さん、黒沢源司、浩太の叔父・正樹、浩太の父、隣村の村長、そして長老たち。星野美夜子が水灯籠の準備数を報告したばかりだ。
彼女の声は落ち着いていたが、一言一言が重く響く。
「計画通りに灯籠を用意しました。しかし……今夜はただ川の流れと戦うのではありません。伝説そのものと戦うのです」
部屋は一瞬で静まり返った。誰も応じなかった——その言葉が比喩ではないと、全員が理解していたからだ。
集会所の東側にある大きな台所からは、炒め物と出汁の香りが漂ってくる。
料理部は中村翔平が率いていた。大柄で声は大きいが、心は温厚な男だ。彼の指示のもと、何十人もの村人が米を炊き、野菜を切り、祭りのための料理を準備している。
「急げ、味噌汁を止めずにかき混ぜろ! 祭りは腹が減ったままじゃ迎えられんぞ!」
額から汗を流しながらも笑顔を見せる彼の声は、まるで心臓の鼓動のように厨房を生かし続けていた。
そして、集会所の左手にある音楽部。
ここが最も賑やかだった。太鼓の轟音、笛の音色、三味線の弦の響き、そして笑い声が渦を巻く。音楽部の指導者、藤田昇は腰に手を当て、鋭い眼差しで博夫を睨んでいた。
「感じろ、小僧! 昇の力をその首で味わえ!」
「ハハハ! ウォオオ! イェエエエイ!」
群衆の声が爆発する。
博夫は顔を真っ赤にして腕に締め上げられ、苦悶の表情を浮かべていた。浩太はその様子を近くで眺め、口元にかすかな笑みを浮かべるだけだった。
チッ——
冷たいものが浩太の髪に落ちた。空を見上げると、雲は灰色に沈んでいた。彼は右手を差し伸べ、掌を広げる。
「……雨?」小さく呟く。
合図のように、楽器の音が止む。
「おい、空が……変わったぞ」
「本当だ……雨になるのか?」
不安げな声が響く。
岡部順は昇を見つめた。隣にいた陽人が短くうなずく。
「全員、集会所に入れ!!」昇が大声で叫んだ。
ドンッ!
博夫が吹っ飛ばされ、地面に転がる。
「いってぇ!」
その隙に、人々は楽器を抱え、ある者は太鼓を二人がかりで担ぎながら、慌てふためいて駆け込む。
「急げ! 濡らすな!」
「三味線を壊すなよ!」
ドタドタドタ——泥を踏み鳴らす音が混じる。
「博夫、早く!」浩太が叫ぶ。
「分かってるってば!」博夫は悔しげに返し、二人で走る。
そして——
ザーッ。
雨が降り出した。激しく。
やがて、各部の人々が集会所に集まった。広いはずの空間は濡れた体で埋まり、狭く感じられるほどだった。荒い呼吸と湿った土の匂いが室内を満たし、張り詰めた空気が漂う。
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「警備班!」黒沢源司の声が沈黙を破った。力強く、壁に反響する。
「外に散開して、まだ外に取り残されている者を探せ! だが忘れるな——お前たち自身の命も最優先だ。全力を尽くせ!」
「はいッ!!」警備隊の声が一斉に響いた。大輔もその中にいた。
今回は自転車ではない。エンジンが唸り、タイヤが泥を切り裂き、ヘッドライトが暗闇と豪雨を突き破った。
「クソッ、この雨め! もう誰も外に残っていませんように!」大輔は唸りながらアクセルを踏み込んだ。
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しばらくして、次々とバイクが戻ってきた。
誰かを乗せている者、単独で帰る者。地域の一部が安全になった証拠だ。だが、まだ戻らぬ者もいる。大輔もその一人だった。
クソ……路面が滑る、と歯を食いしばる大輔。
その時、彼の視界に飛び込んできたのは、一人の女。背に五歳ほどの少女を負い、雨の中を必死に走ってくる。
「たすけて……」その声は雨音にかき消されそうだった。
「たすけて!!」今度ははっきり聞こえた。
「た……すけてぇ!!!」声が掠れ、悲鳴に変わる。
キィィイッ——!
大輔のバイクが急停止する。
「何をしているんだ外で!?」
「奴が……奴が襲ったの!! お願い!!」女は必死に叫んだ。
「早く乗れ!」大輔は怒鳴り、二人を引き上げる。再びエンジンが轟き、バイクは雨を切り裂く。
だが——背後に不穏な気配。
ミラーに映る影。遠く、揺らめく黒。影喰い。
大輔は顔を歪めた。少女は泣きじゃくり、母の肩に顔を埋め、小さな体を震わせていた。
やがて家に着いた。だが、扉は半開き。
屋根から滴る雨水に混じり、床下から流れ出すものがある。赤い。血。
「……そんな、まさか……」女の声が震える。
ドンッ!
扉が内側から弾け飛び、木片が散った。暗闇から姿を現したのは——醜悪な怪物。凶悪な眼光を放ちながら。
「カ……ケ……ル……」耳障りな声が響く。
「掴まれ!!」大輔が怒鳴った。
ギャアアアアン——バイクが疾走する。水しぶきが舞い、影喰いが追いかける。常識を超えた速度で。
幼い少女は泣き続ける。父が怪物に殺されたことなど知るには早すぎる。ただ恐怖に震え、母の腕にしがみついている。
影喰いは迫る。速い。速すぎる。
バイクでは逃げ切れない。
ミラーを見た大輔は、前方を睨む。
そこに見えたのは、集会所近くの小さな建物。高村大地の部屋だ。
「高村さん!! 開けてくれ!!」
バイクを停め、必死に叫ぶ。
大地はその声を聞き、重い足取りで扉を開けた。雨に濡れ、無残な姿の三人が目に飛び込む。
「どうした!?」
「説明はあとだ! 早く中へ!!」大輔が叫ぶ。
女は今度は子を胸に抱きかかえ、王子が姫を抱えるように走る。しかしその背後から——
ズルッ……何かが足を掴んだ。
「きゃああ!!!」声が途切れる。
死のような沈黙。
そして——女の背後に、恐ろしい怪物の姿が、ゆっくりと浮かび上がった。
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ここまで読んでくださりありがとうございます。
雨音にかき消される悲鳴――その正体に気づいたとき、物語はさらに深い闇へと沈んでいきます。
次回もどうぞお楽しみに!
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