第二話 海辺の村にて
朝の光がカーテンの隙間から差し込み、部屋を柔らかく照らしていた。二階の部屋では、ある少年がまだ深い眠りの中にいた。
布団はぐちゃぐちゃに丸まり、シャツはお腹のあたりまでずり上がっていて、へそが露出している。片足は布団の外に出ていて、まるで冬眠中のクマのようだった。呼吸は穏やかで、片手は顔の上に乗せられている。まるで世界から目を背けたいかのように。
枕元にある丸い目覚まし時計が静かに時を刻んでいたが、ついに—
ジリリリリリリリリリ!!!
短針は「6」、長針は「12」を指している。
コウタは小さく唸った。目をほとんど開けず、手を伸ばして目覚ましの上を適当に叩く。
目覚ましが止まる。
彼はうつろなままベッドの端に座り、無精髭のような髪を振り乱しながら、ぼんやりと時計を見つめていた。
「……ふぁぁ……」と大きくあくびを一つ。
それからノロノロと立ち上がり、腹を掻きながら階段へと向かった。
階段を下り始めると、下から台所の物音が聞こえてきた。
ジュウゥ… パチパチ……
油で何かを揚げる音。そして漂う香ばしい匂い。
食卓には父が座り、片手で新聞、もう片手でコーヒーを持っている。そしてその向かい側には—
「……うぐっ…おい白歩、本当に来たのかよ……」
「寝坊助め。遅すぎるぞ」と、ハクボがリュックを弄りながら軽く返した。
コウタは再びあくびをし、片手で口を覆いながらもう一方の手でお腹を掻いていた。
「何時に来たんだ?」
「ぴったり5時だ」
「……でしょうね」
その時、母が料理を持って現れた。味噌汁、玉子焼き、ウィンナー、ご飯の小鉢。食卓が次々と整えられていく。
父が新聞を折り畳み、箸を手に取る。
コウタとハクボも、それに倣って朝食を始める。
しばしの間、特別な会話もなく、食事と朝の風が静かに流れていた。
すると、母が口を開いた。
「ねぇ、お父さん。今月、水道代払ったっけ?」
「払ったよ? 水が出なかったのか?」
「いや、出たけどね… 最初、蛇口ひねっても全然反応なくて。なんか詰まってたのかも?」
「そうか……じゃあ帰ったら水道屋に見てもらおう」
そのまま朝食は静かに進んでいった。窓の外では蝉の声が少しずつ強まってきていた。
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庭先には白いワンボックスカーが準備されていた。荷物も全て積み終わり、家族は次々に車へと乗り込む。
父が運転席、母が助手席、後部座席にはコウタとハクボが並んで座った。
エンジンがかかると、車は静かに動き出す。タイヤが小石を踏みしめる音が小さく響いた。
「なあ、コウタ。ここからどれくらいかかる?」
「6時間くらいだと思う、ハヤカワ先生」
「け……けしからん……!」
旅の道中、コウタはやがて睡魔に勝てず、窓側に寄りかかりながらリュックを抱えて眠り込んだ。
隣ではハクボがイヤホンで音楽を聴きながら、スマホでゲームに集中していた。
時間が過ぎ、町並みは姿を消し、広がるのは田園風景と山の稜線。
バックミラー越しに父が言った。
「二人とも寝たか」
「まったく、若いねえ」と母が小さく笑った。
車が山道を抜け、古びた木の門を通り過ぎる。
「着いたよ」と母が後部座席に声をかける。
ハクボが目を細めて反応し、コウタもぼんやりと目を開けた。
車は村の入り口に入った。
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やがて車は森に囲まれた細道へと進んでいく。
「……静かすぎない?」と、コウタが呟く。
「これが田舎の良さだよ。静かで、涼しくて、平和で、落ち着くだろ?」とハクボが答える。
コウタは首を傾げながらも、納得したように頷く。
森が途切れ、視界に青い水平線が見えてきた。
「海だ……」と母がつぶやく。
全員が視線を右側へ向ける。そこには静かな海が広がっていた。波は穏やかで、風が草を優しく揺らしていた。
「ねぇ、今年は夏祭りやるのかな?」
両親は顔を見合わせた。
「ここ数年、ずっと中止だったのよ」
「今年も、どうなるか……まだ決まってないみたいだ」
「……どうして?」
「資金の問題だとか、ちょっとしたトラブルとか……まぁ、ただの噂だよ」
それを聞いたコウタは黙り込んだ。けれども、その心にはどこか、ざわつくものがあった。
波は穏やかに、空は静かに広がっていた。
しかしその静けさは…まるで、何かが“待っている”ようだった。
バシャッ……
車のタイヤが小さな水たまりを踏み、しぶきが上がった。
車が去ったあと、水面はゆっくりと静かに元に戻っていく。
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