第十六話 ささやき
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彼らは叔父の家を後にし、必要最低限の荷物だけを手に取って出発した。たとえ一時的な帰省であっても、準備は必要だ。
家の前には、すでに家族の車が用意されていた。
「本当に帰らなくていいのか、白暮?」コウタは車のドアを開けながら尋ねた。
「ここに残るよ。」白暮は短く答え、ポケットに手を入れる。
「そうか。」
やがてコウタ、父、そして母は車に乗り込んだ。三人は手を振り、車のタイヤが小石の道を鳴らしながら走り出す。あっという間に、車は視界から消えていった。
「まさか、あいつがあんなに素直に帰るなんてな……いつもはあんなに頑固なくせに。」白暮はコウタの叔父に話しかけた。「絶対あの女の子のせいだろ?」
「それが本当の理由だと思うかい?」叔父は微笑を浮かべながら答える。
「え? 違うの?」
「全く違うね。」
「じゃあ、一体何で……?」
「彼は、ある物を取りに行ったんだよ。私の父――つまり彼の祖父の遺品を。以前、私が彼に渡した物だ。」
「それだけ? コウタのやつ、最初からそう言えばいいのに。」
「フフ、彼のツンデレ具合は筋金入りだからね。」
「確かにな。ははは!」
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一方、その頃、車内では──
「コウタ、おじいちゃんの楽器、本当にちゃんと保管されてるの? 名前なんだったっけ……フェスティバル・ドラム? ゴン・リンリン?」と母が尋ねる。
「うっ……俺も、よく覚えてない……」コウタは顔をしかめながら答える。
「もう、コウちゃんは大事な物に無頓着すぎるのよ〜」母はふくれっ面をする。
「まあまあ、あとで一緒に探せばいいだろう。」父が間に入った。
車は大きな橋を渡り、メインロードを進んでいく。窓の外には広がる海。風が窓の隙間から入り込み、どこか冷たく、虚ろな感触を運んできた。なぜだろう、あの海がいつもより恐ろしく見えた。まるで、長く見つめている者を飲み込もうとするかのように。
長い旅路は数時間に及んだ。ついさっき離れたばかりの場所が、もう懐かしく感じられるほどに。
「みんな、無事でいてくれよ……」コウタは灰色の空を見上げ、そっと呟く。
疲れ果てた末に、ようやく家の姿が見えてきた。
今回は、コウタは一睡もできなかった。不安が胸の奥に塊のように溜まり、苦しかった。
壁の時計は午後三時を指していた。
「今ごろ、あちらでは準備が始まってる頃ね……」と母がぽつりと呟く。
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その頃、村では──
村の集会場には人々のざわめきが満ちていた。それぞれの役割を持って、太鼓を打つ者、笛を吹く者、神楽の舞を練習する者、そして祭りには珍しい奇妙な楽器たちの準備。
「ふぅ……やっぱ全然違うなあ。俺の地元の祭り、こんなに複雑じゃないぞ……」白暮は弦楽器の一つを試しながらぼやいた。それは、まるで演奏不能のような構造だった。
バシッ。
軽い一撃が彼の頭に落ちた。振り返ると、白月が無表情のまま立っていた。
「言ったはずだよね、白暮くん。この祭りはただの儀式じゃない。本当に重要なのは、“目的”なの。」
「アイ、センセイ!」
集会場の空気は、賑やかさと厳粛さが混ざり合っていた。子供たちは舞の稽古、大人たちは楽器を調整し、女性たちは料理を準備していた。夕暮れが太陽を飲み込み、空は銅色に染まっていく。
今夜は危険すぎて皆家に帰れない。そのため、宿泊の準備がなされた。布団が並べられ、食事が整い、男女別に寝所が分けられていた。
夕食の場は、静かで温かい。小さな笑い声、ひそひそ話、箸と器が触れ合う音だけが響く。
だが、その温もりは──長くは続かなかった。
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バンッ。
バンッ。
バンッ……
「か……け……る……」
「く……く……く……」
闇の中から這い寄るような声が聞こえる。それは人間の声ではなかった。
――奴が戻ってきた。
陰喰の一部である小さな影が、集会場の片隅に姿を現す。うねうねと這うそれは、声を探し、喰らい、沈黙をもたらす。
恐怖が悲鳴に変わる前に、白月が手を上げ、全員に「黙れ」と指示を出す。他の村人たちも動き、皆を落ち着かせ、守った。声を出してはならない。
しかし──
その時、別の音が現れた。かすかに、柔らかく、それでいてはっきりと。
それは……音楽。
誰も演奏していないはずの楽器から、旋律が流れ出す。
全員が次の襲撃かと思ったその時、事態は逆へと動き出す。
その影──陰喰の断片は、苦しみ始めた。身体を震わせ、頭を振り、唸り声を上げる。
「カアアアアアアアアッ!!」
音楽が近づくにつれ、影はどんどん弱っていく。逃げ出そうとするも、すでに手遅れだった。
叫び声が、どこからともなく響いた。
影は、煙のように──跡形もなく消え去った。
その場にいた全員が、凍りついた。
「やはり……」コウタの叔父がぽつりと呟く。「あの音は、我々を守っている。」
「ありえない……」白月はかすれ声でつぶやいた。
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声を喰らう怪物が再び現れたあの混沌の中──
私たちを救ったのは、音だった。
彼らは……本当に私たちを、守ってくれている。
またしても。
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その頃、別の場所では──
「見つけた!」コウタと父は同時に声を上げた。
彼らの手には、祖父の遺した古い楽器があった。古びた布に包まれていたが、どこか、生命を宿すような輝きを放っていた。
コウタはそれをじっと見つめる。
なぜか、心が少しだけ軽くなった気がした。
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まもなく……真実が、否応なく暴かれる。
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