有罪
人間は罪深き迷える子羊
罪の意識とは?
巷ではギルティ飯などと呼ばれる罪深い食べ物や、娯楽が溢れている
なぜ美味いものは基本、体に悪いのか
遊興にふけることは怠惰なのか
酒池肉林に溺れることは、罪なのか?
美味しいものは飲み食いしたいし
楽しく遊んで暮らしたいし、魅力的な人や快楽が好きなのは、人間皆そうだと思う
幸せに生きることは、罪なの?
結論から言うと、ギルティ、有罪
贅の限りを尽くした、昔の中国の皇帝レベルは社会的にも有罪だが
我々庶民のギルティスイーツくらいは許されるのでは?と疑問に思う皆さんの不満の声はよくわかります
チョコが切れると禁断症状がでる私なので
人として、というより
人間という生物として
人類の存続という観点で
魂VS遺伝子のバランスを崩す罪、という意味でアウト
宇宙的視点の話は何度か書いている通り
悟りの境地へと達すれば、DNAも進化する
人類のDNAの進化を妨げる、快楽的暴力的ネガティブ遺伝子の暴走をさせないように
全細胞が誘惑に負けないように
抗う心が罪の意識
心と体
理性と本能
天使と悪魔
いろんな表現があるが、それがスピリットと遺伝子のバランス
理性と本能は脳内の話ではない
理性は高次元の魂、本能が遺伝子の働き
これも前にも書いたが、脳は受信機の役目しか本来機能していない
頭と心は別々ではない
ハイヤーセルフ、高次元の自分の魂と地球の自分の魂がセットで自分
ややこしくなってきた
「中毒」「受信」などの以前の作品を参照していただくとわかりやすいかと思います
羊は羊飼いがいないと、それぞれ勝手な道へ行ってしまうらしい
彷徨える子羊
イエスキリストは良い羊飼いだったが、先導する羊飼いが善良ではなかったら?
今存在する地球上のリーダーたちは、人間をどこへ向かって導いているのか
子羊たちは導かれるままに
メディアや企業に洗脳されて、贅沢、快楽を貪る生き方が幸福と信じて疑いもしない
一時期流行した育成ゲーム
たまごっちやシーマン(知ってる?)
育て方により最終形態が変わる
人間の進化も、進む方向によって辿り着く未来は全く違うことになる
罪の意識は、魂のシグナル
危険を知らせている
羊は先導者を追って行く習性があるという
何も考えずについて行く
遺伝子の暴走のまま、罪の意識を無視して、ただ幸せになりたいと子羊たちは導かれていく
体の欲求、本能を抑えきれず、悪魔にそそのかされて…
牧草のある緑豊かな大地を夢見て、崖っぷちに向かって一直線
そんなことにならないように
安易にギルティな選択をしないように
私もスイーツ食べ過ぎに気をつけよう