影の女――王国を蝕む呪われた血
呪われた王国の消滅
かつて栄華を誇ったレグナス王国。美しく壮麗な城と、豊かな大地を持つその国は、王家の血統が代々守り続けてきた聖なる加護によって繁栄していた。
しかし、一つの誓いが破られたとき、その加護は呪いへと変わった。
王家の誓約
レグナス王国の王家には、決して破ってはならない誓約があった。
「王は、〈影の女〉を娶らず、血を混ぜぬこと」
〈影の女〉とは何か、誰も詳しくは知らなかった。ただ、伝承では、かつて王国が建国された際に、ある一族が王に呪いをかけたという。王はその呪いを避けるために、代々その血統と交わらぬことを誓ったのだ。
しかし、現王オルディス三世は知らずに誓いを破ってしまった。
彼が愛したのは、異国からやってきた美しい妃エリシア。しかし彼女こそが、〈影の女〉の末裔だったのだ。
〈影の女〉――それは王家にとって最大の禁忌とされる存在だった。
レグナス王国の建国神話によれば、かつてこの地を統べていたのは「影の一族」と呼ばれる者たちだった。彼らは闇の力を操り、大地の精霊と交わりながら生きていた。しかし、光の神を信奉する王家の祖先が彼らを討伐し、王国を築いたのだ。
影の一族は敗れ、王国の地から追放された。だが、その中で一人の巫女だけが生き延びた。彼女の名はセレナ。
セレナは呪いをかけた。
「この王国が続く限り、我らが血が再び王座に戻る時、王国は影に飲み込まれるだろう」
これこそが、王家が誓いを立てた理由だった。王は二度と影の血と交わらぬよう、誓約を立てたのだ。
影の女の血の力
〈影の女〉の血は、決して人間のそれとは異なる。
影の一族は、通常の人々と同じ姿をしていながらも、「影を宿す者」として生まれる。彼らの影は意志を持ち、主が危機に陥ればそれを守ろうとする。時には影が実体化し、肉体を離れて動くことさえある。
また、影の女の血を受け継ぐ者は、「影の囁き」を聞くことができる。それは王国の大地に封じられたかつての影の民の魂の声であり、彼らの怨念が絶えず流れ込んでくるのだ。
この力は、影の女が感情を強く揺さぶられることで暴走する。怒りや悲しみが頂点に達すれば、影がその意思を無視し、周囲を呑み込んでいく。
呪いの始まり
エリシアが王妃となった年、王国の大地が少しずつ枯れ始めた。
それまで絶えず湧き出ていた聖泉は干上がり、森は色を失った。
翌年には、王都の住人が夜毎に悪夢を見て苦しむようになった。悪夢を見た者は、やがて眠りから覚めることなく、そのまま命を落とした。
三年目の冬、最初の「影」が現れた。
城の回廊に、誰のものとも知れぬ黒い影が揺らめき、従者たちは次々と行方不明になった。影に飲まれた者は、まるでこの世に存在しなかったかのように、その記憶さえも人々の間から消えていった。
王は焦り、巫女に祈祷を命じたが、巫女は血を吐きながら告げた。
「王よ、そなたは誓いを破った……呪いはもう止まらぬ……」
エリシア――禁忌の血を継ぐ妃
王妃エリシアは、自分が影の一族の末裔であることを知らずに育った。彼女の母は影の血を隠しながら生き、王国の貴族の家に嫁いだ。だが、血の呪いは隠しきれるものではなかった。
エリシアの影は、生まれつき奇妙だった。光の当たり方によって形が変わり、時折、まるで自らの意志を持っているかのように動いた。
幼い頃、彼女が悲しみに暮れて泣いた夜、影が勝手に動き出し、部屋にあった燭台をすべて倒したことがある。屋敷は火に包まれたが、彼女自身は傷一つ負わなかった。
それでも、彼女は何も知らぬまま成長し、王に見初められ、王妃となった。
だが、王宮の聖なる力が彼女の影を抑え込もうとするにつれ、呪いは逆に強まっていった。エリシアの心が苦しめば苦しむほど、影は増幅し、王国全土に広がっていったのだ。
彼女が真実を知ったのは、王国が呪われた後のことだった。
「私が……影の血を引く者だったなんて……」
だが、時すでに遅かった。
「王国の崩壊」
呪いは日に日に強まり、王都の人々は恐怖に怯えながら逃げ出していった。
王は後悔した。妃を愛したことではない。何も知らぬまま、禁忌を犯したことを。
「どうすれば、この呪いを止められるのだ……!」
妃は涙を流しながら言った。
「私を……殺して……」
彼女は自らの命を絶とうとしたが、影はそれを許さなかった。まるで意志を持つかのように彼女の身体を守り、呪いをさらに深めてしまったのだ。
「私の存在が、この王国を滅ぼす……」
だが、王はそれを拒んだ。彼女を殺したとしても、もうすでに呪いは王国そのものに根付いている。彼女の涙が落ちるたび、影は濃くなり、王国を包み込んでいった。
そして、呪いが発動して七年目――
王国は消滅した。
影だけが残る
朝、王城の上空に黒雲が広がり、王都全体を覆った。人々が逃げようとする間もなく、黒い霧が街路を這い、すべてを飲み込んでいった。
城門が崩れ、石畳が割れ、建物は次々と黒い塵となって消えていく。
最後に、王と妃が立つ王座の間が呑まれた。
王は最後まで妃の手を離さなかった。
「お前を……愛していた……」
「私も……」
黒い影が二人を包み込み、光が消えた。
――レグナス王国の名を知る者は、もうどこにもいない。
だが、その跡地には今もなお、黒い影だけが揺らめいているという。
それを見た者は、二度と帰ってこない。
レグナス王国は、永遠に呪われたまま、存在すら忘れ去られた。
終わりに
レグナス王国の跡地には、今も影が揺らめいているという。
それを見た者は、決して戻らない。
影の女の呪いは、今なお王国を覆い尽くしているのだ。