⑦(重大なネタバレを含むため、本文中に章題記載)
⑦第二主人公が途中で退場する
これこそが両作最大の共通点である、と言ってもいいでしょう。
どちらも主人公の片一方が物語途中で死亡する、という衝撃の展開を迎えます。最終回やその直前にではありません、まだ十分にストーリーの余白を残した時期にです。
ヤン・ウェンリーはラインハルトが即位して間も無く(半ば状況に押されて)反乱を起こし、再びイゼルローンに寄ることになります。そこで帝国軍に善戦し遂には停戦・会談まで漕ぎ着けますが、会談へ向かう途上を地球教徒に襲撃され、左腿の動脈叢を撃ちぬかれて帰らぬ人となりました。享年三十三。
一方、Lはデスノートの存在も突き止め、月とミサをあと一歩の処まで追い詰めます。しかし月に誘導されたレムがミサを救うため自らのノートにLの名前を書き込んだことで、無念の退場を余儀なくされました。
ヤンが退場したのはノベルズ全10巻中の8巻半ば、大雑把に計算すれば7.5/10で物語が3/4ほど進行した地点です。つまり『銀河英雄伝説』は最後の1/4が、主人公のヤン不在で描かれたことになるのです。
Lに至ってはジャンプコミックス全12巻中7巻の2/3|(=約0.7)、またまたざっくり計算で物語の6.7/12=約55%の段階でその姿を消しています。なんと『DEATHNOTE』全体のおおよそ半分にしか、彼は登場していないのです。その存在感の大きさから、改めて数字に表してみるとちょっと意外な感に打たれますね。
どちらも主人公としては早すぎる死です。もちろん世代交代などで当初の主人公が序盤で姿を消す作品も今時は珍しくありませんが、銀英伝およびデスノの場合、一方でもう1人の主人公(ラインハルト、月)はなお健在であり続けます。
この状況はやはり特異です。「第二主人公が先に逝き(それと対立していた)第一主人公が残る」という点まで加味すれば、もはやこの2作特有の現象と言ってもいいでしょう。
更に共通しているのは、第一主人公より早く退場するからといってそれが単純に彼ら第二主人公の敗北を意味しない、寧ろその後も能力的には「第二主人公>第一主人公」として扱われ続けるという点です。
……こう書くと銀英ファンの方はともかく、デスノファンの方からは異論が出るかもしれませんね。少々お待ちください、間もなく説明させていただきますので。
まずはヤン・ウェンリーについて。彼はその死に至るまで、とうとう一度も敗北しませんでした。バーミリオン会戦では戦術的にラインハルトをあと一歩のところまで追い詰めていますし、回廊の戦いでも帝国軍の大攻勢を寡兵を用いて最後までしのぎ切っています。
まあこの辺は戦略レベルで敗北を喫しているという見方ができなくもないのですが、作中では彼は「不敗の魔術師」と死後も目され続けますしライバルのラインハルトも「遂に一度も勝てなかった!」と悔しがっているので、やはり純軍事的には最後まで”最強”であり続けたと考えていいでしょう。少なくとも作者は読者にそう印象付けたかったはずです。
ヤンの死は戦闘の結果ではなく、暗殺という奇禍に遭った故です。このような凶行へ至る全宇宙の悪意を完全に把握することなど不可能ですし、ヤンに限らずこの時期のイゼルローン軍の面々はラインハルトに意識が集中しており他を気にする余裕がありませんでした。故にこの悲劇は防ぎようがなかった、という風に描かれており、注意を怠ったヤンの株を下げるものとは扱われていません。
つまり彼の死はいわば「不慮の事故」であり、彼の能力を評価する上では何ら瑕疵にならないと考えていいでしょう。実際本編中でもむしろヤン死後の方が、生前にも増してその知性や偉大さが称えられている節さえあります。
ユリアンにもヤンファンの読者にもそれが些かの慰めにもならないのは百も承知ですが、本論の主旨上ここは無視できない点なので強調させていただきました。どうかご容赦ください。
一方、Lの死亡はというと……正直ここの初読時、「Lが負けた」という印象を筆者は抱いたんですよねえ^^; レムがLの名前を書いたのは月が誘導したからなわけですし、素直に読んでればやはり月の作戦勝ちと捉えるのが普通かと思われます。Lの後継者であるニアも、第二部で「Lが敗れたキラ」とはっきり言いきっていますし。
では何故Lの死を以てしてもLの株は落ちなかった、と主張し続けるかというと、その根拠は公式ガイドブック『DEATHNOTE13 How to Read』の記載にあります。
この中で原作の大場つぐみ、作画の小畑健両先生が様々な質問に答えるコーナーがあり、「登場人物で、最も頭がいいのは誰だと思いますか?」という質問に大場先生は「L。漫画の設定上そうでないといけないから(笑)」と答えているのです(このコメント自体、大分ヤンを意識しているように見えるのは穿ちすぎかなあ……)。
つまり原作者様の中ではLが月の策により命を落としてもなお「L>月」の力関係は崩れていない、言い換えれば「Lが死亡したのは純粋な知恵比べで敗れた結果ではない、それ以外の要因が作用していたのだ」となっていることがわかります。では、一体どのような要因が作用したと考えられるか?
ひとつは死神やデスノートなど超常の存在、事物に関して月の方がはるかに前提知識が豊富、ということが挙げられます。この点は当初から、潤沢な資金を持ち警察権力も利用できたLに対抗するための、月側の最大のアドヴァンテージでした。
ましてあの時点で死神レムがミサに好意を持っている事情まで洞察するのは、人間の頭脳ではまず不可能です。地球教のヤン暗殺計画を見抜くくらい不可能です。Lの名誉のためにもここは斟酌してあげるべきでしょう。
更にリュークが死神のペンで「1度ノートを使った者は13日以内に再び使わなければ死ぬ」という(月の有利になる)嘘ルールを書き込んだ点。これはもうほぼ反則でしょう。超常存在たる死神が一方にこれほどまで肩入れしては、人間同士のフェアな頭脳戦とは最早言えません。初読時は私も大いに突っ込んだものです、「お前どっちの味方でもないんじゃなかったんかい!」と。
実際、この嘘ルールが最後まで障壁となり、Lは月(及びミサ)の逮捕に至ることができませんでした。
また視点を変えれば、Lの探偵としての立場上「勝利とは真実にたどり着くことである」という見方もできます。いや、第二部終盤で月とニアが「証拠を突きつければ勝利(突きつけられれば敗北)」という共通認識の下で対決を繰り広げた以上、真相を見抜いただけでは「勝利」とまではいかなくても、少なくとも"智者"としての面目は保てると考えていいのではないでしょうか。
先に紹介した公式ガイドブックのLのキャラクター紹介ページには、「惜しくも途中で命を落としたが真相にはたどり着いていた」という一文が見えます。まるで「真相にたどり着いたから決してLが負けたわけじゃないよ」と弁明しているようでもあります。
Lは嘘ルールの検証に手をつけようとしていたわけですから、なるほど脳内仮説の上では月の策を看破していたとも捉えられます。やはり単純に死=敗北と考えるのは難しいかもしれませんね。
その他、Lの遺志を継ぐニアが月との決着をつけたから実質Lの勝利だ、という解釈かもしれませんが……うーん、ちょっとこれは苦しいかな(月がニアやメロの背後にLを感じとるシーンは随所にあるわけですが)。
L死亡シーンには納得いかない読者も多かったことでしょう。キャラへの愛着のみでなく、それまでのパワーバランスがいきなり逆転して決着がついてしまったわけですから。実に唐突です。悟空が超サイヤ人にならずフリーザを倒してしまったみたいなものです……伝わるかなあ。
(映画版『DEATHNOTE the Last name』の評価が大変高いのも、その辺のモヤモヤを上手く解消しているためと思われます。)
やはりここは、大場つぐみ先生的には「智略はLが優れていたけど時の運が月に味方した」という風に描きたかった、と考えるのが自然でしょう。いわばLが試合に負けて勝負に勝ったというニュアンスを出したつもりだった、それが予想外に月の策があざやかに決まってしまったため(笑)、読者にはイマイチ伝わらなかった。そんな処じゃないかなあ。
作品は時に作者の意図を離れて独り歩きするものですが、本論はデスノートがどれだけ銀英伝を意識して作られたかというのを探るのが主題なので、原作者自身の意識をこそ最重視したいと思います。ご了承のほどを。
以上を踏まえれば、やはりLもヤンと同じく「死後も格が落ちなかった」キャラである、と断定してよさそうです(異論がある方はコメント欄まで)。
これだけ相通ずる要素があると、どうしてもLの死は「ヤン・ウェンリーの死」を大分意識しながら描かれたものだ、と思わずにいられないのです。
読者側にしてもL死亡シーンでヤンの死亡シーンを思い出した人、結構いるのでは? 筆者などはジャンプであの回を読んだ時は「ヤンじゃん、これ絶対ヤンじゃん!」と銀英仲間の間で騒ぎまくってドン引きされたものです……え、この情報いらない? ああ、そう。
第二主人公死亡シーンは両作においてクライマックスのひとつです。もう少し語らせてください。ヤン、Lの死が初読者に衝撃を与えるのは間違いないでしょう。それ以外に、この両名の死は作品自体にどのような影響をもたらしているか?
愚見ですが、『銀河英雄伝説』はヤンの死によって物語の特色のひとつである「歴史性」が大幅に補強されたように思えます。主人公であるヤンが死んだ後も、銀河の刻は留まることを知らず滔々と流れている。それを目の当たりにした読者は「これは造りものの物語ではない、実際の未来史を今自分は追っているんだ!」という感を強くするのです(まあその感慨自体著者に誘導された造りものなわけですが)
一方、『DEATHNOTE』においては"予測不能性"がさらに強化されました。「予測不能サスペンス」というのは、連載開始時からデスノに付随していた売り文句のひとつでした。そうは言ってもそこは少年ジャンプです、「どうせ最後は正義側のLが勝つんだろ?」と思ってた読者も多いはず(筆者はそう思ってました)。そんな安易な考えを「Lの死」を以て吹き飛ばされたことで、いよいよ物語がどこへ向かうかまるで読めなくなり、読者はより一層作品への興味を掻き立てられることになりました。
当時のライブ感は今思い返しても込み上げてくるものがあります。まあ終わってみればこのL死亡シーンが作品のピーk……げふんげふん。
両者の死が作品の完成度、いわば「格」を一段高みへ押し上げたことは間違いありません。愛すべきキャラクター達との別れは悲しいですが、どちらも後世に残る名作が誕生するためには必要不可欠な、作者が施した"神の一手"だったのです。
(※余談ですがヤンが退場した3/4時点というタイミングは、これ以上ない芸術的なタイミングだったと筆者は思っています。これ以上早ければ物足りなさが残り、遅ければヤンの後光が強くなりすぎてユリアンたちが霞む。「歴史性」もやや薄れるかな? まさに「これしかない!」という時期にヤンの死を当てはめた田中芳樹先生、たとうべきかな! ヤンの生前:ヤンの死後=3:1という比率は文学史上に輝く黄金比として後世に語り継がれるべきでしょう)