⑤第三勢力の立ち居振る舞い、それに対しての第二主人公による洞察
両作の物語中盤、第三勢力が蠢動を開始します。
『銀河英雄伝説』ではフェザーン――地球教が「全宇宙が唯ひとりの支配下にあれば、そのひとりを暗殺することでたやすく乗っ取ることができる」という理屈のもと(この理屈もよう分かりませんが……)、ラインハルトを一旦は宇宙の覇者に据えようと画策し彼に接近します。
この企てはラインハルトに逆用され結果的にフェザーンは占領の憂き目に合うのですが、ともかくも当初は自ら協力を申し出たことは間違いありません。
『DEATHNOTE』では"死神の目"を持つ新たなノート所有者、弥海砂(ミサ)が登場します。ミサは元々キラ信者なので、初対面時から月に好意的です。
一度はキラになりすましてLを人前に引きずり出そうと画策しましたが、本物のキラからメッセージを受け(Lが主導して月に作らせた偽物ですが)且つキラ=月であることを突き止めると、自ら彼の家に行きL抹殺の協力を申し出ます。
どちらの作品でも、第三勢力が第一主人公を勝者とすべく彼らと接触するという挙に出ています。その際、第一主人公側がそれらの協力者を「信用はしないが利用だけしよう」とたくらんでいる点も共通しています。
特筆すべきは、それらの密約に対して第二主人公が展開する洞察です。
フェザーンはラインハルトに同盟侵攻の大義名分を与えるため、幼帝エルウィン・ヨーゼフ二世を同盟に亡命させます。この報が届いた時点で、ヤンははやくもラインハルトとフェザーンが裏で手をにぎった可能性に思いを馳せています。
またラインハルトが通信スクリーンをとおして同盟の非を鳴らし宣戦を布告した時、同盟の誰もが帝国軍はこれまで通りイゼルローン回廊突破を狙ってイゼルローン要塞に主力を向けてくるものとばかり考えていましたが、ヤンひとりはそちらが陽動で帝国軍本隊はフェザーン回廊を通過して同盟領に進攻してくるだろうという予測に到達しています。この時すでに彼は、ラインハルトによる”神々の黄昏”作戦の概要をほぼ看破していたと考えていいでしょう。
一方のL。ミサがキラを名乗ってテレビ局に送りつけたビデオやテープを確認しただけで、それがこれまでのキラとは違う「第二のキラ」の仕業だと見抜いています。本物のキラ(=月)が、早々に第二のキラと接触を図るだろうことも。
さらに月とミサが接触を果たした後、月の指示でミサが送った「キラに会うのはあきらめた」という内容のメッセージビデオを確認したLが、それが嘘であり逆に「キラと第二のキラが繋がりをもってしまった」と推理するシーンがあります。ミサと繋がったことを隠したい月の思惑が完全にバレているのです。この辺り、Lが月を押しまくっている印象です。
もうお気づきでしょう。両作の「第一主人公に協力を申し出る第三勢力、腹の内であざ笑いながらもそれを利用しようとする第一主人公、両者の秘密同盟を外部にいながら看破する第二主人公」という構図が、完全に一致しているではないですか!
これは大場つぐみ先生が意図的に重ねた、というよりは偶然の一致だったように思えます。いや、むしろ作品の性質がもたらした必然である、と申し上げるべきでしょうか。
『銀河英雄伝説』と『DEATHNOTE』の根幹を成す骨組みが極めて近しい、ということはこれまで散々述べてきました。であるならば、それを元に紡がれる物語がある程度同じ道をたどるのも無理からぬことでしょう。
作者が特に意図せずとも作品の宿命上、自然と同種の物語構造を内包することになった。筆者個人はそう解釈しています。
実際、ここの読み合いには「頭脳戦」の醍醐味が詰まっています。天才同士の智力のつばぜり合いを表現するうえで、極めて有効な手法なのは間違いありません。
そして第二主人公びいきの筆者としては、脳汁が止まらない箇所でもあります(笑)。第一主人公の画策はどこまでいっても第二主人公の思考の外に出ることはできない、「第二主人公優位の法則」を決定づけた場面とも言えるでしょう(もっとも、予測はできていても諸条件が相まって最終的に事態を好転させるまでには至らなかった、という点まで共通しているのが悲しいところですが……)。
私は少年ジャンプでミサが初登場した回、つまりLが「第二のキラ」の存在を見破った回を読んだとき、はじめてデスノートが銀英伝を意識して描かれている可能性に思い至りました。「これ”神々の黄昏”を見破った時のヤンじゃん!」ってな感じで(笑)
思えば『DEATHNOTE』という作品に本格的にのめり込むようになったのはここからです。筆者にとって当時も今も『銀河英雄伝説』はこの宇宙で最も面白い読み物です。そのエッセンスを継承したジャンプ漫画なんて、そりゃハマるしかないじゃないですか!(「面白さの基準」=「どれだけ銀英伝に近いか」、まであるからなあ我ながら……)
本論ではなるべく重箱の隅をつつく真似はさけ総論に徹するよう心掛けておりますが、ここで言及した一連の場面は両作の相似性を端的に示す格好の事例であると共に「頭脳戦」としての旨味が凝縮された箇所でもあると考え、敢えて一部分に焦点をあてた分析を試みてみました。どうか悪しからず。