①天才主人公2人が繰り広げる頭脳戦である
本文を読まれてる方には不要かと思いますが、ここで一度両作の概要をざっとおさらいしておきましょう。
『銀河英雄伝説』は1982年から刊行が開始されたSF小説。作者は田中芳樹。遥か未来、宇宙に進出した人類が繰り広げる星間戦争を描く壮大な物語です。本編開始当初、人類は主に銀河帝国と自由惑星同盟の二代勢力に分かれ(間に第三勢力のフェザーン自治領もありますが)、慢性的に争っています。そこから急激に変転していく銀河の歴史が、両陣営の登場人物たちが織り成す艦隊決戦や陰謀、政治的駆け引きなどを通して描かれていくのです。
一方、『DEATHNOTE』は2003年に週刊少年ジャンプで連載が開始された超常サスペンス漫画です。「原作:大場つぐみ。漫画:小畑健」の黄金コンビですね。日常に退屈していた頭脳明晰な主人公・夜神月が名前を書きこまれた人間は必ず死ぬという死神のノート・「デスノート」を拾う所から物語は始まります。月はデスノートを用いて犯罪者たちを裁いていき理想世界の実現を目指すが、そこに天才捜査官が立ちはだかり……といった筋立て。
両作とも幾度もメディア化を繰り返し、今なお根強い人気を誇る名作ですね。上のように書いていくと、なるほど片や宇宙が舞台のSF戦争もの、片や現代日本を舞台にしたクライムサスペンス、と一見両者の間には一光年からの距離があると思うかもしれません。しかしその実、一光日の差もないのです。
(※なお、このエッセイではそれぞれ『銀英伝』の原作小説、および『デスノ』の原作漫画のみを考察の対象にしております。派生作品である映像作品や演劇、『銀英伝』の漫画版や『デスノ』の小説版などのオリジナル設定はせいぜい余談で触れるくらいで、本論を進める上では一切参照しない方針を取らせていただきます)
なぜならジャンルも舞台も違えど、両作の核となっているのは「頭脳戦」だからです。それも「天才主人公2人がライバルとなり智略の対決を繰り広げていく」という物語の主軸まで、完全に一致しているのです。
『銀河英雄伝説』の主人公は、言うまでもなくラインハルト・フォン・ローエングラムとヤン・ウェンリーの2人です。それぞれ両陣営を代表する戦争の天才である彼らがライバルとして対決を繰り返すことで、物語は進んでいきます。
その対決の仕方は、主に艦隊戦。後半に入ってくるとより大局的な読み合いにも発展しますが、要は戦術・戦略を駆使していかに相手の思考を読みその上を行く手を打てるか、「智略」を競う戦いなのです。
他方、『DEATHNOTE』の主人公は夜神月くんですが、彼を追う天才捜査官”L”も同格の主人公と言っていいでしょう。第一話冒頭で「(死神リュークが落としたノートから)二人の選ばれし物の壮絶な戦いが始まる」というモノローグがありますが、この「二人」とは月とLを指しています。
Lは月=殺人鬼キラの正体をあばくべく、推理力と策略を駆使して追い詰めていきます。対する月もLの名前を突き止めノートで殺すべく智謀の限りを尽くす。犯人と探偵、追う者と追われる者として、熾烈な「頭脳戦」が展開していくわけです。
(さっそく余談ですが、実写映画『DEATHNOTE』の宣伝時キャッチコピーに使われていた「天才vs天才」というフレーズは、この頭脳戦の側面を端的に表現した名文句だと思ってます。銀英伝にも使わせてほしいくらいですね(笑))
つまりどちらも並立する2大主人公がライバルとして対決していく話であり、その方法は「智力のつばぜり合い」なのです。物語の中心にいる2人がそういう形式で戦っている以上、自然周囲のキャラたちも主に頭脳を活かして行動していくことになる。それによって「頭がいい程キャラとしての格が高くなる」、という暗黙のルールが確立するのです。
そう、どちらの作品でも、キャラを評価するステータス=頭の良さになっているのです。戦闘が強いキャラや手先が器用なキャラ、射撃の上手いキャラなど多数登場しますが、それらの特技は勝敗の決定打にはなり得ません。補助的な役割こそ果たすものの、雌雄を決する主要因は常に「智略」なのです。
銀英伝においてシェーンコップは白兵戦の、ポプランは空戦技術の、それぞれユリアンの師匠です。それぞれの分野では、両者とも当然ユリアンより技量は上でしょう。
それでも最終的にはユリアンの方がキャラクターとして格が高く描かれている、と筆者はみます。それは戦術・戦略面において、ユリアンが彼らを凌駕しているからです。
ここの能力に秀でていないと、銀英伝という作品の中で物語を牽引することはできないのです。反対にこれらの能力がおそらくユリアンより優れていただろうメルカッツは、立場上はユリアンの指揮下に入っていますが最後まで彼より格が高かったように思えます。
デスノについても同じです。昔から「ジェバンニが一晩でやってくれました」がよくネタにされますが、決して彼の手先の器用さが最後の決め手になったわけではありませんね(笑)。
究極的に勝利を呼び込んだのはあくまで月の作戦を喝破したニアの「知能」です。少なくとも作中ではそういうことになっています。
ワタリや松田は射撃の腕がクローズアップされる場面がありますが、それを以て主要キャラに並ぶ扱いとはなりません。月、L、メロはともかくとして、ニアよりはまず間違いなくワタリ、松田の射撃技術は上でしょう。それでも作中最高クラスの頭脳を持つニアは、彼らより遥かに”格上”なのです。
さてこうしてみると、両者の基本的な枠組みはやはりそっくりです。SF、サスペンスといったジャンルで観るとまるで別の作品ですが、”頭脳戦”という括りでとらえればデスノと銀英伝が少なくとも同系統の作品に属している、という点は納得していただけたのではないでしょうか。
「頭脳戦」を扱った作品は数多くありますし、ライバル2人を主人公に据えた作品もめずらしくないでしょう。しかし「天才2人がライバルとして頭脳戦を繰り広げていく」というコンセプトにここまで徹底している作品は、この2作以外にはちょっと思いつきません。
もっとも私が無知なだけかもしれませんので、他に作例が思い当たる方は是非教えていただきたいところです。
(※他の作例として『コードギアス 反逆のルルーシュ』はどうか、と仰る方もいるかもしれません。たしかにデスノートとよく比較される作品ですし主人公が智略で勝負するタイプでもありますが、個人的には銀英伝・デスノとはやや系統が異なるかと思ってます。ライバルであり第二主人公ともいえるスザクが、頭脳で勝負するタイプではないからです。それ故銀英やデスノほど「頭脳戦」に特化した作風にはなっていないと判断しました。あとルルーシュの作戦、よく失敗するし(笑))
(脱稿後追記)
そういえば本章で他の作例を考える時、『かぐや様は告らせたい』の存在を失念していましたね。副題の「~天才たちの恋愛頭脳戦~」なんて(”恋愛”を除けば)この章のテーマにピッタリじゃないですか! 私はこの作品が始まった頃「これはコメディだが銀英、デスノ系譜の作品ではないか」と割と本気で考えたことがあります。連載が進むにつれ心理戦の要素が薄くなったので「やっぱり違うかな」と思い直したのですが……え、これ真面目に検討しなきゃダメ?(笑)