ぬくぬくなアレ
星屑による、星屑のような童話。
お読みいただけると、うれしいです。
【ひだまり童話館第29回企画「ぬくぬくな話」 参加作品】
――もうすぐ、お正月がやって来る。
少し残念そうな顔をして、小学6年生のヒナノは思った。
いつもなら、ここは手放しで喜ぶところである。でも今年は違っていた。ここ数日の間、ヒナノはずっとため息がちなのだ。
ヒナノがため息をもらしてしまう理由――それは、単身赴任中のお父さんにあった。
お父さんが、少しの間、家に帰って来るのだ。
考えてみれば、お父さんとは夏休みに会ったきり。
お父さんの誕生日にお祝いのケーキを作ってあげようと、お父さんが暮らすアパートへとヒナノは電車を何時間もかけて乗りつぎ、訪ねたのだ。初めてのひとり旅行を成功させ、ヒナノにとってすごく良い思い出になっていていいはずなのに、そうではなかった。そのとき、なんやかんやあったせいで、お父さんの顔を思い出すたびにちょっと暗い気分になってしまうのだ。
しかも、お母さんから「そうだ、お父さんにサプライズを仕掛けようよ! そうねえ……お父さんの大好きなホワイトグラタンをヒナノが作ってあげるってのはどう? きっと、すごく喜ぶわよ」なんてことも、言われている。
それがヒナノの気持ちを一層落ち込ませていた。
久しぶりに父親に会うというのに、素直に喜べない自分に対して嫌気がする。
でも、そんなこともじっくりと考えていられないほど、そのときは近づいていた。年越しまで、あと3日と数時間――。そんな、年末ムードいっぱいの今晩に、お父さんが帰省するのだ。
「こうなったら、『まな板の上の鯉』よね。今更、足掻いたってしかたない」
昨日、買い物を済ませておいたので材料はそろっている。
だから時間は充分ある。しばらくコタツに入ってぬくぬくしてから料理に手を付けても、十分間に合うはずだ――。
そう心に決めたヒナノはコタツに入ると、天板にある蜜柑をひとつ、手に取った。
皮をむこうと蜜柑の゛へそ゛の部分に指をかけた、そのときだ。
蜜柑が手からすべり落ち、ヒナノの両足の間を抜けて、コタツの中へところころ転がっていってしまったのだ。
「もう、しょうがないなあ」
手をコタツ布団の下へ潜り込ませ、蜜柑を拾おうとする。
でも、なぜかその手から伝わって来たのは二つの蜜柑の感触だった。ひとつは、先ほど落としたものだ。ならば、もうひとつの蜜柑は……。
「ま、まさか――」
手をコタツに差し込んだまま、息をのんだヒナノ。
ヒナノの家では、けっこう早い時期からコタツをリビングに出している。そして、コタツのお供は、今も昔も、ずっとこれからも、お母さんの大好きな蜜柑と決まっている。だから、下手すれば「一か月モノ」の蜜柑が息をひそめてそこにたたずんでいるかもしれないのだ。
まずは、ひと呼吸――。
そのあと、ゆっくりとした動きでコタツから体を抜き、前かがみの姿勢になる。もう一度、入念な深呼吸をしてから気合一発、布団をまくりあげた。
「えいやっ!」
ヒナノの目前に広がっていたのは、カラフルな世界だった。
まさに、幻想。
もしかすると、世間で流行っている異世界モノの世界に迷い込んでしまったのかもしれない、とも思ったほどだ。赤にピンクに白に青……そこに、もさもさとした感じの黒が重なり、まるで出来立ての宇宙のような存在感すらある。
これが、ぬくぬくと人を温める暖房器の「底力」なのか。ひとつの蜜柑に織りなすさまざまな種類の「カビ」たちの楽園が、そこにはあった。
「いーやぁー」
ヒナノの叫びと同時にわき上がる、もわもわとカラフルな煙。
古い地下室を探検しているかのような、そんな臭いのする空気をまともに吸ってしまったヒナノは、白目をむいてばったりとその場に倒れてしまった。
☆
「起きて。起きてよ!」
ヒナノは、自分の体が揺さぶられていることに気づいた。
良かった、生きてた――ヒナノは、神に感謝した。きっと、予定より早く帰って来たお父さんが倒れた自分を見つけ、起こしてくれたに違いない。
「もぉ! 蜜柑なんかコタツに置き忘れるから、こんなことに――」
そう言って、まぶたを開いたヒナノは絶句した。
自分の眼の前にいる――いや、「ある」と云った方が正確なのかもしれない――白くてでっかい綿ぼこりのような物体が、自分に話しかけているように見えたのだ。綿ぼこりでなければ、サッカーボールよりやや大きいマシュマロなのかもしれない。
とにかく、そんな感じの白いかたまりが、自分に向かって何やら言葉を発している。
――いったい、これはナニ? グータラな父さんの成れの果て?
しかもおどろいたことに、ヒナノの体はその白い物体から伸びる不思議な二本の糸のような腕で、支えられていたのである。細いのに意外と力持ちなんだな――と、ヒナノは妙なところに感心してしまう。
「良かったぁ! 起きてくれて。どうなることかと心配したよ」
もこもこの綿毛のようなものに体全体がおおわれているせいか、相手の表情はわかりわかりずらかった。口調からすれば、ヒナノが目を覚ましたことをどうやら喜んでくれているらしいが……。
「あなた、もしかしてお父さんなの?」
「そんなわけないじゃん!」
ぷりぷりと怒りを体全体で表す、白いかたまり。
「オイラはカビの妖精『かっぴぃ』だよ。キミのお父さんじゃないっ。……っていうか、今まで2回も会ってるのに、オイラのこと忘れたの?」
「かっぴぃ? ……ああ、かっぴぃね! 思い出した、思い出した」
言われてみれば、ヒナノはその姿に見覚えがあった。
1回目は夏休みの頃。
お父さんの単身赴任先のアパートで、お誕生日を祝おうとしてケーキを焼こうとしたら現れたのだ。
そして、2回目は秋だった。
お母さんの誕生日を祝うためのクッキーを焼こうとしたときに、また現れたのである。
「言っとくけど、今日も勝手に来たんじゃないからね。キミがオイラを呼んだんだよ」
「私が呼んだ、ですって? あ、そうか。私がカビの煙をたくさん吸い込んだから……」
「そう、そのとおりだよ。オイラたち『カビの妖精』は、赤、白、青の三色のカビの煙を同時に吸い込んだ人間だけが呼べるという、とても貴重な存在なんだからさ」
「はいはい。そうでした、そうでした」
「それで、今日は何を焼くんだい? それでオイラを呼んだんでしょ?」
「……ホワイトグラタン」
「なるほど! それならまさしくオイラ、白カビ妖精の出番だよね!」
「そうなのかなぁ」
「そうさ。白カビ妖精のオイラのお腹辺りの毛をむしってグラタンに入れれば、さぞや真っ白くて優しい味の料理ができるだろうから。うわあ……楽しみだなあ」
「そ、そうなのかな……」
なんだか勝手に盛り上がるかっぴぃを横目に、冷めた表情で、ヒナノはかつての出来事を思い出していた。
かっぴぃが初めて現れた、夏。
ふくらし粉の代わりにと、かっぴぃのふわふわな綿毛を入れて焼いたケーキはぺったんこで大失敗だった。
かっぴぃの2度目の襲来、秋。
気持ちがこもってるからと、かっぴぃのふわふわな綿毛を入れて焼いたクッキーは、まるでかっぴぃの分身みたいなやつの集合体となって、超失敗に終わった。
――やっぱり、だめじゃん。
かっぴぃの言葉を信じたがために、お世辞にもおいしそうとは言えない代物を2度も作ってしまったのだ。今回も、きっとそうなるだろう。
ヒナノは強い気持ちで、かっぴぃに言い放った。
「かっぴぃの毛なんて、今まで全然役に立たなかったじゃない……。今度は私、自分の力だけでやるから、手を出さないでほしい」
「あんだって? オイラを呼んでおいて、そんなこと言うか? それに、やってみなきゃわからないじゃないか、なにごとも!」
「いや、もうわかってる」
「…………」
すねてしまった、かっぴぃ。
細い棒のような手足を床に投げ出し、大の字になる。球体なので、見た目的には大きな白い球が転がっているようにしか見えないが……。
「いいよ、いいよ。じゃあ、ボクがいないくても大丈夫なんだね? わかった。それなら、勝手にグラタンつくればいいじゃん」
「うん、ひとりでがんばってみるよ。そこで応援してて」
「あっ、そ」
と、そのときだった。
突然、ヒナノのお父さんが、かっぴぃとヒナノの前に現れたのだ。
「うあっ、お父さん! どうしたのよ?」
「どうしたのって……。早く会社が終わったから、ひとつ前の電車で帰って来ただけだよ。……っていうか、この白くてでかいホコリみたいなのは、何?」
「ホコリとは失礼だな。オイラはかっぴぃ、白カビの妖精さ」
「白カビ!? じゃあ、ホコリみたいなもんじゃん」
「ぜんっぜん、違う。カビとホコリを一緒にしないでくれ。オイラたちは、カビであることにほこりを持って生きてるんだから……って、あれ? なんだか紛らわしくなっちゃたな。今、言ったのは、その辺に落ちてるホコリのことじゃなくて、心の中にあるほこりのことで――」
「……もういいよ。とにかく、よくわかんないけど、俺が部屋に入ったらヒナノがコタツのところで倒れてて、助けようと駆け寄ったらパフっと妙な煙が吹きあがって、それを吸い込んだと思ったら、ここに居たってわけさ」
「そうなのか……。でも、お父さんまで来ちゃったら、超ややこしいじゃん。もう、いいわ。とにかくあなたたち二人は、そっちで大人しくしといてくれる? 私、ひとりでグラタン作るから」
「……はあい」
肩をすくめ、ぬくぬくと仲良くコタツに収まったかっぴぃとお父さん。
それを見届けたヒナノは、これ以上かまってられないという顔をして。クッキングを開始した。玉ねぎをミキサーにかけ、ホワイトソースを作り始める。
そんなヒナノの様子を大人しく眺めていた二人だったが、やっぱり黙ってはいられない。
ヒナノには聞こえないよう、ひそひそ話を始めた。
「ええーっと、かっぴぃさんでしたっけ? あれですか、これはイケる口ですか? それともやっぱり、妖精さんはそんな下世話なものは飲みませんか?」
お父さんが、右手の指でグラスを持つようなそぶりを見せて、それをひょいと口に当てた。お酒を一緒に飲もう、と言っているらしい。
「な、何を言ってるんですか。我々カビの仲間でもある、麹菌で日本酒を作るくらいなんだから、飲めるに決まってるじゃないですか」
「おお、そうですか。じゃあ、早速やりましょう!」
お父さんは家に帰る途中で仕入れたビールやワイン、日本酒を大きな旅行鞄から取り出すと、コタツの天板の上にそれらを意気揚々と並べた。そして「まずはビールだな」と、食器棚から持ち出した二つのグラスに、それを注いだのである。
「かんぱーい」
いきなり始まった、おじさんとカビの宴会。
カマンベールチーズなど、白カビがいかに人間の役に立っているのかを力説するかっぴぃに、ほろ酔い気分のお父さんが頻りとうなずく。
白カビから青カビの話に移り、カビ談義も最高潮に達しようとしていたその矢先だった。ヒナノは、とても重大なことに気づいてしまったのである。
――生クリームがない!
昨日そろえてあったはずが、どうやら買い忘れてしまったらしい。
体から力がしゅるしゅると抜けてしまってがっくりとうな垂れていると、それをあざとく見つけた白カビ妖精が、お酒で少し頬を赤くしながら、にやりと笑った。
「あ、その様子は生クリームを買い忘れたんだね。もう会うのも3回目だし、ヒナノちゃんが何を考えてるか、すぐわかるんだ」
「ええ!? 本当なのか、ヒナノ。それじゃあ、グラタンが作れないじゃないか……。今日の帰省パーティに俺の好物がないのは困るな。ねえ、かっぴいさん、真っ白いあんたなら生クリームがなくてもいい方法、知ってるんじゃないか? 教えてよ」
「ふっふっふ……さすがお父さん、わかってますねぇ。オイラ、もちろん知ってるよ」
ますます不敵に笑うかっぴぃに、お父さんが「頼む、教えてくれ」とせがんだ。
ヒナノは猛烈に嫌な予感がした。
「牛乳はあるの? それなら、そこにオイラの真っ白い毛を十本くらい入れて、かき混ぜながら弱火であたためればいい。すると、抜群に美味しい生クリームになるからさ。当然、グラタンもおいしくなる」
「おお、そうなのか! よし、ヒナノ。すぐにやろう!」
「本当に?」
お父さんは、かっぴぃのお腹辺りからぶちっと毛を抜くと、キッチンへと向かった。
そして、ヒナノもそっちのけに料理を始めた。
そこへ、かっぴぃもやって来て、楽しげにそれを手伝った。呆気にとられたヒナノは、ただただ、彼らを見守ることしかできなかった。
「さあ、そろそろ焼けるぞ。ヒナノ、オーブンをオープンだ!」
「開けて、開けて! オイラの綿毛も入ってるし、きっとすごく美味しいのができてるはず」
「……はいはい。そこは私の役目なのね。わかりました」
ドキドキしながら、ヒナノがオーブンのドアを開けた。
その瞬間――。
オーブンの中から、まるで入道雲のような白い煙が噴き出して、たちまち部屋は煙でいっぱいになった。あまりの煙の量に、何も見えなくなる。
「ぎゃあ!」
「うわ、なんだこりゃあ。げふげふげふっ」
「お、オイラ、急に用事を思い出したよ。じゃあ、今日はこの辺でさようなら!」
かっぴぃはそう言って、逃げるようにその場から姿を消した。
鼻のムズムズする白い煙を胸いっぱいに吸い込んでしまったヒナノとお父さんは、その場でばったりと倒れてしまった。
☆
「起きて。起きてよ!」
ヒナノは、自分の体が揺さぶられていることに気づいた。
良かった、生きてた――ヒナノは、神に感謝した。きっと、仕事を終えて帰って来たお母さんが、倒れた自分を見つけて起こしてくれたに違いない。
「もぉ! 妙なグラタンなんか作るから、こんなことに――」
そう言って、まぶたを開いたヒナノは狂喜した。
なぜって、目の前にあったのは、待ちに待ったお母さんの顔だったのだから!
すぐそばで倒れていたお父さんも、二人で揺り起こす。こうして、久々に親子三人がそろったのだ。
「ふうん……そんなことがあったのね。カビの妖精のことはよくわからないけど、もうサプライズでも何でもないし、これからみんなでホワイトグラタンを作りましょうよ。実はね……昨日の買い物で生クリームがなかったって気付いたから、帰りに買ってきたんだよね」
「わあ、さすがお母さんだね。みんなで作るの、賛成!」
「お、おう。じゃあ、みんなで作るか」
こうして、皆で作ったグラタンも完成。
久しぶりにお父さんも交えての、楽しい食卓となった。
三人で作ったグラタンは美味しく、お父さんは何度も「うまいうまい」といって、ワイン片手に顔を綻ばせた。
「ああ、美味しかった……。さて、食後のデザートに蜜柑でもいただこうかしら」
そう言って、テーブルからコタツへと向かったお母さん。
天板の上の蜜柑をひとつ取ろうとしたものの、お母さんの手から滑り落ちたそれは、コタツ布団の下へと潜り込んでしまったのだった。
それを拾おうと、手をコタツの中に入れたお母さんが言う。
「あら、蜜柑が三つあるわね。どうしてかしら」
「しまった! コタツの蜜柑を片付けてなかった。お母さん、布団をまくったらダメ!」
しかしヒナノの叫びは、時すでに遅し、だった。
お母さんが勢いよくまくったコタツ布団の下から、色とりどりのカビの煙が巻き上がったのだ。
「きゃああ」
卒倒しかけたお母さんを、急いで駆けつけたヒナノが抱きかかえた。
「お父さん、大変! すぐにマスクをつけて、コタツの蜜柑を片付けて」
「お、おう。わかった、片付ける」
「起きて。起きてよ、お母さん!」
お母さんの名前を呼び、その肩を揺らして必死に起こしにかかるヒナノなのだった。
【おしまい】
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