いのちの時計屋
― 時の流れは不変のリズム。森羅万象リズムを刻む。人も時代もあなたもわたしも ―
見ること聞くこと触ること嗅ぐことも出来ない時の流れを、あなた、無関心に見過ごしていませんか。楽しい時間は速く過ぎるが、悲しい時間は遅々として進まない。てなこと言って時の流れを論じても、一人よがりの空疎な独白か、酒宴の席の酒のあてぐらいで終わるのが関の山でしょう。
有史以来、時の流れを制のでしょうかのでしょうか。神か、仏か、預言者か。それとも市井の人???。
「いのちの時計屋」の爺さん、時々snsで噂になるらしいよ。運命に関わる時計作るんだって。
「知ってる人いてたら教えてください。」
山間の村に「いのちの時計屋」と書いた、小さな店がありました。店中には小さな陳列ケースと、その中に時計が一つ置かれているだけの、今にもつぶれそうな店です。
お客さんが来ないので、店番の娘さんが椅子に座って読書に耽っていました。
「トントン」とドア叩く音がしたので、娘さんが顔を上げると、ドアを少し開けて少女が中をのぞいています。
「いらっしゃい。どうぞ中に入って」
優しい声に安心したのでしょう、少女は入ってくるなり
「あと一年、生きられる時計、ありますか?・・・」と、訴えるような眼をして聞きました。
「ありますよ」と娘さんが微笑むと、
「いくらですか…」と、心配そうに聞きます。
「一番安いので・・・十万円ですかね」
値段を聞いた少女は肩を落としました。少女には手の出ない値段だったのでしょう。
「また来ます…」
少女が帰ろうとすると、
「お嬢ちゃん、三千円の時計もあるよ」と、部屋の奥から爺さんが時計を持って出てきました。
「その時計で、一年生きられますか?」
「ああ、生きられるとも」と、手にした時計を少女に見せました。それはネックレスの小さな時計でした。
「まあ!きれい…」
時計を見て、少女は驚きの声を上げました。
規則正しくリズムを刻む5枚の歯車は、銀色に光り、針と縁取りとチェーンは黄金色に輝いています。表面のクリスタルは、角度を変えると、虹のように七色に変わり、文字盤の1から12の数字には、12種類の宝石が使われていたのです。
「この時計を、お母さんの首に掛けておあげ。時計の刻む音を聞きながら寝ると、ぐっすり眠れて、気持ちの良い朝を迎えられるよ。それと、寝る前に『長生きできますように』とお願いすることを忘れないことだ。願いは必ず叶うから」
「はい!わかりました」
少女は小さな財布からお金を出しました。不思議なことに、財布の中には三千円しか入ってなかったのです。
少女は礼を言うと、自転車に乗って帰って行きました。
「また、損をしましたね」と娘さんが言うと、「良いことすると、良いこと有るよ」と、爺さんは笑いました。
少女が帰ってしばらくすると、高級車に乗って酔った男が入ってきました。
「いのちの時計屋ってのはここか!」と、不遜な態度で店内を見渡します。みすぼらしい店構えが気にくわないのでしょうか、男は見下す気持ちを隠そうともしません。
「百歳まで生きられる、時計はあるか!」と酒臭い息を吹っかけながら、娘さんに聞きました。
鼻をつまみながら「ありますよ」と答えると、
「値段はいくらだ!」と、ますます横柄な態度で、俺は金持ちだといわんばかりです。
すると、「一億円でどうかな」と、奥の部屋から爺さんが言いました。
「一億!…」男は笑って「一億円と言ったのか?」と、聞き直します。
「百年の寿命が一億円で買えるなら、安いと思うが、どうだ。お客さんなら、一年で一億はかるく稼ぐんじゃないのか」
声の主がどんな人物なのか、男が身構えるように奥の方に目をやると、年老いた爺さんがケースに入った時計を持ってきて、男の目の前でケースを開けました。男はどんな豪華な時計がはいっているのかと、ケースの中を覗き込みます。すると、とたんに顔色を変えて
「この時計が一億円だと。馬鹿にするな!」と怒鳴りました。
どこから見ても安物の時計にしか、男の目には見えなかったのでしょう。
爺さんは顔色一つ変えずに
「旦那さん。見かけに騙されちゃだめだね。安物に見えるようだが、百年たっても一秒と狂わない時計だよ。時間が狂えば人生も狂ってくる。百歳まで生きたいのなら、おすすめの時計だと思うがね」
「時間が狂えば人生も狂うだと・・・」爺さんの言葉が気になったのでしょう。男は同じ言葉何度も呟きながら、時計と爺さんを交互に見つめます。
男は今、幸せの絶頂にいました。仕事も金回りも順調で、今の幸せが百歳まで続くのなら一億でも安い買い物だと、思い始めていたのでしょう、
「この時計を買ったら、百歳まで生きられるんだな!」と念を押すと、男は車にもどって、一億円の入った鞄を持ってきて、爺さんに渡しました。
「百歳まで生きたいなら、時計を大切にしないとだめだよ」と走り去っていく車に向かって爺さん言いました。
「良いことしたから良いこと有りましたね」娘さんがふふふと笑うと、
「一億円が三千円になったり、三千円が一億円になったり。人生は筋書きのないドラマじゃのう」と爺さんは、クックックッと笑いました。
「お爺さん、今日もお客さん来なかったね」
本を読み終えた娘さんが、奥の作業場に向かって話しかけました。
「悩みの絶えない社会だ。そのうち誰か来るだろう」と言って、爺さんが仕事を終えて出てきました。
その時「ごめんください」と明るい声で、一年前のあの少女が入ってきました。
「お母さんが亡くなりました。でも、三ヶ月しか生きられないってお医者さんに言われていたのに、一年も長生きできて、お母さんも喜んでくれました。そのお礼が言いたくてきました。それに、あの時計を一億円で買いたいっていう人が現れたの。だけど、お母さんの形見だから売りません。でもあの時計を持っていると、一年しか生きられないの?」
「お母さんの願いを叶えた時計だから、願いを叶えた後は、ただの時計だよ。だから心配しなくていいんだよ。お母さんの形見だと思って、大切にするんだね」
爺さんの言葉を聞いて少女は安心したのでしょう、頭を下げると笑顔で帰って行きました。
少女が帰ってしばらくすると
「爺いるか!」と怒鳴りながら現れたのは、一年前の男です。
「この時計を返すから、一億円返せ!」と、時計を台の上に投げ捨てました。
「今さら返せといわれても、金は寄付したからもうない。三千円なら有るぞ」
老人の言葉に、男は今にも泣き出しそうな顔をして睨みつけます。そして「それでもいいからだせ!」と、老人の手から三千円をむしり取ると、逃げるように出て行きました。
娘さんと爺さんは外に出て、星空を見上げます。
「今年も色んなことがありましたね。でも、一年って長いのかなあ・・・それとも短いのかなあ・・・」
「時間は永遠に変わらん。だが、心で感じる時間は、生き方によって変わってくるぞ。充実した時間は喜びをもたらすが、無駄な時間は苦しみをもたらす。充実した時間を送ってきたのか、無駄な時間を送ってきたのか、時計が教えてくれるだろう」
「時計って偉いですね。コツコツ休まず時を刻んでくれるんですもの」
「なにごともコツコツが大事だ。コツコツ努力を続けないと、幸せだって崩れてしまう。話は変わるが、そろそろわしらも移動せにゃならんな。次の行き先は決まっているのか?」
「次は都会の真ん中ですよ」
「ほう、次は都会かぁ…どんな人に会えるのか楽しみだな」
爺さんは、大きく深呼吸をすると「田舎の空気は本当に美味い」といって店の中へ入っていきました。