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聖女転生物語  作者: 神崎右京
第五章

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【断章】カルヴァン・タイターの『死生観』

 ごぅん…と、重苦しい音を立てて玉座の間の扉が閉まるのを背後で聞きながら、カルヴァンは大きく息を吐いた。

「――笑うなら笑え」

「いや、さすがにこの状況は笑えませんよ。とりあえず、足元に投げつけるはずの手袋を全力で顔面に投げつけるなんて暴挙が、どさくさに紛れてうまい具合に全員の頭から消え去って、この場で不敬罪で投獄されなくてよかったですね」

「…おい」

「途中、うまく話がまとまりかけた時は、帰り道は絶対に指さして「あんなに馬鹿にしてたくせに」って笑ってやろうって心に決めてましたけど。さすがにちょっと今は笑えません」

「お前には、本当にいつか上官への正しい振舞い方を学ばせる必要があるな」

 渋面を作って呻いてから、軽く視線を上げる。眩暈がするほど高い天井は、遠すぎて薄暗く陰っていた。いろいろと考えることがありすぎて、何から手を付けていいかわからない。

「あの――ど、どうするんですか…?」

 恐る恐る、といった声で、こっそり周囲に聞こえないようにリアムが問いかけて来る。

「さぁ…特に何も考えていない」

「えっ――な、何か考えがあって受けたんじゃないんですか!?」

「阿呆か。考えなんてあるわけないだろう。ウィリアムがこっちの申し出を受けるなんて、想定外もいいところだ」

 不機嫌に頬を歪めて憎々し気に吐き捨てる。

 リアムの話にも合った通り、本来、身分が異なる者同士の間での決闘は成就しないのが普通だ。特に、身分が下の人間から申し込まれた決闘は、鼻で嗤って受け流すことが出来る。決闘を申し込まれて受けて立たないのは男の沽券にかかわる、というのはあくまで同じ身分同士の者の間でだけ成立する話。身分が下の者が決闘を申し込んだなど、分不相応な行いを嗤われることはあっても、まともに取り合う必要などない、というのが常識だ。

 そもそも「このご時世に決闘って…」と誰もが呆れるような申し出だ。くだらないと一蹴されるのが落ちだと思っていた。その上で、イリッツァと人目をはばからずいちゃついて、相手の気を削ぐのが狙いだったのだ。あのカルヴァンが決闘を申し込むほど本気で、聖女であるイリッツァもそれを許容するほどお互い気持ちが通じ合っているとわかれば、身を引いてくれるのでは――というのが、最後に賭けた望みだった。

 そもそも、ウィリアムは物わかりが悪い方ではない。無茶なことを要求するような暴君でもない。心根は優しく、幼いころから聖職者としての振る舞いが身についているような男だ。想い合う男女を、自分のエゴで――権力に任せて無理矢理女を嫁にするなど、そんな無体なことをする人間だとは思っていなかった。その人間性に賭けたのだ。

 ――――――あっさり裏切られ、全力で権力を盾にした決闘をさせられる羽目になったのだが。

「さすがに、王族を殺すのはまずいよな?」

「まずいとかまずくないとかのレベルじゃないです。王太子殿下が亡くなったら、王位継承権は今年生まれたばかりの殿下の赤ん坊に移ります。こんなことは言いたくないですが、王様が万が一崩御された場合、この国は大混乱を極めます。長生きしていただいたとしても、今の赤子が執政できるほどの年齢まで――となると、なかなか…」

「――…だよなぁ…」

 頭が痛い。カルヴァンは、こめかみを抑えて呻くしかできなかった。

 そもそも、第一妃との間ではすでに離縁の根回しが済んでいるという。この状態で王太子が死んだとして、その子供の行方はどうなるか、想像できない。

「王女と俺が結婚して責任取るわけにもいかない、か…」

「当たり前でしょう。女性の地位が向上しているとはいえ、王族はまだまだ男系の世襲制です。っていうかそれ以前に、そもそもアンタ、聖女様と結婚したくて決闘するのに、最終的に他の女と結婚するってどういうことですか。民衆から袋叩きですよ」

「違いない」

 くっっと一つ失笑してから、はぁ、とため息を吐く。

「――参ったな。久しぶりに、八方塞がりな気がしてきた」

「…団長の弱音が聞けるなんて、明日は槍が降りそうですが、ちょっと今は冗談に聞こえない感じなのでやめてください」

 ツッコミを入れるリアムの顔は、微かに青い。状況を正しく認識しているのだろう。

 一国の王太子を――それも、第一王位継承者にして、他に男兄弟がいない唯一の王太子を、まさか、殺せるはずなどない。この決闘は、王太子が「死を以ってのみ勝敗を決す」というルールを作った時点で、相手がだれであろうと王太子の勝ちが決定しているのだ。

「まぁ…決闘なんぞに負ける分には、百歩譲って構わないんだが――死ぬって言うのがな」

「全力で土下座してきますか。俺も付き合いますよ。たぶん、騎士団全員付き合ってくれます。――今、我々は貴方を喪うわけにはいかない」

 リアムの青い顔にじっとりと汗がにじんでいる。その表情はどこまでも深刻だった。

 カルヴァンはふっと笑みを漏らす。

「馬鹿言え。その程度で許されるなら、そもそもこんな展開になっていない。あれは、ウィリアムの覚悟だ。お前を殺してでも惚れた女を奪い取る、っていう男としての覚悟だろう。あいつが一番嫌いそうな、自分の権力を最大限に利用したルールを持ち出したのもその表れだ。――土下座くらいで撤回されるわけがない」

「っ――…でも、じゃあ!」

「あー…そうだな。とりあえず、決闘まであと何日あるかはわからないが、可能な限りダインに引継ぎだけは済ませておくか。リアム、お前は副団長だ。ダインから引き継げ」

「ちょっ――じょ、冗談に聞こえません!」

「本気だからな」

 飄々とした様子で答えて、歩みを進める。リアムは一瞬遅れた後、必死に追いすがった。

「なっ――なんでそんな、余裕なんですか!!?貴方はいつも――いつも、いつも、孤立無援の戦場のど真ん中でも、部下に剣で脇腹ぶっ刺されても――たとえどんな窮地でも、そんな風に余裕ぶっこいてっ……!神経が信じられません!死ぬのが怖くないんですか!?」

「――まぁ、怖くはないな。久しく、死が怖いなんて思ったことはない。人が死ぬのは一瞬で――本当に、簡単に、死ぬんだ。知らなかったなら、覚えておけ」

 眉ひとつ動かすことなく当たり前のような顔で言われて、リアムは蒼い顔のまま絶句する。

 それは、カルヴァンが五歳の時に理解した真理だ。この世に神様なんてものは存在せず――人が死ぬのは一瞬で、簡単。

 積極的に死にたいとまでは思わないし、生きている間はそれなりに楽しんでおきたいと思うが、死ぬなら死ぬで、別にいい。死は、誰にでも訪れる平等な不公平だ。どれだけ神に祈ろうと、縋ろうと、敬虔な信徒だろうと、変わらない。善人と悪人の区別もない。死は平等に、誰にでも降りかかる。それまでの行いなど関係なく、無慈悲に。

 だから、死から逃れるために必死になる、という精神はカルヴァンにはあまり理解が出来ない。死ぬときは死ぬし、生きるときは生きる。それだけだ。

 放っておくと、すぐに勝手に死のうとする、と言ったイリッツァの言葉は、ある種正しい。そもそもが、誰かとのつながりを持つことを避けて生きるカルヴァンは、誰かのために、何かのために必死に生き残るという認識がない。根無し草のように、気の赴くままに生き、気まぐれのように死ぬのだろう。そして、そんな人生でいい、とカルヴァン自身が心から思っていた。

 ――リツィードという少年に、出逢うまでは。

「り、リツィードさんがっ…待ってるから、ですか…?」

「――は?」

「団長、ナイードでっ…撤退するとき、言ってました…『あいつが待ってる』って――!」

(あー…確かに、そんなようなことを言ったかもしれない)

 何せ瀕死の重傷だったので、記憶はかなりおぼろげだが――当時の精神状態を考えれば、それくらいのことを口走っていてもおかしくない。カルヴァンは左耳を掻いて、軽く目を眇めた。

 ここ数日、忘れていた。――ついこの前まで、カルヴァンは『積極的に死にたい』と思って生きていたことを。

「だ、ダメですよっ…ナイードで、一回死んでも迎えに来てくれなかったんでしょう!?きっと、今また行っても、会えません!怒られます!」

「いや…まぁ……それはもうだいぶどうでもいい」

 まさか、死後の世界に彼はおらず、今この王城の神殿に女の姿で生きているのだとは言えず、控えめに口を開く。

「だっ、第一っ…い、イリッツァさんをどうするんですか!また――また、あんな風に、泣かせるんですか!?」

「――…あー…」

「いくら団長でも許しませんよ!羨ましい!あんな美女に、あんな風に悲痛な声で泣いて縋らせるなんて、絶対ダメです!全国の男の嫉妬を集めます!」

 憎まれ口を装いながら必死に説得してくる部下に、再び左耳を掻く。どうやら、この補佐官の中でも、つい数日前の夜のことは、軽いトラウマになっている気配がある。ほんの少し声が震えているのには、気づかぬふりをしてやるのが優しさなのだろうか。

(相変わらず、痛いところついてくるな、こいつは)

 今死んだところで、もう、リツィードは自分を待っていない。

 それどころか――こっちの世界で、カルヴァンの手を、必死に握って引き留めようとしている。

(――参った。妙な誓いなんぞ、立てるんじゃなかった)

 イリッツァ相手に立てた誓いを思い出す。

 一つ、イリッツァを置いて勝手に死なない。一つ、もう二度と、彼女をあんな風に泣かせない。

 独りにしないとか守るとか、そんなものは、仮に決闘で死んだとしても根回しさえしておけばいくらでも守れるのだが――彼女から提案されたこの二つの誓いを受け入れてしまったのは誤算だった。

「…リアム。一つ聞きたいが、エルム教の中で、誓いっていうのはどういう扱いなんだ?」

「へ?」

「もし破ったらどうなる?」

 急に突拍子もないことを聞かれて面食らい、鼈甲の瞳がぱちぱち、と何度か瞬いた。

「破ったら――って…破らない、です」

「いやだから例えば――」

「破るなら、誓いを立てない。誓いを立てたら、破らない。――それだけです」

「――――…なるほど。相変わらず、窮屈極まりない教えだな」

 半ば呆れたように嘆息して呻く。どうやら、知らない間にとんでもなく重い枷を背負わされていたようだ。何度もイリッツァが「誓え!」と真剣に迫って来たのを思い出す。それは、こういうことだったらしい。

「…困った。あいつの前で、もう二度と勝手に死なないと、誓ったのは悪手だったな」

「え?あいつって――イリッツァさんですか?」

「あぁ。――…とはいえ、どうするか。決闘の撤回なんぞ出来ないだろうし――相手を倒すことも出来ない。倒されることでしか決闘は終わらないが、それはすなわち俺の死を意味する。――…あいつが泣きながら縋ってくるのをもう一度見られるのは悪くない気分だが、死んだ後だと見られないしな」

「貴方、本当に性格悪いですよね…」

 ひどくまじめな顔で告げられた軽口に、リアムはひくっと頬を引きつらせて呆れる。心配して損した気持ちになってきた。

「団長、絶対あれですよね。好きな子は苛めちゃうタイプですよね」

「何だそれは」

「人のこと童貞とかなんとか言って馬鹿にしておきながら、自分は未就学男児と変わらない恋愛の仕方ってどうなんですか、って言っておきたかったんです」

「うるさいな」

 眉間にしわを寄せて不機嫌をあらわにするが――否定はできなかった。

 気持ちの伴わない体だけの関係の女相手は別だが――少なくとも、イリッツァには、つい意地の悪いことを言って困らせたくなる。こちらの反応に一喜一憂して振り回されて慌てたり困ったり恥じらったりする顔を見るのがこの上なく楽しい。たまらない独占欲と征服欲が満たされていくのを感じる。

 だがそれは、リツィードの時代から、そうだった。彼にも何度「お前、性格悪い」と呆れながら言われたかわからないが、褒め言葉にしか聞こえない。――そこまでカルヴァンが意地悪をするのは、リツィードにだけだということを、彼は生涯知ることはなかったかもしれないが。

「まぁ――あいつを困らせて苛めたい気持ちがあるのは否定しないが、無意味に悲しませたいわけじゃない。酷く面倒だが、何とか打開策を考えるか」

「お手伝いしますよ。一緒に考えましょう」

 呆れたため息で協力を申し出られて、ふっと苦笑が漏れる。この補佐官には、三年間、助けられてばかりだ。

 薄暗い天井が続く王城を出ると、空は抜けるような快晴が広がっていた。

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