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聖女転生物語  作者: 神崎右京
第四章
54/105

51、事態の『急変』②

 ギシッ…と安宿の寝台のスプリングが小さく軋んだ音を立てる。

「――ツィー」

「っ……」

 耳元で甘くささやかれた声に、イリッツァは息を詰めて言葉を飲み込んだ。

「――――――…まぁ、叫ばなくなっただけでも成長か」

 はぁ、と渾身のため息をついて、後ろ頭をさらり、と撫でる。幼子にするような優しい手つきに、少しだけイリッツァの緊張が解けた。

「ハグなんか、男同士でもするだろう」

「そ…そう…だけ、ど…やっぱ、なんか……緊張、する…」

 宿で食事をとった後、部屋に引き上げたカルヴァンとイリッツァは、静かにここ数日の恒例となった行為を繰り返した。ベッドの上に腰掛け、静かに引き寄せると、大人しく胸の中に納まって縮こまるくらいになったのは、初日を思えば大きな進歩と言えるかもしれない。最初は、抱き寄せるどころか、ベッドの前で手を取って引き寄せようとしただけでわーきゃー喚かれて涙目で抵抗されて、本当に苦労した。――リアムがすっ飛んできてドアを全力で壊しかねない勢いでノックしてきたのは、もはやいい思い出だ。

「…で?お前はそうやって腕の中で縮こまってるだけか?」

「ぅ…ぅぅ…」

(――…まぁ、普通に、女としてはいじらしくて可愛い仕草ではあるんだが)

 心の中のつぶやきは決して口に出さず黙っておく。今まで、カルヴァンが相手にしてきたのはどちらかというと積極的な女ばかりだった。こんな風に、ハグ一つで真っ赤になって恥じらう初心な女は、体のお付き合いしか持つ気のなかったカルヴァンにとっては面倒すぎて相手にする気にならなかったので、正直、かなり新鮮で面白い。

(しかも、こいつが、っていうのが、最高に面白い)

 よしよし、と安心させるように頭を優しく撫でながら、心の中でこっそりとつぶやく。

 十五年前だったら絶対に見せなかったであろう表情。――昔から、親友が、今まで見せたことがない表情を見せるのが好きだった。一つ、また一つと増えていく天使のようだった親友の新しい『人』の表情こそが、真っ暗闇だったカルヴァンの世界に色を付けていったものだったことを、きっとリツィードは知らないだろう。リツィードを喪った日から再び漆黒に閉ざされていた世界は、昔と比べて格段に多くなった彼女の表情で、再び明るい色合いを取り戻していった。

 特にここ数日は、十五年前からは信じられないような表情を何度も見ている。

 色事に巻き込まれて、真っ赤になって恥じらう姿はもちろん――何より、『ヴィー』と涙にぬれた声で彼女だけに許した愛称を呼び、『置いていかないで』と号泣する姿は、かなりぐっと来た。真剣に哀しんでいた彼女には申し訳ないが、正直、もうあと何回か、同じように泣いて縋ってほしい。やってくれるなら、金くらい払う。

「ぅー……ハグ…ハグだ…仲間とのハグだ…」

「何の呪文だ」

 口の中で繰り返しながら何かと葛藤するイリッツァに、思わずくっと喉の奥で笑いが漏れる。

 おずおずと――ゆっくり、そろそろとイリッツァの腕が持ち上がり、長い時間をかけた後、そっとカルヴァンの背中に添えられた。

「――――よくできました」

「っ……あー……なんか、すげぇ複雑…」

 観念したように肩に額を預けるようにして呻くイリッツァを、ぐっと腕に力を入れて抱きなおす。友人とのハグにしては、しっかりと抱き合いすぎている気がするのは確かだろう。

「お前、だいぶ細いな」

「そりゃ、女だし…鍛錬はしてるんだけど、思ったように筋肉つかないんだ。体質なのかも…」

「まぁ…ゴリラみたいな女で萎えるよりはいい。俺もそれを相手に芝居を打つのは苦労する」

「失礼な奴だな、オイ」

 軽口をたたきながら、小さく嘆息する。こうして抱き寄せると、当たり前だが、女なんだと実感した。

 華奢で、か弱くて――柔らかくて、女特有の、甘い香りがする。

 ――妙な気分だ。

(――――中身はリツィードだろ)

 女の体なんかしているから、どうにも時折、頭が混乱する。しかも中途半端に顔が好みなのがいけない。外見だけなら今すぐにでも夜のお相手を頼みたい程度にはそそられる見た目なのだ。

「深呼吸でもして慣れろ」

「深呼吸…」

 素直に深呼吸し始めたイリッツァを見ながら、自分も冷静になるよう努める。

 唯一無二の親友だ。普段から様々な観点で相性がいいのはわかっている。――体の相性まで良さそうなのが、問題なのだ。

 こうして、夜ごと抱き寄せてわかったのは、妙にしっくりくるサイズ感。ずっと触れていたくなる柔らかさ。つい鼻を寄せたくなる甘い香り。手触りの良い、絹のような銀の髪。

(――――キスの相性も、悪くなかった)

 思わず、相手が親友だということを忘れて続けざまに何度も口づける程度には。

 両手が空いていたら、きっと左耳を掻いていただろう。カルヴァンは、仕方なく嘆息することで苦い気持ちを逃がす。

(思い出せ、男だったころのリツィードを)

 なんとなく手触りの良い髪を弄ぶようにしながら、遠い記憶に想いを馳せ――

「――…?どうした?」

 つい先ほどまで緊張で硬直していたはずのイリッツァが、軽く身じろぎをして硬直を解き、自然に体を預けてきたことに気づいて、指で髪を弄んでいた頭に視線を落とす。

「ん…いや、お前とこんなくっつくことって、なかったからさ」

 先ほどまでの緊張はどこへやら。イリッツァは、深呼吸効果で慣れたのか、いつもの様子で言ってから――すっとカルヴァンの耳元に鼻を寄せた。

「っ!?」

「お前の匂い、なんか、安心する。嫌いじゃない」

 くん、と鼻を鳴らすようにして匂いを嗅ぎ、ふっと吐息で楽しそうに笑う気配がする。そのまま、すり、と甘えるように鼻先をこするようにしたあと、安心したように頭を肩に預けてきた。

「―――――――――お前のそれは、本当に無自覚なのか?」

「へ?」

 完全に、心を許した恋人相手にする仕草だ。それも、急接近して密着した柔らかな体も、ふわりと香る甘い匂いも、抵抗できないくらい直接的に"女"を感じさせてくる。不意打ちを食らったせいで一瞬、心臓が一足飛びで走り出したのを全力でなだめながら額を覆う。

 ――天然の男たらしが、ここにいる。

(思い出せ、思い出せ、リツィードだ。男だ…!)

 全力で眉間にしわを寄せて記憶をたどる。出来るだけ男らしい場面を思い出そうと思ったが、当時から周囲にからかわれ続けていた今とあまり変わらない造詣の女顔のせいで、いまいち気がまぎれない。

「ヴィー?」

「……今そう呼ばれるのは、あまりよろしくない」

「?」

 耳元で少し甘い声で不思議そうに呼ばれ、口の中で呻く。

(なんだろうな、この感覚は)

 完全に困惑しながら頭の中で情報処理を進める。

 イリッツァに抱く感情を、ただの友愛――と言い切るには、重い自覚がある。非業の死を遂げた一人の男に殉じて十五年。奇跡的に再会を果たした後は、相手を永遠の孤独から救い出したい一心で、感情などそっちのけで、結婚を迫るほどだ。

 だが、カルヴァンの中では、彼女がどんな外見をしていようと、リツィードであるという認識であることは変わらない。声も、年齢も、外見も変わってしまったが、それでもふとした表情に、親友の面影を感じる。張り付けたような笑みを見ればそこから救い出したくなるし、『人』らしく笑う顔を見れば、その笑顔を守りたくなる。そこに、男女の恋情が挟まれる余地はなかった。

 友愛というには重いが――恋愛というには、親しすぎる。

 それだけならよかったのに――――何故か、時折、本能に直接殴りこむようにして、性愛がいきなり顔を出してくる。

(――…こいつが闇の魔法使いだと言われても信じるぞ、今なら)

 人を惑わし、操るという闇の魔法。普段は潔癖すぎるくらいで頭が固いと嘆きたくなるようなほど色事に関してはお子様な癖に、ふとした瞬間に、淫魔とでも契約したのではないかと思うくらい、ぞくりとするほどの女の色香を感じさせる。

「…そういえばさ」

「?…なんだ?」

「お前――俺と結婚するとか言ってるけど…その、本当に、いいのか?」

「は?なんだ今更」

 むっとして考え事を中断し顔を上げる。王都を目前にして今更何を、という目で鋭く見つめると、イリッツァは慌てて両手をかざし、誤解だと身振りで伝える。

「や、今更嫌だとかは言わないけどさっ…その――だって、お前、俺と結婚したら…もう、他の人と結婚できないじゃん…?」

「――――?それがどうかしたか」

「その…もし、将来、お前に本当に好きな人が出来たりしたら――俺と結婚してたら、色々面倒だろ」

「あぁ…」

 間違いなく、聖女と英雄の結婚などというセンセーショナルな話題は王国中に響き渡るだろう。エルム教が浸透し、一夫一婦制を当たり前にしているこの国では、ただでさえ離婚は簡単ではない。神の前で誓った永遠の愛を偽ることになるからだ。それが、神の化身たる聖女を無理に妻にし俗世の理に縛り付けた末に、「他に好きな人が出来ました」などといって離婚することなど、できるはずがない。間違いなく王国中の人間から闇討ちに遭う。

「別に、そもそも生涯結婚する気なんてないって言ってただろう。仮にお前と結婚なんてしなかったとして――今後、相性のいい相手が出来たとして、体の関係だけ長続きするとかならまだあるかもしれないが、結婚なんて面倒なもの、するつもりはない」

「そ、そうか――いや、簡単には流せない女の敵発言があった気がしたけど、今は置いとく。で、でも、それだけじゃなくて、その…」

「?」

「う、浮気…っていうのか、わかんないけど……俺と結婚してても、そういう人がいたら、その、他の女の人と、そういうこと…したり、するのか…?」

「は?」

 一瞬、何を言われているのか本気でわからず聞き返し――やっと思い至って、呆れた顔を返す。

「なんだ。お前以外は抱かない、とでも言ってほしいのか?面倒な女だな」

「っ…え、ちょ、いやいやいや、待て、俺は抱くのか!!!?」

「――――さぁ。双方がその気になれば」

「なっ、ちょっ…お、俺たち友達じゃないのか!?」

「……戸籍上は夫婦になるわけだし、やることやってても別にいいんじゃないか?」

「やめよう!」

 はっきりきっぱり言い切られ、左耳を掻く。時折、酷い色香に誑かされ、成り行きでそうなる未来があっても不思議じゃないと思っているのは自分だけらしい。

「その――お、王女様との結婚の話とか――」

「しつこい」

 くだらない話題をばっさりと切り捨てる。あまり長引かせると、「お前の幸せを思って」とかわけのわからない自己完結をして土壇場で裏切られかねない。

 やれやれ、とため息をついてからイリッツァを見ると、少し気まずそうに視線を外して小さくなっていた。

 どこから見ても十五歳の少女にしか見えないそのか弱い肩を見つめ、そっとカルヴァンが口を開く。

「…お前こそ」

「え?」

「俺と、結婚なんぞしたら、もう他の男と結婚できないぞ」

「――――へ…?」

「いいのか?」

 灰褐色の瞳は、感情の色を読ませず薄青の瞳を見つめる。イリッツァは、ぱちぱち、と目を瞬いた。

「一応、女の幸せとか、そういうものを求めたいというなら、何か方法を考える。――俺は、お前が聖女の責務とやらに縛られて王城の奥で人目も見ずに国家の奴隷みたいに生きさせるのが嫌なだけだ。結婚はそれを避けるために都合がいい手段でしかない。別に、お前が望むならリアムみたいな男とでも結婚すれば、一般的な男に愛される喜びっていうのを経験できる」

「は、はぁ…」

「俺とお前の関係は、どうしても複雑だろう。――天変地異が起こったって、"普通"の恋愛関係にも家族関係にもならない。そういうのを求めたいなら、他の男を探せ。手伝うくらいはしてやる」

「お前…ホント、時々、変なところで変な気を回すよな」

 呆れたように半眼でイリッツァは呻き――ふっと吐息を漏らすように笑みを作った。作り物ではない、心から笑うときの、笑顔。

「もともと、俺は聖職者として独りで生きていくつもりだったし、誰かとつながりたいなんて思ってない。王子様が迎えに来てくれる――なんて、恋に恋するような歳でもないしな」

「…なんだそれは。あったのか、そんな時代」

「まぁ、転生して、記憶が戻る前は、普通に。可愛いだろ?」

「――――――――想像がつかなさ過ぎてわからん」

 確か五歳の冬に記憶が戻ったと言っていた記憶をひっぱり出して、目の前の少女が五歳だったころを想像するが、すぐに渋面を作ってあきらめる。カルヴァンの中にある五歳のリツィードは、すでに完璧な作り笑顔を使いこなす聖職者としての誇りを持った可愛くない子供だった。それが、転生したのちに、王子様とやらの登場に憧れる少女時代があったなどと、どうして信じられようか。

「ははっ…記憶戻ったら、王子様も王女様も王様も、みんな顔見知りだったんだ、一瞬で現実に引き戻されたさ」

「あぁ…そういえば、お前、聖女の公務によく護衛役として駆り出されてたな」

「うん。――みんな、元気?」

 ふ、と少し愁いを帯びた表情で尋ねる。どのように答えるべきか迷い、カルヴァンは少し視線を外した。

「王は、まぁ、以前言った通りだ。執政者としては類を見ない人格者だろう。神の教義とやらにも詳しいし、惑うことがない良い指導者だ」

「うん、知ってる」

「王女は――さっさと報われない恋をあきらめて現実と向き合ってほしい。ああいう箱入りのわがまま娘はタイプじゃない」

「ははっ」

「王太子は…お前もよく知ってるか。師匠に剣を習いに来てたな、確か。――今は、俺が教えてる」

「へぇ。名誉なことじゃん。えっと、ウィリアム王子だっけ?」

「ああ。さすがに、師匠仕込みの基礎があるし、筋は悪くない。王子にしておくのはもったいないな。兵士にしたらそこそこ使えると思うぞ。王に似て、素直で、人格者で――少々神様に心酔しすぎて潔癖すぎるところさえなければ、完璧な奴じゃないか?」

「へー。あのキラキラ爽やか少年が…俺の記憶、王子様が十歳のころで止まってるからさ。今――えっと、二十五?」

「あぁ。相変わらずキラキラしてるぞ。顔だけは無駄にイイ。昔のお前みたいに、聖職者っぽい笑顔が、爽やかだとか麗しいだとかで、王太子妃を迎えるまでは若い女に人気だった」

「えっ、結婚したの!?」

「するに決まってるだろう。もう二十五だぞ?…しばらく子供が出来なくて王都中がハラハラしてたが、去年、跡継ぎも生まれて世継ぎ問題も解決だ」

 言われて、イリッツァはダニエルの書簡でその情報を見たことを思い出す。いつも、カルヴァンが関係している軍事関係ばかりの情報を追っていて、正直王族の結婚だの世継ぎ問題だのには興味がなかったので、あまり記憶に残っていなかった。

 王族は、光魔法を遺伝でつなぎ続けることを許された唯一の一族だ。初代王から続くその血を絶やさないために、一夫一婦制をとるエルム教の中で唯一例外的に、血を絶やさないための一夫多妻制が認められている。実際、今の王子と王女は、母親違いの兄妹だ。血が濃くなりすぎることを懸念して、なるべく遠い血筋の分家から嫁を貰うのが慣習だ。結婚してしばらく子供に恵まれなかったからと言って、王族であるからにはいくらでも女を囲えるのだから、焦らなくてもいいだろう――と、気にも留めていなかった。

「あの爽やか坊ちゃんが、結婚して子供作るとか――なんか、天使かと思うくらい透明感あふれる美少年のイメージだったから、どうにも信じられないな」

「………まぁ。本人も、子作りは苦心したらしいけどな」

「へ?」

 カルヴァンは、軽く肩をすくめるだけで話を流した。あまりにも個人的な領域の話なので、詳しく話すべきことでもないだろう。

 第二の剣の師と仰がれ、交流が深かった王太子は、なぜかカルヴァンにひどく懐いていた。王を諫めに直談判したという事件が、彼の中では衝撃的だったらしい。本当はそんなに格好いいものではないのだが、幼かった少年には、憧れの英雄譚として映ったのだろうか。剣の師としてだけではなく、人生の師として仰がれているような気配があった。

 それほど心を許されていたせいか、よく、剣の稽古ついでに人生相談もどきを受けることがあった。王族としての振る舞いに関すること、家族に関すること――結婚と、跡継ぎに関すること。

(――潔癖すぎてデキないってのは、理解出来なさ過ぎて、さすがに何も対処法を授けることは出来なかったが)

 王族は、聖職者の括りではないが、聖職者と同等の教育を受ける。聖典に従うことこそが執政であるという特殊な方針がある以上当然のことだが――王太子であるウィリアムは、少し、素直すぎた。

 真摯に、聖職者としての教えを守り、励行した。多感な時期に、稀代の聖人と呼ばれたリツィードの事件があり、さらに聖職者としてのあるべき姿を考えさせられた。

 結果――女性と、そういった行為をすることに、嫌悪感を抱いてしまったらしい。

「なんというか…ウィリアムを見てると、昔のお前を思い出す」

「…お前、一国の王子を呼び捨てにするなよ…リアムあたりにまた怒られるぞ」

「本人が呼び捨てでいいって言ったんだ」

 半眼のツッコミはさらりと流し、イリッツァを見つめる。その向こうに、赤銅色の髪をした女顔の少年を透かした。

 ウィリアムもまた、リツィードに似て、どこか、この世のものに思えないほど存在感のない男だった。顔の造詣はすでに崩御した第一王妃に似て非常に整っていて、太陽を透かしたような金色の髪と紺碧の瞳が、人形のようだとよく言われる。――そんな、人間味のないところまで、そっくりだった。

 神に殉じ、人々の幸せのために己を殺し、王国に尽くす。それが、当たり前と信じて疑わない、そんな男だ。おそらく幼いころから純真無垢な性格ですべてを素直に吸収していたのだろう。そんなところも、出逢った頃のリツィードを彷彿とさせる。――ただし、リツィードと異なり、周囲の人間に愛し愛されて育った彼は、絶望的な孤独の闇を抱えていない。おそらく、太陽の下で微笑み、太陽のような教えを説く、まさに為政者としては素晴らしい存在だろう。――幼い日のカルヴァンが見たら、世の中で一番関わり合いたくないと唾を吐く類の人種だ。

 だが、結婚という制度に直面して初めて、彼も闇を抱えることになった。

 王族の責務として、跡継ぎを作らなければならない。それなのに――そうした行為をしようとすると、嫌悪感が先立ってしまって、最後まですることが出来ない。聖職者が忌避する『性愛を感じさせる行為』の際たるもののその行為は、ウィリアムを王族としての責務との間で悩ませた。

 どうしたら女を抱けるのか、という質問を受けたカルヴァンは、「目の前に据え膳があるのに抱けないなんてことあるのか」と返してしまった。明らかにウィリアムは聞く相手を間違っただろう。

 結果として、もともと当たり前のように政略結婚でしかなかった王太子妃との関係は、誰が見てもわかるくらいに冷え込み――数年たって、やっと懐妊したとき、王城の下世話な使用人たちは、本当に王子の子か怪しい、などと吹聴したものだった。生まれたのが男児だったために、その噂は憶測を呼んで様々な尾ひれを付けて面白おかしく下世話な人々を楽しませた。

 真実がどうなのかはわからない――し、さほど興味もないので聞くつもりもないが、完璧王子の笑顔に、一連の事件を通してかすかな闇がよぎるようになったのは間違いない。

「師としては、誰かさんみたく、もう少し『人』らしくなってもいいと思うがな」

「うーん、そればっかりは、本人の意向を尊重してやりたいな…」

 少し複雑そうな顔でつぶやいたとき――

 ガッ キィン

「「――――――!」」

 外から、鋼が打ち合う音が響き、バッと二人とも跳ね起きるようにして立ち上がり、窓へと向かう。

 ガタガタッと安宿の建付けの悪い窓を力任せに開けて外を確認し――

「――――――な――…」

「チッ…!――おいリアム!!!!起きろ!!!緊急事態だ!」

 カルヴァンは、周囲に聞こえるほど大きな舌打ちを残して、ダンッと部屋の壁に拳を一つお見舞いしながら怒声に近い指示を隣の部屋に向かって飛ばす。

 窓の下、暗闇の中――風に乗って、微かに血の臭いが届く。

 眼下では、無力化されていた闇の魔法使いが拘束された馬車の見張り二人が首を切り裂かれて物言わぬ躯と化し、開け放たれた馬車の扉から――闇の魔法使いの死体が、頽れるようにして半分覗いていた。

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