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聖女転生物語  作者: 神崎右京
第三章
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28、英雄の『待ち人』②

 あたたかな陽光が降り注ぐ、春先の休日だったように思う。

 明け方、どこぞの女の元から帰って来たかと思うとそのまま床に入ってしまった親友に呆れた目をしたリツィードは、特に声をかけることもないまま、いつもの習慣を繰り返した。日が真上に来る頃に目を覚ましたカルヴァンは、肘枕を突きながら寝台からぼんやりとその様子を見下ろす。

「お前、いつも思うが――よく飽きないな。せっかくの休みなのに」

「飽きるとか飽きないとかじゃないだろ。っていうか、お前もやれよ。いつか大怪我するぞ」

 手元から目を上げることもなく返ってきた答えに、やれやれ、と肩をすくめるだけで受け流す。

 リツィードの休日は、朝起きて教会に礼拝に行き、帰ってきたら午前中の筋力トレーニング。インターバル代わりにこうして剣の手入れをしてから、食事をして、厩で愛馬の世話をする。それが終わったら、日が暮れるまでひたすら鍛錬場で剣を振るのだ。

「剣ってのは、戦場で自分の命を預けるやつだろ。馬だってそうだ。大事な相棒なんだから、心を尽くして愛情持って接するのは当然だろ」

「愛情…ねぇ?」

 剣に愛着などないカルヴァンは、ことあるごとにさっさと獲物を変えてしまう。一つの物に執着して、こうして丁寧に手入れをし、大事に扱うリツィードの気持ちが、いまいちカルヴァンにはよくわからなかった。

 人にも、物にも、執着しない。何かに縛られるのは死ぬより嫌だ。

 唯一、自分を縛り付けていいのは恩人であるリツィードだけだ。自分が不幸であることすら気づかず、心に深く刻まれた傷口から血を流し続ける彼の血が止まるまで、カルヴァンはその隣を離れるつもりはなかった。いつまでだって、その傷口を抑え続ける。いつまでも治らないなら、死ぬまで傍で、寄り添い続ける。自分自身が幸せになることなんて、五歳のあの日にとうに諦めた。どうせ、自分の幸せは――この親友の幸せなしに、ありえない。

「お前も、剣に名前とか付けてみれば愛着沸くんじゃね?」

「はぁ?なんだその寒い行為」

「いや、大事だろ、名前。名前があるだけで、なんか粗末にできない気になるじゃん」

「――…まったく理解出来ん…」

 半眼で呻く。よっと体のばねだけで起き上がり、寝台の上で伸びをする。今更ながら、あくびが出た。

「まぁでも確かに、お前が剣に名前つけてたら、皆めちゃくちゃ驚くだろうな。…ふ、ははっ…ウケる」

「そういうお前は、まさか、その剣に名前とか付けてるのか?」

「当たり前だろ。大事な相棒だしな」

 言いながら、軽く愛剣を持ち上げて、光に透かして剣身を眺める。

「でもそれ、最近新調したんじゃなかったか?」

「あぁ。最近、やっと魔物討伐にもちょいちょい助っ人で呼ばれるようになったから、新しい奴迎え入れた。これ、すげーんだぞ。聖女様の加護がかかってるんだ」

「はぁ?なんだそれ」

「…母さんに頼んで、加護かけてもらったんだよ。剣身だと、刃こぼれしたり折れたりするかもしれないから、柄の部分に」

「加護?…って、魔法ってことか?」

「あぁ。魔物にとって、光魔法は天敵だからな。何かあったとき、光属性の魔法使いじゃなくても一回だけ、持ち手の意思に反応して、魔法がつかえるようになってる」

「……なんだ、そのチート技。さすが聖女様は規模が違うな」

「ははっ…俺が使うかもしれないし、俺が倒れた時に、周囲の奴が使うかもしれない。戦場は不確定要素がたくさんだから、そういう保険掛けておいてもいいかなって」

「ふぅん…」

 耳を掻きながらカルヴァンは加護を施したという女性の顔を思い浮かべる。

 真冬の湖面のような凍てついた薄青の瞳を息子に向けるあの美女が、息子の無事を祈って加護を授けるなど――にわかには信じがたかった。

「――で?肝心の、剣の名前はなんていうんだ?」

「ん?…あぁ、こいつか?こいつは――――――――」



 ぼたっ…ぼたっ…

(…………雨………?)

 固く閉ざした瞼の向こうに、熱い滴があとからあとから降ってくるのを、意識の遠くで感じる。

「っ…ごめ、なさ――無理です、無理です、俺には絶対に無理ですっ…俺は、貴方みたいになれないっ…神様にだって縋るし、奇跡にだって期待してしまいますっ…団長っっ…」

 浮上し切らない意識の隅に響くのは、聞きなれた情けない部下の声だ。

「神様っ…神様、神様、お願いですっ…この国に、まだこの人は必要なんですっ…だからどうか――リツィードさんっ…団長を、連れて行かないで…っ…!」

(あぁ――久しぶりに、聞いたな…)

 ぼんやりと懐かしい単語に触れて、朦朧としていた意識がわずかに覚醒する。

 友の名を――自分以外の人間が口にするのを、久しぶりに聞いた気がする。

 誰もかれも――『聖人様』と言って、あいつを人扱いしてやらなかった。

(くそ――…なんだって、こんな――ときに、思い出す――…)

 最期に思い出すのは、やっぱり、あいつとの想い出だった。しかも、特別な思い出でも何でもない、普通の日常。いつも通りの、休日の昼下がりの風景。

 そんな日常で、あいつは――『希望』を託していた。

(まだ来るな――とでも、言いたいのか――?)

 恨めし気に思いながら、最後の力を振り絞って、手を動かす。

 誰にも、何にも縛られるのは御免だ。こんな自分を縛るのは、あのムカつく幼馴染一人でいい。

 この十五年、あいつの言葉に、思想に縛られて行動してきた。

 騎士とはどうあるべきか。己は、どう行動すべきか。

 常に指針は――親友だったら、どうするか。

(あいつが、ここにいたとしたら――)

 たぶん、救うのだろう。いい歳をして、何度も死線を超えた戦士たちが、総大将の危機というだけで、みっともなく惑っている。この、神の戦士とやらを導き――希望を、与えるのだろう。いつもの、完璧な、あの大嫌いな笑顔のまま。

(くだらないな――やっぱり、俺にはさっぱり、理解が出来ん)

「ぐ――っ、く…」

「だっ…団長!?どうし――」

「剣…っ…をっ…」

 力を振り絞り、かすれた声で告げる。リアムは、わけもわからずつい、言われたとおりに彼に剣を手渡した。

 十五年――片時も手放さなかったのは、奇跡だ。

 くだらない感傷だったのか――一人の戦士として背を追った、あの剣士の強さにあやかりたかったのか。今となっては、わからない。

 はぁっ…と熱に浮かされた吐息を吐いて、カルヴァンはありったけの力で剣の柄を握る。すぐ後ろには、今にも魔物が数匹、襲い掛からんと距離を詰めていた。

「っ…――――――『カルア』!あいつらを、蹴散らせ!!!」

「ぇ――――――!」

 カッ――――――――――

 剣が輝いたかと思うと、光の網が高速で展開していく。それは、十五年前、王都の傍で見た空に広がる光に似ていた。

(あぁ――嫌なもの、思い出させるんだな、お前は)

 思いながら、だらり、ともう力を込めていられなくて、剣が――『カルア』が手から滑り落ちる。十五年、決して手放さなかった戦友が離れていく。

(やっぱり――母親の加護、なんて嘘っぱちじゃないか)

 どうせ、自分でこっそりかけたんだろう。確かにこの魔法は、十五年前に灰色の空に見た光と同じだった。

「だっ…団長っ…!魔物が!魔物が去っていきます!俺たち、助かりますよ!」

 興奮した様子で叫ぶリアムの声を聴きながら――

 今度こそ、カルヴァンは、意識の糸を手放した。

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