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聖女転生物語  作者: 神崎右京
第二章

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24、『不吉』の前兆②

 いつも穏やかなはずのナイードに、不穏なざわめきが広がっていた。

「――――?…見て来る」

「あ、待ってください、私も…っ!」

 さっと踵を返したカルヴァンの背を、イリッツァは急いで追いかけた。

 騒がしいのは、広場から少し先、ブリア領方面に行く道のりのところだった。

 ざわざわと、人々のざわめきが大きくなる。

(いったい何が――)

 平和なナイードで、こんな不穏な声を聴いたことがない。嫌な胸騒ぎに、必死で前を行く赤い装束の背を追って――

「っ――――――!」

 目の前に飛び込んできた光景に、目を疑った。

「聖女様!」「聖女様!」

 やってきたイリッツァに、助けを求めるように人々が口を開く。

 ドクンっ…と心臓が嫌な音を立てた。

「なんだ?……馬……?」

 カルヴァンのつぶやきが遠い。イリッツァは、さぁっと頭から血の気が引いていくのを感じていた。

 その通りでは、一頭のひどく荒ぶる馬を必死に領民がなだめていた。しかし、どこかの厩舎から抜け出した馬ではない。

 その馬の背中から尾にかけて、べっとりと赤い滴が滴っていて――手綱には、手首から先の右手だけが、ぶら下がっていた。

「ぁ――…」

「見るな」

 喉の奥に声が張り付くと同時に、頭の上から、短い言葉とともに、バサッと騎士団長だけに身に着けることを許されたマントが無造作に降ってきた。十五歳の少女に見せるには酷な光景だと思ったからだろう。一瞬で、視界が真っ赤に包まれる。

「リアム。街に散っている奴らを呼び戻して、情報を集める部隊と領内を一通り警邏させる部隊に分けろ。――魔物が出た可能性が高い」

「は、はいっ!」

(違う、そうじゃない――)

 イリッツァは、真っ赤な布に包まれた世界で、蒼白な顔のまま心の中でつぶやく。

「おい、どういう状態だ?誰でもいいから、説明しろ」

「き、騎士団長様――あの、急に、ブリア領の方面から、この馬が駆け込んできて――」

「その時から、誰も乗っていなかったのか?」

「は、はい」

「死体も?」

「っ……はっ…はい…腕、だけ…しか…」

「そうか。では、領外で乗り手だけやられた可能性が高いな」

 おびえた領民の言葉に返すカルヴァンの声は、いつもと何も変わらない。それが、領民には心強かった。

 彼に任せておけば、安心だ――顔に、そのように書いてある。

「この馬は、この領内で飼っていた馬か?持ち主に心当たりがある者はいるか?」

「い、いえ、それが、誰も――――」

「――――商人の、おじいさんです。昨日、ブリアに向かって、出立しました」

 ポツリ

 小さな音量にしては妙に響く声が、周囲のざわめきを割った。

 イリッツァは、真っ青になった唇を噛みしめ――バサリ、と掛けられたマントを剥ぐ。

 マントがはがれた後は――しっかりと据わった薄青の瞳をまっすぐに馬に向けた、凛とした少女が佇んでいた。

「――…知っているのか?」

「はい。…騎士団が到着する前に、出立前に商売の無事をお祈りしたいと教会にいらっしゃったので覚えています。とても信心深い方で――荷を引く愛馬にも、聖印の飾りをつけていました。あの手綱の飾りに、見覚えがあります」

「――――…なるほど」

 いつものように口の中でつぶやいてから、ようやく落ち着いてきた馬にカルヴァンは長い足を悠然と踏み出して近づく。近くで確認すると、確かに馬の手綱には聖印が象られた飾りがかかっていた。

「俺たちが到着したのは昼過ぎ――夕方に近かった。そのころ、商品をふんだんに載せた荷馬車が出立したとして、どこかで魔物に襲われ…そのまままっすぐこの馬だけが戻ってきたと仮定すると…」

 言いながら、空を見上げる。イリッツァも空を見上げて、太陽の角度から今の時間を割り出した。そのまま、頭の中で距離を逆算する。

(俺の結界を出て、すぐぐらいの場所――?)

「…すぐに魔物が押し寄せる、というほどではなさそうだが、あまりのんきに構えているほどでもなさそうだな」

 灰褐色の瞳に、何の感情も移さないままつぶやいたカルヴァンは、血濡れの馬に目をやる。

「しかし、妙なこともあるものだな。――馬だけが無事に帰ってくるなんて、なかなか聞かない」

 魔物は、高位の魔物になるほど知恵をもつ。知恵のある魔物は、人を襲うとき、まず、馬から襲う。馬車を襲うなら、御者と一緒に。その後、逃げる術を失った人間を、ゆっくりと味わうのだ。

 低位の魔物であれば、そこまでの知恵が回らない可能性が高いが、低位ということは、魔物の世界でもヒエラルキーが低いということ。高位の魔物よりも餓えている可能性が高いので、馬と人であれば、食いでのある馬の方を狙う可能性が高い。

「それは、たぶん、私のせいです――」

「何…?」

「私が、加護を、この子にしか与えなかったから――…」

 イリッツァは、その白い手が赤黒く染まることに何の躊躇もなく、手綱に掛けられた聖印に手を伸ばした。冷えた指先でそれを握ると、ぎゅっと目を閉じて、黙祷をささげる。せめて、敬虔な信徒たるあの老人が、エルムに導かれて幸せな天に行けるように。死のその瞬間が、せめて少しでも安らかであるように――

(俺のせいだ――)

 ぐっと奥歯を噛みしめて、イリッツァは悔いた。

 老人が旅立つとき、馬が司っているという「旅の安全」を祈り、光魔法で馬の聖印飾りに加護を与えた。「ナイードに戻ってこれるように」と願った。

(あの人にも、一緒に加護を授けていれば――)

 悔やんでも悔やみきれず、必死に祈りをささげていると――

 ざわりっ…

「――――――…っ…」

 手に触れた聖印から、悪寒が奔る。

 脳裏によぎるのは、闇。

 心を覆い隠すような、閉塞的な漆黒の――

「加護――か。相変わらず、光魔法とやらはよくわからん」

 カルヴァンはイリッツァの言葉を取り合わないまま不機嫌そうに鼻を鳴らし、踵を返した。視線の先には、優秀な彼の右腕がすでに出立準備を整えて、部隊をそろえていた。

「リアム。すぐに立つ。このまま行くぞ」

「はい。そういわれると思って、全員に声をかけておきました。ちなみに、領内に魔物が侵入した気配はありませんのでご安心を」

「あぁ」

 短く答えると、リアムが引いてきた一頭の馬に長い足でひらりとまたがる。黙祷を一時中断し、イリッツァは慌てて振り返った。

「まっ…待ってください!」

「何だ」

 慌てて駆け寄ってくるイリッツァを、カルヴァンは馬上から見下ろす。

「出立前に、せめて皆さんにも加護を――」

「必要ない。――光魔法は、嫌いなんだ」

「そんなっ…!もしものことがあったら――」

 駆け寄りながら急いで手を伸ばすが、ふぃっと馬の頭を振らせ、カルヴァンは向きを変えてしまう。

「俺は、俺の力で魔物を討伐する。神なんかに頼ったりしない」

「待っ――!」

 背中に追いすがろうにも、馬の歩みに人の足で追いつけるはずもない。光魔法の加護は、基本的に手で触れたものにしか発動させられない。こんな風に手をすり抜けられてしまっては、魔法をかけることなど敵わなかった。

「団長が申し訳ありません、イリッツァさん。――でも、ご安心を。あんな罰当りな態度ですが、団長は本当に鬼のように強いのです」

「でも――なんだか、酷く嫌な予感がします…!あの馬の聖印に触れた時、とても不吉な胸騒ぎが――」

「はは、イリッツァさんは心配性ですね。でも本当に――」

「この手の予感は、絶対に当たるんだ!!!!」

「――!?」

 今までのイリッツァからは考えられない急な大声に、リアムは笑みをひっこめて息をのむ。

 くしゃ、とイリッツァは泣きそうに顔をゆがめ、ぎゅぅっと瞳を閉じた。

「えっと――…その」

 一瞬の剣幕に面食らい、おろおろと思わず馬から降りてイリッツァに歩み寄る。

「っ…お願い…お願いです、リアムさん…信じて…っ」

「い、イリッツァさ――」

 ドンッと胸のあたりに軽い衝撃。

「っ――!」

 リアムは、胸に飛び込んできた小柄な少女に、さぁっと耳朶まで真っ赤に染め上げた。

「ちょ、イリッツァさ――」

「神様っ…神様、お願いですっ…お願いっ…」

 リアムの様子など目に入っていないかのように、イリッツァは目を閉じたままリアムの胸元――首に掛けられた聖印を握りこんで祈りをささげた。

 いや、祈りではない――

 ――懇願、に近い。

「リアムを、騎士団のみんなを――カルヴァンを、守って…っ…!」

 ぱぁあああああ

「っ――」

 胸元からまばゆい光が放たれ、リアムは思わず瞳を閉じる。

 教会関係者が様々な物や人に加護の魔法をかけるところは、人生で何度も見たことがあったが、こんなにもまばゆい光を放つ加護を見たのは生まれて初めてだった。

 ふっ…と光が消えると、イリッツァがそっと瞳を開け、リアムを見上げた。

「精一杯の加護を込めました。貴方が頼りです、リアムさん。彼を守ってください」

「は、はい…」

 正直、カルヴァンに守られることはあっても、リアムが彼を守ることなど想像すらできないが、あまりに真剣に懇願されてしまい、気圧されるようにうなずいてしまった。

「リアム!何をしている!」

「あっ、は、はい!すぐに!」

 前方から響いた怒声に、慌てて返事をして、そっとイリッツァから体を離し、馬に戻る。

(あと――何か、何か俺に出来ることは――)

 いっそ、このまま馬に相乗りしてついて行ってしまいたい。女になったとはいえ、鍛錬は毎日欠かしていないから、剣を一振り貸してくれたら、十分に戦えるはずだ。いざとなったら、魔法で盾を張ることも、負傷者を治癒することもできる。

 だか、そんなことを彼らが許してくれるとは思えない。説得するにも、時間がない。

 必死で頭を巡らせ――

「あっ!り、リアムさん!」

「は、はい、なんでしょう」

 騎馬したところで声をかけられ、思わず返事をする。

「あいつに――団長に、伝言をっ…」

「え?」

「『もしもの時は、カルアに頼め』と――」

「リアム!!!置いていくぞ!」

「は、はいぃぃ!すぐ行きます!――すみません、イリッツァさん、俺はこれで!」

「ぁ――必ずっ…必ず伝えてくださいっっ!」

 馬を駆る背に、ありったけの声を張り上げる。

 土ぼこりを舞い上げて去っていく一団に、イリッツァは膝をついてもう一度祈りをささげた。

「どうか―――…」

 ひんやりとした風が吹き抜ける。

 すぐそこまで、冬の気配が――灰色の空が、迫っていた。

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