20、エルム様の『思し召し』②
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
(え……っと…)
目の前に現れた、赤に金の刺繍が施された騎士装束を眺めたまま、動かない思考を必死に巡らせる。ギギギ、と音が鳴りそうなほどぎこちなく、ゆっくりと顔を上げると――記憶の中と何も変わらない灰褐色の瞳もまた、こちらをじっと見降ろしているところだった。
「えー……っと…」
待て。――――――――待て、とりあえず、待て。
ひくり、と頬を引きつらせる。
(神様、ちょっといくら何でも一日で幸運大盤振る舞いしすぎじゃないですか!?)
明日は大雪が降るかもしれない。
普通、こういう運命的な再会とかは、もっと劇的な、感動的な演出の下で行われるものではないのか。あまりにもあっさりと、何の予兆も前触れもなく実現した十五年ぶりの再会に、頭が混乱する。
『エルム様の思し召し』も、今回ばかりはありがたすぎて迷惑だ。感情の起伏が激しすぎて、思考のスピードがついていかない。
お互いに視線を絡めたまま、なんとも言えない数瞬の沈黙が下りる。
(っていうか、お前は何か喋れよ…っ)
「は……初めまして。イリッツァ・オームです」
理不尽な苛立ちを心の中でぶつけた後、必死に取り繕った表情で、何とか挨拶の言葉を絞り出した自分をほめてやりたい。頬が引きつっている自覚があったが、何とか笑顔らしきものは取り繕えているだろう。
「――…あぁ……カルヴァン・タイターだ」
すっと差し出された手を握り、滞りなく初対面の挨拶を済ませる。
それを見て、にっこりといつもの人好きのする笑みを浮かべてダニエルは去っていってしまった。
(司祭様~~~~ちょっと、ちょっとだけ待って、最初の話題だけ探してから出てってくれ~~~~)
心の中で泣き言を叫びながら、ゆっくりと手をほどく。
「その…わ、私に、何か、話がある…とか…」
力技すぎる神の導きに内心汗をかきながら、何とか言葉を探して紡ぎ出すと、カルヴァンはそこで初めて気づいたかのようにいくつか瞬きをした。そして、表情は変えないままで、左耳のあたりを掻く。
(――…あ。懐かしい)
親友の癖を目の当たりにして、緊張でこわばっていた心がほっと綻ぶ。何かに困ったとき、カルヴァンはよくこうして指で左耳を掻くのだ。
懐かしさに目を細め、改めて落ち着いて親友を観察する。
身長は、十五年前も十分高かったが、それよりさらに伸びた気がする。鍛えられた体は昔通りだが、表情はさすがに記憶にあるよりもだいぶ大人びていた。当時は、少し少年らしさの影が残った、女を不思議に惑わす色香を漂わせていたものだったが、今は精悍な男性らしい顔つきになっている。相変わらず整った顔をしているのは変わらないが、昔はいつも顔に張り付いていた、人を食ったような笑みは、この部屋に入った時から鳴りを潜めていた。
(なんだ?…恰好つけてんのか?)
三十路になって、性格が丸くなったのか、女の前だから格好をつけているのか。彼の奔放な下半身事情を知っている身としては、後者の理由を捨てきれない。
カルヴァンは、昔とは似ても似つかぬ、鋭い瞳と雰囲気をまとっていた。一般人であれば近寄りがたいと思わせるそれは、五歳から共にいたリツィードにとっては、「なんか今日はやたらと格好つけてるな、こいつ」くらいの認識でしかなかった。
「光魔法を――」
「え?」
「――――光魔法を、使える、とか」
「?…はい。一応、見習いですし」
唐突に、何の話だ…と思いながら、返答をする。
「魔法は、誰に習った?」
「え…普通に……司祭さまに、教えてもらいました…けど…」
ひた、と灰色の瞳に見据えられ、戸惑ったまま答える。
(っていうか――)
「あの。これ、私、さっきから何を聞かれているんでしょうか?」
ぎゅっと眉根を寄せて、怪訝な表情を隠しもせずに問いかける。じぃっと逆に見上げるように瞳を覗き込むと、灰褐色の瞳がぱちぱち、といくつか風を送った。その後、すぃっと視線を逸らしたかと思うと、おもむろに左耳を掻く。
「あまり、その顔で近寄らないでくれるか。――脳みそが、記憶の中との強烈な違和感に、さっきからずっと混乱してる。どうにも考えがまとまらない」
「へ?」
きょとん。
音にすれば、そんな音が鳴っているであろう表情で、イリッツァは目を瞬いた。
(記憶との…違和感…?)
カルヴァンの言葉を頭の中で繰り返す。
まさか、自分の正体がばれたとは考え難い。
そうすると――彼の言うところの記憶、とはきっと――
「あぁ――…フィリア様、ですか?」
苦笑して聞くと、逸らされていた灰色の瞳が戻ってくる。意外だ、とでも言いたげに、少しだけ見開かれていた。
「知っているのか?お前が生まれたころには、もう亡くなっていたはずだが」
「そりゃあまぁ…ここは、フィリア様の生誕の地ですし。幼いころから、ことあるごとに、生き写しのようだと言われ続けて育てば、さすがに自覚くらいします」
「なるほど」
うなずくカルヴァンに苦笑して尋ねる。
「そんなに、似ていますか?」
「あぁ。――一瞬、死者の国から蘇ってきたのかと思った。そもそも、生きてた頃から、幽霊と言われても信じたような生気のない女だったが」
「幽霊――…って…」
表情を変えぬまま淡々とつぶやかれた言葉を反芻し――
「ふ……ははっ……確かに、言いえて妙だな、それ…」
いくら『愚かな聖女』のレッテルを張られたとはいえ、仮にも聖女だった彼女を、そんな風に言うのは、世の中広しといえど、さすがにこの男くらいだろう。
神をも恐れぬ変わらない豪胆さをおかしく思うとともに、幽霊と例えられたかつての母の生気が感じられない無表情を思い出し、イリッツァはつい素で笑ってしまった。
「――――」
一瞬、カルヴァンの顔色が変わる。
「へ――ぅわっ!?」
ぐいっと顎をとらえられ、無理矢理上を向かされ、驚きの声が漏れる。
「ちょ、何すん――するん、ですか?」
素の言葉遣いが喉元まで出かかって、無理矢理抑え込む。女性に対する行為としては無礼すぎる振る舞いに、思い切り眉を顰める。少なくとも、女として生きた十五年で、こんな扱いを受けた覚えはない。
(相変わらず、女の敵だな、こいつ)
前世での認識を再度心に刻み、じぃっと至近距離から見つめられる灰色を、真正面から受け止め、跳ね返す。
「――……」
「??」
小さく唇が、呆然と、音を伴わないまま動いたかと思うと、すぐに閉じられてしまった。
「あの…?」
「いや――…すまない。何でも、ない」
ふぃっと顔をそむけるようにして言ったかと思うと、解放される。
(いや、何でもないってことないだろ。――って、ちょっと待て、もしかして――)
「え、私、今、もしかして貞操の危機ですか?」
「は?」
(忘れてた、下半身暴れ馬の男と同じ部屋、しかもそばにはベッド――これ、もしかしてめちゃくちゃ危ない状況じゃないか!?)
バッと立ち上がってささっと距離を取る。カルヴァンの手が伸ばされても届かない距離まで。
「わ、私は、将来修道女になるので、貴方とそいういうことは絶対にできません…!」
「いや…何の話だ」
カルヴァンは、おびえた様子のイリッツァに、呆れたため息を漏らす。
「悪いが、自分の年齢の半分しかないガキに欲情するほど暇じゃない」
「う、嘘だ!下半身が反応するなら誰でもいいって聞いた!」
「どこの誰からの情報だ、それは…」
カルヴァンはげんなりと額を覆ってつぶやく。今や自分は、女嫌いで有名となった王都での暮らしが長いせいか、相手から言い寄ってこられては袖にする毎日が日常だったので、何も言っていないのに女性からこんなに警戒されたのは久しぶりだった。第一、少年時代の自分ならいざ知らず、大人になった今の自分には「下半身が反応するなら誰でもいい」と公言する男だと思われる要素が全く見当たらない。
(田舎だし、情報が変な風にねじ曲がって伝わっているのか?…まぁ、俺も、修道女見習いにとっては刺激が強ぎる行動をしたから、この反応も仕方ないか)
貞淑を美徳とし、男性との関りは信徒と聖職者としての関りだけ。そんな修道女見習いにとって、頬をつかまれ強引に顔を覗き込まれるなど、青天の霹靂に近いだろう。完全に警戒心をあらわにされて、心を閉ざされた気がする。
カルヴァンは、左耳を掻いて深く深くため息をつく。
「わかった、今日のところは退散する。それでいいか」
「え……」
「ここには二日くらい滞在する予定だ。――また、話を聞きに来る。人通りが多いところで話すなら問題ないか?」
おびえるいたいけな少女相手に、無理矢理密室で話を進めるほど鬼畜ではない。両手を挙げて、何もしない、と示してやると、ぱぁっとイリッツァは顔を輝かせた。
「あ、明日も、お話できますか!?」
「あ――あぁ…」
先ほどまで「女の敵!」と言わんばかりに警戒心を前面に出していたのに、コロッと真逆の表情を見せる少女に、戸惑う。
「ありがとうございます…神様に、感謝を」
「――…神様、ね…」
聖印を切って、それはそれは嬉しそうに神に祈りをささげる少女に嘆息してから、カルヴァンは別れを告げて部屋を後にした。
どうにも――調子が狂う、変な女だ。