受付の人の事情
初心者です。お手柔らかにお願い致します。
「私がお兄さんを幸せにしてあげますので、それまで受付にいてくださいね!」
そう言って必死な顔で見上げてくる美少女に、俺は「はぁ」と気の抜けた返事をした。
ここはとある町のギルド。そして俺は受付のカウンターに座る担当者。
彼女は受付番号16番のお客様だ。
「それはギルドへの依頼になりますか?」
「違います!あなた個人へのお願いです!あのですね、私は将来大魔道士になりますので、そしたらあなたを私のパーティにお誘いしますから。絶対ですから。それまでここにいて欲しいんです!」
圧が、圧が強い。きらきらした美少女の顔でぐいぐい来る。
ギルドに来て受付個人へのお願いとは一体何なのか。ああ、これは仕事じゃないなと判断した。
「次、17番の方~、17番いらっしゃいませんか~」
「ちょっと!!まだ私の番がおわっていません!!」
「はぁ……」
最近、魔導士としてギルドに登録を済ませ、仕事を始めたらしい美少女はどういうわけか受付担当の俺の前で粘るっている。
というか、こっちは「依頼をしたい側」のカウンターで、君が行くべきは「依頼を受けたい側」のカウンターだと思うんだけど。
場所間違えてるんじゃないか?
「またそんな気の抜けた顔を。しっかりしてください!そんなだから冒険者にも舐められるのですよ?ご自分がなんと呼ばれているか知ってます?地味平凡眼鏡ですよ!?」
「その通りなので否定する必要もないかと」
「んもぅ~~~!」
なぜか美少女は地団太を踏んで憤慨した。
これまで脳内渾名が「美少女」だった彼女だが、たった今「やばい美少女」に更新された。
そろそろあとがつっかえてるんで退いてもらいたい。ほら、後ろのおじいちゃん困ってるでしょ。
オブラートに包んで告げると、気づいていなかったのかサッと顔を赤らめた。
「わ、わかりました!今度は混雑時を避けて来ますので!」
来なくていい、来ないで。心の声を押し殺し、そうですかと営業スマイル。次回はあちらをどうぞと冒険者用カウンターを手で指した。
そうじゃないのに…と小さくこぼれた呟きは聞かなかったことにする。ほんとにはやく帰ってくれないかな。
さっきからのやり取りで周りの注目を集めつつある。何せ精霊もびっくりするような可憐な美少女が、普段要件以外喋らない七三分けの地味眼鏡に突っかかってるという珍妙な絵面だ。これ以上騒ぎを長引かせたくない。
「今日の所は帰りますが、さっきのお返事だけ聞かせてください」
眉を顰め請うように目を潤ませる少女。
さっきのと言われ。彼女の用件を思い出す。幸せ云々は意味が分からないので答えられることだけを淡々と答えた。
「他に行く当てのない身ですし、クビにならない限りはここにいますよ。またのご利用お待ちしています」
何故なら俺はしがない受付の人なので。
俺は異世界からの召喚者だ。
名前はタナカ。下の名前はこの世界の人間には発音しづらいらしく、覚えてもらうのは諦めた。
元いた世界、現代日本ではサラリーマンだった。
ある日の残業帰り。晩飯を求めてふらっと入ったコンビニ、自動ドアが開き足を踏み出した瞬間召喚された。
よれよれのスーツ姿で呼び出されたのは白い巨大な建物に囲まれた庭の噴水の中。コンビニの照明とは違う、差し込むに日差しに茫然としたのをやけによく覚えている。
コンビニから草木生い茂る庭へ、真夜中から真昼間へ変わったのにも驚いたが、建物の中から聞こえるうおおおおという声にひえっと飛び上がってしまった。
なんだこのライブの声援みたいな盛り上がりというか、聖女様万歳とか。大勢の人間の気配。ここどこだよ。腹減ったな、とか。ぐるぐると考えがまとまらない。
でも。
ずぶぬれで見っとも無く尻もちついてる誰にも気づかれていない俺。
なにもかもわからなかったが、禄でもないことになったのは察せられた。
案の定というか、俺の召喚は想定外だったそうだ。あの後、俺は神官に見つかり保護された。実はそこ、聖女を祀る神殿だったのだ。
あの盛り上がりはまさに異世界の聖女を招くことに成功した際のもので、俺はその召喚に巻き込まれたらしい。
聖女は女子高生で、近所のコンビニから帰ろうとした時に召喚されたという。
ああ、あの時すれ違った……原因があっさりとわかってしまい脱力した。
「じゃあ俺必要ないですよね。日本に帰してください。仕事溜めるときついんで」
「タナカ殿、申し訳ないが、あなたを帰す方法はないのです」
神官長を名乗る初老の男性が告げたのはとんでもない答えだった。
「はい……?かえ、れない?」
帰せないのに他の世界から聖女を連れてきたりするわけ?それは、あんまりじゃないか…?
聖女様と呼ばれている少女の顔を見る。
「大変申し上げにくいのですが、聖女様は神の道標を宿しておられるのでお役目を果たして頂ければお帰りになれます。ですが、あなたが呼び寄せられたのは事故です。道標を持たないあなたに転移の儀式を行えば、次はどんな世界に飛ぶやもわかりません。最悪異界の狭間に落ちる可能性もあります」
つまり、関係ないのに連れてこられたのに、関係ないから帰れないってことかよ…。
「は、はは……嘘だろ……。とばっちりにしたって、酷すぎる……」
「ご、ごめんなさい…!私のせいで…っ」
俺の言葉を聞いて泣き出しそうな聖女ちゃん。
違う、君は悪くないだろ。そう、わかってるのに、言ってあげたいのに、今口を開いたら情けない事を言ってしまいそうになる。
「我々が至らぬばかりにこのような事態を招いたこと、お詫びのしようもございません。許してほしいなどと言えませんが、あなたがこの国で心安く暮らせるよう力を尽くしましょう」
なんて深々と頭を下げられても……。神官達の憐みの目が刺さる。ここで何を言ったって、俺が帰る術を持たないことは変わらないんだろう。
「しばらく、気持ちの整理をさせてください……」
そう言うのが精一杯だった。
用意された部屋に引き篭もって、ただ鬱々と時間が過ぎるのを待つ日が続いた。
後ろ向きな俺に、神官長をはじめとした神殿の人たちは良くしてくれた。焦らないていい、悲しい気持ちを我慢しないでいいと接してくれる、いい人たちだった。
彼らの優しさが、これが現実なんだと、この異世界で生きていくしかないんだってことを、俺に理解させた。
部屋から出て神殿内を歩き回るようになった俺は、聖女ちゃん──、水沢さんが受けている授業にくっついて参加させてもらうようになっていた。
この国の歴史や文化、生活する上で必要なことを教わる時間。知らないことを学ぶのは純粋に楽しかった。
言葉については、実は召喚の際に付いたらしい翻訳の力で困ったことはなかった。
そういや最初から会話できてたもんなと納得。
そこに気づいてから、もしかして付与されたものって他にもあるんじゃないかと考えだした。
とは言え、すぐには見つからない。まぁ、あるかもわからないものだし。
水沢さんには聖女だけが使える浄化能力の他に複数の力が与えられていた。例えば強化。
この世界で聖女の役割は、数百年ごとに生まれる瘴気を浄化することらしい。瘴気は生き物にとっては毒となると教わった。
そんなものが発生してる場所に行かなきゃならないなんて大丈夫かと聞けば、どうやら聖女は毒が効かない体質になるらしい。それが身体強化。体力も日本にいた時とは比べ物にならないほどあるんだとか。魔法も使えるようになったという。
そういやHPめちゃくちゃあるなと、水沢さんの頭の上に見える棒をみて思った。普通の人と比較してみないとその差はわからないけど、それでも……
「いやいや、HPって何これ??下の色違いもしかしてMP!?」
彼女の話を聞いて、そんなに体力すごいのか、どのくらいなんだろうと考えた。すると俺の視界にそれは見えるようになった。
こうして俺の付与能力が翻訳以外にもあったと発覚した。
人や物の情報が見える。おれはこれを「鑑定」と呼ぶことにした。この能力、俺が認識した対象の知りたい情報をざっくると教えてくれる便利なものだ。
ゲームのステータス画面ぽいのは俺の頭が認識しやすいように処理されてるんだろうってことだった。
それに情報と言ってもなんでも見えるわけじゃない。お試しで物や動物を鑑定してわかったのだが、俺と鑑定しようとする対象の間には見ることができるレベルのようなものが存在した。
ここまではOK、これ以上は見る権利がない、みたいな感じだ。それがどうやって決まっているのかは不明。
だとしてもかなりのチートな気がする。けど……。これを、人間相手にはあまり使いたくないな。そう思った。
俺の能力を知っているのは水沢さんと神官長だけだ。珍しい能力なので悪用されないよう、他に人には黙っているよう言い含められた。
使うのはいいけど、ばれてはいけない。確かに自分が勝手に見定められてるなんて気分いいもんじゃないよな。
「ほんとに気を付けてね。田中さん危なっかしいから心配だなぁ」
「子供が大人の心配なんかするなって。水沢さんの方が大変だろ」
「私は聖女だからいいの。多分勇者とかいても私のほうが強いよ」
「……マジで?」
「ふふん。なんならステータス見ていいよ?というかちょっと自慢したいから見て欲しい。修行で色々習得したからきっとすごいよ」
「いいよ、やめとく。女の子のステータス除くなんてよくないだろ。君も軽々しくそういうこと言わないで」
もー、そういうとこだよ!と笑いながら俺の手を握りブンブンと振り回す聖女に、どういうとこだよと俺は首をひねった。
「あのさ、水沢さん。水沢さんのせいなんかじゃないからね」
言えなかった一言を、何でもないことのように呟いてみた。
「うん」
何でもないことのように水沢さんは頷いた。
私、頑張ってこの世界を守るから、任せてねと隣で聖女様が胸を張る。まだ地に足を着けきれない俺だったけど、この子が救ってくれる世界なら好きになれそうな気がした。
そんなこんなでこっちで生きてく準備を進めていた俺はついに決断する。
就活だ。
「お仕事紹介してください。働きたいんです」
朝の掃除と礼拝を終え、神官に混じって朝食をいただいた俺は、時間をもらって神官長の部屋にお邪魔していた。
くっと直角を描く綺麗な90度。日本式お辞儀でお願いしますと頭を下げた。
就活をするにあたり、俺は迷いなくお世話になってる神官長さんのコネを頼ったのだ。
情けないと笑えばいい。いやだって、職っていってもどこで探したらいいのか、この世界って転職サイトとかハロワありますかね??ないよね。
えっと驚いた顔の神官長。俺が何か一大決心をしたのを察してついて来てくれた水沢さんも目を丸くしている。
「えっ、ちょっと、働くって、どこで働くんですか?」
ええ?どういう反応。俺みたいなおまけに働く場所はないとか?
やめてそんな何言ってるんだこいつ、って目で見ないで。確かに今まで神殿でお世話になるだけのニート生活してたけど、俺だってちゃんと働く気はあるんだよ?
今まではその下準備だったわけで……。
「田中さんは、このまま……神官になるんだと思ってました」
「えっ?なんで!?」
水沢さんのセリフに今度は俺が驚く番だった。
「なんでって、田中さん神官見習いの修行してますよね?あれっ?そうですね?」
同意を求められた神官長がうんうんと頷く。
うん、えっ?
「タナカ殿が毎朝行っているのは神官見習いと同じ修行なのですよ。日中はこちらの世界を知っていただく為の授業を受けていただいておりますし、それが無い日は他の者に混じって自ら祈りを捧げていらっしゃる。まさか、ご存じなかったとは…、いえ、きちんとお伝えしていなかった私がいけませんでしたね」
「あのお祈りとかって修行だったんですか……」
気持ちが乱れてしまいそうな時、神官に誘われて始めた祈りの時間は、俺の精神的支えになっていた。ほら、清らかな空気とか落ち着くし。
「タナカ殿。あなたはその身に起こった理不尽にも屈せず、現状を、そしてこの世界を受け入れて下さった。その心の在り様は大変強く尊いものです。私は、あなたに……、いえ、あなたにこそ聖女様を支える神官となって頂きたいのです。あなたの目は、善きものも悪しきものも等しく見定めるもの。どうか聖女様のお力になってくださいませんか?」
「私からもお願いします。聖女の務めはまだずっと時間がかかるでしょ?田中さんに手伝ってもらえたら嬉しい……かなって……」
頭を下げていたはずが二人に頭を下げられている。
「え……ええっと……、じゃあ、よろしくお願いします?」
俺の答えにぱっと顔を上げ笑いあう二人を人ごとのように眺めて、えーーー?どういうことだーーー?と近くの椅子に座り込んだ。
どうやら職の心配はしなくてよかったらしい。
よかった。
そう。ここまではよかった。
順調だったはずの俺の異世界生活は突然の終わりを告げた。
神殿が襲撃されたのだ──。
ふっ…と意識が浮上し目を覚ます。
背中がぐっしょりと汗でぬれていた。気持ち悪い。流石にこのまま寝る気になれず、体を拭くために起き上がる。
ギルドの独身寮の一室が、今の俺の家だ。
こんな風に夜中に夢見が悪く飛び起きる癖は、ここにきた頃から変わらない。
灯りをつけるのも億劫で、目が暗闇に慣れるのを待った。汗を拭いて着替えてもう一度寝てしまおう。余計なことは考えずに、さっさと眠ってしまいたい。夢も見ないほどぐっすりと──。
神殿に賊が侵入したのも夜だった。激しい雨が打ち付け雷鳴が轟く、嵐の日だった。
顔を布で隠した黒い服の男たちが嵐に乗じてのりこんできた。
奴らの狙いは、俺。
どこから漏れたのかわからないが、俺の鑑定の能力が神殿の外の人間ににばれたらしい。
水沢さんと護衛の人たちが遠征に出ていた隙を狙ってきたのだから、きっと内通者がいたんだろう。見張りの神官たちは薬で意識を奪われていた。
襲撃者の狙いに気づいた神官たち、俺の仲間は俺を逃がそうとして戦ってくれた。誰にも怪我なんてしてほしくないのに、庇われ逃げろと背を押してくれた。何もできない自分に歯噛みするしかなかった。
仕事や勉強はしても武術なんて、日本でもこっちでもやったことがない。異世界に来てまで、呑気に暮らして自分が馬鹿に思えた。
神官長や水沢さんたちはいつも心配してくれていたのに、身を守る術ひとつ身に着けていなかったんだから。
結局俺はそいつらに捕まり、神殿から連れ出された。
殴られて気を失った後の記憶はない。
次に目を覚ましたのは、河原だった。浅瀬に体半分浸かった俺は、自分が生きていること、周りには誰もいないことを確認した。
水から這い出て仰向けにひっくり返ると、雨上がりの曇天と高い崖が見えた。思いたくはないがあそこから落ちたらしい。
俺を攫ったやつは川に流されてしまったんだろうか。
「はは、あはは、ざまぁみろ……誰だか知らないけど失敗、してやがんの」
神殿はどうなっただろうか。どうかみんな無事でいて欲しい。堪えきれず溢れだした涙で顔がぐちゃぐちゃになる。二十をとうに越えた大人の男が情けないな。
構うもんか、誰もいやしないんだから。今だけだ。今だけ泣いて、次は間違えない為に。
「体中いってぇ……骨折れてないといいな。あーあ、これからどうすっかな…」
きっと水沢さんたちは俺を探してくれるだろう。でも、もう神殿に戻るつもりはなかった。
「はは、やっぱ就活やっとくんだった……」
どんな奇跡か、はたまた俺にも強化の付与があったのは知らないが、自力で歩くことができた俺はその場を離れることにした。
追っ手がかかっていないか警戒しながら移動する。闇雲に歩いてもどこかの街へつけるかわからない。敵がいる危険はあるが、俺が落ちた崖の上を目指してみることにした。
鑑定のお陰で食べれる木の実や草はわかったので、それらを腹にいれて空腹を凌いだ。水を汲んでこなかったことを後悔したが、入れ物もなかったし仕方ない。
水の代わりに飲めるものを鑑定で探してみると、運良く丸い蕾?を付けた植物が引っかかった。
俺だけに見える「飲用可」の文字。恐る恐る蕾に触れると中に液体が入っている。
「飲める、ってことだよな?結構しっかりした殻?っぽいな。割ればいいのか」
結論としては飲めた。ただし死ぬほどまずい。乾いて死ぬよりはマシなので、同じ蕾を見つけて確保した。服を風呂敷代わりにして持ち運べるよういして、また歩き出した。
日が暮れる頃、体力の限界がきた。休みたい…。木に寄り掛かるようにして座り込む。野宿なんてしたことなかったけど、疲れ切った体はすとんと眠りに落ちた。
何時間くらい寝ていただろうか。顔にかかる生暖かい息で目が覚める。なにかに囲まれていた。
この世界には魔物が存在する。神殿でそれを聞いた時は、世界なんだなと間抜けなことを口にした。
魔物にも、野生動物と同じように存在する魔物と、瘴気が生む特別な魔物がいる。
こいつらはおそらく前者だろうか。
どくどくと心臓が早鐘を打つ。俺は馬鹿か。こんな山の中で無防備に寝落ちて。餌が食べてくれと言ってるようなものじゃないか。
話に聞いていただけ。
聖女がその為に呼ばれ、戦っていたのを知ってたはずなのに、今こうして肌で感じるまでその存在を現実のものとして考えたことはなかったと気づく。
俺、ほんとに使えないオマケだな。
俺の様子を窺っていたそいつらの気配が変わった。聞いたことのない気味の悪い鳴き声をあげて俺に、獲物に襲い掛かる。
「もう、いいか……」
死を覚悟したはずの俺は、次に起こったことに困惑した。
俺の手から白い炎が吹き上がり、あたりを照らしていた。燃えているけど熱くはない。心地いいあたたかさ。
ギャッ!とあの気味悪い声が悲鳴を上げて俺の側から飛び退いた。
光の中で見えたのは、狼とサルを足したような奇妙な顔をした化け物だった。
予想外の出来事に唖然としていたが、俺はそのあたたかさに覚えがあった。光の正体に気が付いてしまったら、もう死を受け入れるなんてできない。
うわあああと無茶苦茶に叫びながら手に付くものをとにかく魔物にむかって投げつける。投げ続ける。こんな所で死んでたまるか。
木の枝、泥、石、残っていたあの蕾も引っ掴んで投げた。
ばしゃんと水音を立てて蕾の中身が魔物の毛を濡らした。するとそこからじゅうじゅうと煙が上がり、鼻をつく腐敗周が漂った。
ギャアアアアア!
尋常ではない叫びを残して魔物たちは山の奥へ消えていった。
何が起きたのか知るために蕾の液体を鑑定する。昨日、水の代わりを探していた時には見当たらなかったその情報が今度は見えていた。
「聖女の名残草……」
それは過去の聖女が奇跡の力を使い、こちらに残してくれた植物だった。魔物を退ける力を持ち、人には害を持たない希少な花。
聖女様のお導きに……感謝を。
無自覚とはいえ神官に片足突っ込んでた俺は、その懐かしい聖句を紡いだ。
それに今代の聖女も、こんな自分を守ってくれていた。
手に籠められていたのは聖女の浄化の魔法。
俺が魔獣に襲われた時、発動するようになっていたんだと思う。一体いつの間に……。
彼女はわかっていたのだろう。それが俺自身の力のせいか、あるいは自分が巻き込んでしまうことも見据えて、これを施してくれていた。
「ほんとに、敵わないなぁ」
泣き笑いの変な声が出た。
空が白み、朝が来る。俺は道を探して歩き出した。
道らしきものが木々の間から現れ、そこに人影を見つけた時、思わず飛び出して声をかけそうになった。
衝動と震えを抑えて身を隠し、彼らを観察する。
おそらく彼らは冒険者だ。神殿に加護を求めて訪れる冒険者たちと話したことがある。
魔物を狩ったり、人から依頼を受けて働いたり、金さえ払ってくれりゃなんでもやってやるよと、その冒険者は笑っていた。
気のいい者もいれば、義憤で動く者、報酬次第では表立って頼めないことも引き受ける者もいる。
「疑えと言っているわけではないよ。でも、知ってはおくべきだから」
仲のよかった神官は穏やかな笑みを浮かべて俺に教えてくれた。
最後に彼を見たのは、肩に矢を受け血に染まった姿だった。
「……っし!」
──鑑定。
意識して能力を発動させる。彼らのステータスが浮かび上がる。どんな力を持っているか。
所属は、敵意は、あいつらの仲間か、神殿の関係者か……全部、全部晒してもらう──。
見れないんじゃない。俺が見たくなかったからみえなかっただけなんだ。
初めて使った時それっぽいから鑑定と呼んだだけ。その名前の枠には収まりきらない大きな力。それが解き放たれて目の前に現れた。
「よかった……人がいたんだ……!たすけて、助けてください……!」
彼らが敵じゃないと確信した俺は、わざとらしいほど哀れっぽく叫びながら、冒険者たちの前に転げ出た。
男が二人、女が一人。三人のそのパーティは、この山にあるという珍しい薬草を取りに来た、ただの冒険者だ。
「うお!?おいおい、どうしたんだお前、ひっどい怪我じゃないか……!」
「君、大丈夫!?はやく手当しないと」
「おい、こんなところになんで人間がいるんだ!そいつ本当に人間か?」
倒れた俺に一早く駆け寄るのは、三人のリーダーで正義感の強いオルドという男。心配そうにのぞき込む女性はレオナという。
俺を警戒して剣を抜いた少年は、慎重な性格のセドリック。
「ひっ、違います、違います!『私』は人間です!信じてください……!」
抜身の剣に怯えた様子で違う違うと首を降る俺とセドリックの間にレオナが身を挟む。
「やめてセド。大丈夫、このあたりに魔物の気配はないわ。それに人に変化する魔物なんていたら、それはもう魔族よ。あいつらが瘴気もないこんな山にいるわけないでしょ」
「ふん……」
レオナは気配を探る魔法を得意としている。うまく俺が安全だと証明してくれた。
セドリックは渋々剣を収めた。警戒もイラ立ちも仕方がない。こいつは焦っているから。
「しかし、何があったんだ?お前話せるか?」
「……っ、は、はい。私は、神殿へ加護を頂きに行ったんです。その帰りに嵐に合い、ぬかるんだ崖から下の川へ……。加護のおかげでしょう。運よく命は助かりました。それから来た道を探して山を歩き続けていました。みなさんを見つけて、本当にほっとして……!」
「あの嵐の日か……そりゃあ大変な目に合ったな。もう大丈夫だ。あんたは俺たちが近くの町まで送ってやる。ほれ、つかまんな」
「ありがとうございます……っ」
オルドの肩を借りて立ち上がる。待って、とレオナが回復魔法をかけてくれた。正直体力は限界を振り切っていたので、これはありがたかった。
だが、そんな二人に声を荒げたのはセドリックだった。
「待ってくれ!俺たちの目的は薬草だろう!そんなお荷物を連れて探索を続ける気か?俺達には時間がないっていうのに……!」
「でも彼をここに置いていけないわ。今はいなくても、いつ魔物が現れるか」
「心配すんなって。こんなひょろい兄ちゃん一人抱えたくらいで俺が遅れをとるもんかよ」
でも、と言い淀むセドリック。頃合いだと思った。俺はおずおずと三人の会話に割り込む。
「薬草を探しているんですか?それでしたら、ここへ来る途中で不思議な花を見つけましたよ」
「……っ、俺たちが探しているのはそこらの薬草じゃない。聖女が清らかな森から持ち帰ったという特別な……」
「日が落ち魔物に襲われかけた時、私を守ってくれた不思議な花と、その蜜です。小さな物をお守り替わりに持っていたのですが、見て頂けませんか?」
「魔物を退けたのか?まさか本当にそれは」
俺はオルドの肩から手を離して、セドリックに歩み寄った。割れない様に持っていた聖女の名残草を差し出す。水分補給用にならなかった小さな蕾がころんと少年の手にのる。
息を飲む音がした。
セドリックが必死に調べ、その形を忘れないように記憶した薬草とそっくりな花がそこにあった、はずだ。
俺と名残草を交互に見て、生意気そうだった少年の表情がくしゃりと崩れた。
「これだ……、これであいつが助かる…!なあ、頼む、この花を譲ってくれ!いくらでも払う、金額によっちゃ今すぐには無理かもしれないが、必ず払うから!」
セドリックの親友は大病を患っていた。奇跡でも起こらない限り親友は死ぬ。だから奇跡を探して文献を漁り、医者を訪ね調べて調べて、その間にも親友の命は削られていく。ようやく親友の命を救えるかもしれない可能性に辿り着く。聖女の薬草。確かにそれなら奇跡も叶えるかもしれない。古い言い伝えを頼りに仲間の助けを得て、この山にやって来た。
もし仮に俺が彼らと鉢合わせず、彼らだけで探索してもあの場所まで辿り着くのは難しかったはずだ。そして俺も、この山の中で野垂れ死んでいたかもしれない。
だから、お互い様にしよう。
「お金はいりません。私も偶然見つけたものですし、こうして生きてあなたに渡せるのは、聖女様のお導きではないでしょうか」
「……っ!恩に着る……!金じゃなくても、礼はする、させてくれ……!」
「ええと、ではさっそく……で申し訳ないのですが……、私を街まで連れて行っていただけると、助かります」
へらりと情けない笑みを見せた俺に、「ああ……!もちろんだ!」と涙を滲ませてセドリックが笑みを返した。
その肩をオルドとレオナが優しく叩いてやる。
感動的な場面なんだろうな、と一歩引いた感情のラインから彼らを眺めて息を吐く。うまくいってホッとした。
三人の中で一番警戒の強いセドリックを納得させ、街まで護衛して貰うために、本当に偶然残していた、彼が必要とする薬草をどうやって渡せば効果的か──、望んだ通りに動いてくれた冒険者たちに、俺は薄暗い感謝をむけた。
そうだね、ごめん、水沢さん。
この能力はとても危険なものだったんだ。
街が見えた時、俺は泣いてたと思う。
涙は出ていない。
助けられてよかったと笑ってくれた冒険者たちに、ありがとうと繰り返す。
人に使いたくなかった能力。
本当は使わなきゃならなかった。自分と周りを守るために。それが出来ていたら、きっと内通者を見逃すことはなかった。
ようやく自分の身を自分で守れたんだ。だと言うのに……。
神殿からだいぶ離れたその街に着いても俺は、オルドたちの目をまっすぐ見ることが出来なかった。
──で、それから。
帰る為の路銀がないと職を探す俺に、オルドたちはよくしてくれた。俺が読み書きできるとわかると、ツテを使ってギルドマスターに紹介してくれた。結果、仕事を得ることができ、住む場所も提供してもらえた。運が良かった。
人目に付かないよう息を潜めて暮らしていたけれど、あの日の黒装束たちはその後現れなかった。仕事に慣れ、忙しくなる中、神殿の方で誰それが摘発されたという噂が流れてきた。人によって全く違う話になるので、何が本当かどうかもわからない。噂は瞬く間に別の話題に掻き消されていった。
手持ちが増えても、一向に故郷へ帰るそぶりのない俺に、一度だけオルドがもういいのか?と聞いてきたことがある。
ここがいいんですよと俺は答えた。
この世界の読み書きは神殿で覚えたし、言葉は言わずもがなだ。会社勤めの経験が役立ち、デスクワークなら一通りのことは問題なくやれた。計算や書類整理も得意な方だ。
俺は職員不足のギルドで重宝してもらった。やがて、前任者が家業を継ぐ為に退職するという受付業務の後釜に据えられた。人前に出る部署に尻込みしたが、仕事を任されたのはありがたい。元から平凡な見かけはより地味にと心掛け、厚い眼鏡で顔を隠す。仕事だけを淡々とこなす無口で影の薄い受付の男──。
そんな風に、賑やかな街の景色に溶け込んでいった。
時折悪夢にうなされたり、このままいつかひっそりと孤独死するかもなーなんて思って不安で酒をあおったり、仕事が終わらないと残業に追われる日もある。世界が変わっても、なんだかんだと人間の生活なんか同じようなところに落ち着くのかもしれない。
「異世界なのになぁ」
ふはっと零れた自嘲が、俺が生きる世界に混じる。
誰も気づかないで、通り過ぎて行けばいい。
次の方〜、なんてお決まりになったセリフを吐きながら、視界に入ってくるありとあらゆるステータス。依頼受付カウンターにはきっと不要な能力だ。それでも見る。見ている。やっと見つけた居場所で、今度は間違えたくないから。
聖女がお役目を終え自分の世界に帰ったと、馴染みとなったセドリックとその相棒に聞かされても、へぇ、そうなんですか、それはそれはお疲れ様でしたねぇと呟くだけだ。
ある日、ギルドにすごい美少女が現れた。それはもうすごい。とてつもない。ステータスを見るまでもなくわかる、とびきり綺麗な顔。美貌といっても差し支えない。
当然ステータスを見ても美が突き抜けている。加えてそれ以外も全ての値が最上級。
将来必ず優れた冒険者になり、きっと歴史に名を残す。そんな未来まではっきり見えるような子だった。
その子は受付の冴えない男の目を見て言った。
「あなたを幸せにしてあげます!」
彼女の胸、心臓の前に掲げられたハート型のステータス画面。てかハート型なんてあるのか……?今までこんなのは見たことがなかった。まさか俺の認識にまで何らかの影響が及んでるなんてことは……そんなまさか。ははは。
口元を痙攣らせた俺は、ハートの中に現れた内容に目を通して絶句した。
どれだけ目を擦っても、穴が空くほど見ても、そこにあるのは、
受付の人が好き。絶対将来結婚する。
の文字だった。頭痛が痛い。
それは決意なんだかステータスなんだかわからない。俺は頭を抱えた。
はやくこの子も通り過ぎて行けばいいのに。子供が年上の存在に抱く淡い想いなんてよくある話じゃないか。すぐに他のいい人に目移りして去っていく。行ってくれ。
そう思っているのに、彼女はいつもまっすぐ俺のもとへ走ってやってくる。
「受付番号8番の方〜」
「ハイッ!」
はいっ、はい、はーいと何度手を上げるのか。はいは一回でいいですよと声をかけそうになってしまう。
待ち合いの椅子から必死に、楽しげに駆け寄って来る美少女。本当に混み合う時間を避けて会いに来たらしい。
「こんにちは、受付の人!」
「こんにちは。今日はどのようなご用件でしょうか?」
「むっふふふ、聞いてください!今日は依頼です!ちゃーんと報酬もこのとおり用意しているのです」
とん、とカウンターに置かれた皮袋には、少なくない金額が入っておりギョッとする。
おっと平常心平常心。ステータスで見えた金額を袋を改めていない俺がまだ知るはずがないのだから。ふーん、子供のお小遣いかなって顔でいこう。
にしたって、この大金はどうしたものか。もしや本当に混み入った依頼を持ち込みにきたのかもしれないなと、少し背筋を正して依頼人に向き合う。
「やっと私の業務を理解してくださったんですね。はい、ではご依頼をお伺いいたします。どのような…」
お客様なら対応だって変わるとも。眼鏡の奥でにっこりと仕事用の笑みを浮かべた俺、その言葉は元気よく遮られる。
「あなたのお名前を知りたいのです!!」
今日もまた、俺は──、私は──、地に足つけたはずの足が無邪気にすっ転ばされそうになるのを、そんな気持ちを愉快だと、錯覚してしまいそうなこの気持ちを抑えて、ため息混じりにこう尋ねる。
「それはギルドへのご依頼ですか?」と。
やがて成長した美少女が、実は美少年で貴族だったこと、さらにとんでもない美青年に育ち、国で最も優れた術者を決める選定会で優勝、約束以上の大賢者となったその足で最愛の青年にパーティを申し込みに行くこと、その旅が彼らの名前を歴史に刻む大冒険になることを、自分のステータスだけは見ることができない受付の人は
まだ知らない。
田中さんが美少女くんを男だと見抜けなかったのは、美少女やんけ!という思い込みが強すぎて美少女って表示されてたんだと思います。