「『朝起こしに来てくれる幼馴染』?そんなのいるわけないじゃないですかぁ」
「朝起こしに来てくれる幼馴染っていないものかな」
大きなソファに腰かけて、天井を見上げながら、誰に言うともなく俺がつぶやく。
「そんなのいるわけないじゃないですかぁ」
やや鼻にかかった声がした。
声と同時に膝の上に重さを感じた俺が目を落とすと、膝の上に獣耳娘が飛び乗ってきていた。
彼女はそのまま俺の体にじゃれつきながら、上目遣いで続ける。
「『朝起こしに来てくれる幼馴染』が欲しいだなんて、ご主人様は、きっとアニメの見すぎじゃないですか?」
「でも『朝起こしに来てくれる幼馴染』って男のロマンだろ。」
言う俺に獣耳娘頬をぷくっと膨らせる。
「えー?そんな『ない物』がロマンだなんて、全然わからないですよぉ。ねえ?」
「そうですよマスター。実在しない物を望むのがマスターの良くないところです」
背後からの独特の無感情な声に振り向くと、メイドロボが俺のところにトレイを運んできていた。
シックなロングスカートのメイド服に身を包んだ黒髪の彼女は、耳の部分の機械パーツ以外は人間にしか見えない。
トレイから焼き菓子が山と積まれた皿と紅茶を俺のソファの横のサイドテーブルに置くとメイドロボは言った。
「『朝起こしに来てくれる幼馴染』などというのは、空想の産物です。
漫画やアニメ、いわゆる『二次元』には存在してもこの世界には存在しません。それに」
メイドロボはずいっと俺に顔を近づける。
「毎朝、私が起こして差し上げて、朝から晩までお世話させていただいているのに。
何が不満なのですか?」
「そういうことじゃないけど…」
確かに、ここではメイドロボがなんでもやってくれる。
掃除洗濯食事身の回りの世話から、あんなことやこんなことまで。
それに不満があるわけじゃない。
獣耳娘は俺の膝の上から飛び降りると、部屋の中を駆け回り始めている。
ピコピコ動く獣耳と尻尾は愛らしくて見ていて飽きない。
別に彼女にも不満があるわけじゃない。
でも。
メイドロボや獣耳娘というのはどこにでもありふれているわけではない。
そんな彼女たちが俺のところにいるのだから、『朝起こしに来てくれる幼馴染』が存在しないというのはおかしいのではないか?
他の人に聞いてみる必要があるようだ。
俺はソファから立ち上がると隣の部屋に向かった。
隣の部屋の扉を開ける。途端に甘い香の匂いが花をついた。
薄暗い部屋の真ん中には、大きな天蓋のついたベットがある。
その上に寝転んだ半裸の女性は、俺が入ってきたのに気づくと、気だるげにほほ笑んで言った。
「あら、あなた、今日はずいぶん早いのね」
妖艶なオーラをまとった彼女は「サキュバス」だ。
その美貌で男性を虜にして死に至るまで生気を吸い尽くす危険な魔物。
…なのだが、今は俺と一緒に暮らしている。
「気になることがあって。…『朝起こしに来てくれる幼馴染』がいたらいいなって思うんだけど、何かわかることはないか?」
俺が言うとサキュバスはきょとんとした顔をしたが、すぐに合点がいったとばかりに妖艶な笑みを浮かべた。
「『朝起こしに来てくれる幼馴染』ね…また変わったシチュエーションをお望みなのねえ」
「いや『シチュエーション』じゃなくて、本当に欲しいんだって」
俺が言うと、サキュバスは大きくため息をついた。
「『朝起こしに来てくれる幼馴染』なんて存在しないのに、『本当に』だなんてあなたはおかしなことを言うのね。
…でも、アタシならいつでも完全に『朝起こしに来てくれる幼馴染』になりきってあげるわよ。
それなら、本当と変わらないでしょう?」
「そういうけど…でも、演じてるのと本当とはやっぱり全然違って…」
「ねえ、そんな難しいことより、今日もアタシとイイことしましょうよ」
俺をさえぎって言い、ベッドから手招きする彼女。
漂ってくる官能の匂い。
俺は彼女とはもう何度肌を重ねたのか覚えていない。
つまらない疑問や不安があっても、そうすれば忘れられた。
でも、俺は今日はそんな気にはなれなかった。
「すまない。またな」
俺はサキュバスの誘いを断ると、隣の部屋に向かった。
隣の和室の障子を開けると、縁側に赤と白の和装の少女が座ってくつろいでいた。
『朝起こしに来てくれる幼馴染が欲しい』
俺が少女に言うと、彼女は笑いながら言った。
「『朝起こしに来てくれる幼馴染』じゃと?そんなもの、存在するわけなかろう?ふふっ」
鈴のような笑い声とともに、彼女の頭の上で狐の耳が揺れる。
「そうかなあ」
この狐耳の少女は、幼い見た目に反して数百年の歳を生きている妖狐であり知恵者だ。
そんな彼女が『朝起こしに来てくれる幼馴染』など存在しないと言っている。
ではやはり存在しないのだろうか?
「しかし…『朝起こしに来てくれる幼馴染』とのう。
ぬし様はもう子供という歳ではないと思っておったが、意外と子供っぽいものを信じているのじゃな…くふふ♪」
何だかバカにされたような気がした俺は、ムッとして思わず言い返した。
「じゃあお前はどうなんだよ。『妖狐』が存在するなんて言ったら子供じゃないかって思われるぞ」
瞬間。
俺はものすごい力で縁側に引き倒され、狐耳娘に馬乗りにされていた。
「ほう…ぬし様はワシが存在しないというのかや?」
俺を見下ろすその口からは鋭い牙が覗き、目は金色に輝いている。
「ごめん、そういうつもりじゃなくって」
「なら、よい」
すっと俺の上から身を翻す妖狐。俺も身を起こす。
そして縁側に二人並んで座ったまま気まずい沈黙が流れた。
やがて、妖狐が口を開いた。
「のうぬし様よ、気になるなら…自分で確かめるしかないぞ」
「そうだな…そうするよ。ありがとう」
言って立ち上がる。そして、俺は答えを知っているはずの者の部屋に向かった。