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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第一部・逃げる二人
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第八話 「アバリシア・1」

――王宮内に用意されたヴィシオの執務室に、主の怒声が響き渡った。


「騎士団も王も、人を軽んじやがってぇ!!」


 机に拳を叩きつけ、溜まった鬱憤(うっぷん)を少しでも晴らそうとする。

 拳の方が痛くなって、余計に怒りは増すばかりだった。

 机の前に立つヴィシオの副官である男は、上司に気付かれないよう溜め息を()く。


「『計画』は大筋問題なく進んでいます。ここで目立つのは得策ではないかと」

「分かっている! だから引き下がっているんだろうが!」


 怒鳴り返すヴィシオに、副官は小さく肩を竦めた。

 こいつのこういうところが虫が好かんのだ、とヴィシオは胸中で呟く。

 能力は優秀だが、いずれ切ることを考えなくてはいけない。もしもの時のスケープゴートとしては十分だろう。

 なにせこの副官は、かつて『魔法使い』が使っていた古代語を読めるのだ。

 この男がいなければ、『計画』はもっと遅れていた。ある意味において、最も罪深い男と言える。

 腹の中でそう決めて溜飲(りゅういん)を下げ、ヴィシオは不満を混ぜ込んだ息を吐き出した。


「量産の方の進捗(しんちょく)はどうだ?」

「現在、七割程は済んでいます」


 副官の報告に鷹揚(おうよう)に頷いて、忌々しげに舌打ちする。

 やはり、最大の懸念(けねん)は『魔法使い』だ。奴が生きている限り、安心して『計画』を実行できない。

 だから、里の襲撃の時に騎士団の総力を持って行うべきだったのだ。あの能面みたいな顔をした団長が渋らなければ、今頃は『計画』の準備にのみ気を使えばよかったはずだ。

 思い出しながら怒りで拳を振るわせるヴィシオに、副官はこっそり冷ややかな目を向ける。

 お互いに利害が一致しただけの関係であるのは、言うまでもなかった。

 唸るヴィシオを見かねたように、副官が提言する。


「『彼ら』に声をかけておきましょうか?」


 副官が示唆(しさ)したものが何か、ヴィシオはすぐに理解した。

 顔を(しか)めて、若干躊躇(ちゅうちょ)する。


「……連中か。まぁ、今はいい。準備はしておけ」


 肯く副官に下がるよう指示して、ヴィシオは椅子の背もたれに体を預けた。

 今はまだ、大きく動く時ではない。バレた場合のリスクが高すぎる。騎士団が上手くやってくれるなら、その方が楽だ。

 だが、もしも失敗した時は。

 その時こそ、動く時だ。分かり易く付け入る隙もあれば、黙らせることも容易だ。

 (よこしま)にほくそ笑んで、ヴィシオは机の上に積まれた書類に手をつける。

 余計な瑕疵(かし)をつけない為にも、仕事はきっちりこなさければならない。

 書類を片付けながら、ヴィシオは吉報を待つことにした。



 人の腹積もりなど分からない。今の王宮では、ヴィシオは数少ない仕事熱心な人物となっていた――



  ※            ※            ※



 ナイトとマギサは、言葉少なに街道を歩いていた。

 魔物を退治してから数日。どうにも運の悪いことが多い森を避け、二人は街道沿いを旅していた。


 それはつまり、狩猟や採取が簡単に行えなくなるということを意味し、旅に出て初めて食料のことを気にしなければいけないことを意味した。

 街道沿いに点々と存在している林は、狩りに向いているとはお世辞にも言えない。奥まで踏み込めば話は別かもしれないが、街道を見失っては元も子もない。

 土地勘のない場所での狩りはするな。ナイトが村の猟師であるカサドルさんから教わったことだ。


 運良く出会った行商人から食料を買い込み、それを持ち運ぶ為の背負い袋と、ついでに火口箱(ほくちばこ)を仕入れた。

 これまで、火はいつもマギサに頼ってきた。何せ、面倒な手間も道具もいらない。一々枯れ木を探す必要さえない。どんなものでもすぐに火が点いた。

 やめよう、とナイトは思った。『魔法』に頼るのは、良くない。

 背中の傷は治してもらったが、破れた服はそのままにしてもらった。

 どんなに便利でも、『魔法』は簡単な力じゃない。夜になると火口箱を使って焚き火を点けるナイトを、マギサも黙って見つめていた。


 魔物を燃やしたあの日以来、二人の間に会話は少なくなった。

 元々マギサは無口だし、ナイトも喋る方ではない。以前とそこまで変わったわけではないのだが、必要最低限の会話も減った。

 意思疎通には困っていないが、それだけだ。今のマギサにかける言葉が、ナイトには見つけられなかった。

 人の足で踏み(なら)された街道を歩きながら、寂しくなった懐を抱えてナイトは溜め息を吐く。


 これから、どうしようか。


 ずっと、その言葉が頭から離れなかった。

 リエスから貰ったお金は、行商人に払った分で殆ど消えた。どこかに行く当ても、頼れる人もいない。それに、騎士団に追われている以上、どこか一箇所に留まるのも危険だ。

 まして、マギサの事が知られれば、もう逃げるしかない。

 この前の村のように。

 横目で盗み見たマギサの顔は、いつもと変わりなかった。

 相変わらず、ナイトには何を言えばいいのか分からない。そんな自分が嫌になってくる。

 二晩前に、マギサにこれから先のことを聞いた時の返答を思い出す。


 ――ナイトさんは、どうしたいですか?


 返す言葉が何もなくて、そこで会話が終わってしまった。

 本当にその通りだ。いったい僕は、どうしたいのだろうか。

 マギサを助けたい一心でここまできた。でも、この先どうすればいいのだろうか。

 今の自分に、果たして何ができるというのだろうか。

 傷ついた彼女に声もかけてやれない自分に、いったい何が。


 物思いに耽るナイトに、林から飛び出た人影に気づく余裕はなかった。

 その人影はナイトを見つけるや否や飛びつき、


「お願いだ、助けてくれ!」


 必死な声色でそう頼み込んできた。

 いきなり現実に引き戻されたナイトが固まっている間に、林からもう三つの人影が飛び出してくる。



 顔まで布で包んだ、真っ黒な服に身を包んだ男達。



 短剣を手に持った姿は、どう見ても旅人とかではない。野盗か何かだ。

 戸惑うナイトを尻目に、黒服の男達は舌打ちしてナイト達を取り囲む。


「兄さん、頼んだぞ!」


 文句を言う暇もあらばこそ、追われていた男はマギサと一緒に後ろに下がる。

 体よく巻き込まれたナイトは、訳も分からぬまま黒服達に敵意を向けられた。

 ただのとばっちりだと言って聞いてくれそうにもない。観念して剣を抜けば、黒服達に緊張が走った。


 正面に一人、左右に一人ずつ。位置を確認して、ナイトは腰を落とす。

 同士討ちにならないよう少しずつ間隔をずらして、三人同時に襲い掛かってきた。

 一番早い右の短剣を剣で受け流して体勢を崩させ、次にくる左の男の顔に裏拳を打ち込む。

 よろめいた右の男を正面に向かって蹴り飛ばし、たたらを踏んだ正面の男の短剣を打ち払って叩き落す。

 仕上げに左の男の足を払い、胸元を掴んで正面に投げ飛ばした。

 黒服達は起き上がると、不利を悟ったのか林の中へと逃げていく。

 事情も知らぬナイトに追うつもりはない。男達が消えるのを見届けて、剣を収めた。


「兄さん、強いなぁ!」


 きっちり安全を確認してから、追われていた男がナイトに近づく。

 渋い顔をするナイトに、男は満面の笑みで応えた。


「あの、一体何なんですか?」

「そいつを説明する前に、だ。ちょっと話があるんだが」


 人差し指を立てる男に、ナイトが訝しげな顔をする。

 男は余り人相の良くない顔を歪めて、悪巧みでもするように言った。


「兄さん、護衛として雇われねぇか? 報酬は弾むぜ!」


 突然の展開に全くついていけず、ナイトは思わずマギサと顔を見合わせた。



  ※             ※             ※



 男は、名をバールと名乗った。

 年はおおよそ40で、少し先にある街で酒場を経営していると言う。

 見れば成る程、背負った荷物からは大きめの瓶が顔を覗かせていた。

 仕入れの帰りだと言うバールは、自分が住む街『アバリシア』までの護衛を頼んできた。

 路銀も心許(こころもと)なく、街までの道もわからない二人は特に断る理由も思いつかず、バールの依頼を請け負った。

 道すがら、これは聞いておかねばとナイトは先程の男達についてバールに尋ねる。


「野盗ですか?」

「いや、違う。ありゃ、ホーント一家さ」


 聞いたことの無い名前に首を傾げるナイトに、バールが嫌そうに説明した。

 ホーント一家とは、アバリシアに根を張る犯罪組織だ。

 アバリシアで起こる犯罪のほぼ全てに関与していて、裏では領主とも手を組んでいる為捕まる事も無く好き放題やっている。

 勿論、領主の面目を守る為に捕まる事もあるが、八百長もいいところだ。死刑には絶対にならず、長くて数年で牢から出てしまう。


 主な収入源は、酒場の経営。

 アバリシアには『禁酒法』というものがあり、酒類の売買は禁止されている。破れば罰金、懲役、下手をすれば死刑だ。

 ただし、ホーント一家は別だ。領主と組んでいるのだから当然だし、禁酒法自体ホーント一家が領主に作らせたという話まである。

 酒を呑みたければ、ホーント一家に金を払うしかない。

 そこまで聞いて、ナイトはふと首を傾げた。


「あれ? でも、バールさんって酒場やってるんですよね?」

「あぁ、そうだ」

「アバリシアで、ですよね?」

「おぉ、勿論」

「んん?」


 腕を組んで、ナイトは更に首を捻った。

 バールの話の通りなら、アバリシアで酒場を経営できるのはホーント一家だけだ。

 そして、バールは酒場を経営している。ならば、バールはホーント一家ということになるはずだ。

 しかし、バールの口ぶりからはどうにもそうは思えない。ホーント一家を嫌っている節さえ(うかが)える。

 直接聞いてみようかと思いながら、ナイトが躊躇(ためら)っていると、


「ホーント一家の方ですか?」


 マギサが顔色一つ変えずに言ってのけた。

 内心動揺しながらも、ナイトもじっとバールを見つめる。

 二人の視線を受けて、バールは野盗か何かと見紛う笑みを浮かべた。


「ほら、着いたぞ。あれが俺の住む街、アバリシアだ」


 顎で示された先を目にして、ナイトはかつて訪れた王都の姿を思い出した。

 立派な城門が訪れる者を見下ろし、城壁がぐるりと都を取り囲む。見る者と住む者に堅牢さを教え、安心感を与えてくれる作りに感動したのを覚えている。

 今、目の前にある街も同じように防壁と堅い門を(たずさ)えた関を構えているが、王都のそれとはだいぶ印象が違って見えた。

 まるで出入りを拒むような、閉じた印象。

 何がその違いを生むのかは、ナイトには良く分からなかった。


「兄さん達、こっちだ」


 まだ門の前にいる兵士の顔も見えないのに、バールが街道を離れようと手招きする。

 訝しむナイトと微動だにしないマギサに笑い返し、バールは荷物を背負い直した。


「俺はホーント一家じゃねぇよ。むしろ大っ嫌いだ。細かいことは後で話す。表から通ろうとしてみろ、難癖つけて金を巻き上げてくるぞ」


 嘘はつかねぇよ、とバールは苦笑して歩き出す。

 ナイトはマギサと顔を見合わせて、一先(ひとま)ずバールの後ろをついていくことにした。

 なんだか色々と怪しいが、少なくとも今は彼の護衛をしているのだ。勝手に放置するわけにもいくまい。

 そもそも、金も何もない自分達を騙して得があるとも思えない。もし何かあれば、マギサを抱えて逃げてしまえばいい。

 何だか逃げることに慣れてきてしまっている自分に、ナイトは複雑な気分になった。

 バールは後ろを振り向かず、明確に目的地がある足取りで歩いていく。

 バールには聞こえないように、ナイトはこっそりマギサに話し掛けた。


「お金を貰ったら、すぐに出ようか。あんまりいい街じゃないみたいだし」

「ナイトさんは、出たいですか?」


 マギサの瞳に見つめられ、ナイトは射竦められたように喉が詰まる。

 マギサにそんなつもりがないのは分かっている。いつものように、変わらない表情で尋ね返されただけだ。

 それなのにどうして、こんなに胸が痛くなるのだろう。

 何か、大事なことを忘れてしまっているような気がした。

 それが何なのか、考えてもナイトには分からなかった。



 バールの背中越しに見えた防壁は、迷うナイトを威圧するように(そび)え立っていた。



  ※             ※             ※



 アバリシアの街は、ナイトの想像よりずっと雑然としていた。


 見張りの兵士と挨拶を交わすバールの後ろについて、裏口みたいな通用門を通る。壁に武器や防具がかけられた兵士達の待機所を過ぎれば、もう街の中だった。

 規則性も何も無く家が立ち並び、街路はさながら迷路のようだ。バールにそういうと、アバリシアの街中で迷わない旅人はいないと笑った。

 歩きながらバールが説明してくれたことには、ナイト達が見た街門から領主の館を通って反対側の街門まで出る道は、幅も広くきちんと整備されている。

 指し示してくれた領主の館は確かに大きく、街のどこからでも見られる程で、街の人間にとっては迷わない為の目印になっているらしい。


 ただし、そこ以外は無秩序といっていい乱立具合だ。

 金さえ出せばどこでも家を建てられるせいで、景観も何もあったものではなく、人の目の届かない場所があちこちに出来上がっている。

 ホーント一家はそういう所で好き勝手やるのだと、バールは唾棄(だき)した。

 その様は嘘をついているようには見えず、ナイトは少しだけ安堵する。ホーント一家が大嫌いなのは多分本当で、襲ってきたのも彼らで間違いないだろう。

 もしかして兵士とかではないのかと疑っていたのだ。風体からして、違うとは思うが。

 しかしそうなると、つくづくバールの正体が分からない。

 この街では、ホーント一家以外は酒を取り扱えないのではないだろうか。背中の荷物は、まさか酒ではありませんでしたということはあるまい。

 封をしているから、匂いまでは流石に分からないが。


 バールに連れられて、どことも知れないアバリシアの街を歩く。

 走り回る子供達に、世間話をする母親達。日に焼けた男達が荷物を担いで往来し、何の店なのか女達が呼び込みに精を出す。

 視界を揺らせば道端に積み上げられた木箱、空を見上げれば通りを渡る紐にかけられた洗濯物。屋根の上は子供達にとってもう一つの道だ。

 村とは何もかもが違う。王都とも違う。

 ナイトは、初めて見る『街』に圧倒されていた。


「おい兄さん、こっちだぜ」


 うっかり道を間違えたらしく、バールの呆れたような声が聞こえる。

 慌ててバールとマギサのところに駆け戻り、身を縮めて頭を下げた。

 迷路みたいな道をすいすい歩くバールに、ナイトは少しだけ感嘆(かんたん)する。街に住む人にとっては当然かもしれないが、頭の中に地図があるみたいだ。

 そのままバールの後ろをついて歩けば、どん詰まりに行き当たった。流石に道を間違えたのかと思うと、バールはその行き止まりにある廃屋(はいおく)としか思えない建物に入っていく。

 恐る恐る後に続けば、廃屋の中には地下にでも繋がっているような下向きの階段があった。


「あそこだ」


 ナイト達に指し示して、バールは階段を下りていく。

 ここまで来て躊躇しても仕方が無く、ナイトはマギサと目配せしてバールに続いた。

 廃屋の中は埃と砂塗れだったのが、階段を下りるほどに綺麗になっていく。

 人の手が入っているのは明らかで、ナイトにしてみれば不思議な感覚だった。なんだか普通ではない場所に迷い込んだような気がする。

 階段を下りきった先にあったのは、それなりにきちんとした作りの扉だった。少なくとも、手入れされていない廃屋に当たり前にあるものではない。

 バールが懐から鍵を取り出して、扉を開ける。漂ってくる酒の匂いに、ナイトはここが目的地なのだと理解した。


 中に入れば、そこは確かに酒場だった。

 立ち並ぶテーブルと、それを囲うように置かれた椅子代わりの木箱。壁と天井に吊り下げられた蝋燭(ろうそく)が薄ぼんやりと全体を照らし出し、カウンターの向こう側に厨房があることを教えてくれる。

 しかし、匂いはすれど酒の姿形も見えない。ナイトが首を巡らせると、カウンターの奥から出てきた女性と目が合った。


「……誰?」

「え、あ、その、」


 まさか誰かいるとは思わず、ナイトは慌てて咄嗟(とっさ)にバールを見る。

 女性も釣られるようにそちらを見て、安心したように息を漏らした。


「父さん、お帰り。早かったね」

「おぅ、ただいま」


 歯を見せて笑って、バールが軽く手を上げる。

 瞬きを繰り返して二人を見比べるナイトに、バールは口の端を歪めて荷物を下ろした。


「んじゃ、まとめて説明するか。少し待っててくれ、酒を片付けたら話すからよ」


 そう言うと、バールは荷物を抱えてカウンターの奥へと消えていく。

 後に残されたナイトはどうすることもできず、うっかり女性と目が合って引きつった笑みを浮かべた。

 溜息のように女性は鼻から息を吐き、木箱よりはマシなカウンターの席を指す。


「座ったら? 立ちっぱなしじゃ疲れるでしょ」

「あ、はい、ありがとうございます」


 一礼して腰を下ろし、マギサを隣に座らせた。

 どうにもバールのペースに乗せられてしまっている気がする。

 別に嫌ではないが、事情を聞いて報酬を貰ったら街を出ようと考えたところで気がついた。

 道が分からない。

 バールの後ろをついてきただけだから、ここがどこかも分からない。

 領主の館を目印にすれば、と思うが、街門の関所を無事通り抜けられるかどうか。何せ、裏口みたいなところから入ってきたのだから。

 もしかして嵌められたのかもしれない、と考え始めた所でバールが戻ってきた。


「待たせたな。さて、じゃあ何から話すかね」


 顎を撫でるバールに、ナイトはとりあえず耳を傾ける。

 あれこれ判断するのは、話を聞いてからでも遅くあるまい。

 そういうところが他人にペースを握られる原因なのだと、未だにナイトは気づいていなかった。



  ※             ※            ※



 出された水を飲みながら、ナイトとマギサはバールの話に耳を傾けた。

 結論から言うと、バールは何一つ嘘を言っていなかった。


 バールの店は『クナイペ』という名前で、アバリシア唯一のホーント一家と関係の無い地下酒場だ。

 バールのホーント一家嫌いは徹底していて、酒の仕入れは自前で、それ以外はホーント一家と関係の薄い店としか取引していない。

 勿論、楽なことじゃない。有形無形の嫌がらせは毎日のようにあるし、兵士達からも目をつけられている。袖の下を渡して兵士と関係を作るのも、自衛の為だ。

 ナイト達と通った裏口も、仕入れの為に使えるようにしたと言う。

 表の街門を通った日には、何をされるか分からない。兵士達と関係を築くのには苦労したとバールはしみじみと語った。

 ホーント一家からは当然のように目の仇にされているが、バールも負けじと徹底抗戦の構えだ。人相が悪くなったのもそのせいだと言うが、多分生まれつきだとナイトは思った。


 バールの酒場は、思ったよりも繁盛しているらしい。

 ろくな内装も整えられないからそう見えないが、ホーント一家は嫌いだが酒は呑みたいという人は結構な数がいて、この『クナイペ』に足繁(あししげ)く通っているとのことだ。

 『クナイペ』を潰すとなれば、それなりの騒ぎになる。ホーント一家もそれを嫌ってか、そこまで直接的なことはしてこなかった。

 だが、一年前にホーント一家の(かしら)が死に、その息子が後を継いで事態は変わった。

 家長交代のごたごたで暫くは身動きが取れなかったようだが、半年前からバールや『クナイペ』への妨害工作が激しさを増した。

 なんとか営業を続けているものの、『クナイペ』に卸してくれていた店から取引の中断を申し出られたり、酔った振りをして暴れたり。

 本格的に締め上げようとしているのは誰の目にも明らかだった。


「そんなこったろうと思って、向こうがゴタゴタしている内に酒は大量に仕入れておいたんだが。いい酒が安いって聞いて、思わず出ちまった」


 反省している素振りで、バールが頭を掻く。

 街の外に出れば襲われるかも、という懸念はあったらしい。まだそこまではしないだろうと高を括った結果が、三人の黒服による襲撃だ。

 溜息を吐くバールに、先程の女性――バールの娘で、名をエカテーと言う――が平手で背中を叩いた。


「だから言ったじゃん。危ないって。ナイトさん達に会わなかったら死んでたよ?」


 エカテーの叱責に、バールが苦笑する。

 エカテーはナイト達の方を向き、すまなそうな笑顔で頭を下げた。


「本当にありがとね。うちのバカ親父がお世話になりました」

「あぁいえ、えと、大丈夫です」


 慌てて首を横に振るナイトに、エカテーは面白そうに小さく笑った。

 この親子、性格はともかく見た目は全く似ていない。野盗でもやっていそうな人相のバールの娘と思えないくらい、エカテーは美人だった。

 年の頃は、大体ナイトと同じくらいだろうか。笑った顔が本当に綺麗で、如何にナイトと言えどもやや鼓動が高鳴るのを抑えられない。

 その様子を、バールが意地悪そうに冷やかしてきた。


「お? どうした? うちの娘は俺に似ず美人だろ?」

「え、あぁ、まぁ、そう、ですね」


 上手く返答できないナイトに、バールの笑みが更に深くなる。

 余りこういう絡まれ方には慣れていない。誤魔化そうと何か別の話題を探して、


「そういえば、なんでそこまでホーント一家が嫌いなんですか?」


 ナイトの一言に、バールが初めて言葉に詰まった。

 少しだけ雰囲気が変わったのを察して、ナイトは押し黙る。余り聞いてはいけないことだったのかもしれない。

 何かしらの事情があるだろうことは、ある程度分かっていた。


「……ここに住んでる奴で、ホーント一家が好きな奴なんていないさ」


 バールの呟きに、今までのようなふざけた色はない。

 ふと見れば、エカテーも眉根を寄せて軽く俯いていた。

 不味い事を聞いてしまったのだと思う。ナイトは何を言えばいいか分からず、口を開いては閉じるを繰り返す。

 何かを誤魔化すように、バールが深く呼吸して頭を掻く。


「ま、嫌いになるなって方が無理だ。何せ、人の店に嫌がらせするわ、しまいにゃ命まで狙ってきやがる連中だ。安心して商売もできねぇ。そこで、だ」


 軽く机を叩いて、バールがナイト達に向かって身を乗り出す。

 思わず身を引いて、ナイトはバールと見詰め合ってしまった。


「兄さん達、この酒場の用心棒になっちゃくんねぇか?」

「……はい?」


 首を傾げるナイトに、バールが歯を見せて笑う。

 マギサは相変わらず無表情で、コップの水を飲んでいた。


「用心棒ったって、普段は働いてもらうけどな。まぁ、あれだ。この店で俺に雇われねぇかって話だ。兄さんは腕も立つしな」

「あの、そんな、いきなり……」

「急ぎの旅か?」

「……違いますけど」

「路銀は?」

「……ない、ですけど」

「うちで働くのは嫌か?」

「いえ、そういうわけじゃ、」

「なら問題ねぇな!」


 ナイトの言い訳を全部潰し、バールは笑って肩を叩く。

 苦笑を返し、ナイトは助けを求めるようにマギサに目線を送る。

 視線に気づいたマギサがナイトを見返し、コップを置いた。


「出会ったばかりの私達を、信じられますか?」


 バールは笑うのを止め、ナイトとマギサを正面から見つめる。

 その姿は、アバリシアにあってホーント一家に逆らい続けた男のものだった。


「街の人間よりは信用できるさ。それに、人を見る目には自信がある」


 口と目だけを歪めて笑う顔には、バールが歩いた人生が見える気がした。

 マギサは再び黙って、ナイトに向かって小さく頷いてみせる。

 観念したようにナイトは溜息を吐いて、バールとエカテーに頭を下げた。


「暫くの間、宜しくお願いします」

「おっしゃ!」

「こちらこそ!」


 バールが手を叩いて喜び、エカテーが満面の笑みを向ける。

 ナイトは自分がどこかホッとしていることに気づき、力の抜けた笑みを浮かべた。

 悪い話じゃない。お金が無かったのは本当だし、特に行く当てもないから急いでもいない。一箇所に留まるのは若干危険かもしれないが、この迷路みたいな街なら騎士団だって簡単には探し出せないはずだ。

 昼間みたいな連中なら、自分一人で十分相手にできる。少しはどこかで休まないと、マギサも参ってしまうだろう。

 理由を探していることに、ナイトは気づかない振りをした。

 不安が少しでも溶けてなくなるなら、それでもいい気がしていた。




 気遣うようなマギサの視線に気づかないまま、ナイトは酒場『クナイペ』の用心棒となった。

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