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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第二部・追う二人
83/85

第八十話 「魔女のいない山村」

 現実の出来事はとても思えなかった。


 青年騎士が剣を抜いた瞬間、風が渦を巻いて炎を蹴散らした。

 宙に浮かんだ図形から半身を出した緋色の蜥蜴が、風を嫌がるように唸りを上げる。

 足に力を入れた騎士が飛び上がり、剣を振るう。

 風が吹き荒れ、思わず顔を庇って目を瞑った。


 この世のものとは思えない叫びが鼓膜を揺さぶる。

 恐る恐る目を開ければ、空中で騎士と巨大蜥蜴が戦っていた。


 ――なんだこれ。


 少年は馬鹿みたいに口をあけて、目の前で繰り広げられる常軌を逸した現実を見つめた。

 信じられない。まるでお伽噺だ。


 風を従えた騎士が、炎を撒き散らす怪物を斬りつけている。

 悲鳴に近い鳴き声を上げる緋色の蜥蜴が身を捩り、炎が矢のように放たれる。

 その全てを掻き消して、騎士の剣が怪物の顔を真一文字に裂いた。

 空気の震えを肌で感じるほどの絶叫。耳を塞いでも腹の底に響き、ジャンは思わず膝を折った。


 唐突に熱さを感じ、片目だけ開けて見上げれば緋色の蜥蜴が炎を吐いていた。

 これだけ離れていてもわかるほどの熱量だ。直撃を食らえば、人間なんてひとたまりもない。

 だというのに、騎士は逃げる様子もなく炎を前に剣を大上段に構えていた。

 危ない。そう叫ぼうとしたのに、声が出ない。

 少年が何もできずにいる内に炎は騎士に迫り、



 振り下ろした剣に断ち切られた。



 風の刃が炎を切り裂き、掻き消し、怪物の頭に傷をつける。

 血の代わりとでもいうように炎が噴き出し、巨大蜥蜴は痛みの余りに身を捩る。

 飛び散る炎を剣の一振りで消して、青年騎士は魔物を睨み付けた。

 怯えたように緋色の蜥蜴は身を震わせ、



 騎士から逃れるように、円の中へと姿を消していった。



 空中の図形は風に紛れて形を失い、光の粒になって消えていく。

 風を纏って騎士は降り立ち、少年を一瞥して苦笑した。


 それは、先ほどまでお伽噺のような戦いを演じた人物とは思えない程弱々しげで。

 些細な悪戯が見つかった子供のように、恥ずかしそうだった。


 変な奴だ、とジャンは思う。

 こんなに強いのに、とてもそうは見えない。泣きそうな顔で偉そうな説教をする。いや、さっきのあれは果たして説教だったのだろうか。経験談を語られただけ、という気もする。

 青年騎士は少年から視線を逸らし、頼りない足取りで倒れて動かない魔女の下へ向かう。

 その後姿を、ジャンはじっと見つめた。


 一人で魔物を三匹も倒せるくらい強いのに。

 彼の背中からは、少しも勝者の雰囲気を感じない。

 あれが、人殺しの業を背負った者の姿なのだろうか。


 ふと、周囲に視線を走らせる。

 部屋の隅に落ちているナイフを見つけ、足を動かす。

 今日という日の為に研ぎ続けてきた武器を拾い上げ、騎士の方を見やった。


 魔女の手から零れ落ちた杖を、丁度真っ二つにしたところだった。

 そういえば、あの杖はいつも魔女が肌身離さず持っていたものだ。けれど、確か村に来たころには持っていなかったと思う。いつの間に手に入れたのだろう。


 拾ったナイフに視線を落とす。

 体のどこでもいい、突き立てればきっと魔女の命を奪うのに十分な傷を与えられるはずだ。

 今すぐにでも飛び掛れば。

 復讐を諦めたと油断している騎士の隙をつくのは、多分難しくはない。



 大きく息を吐いて、ナイフを懐に仕舞った。



 前言を撤回するような真似は、男らしくない。それに、あの騎士みたいになるのは御免だ。

 あんな、笑うことができない人間になるのは。

 父も母も、村の皆が笑って生きられる明日の為に命を賭けたのだ。

 息子である自分が、それを踏みにじるような真似をしてはいけないと思う。


 今回は彼に譲った。もう、あの魔女は自分の獲物じゃない。

 そういうことに、した。


「ジャン」


 声をかけられて振り向けば、青年騎士が魔女――ティスを背負って笑いかけてきていた。

 彼の笑みは、少しも笑っていない。

 ただ、顔をその形にしているだけだ。

 人を殺せば、そうなってしまうのだろうか。それはちょっと、分からないけれど。


「帰ろう。彼女の手当てをしないと」

「……はい」


 頷いて、隣に並んで歩き出す。

 そこから玄関まで、騎士と少年は特に話すこともなく黙ったまま足を動かした。


 言うべきことはあったかもしれない。

 けれど互いに、相手にかける言葉をもたなかった。

 だから、きっと、話すべきことなんてなかったのだ。

 もう、終わってしまったのだ。多分。


 誰もいなくなった隠し部屋は、ゆっくりとひとりでに扉を閉じた。



 中には、折れて使い物にならなくなった杖があるだけだった。



  ※               ※                ※


 塔を出たところで、思わぬ人達の出迎えを受けて少年と騎士の足は止まった。

 クーアと、村長を始めとした村の人々。

 用もなく塔に近づくような人達ではない。思い当たる節はといえば、


「ジャン! このバカモンが!!」


 足早に近づいてきた村長が、拳骨をジャンの頭に降らせる。

 容赦のない一撃に、聞いている方まで痛くなる音が響いた。

 さしものジャンも堪らず顔を歪め、


「いっ――!」

「――あれほど言うたろうが! どうしてお前はそう、肝心なところで人の言うことを聞かんのだ!」


 漏れた呻きを掻き消すように村長が叫ぶ。

 涙目で見上げる少年に、村長は顔を真っ赤にして拳を振るわせる。

 また殴られると思って目を瞑り、


「頼むから、余り心配させんでくれ……!」


 予想に反して、力強く抱きしめられた。

 一瞬呆気に取られ、ジャンは村長を見やる。

 村長の腕は暖かくて、抱き締められた体が少し痛かった。


「すまなかった。お前がそこまで思いつめていたことに気づいてやれなくて。分かっていたはずなのに、魔女のことで一番傷ついているのはお前だと」


 村長の声は微かに震えていて、滲んだ後悔が少年の耳朶を揺さぶった。

 抱き締められた腕も小さく震えて、全身に伝わっていく。

 胸の奥が、呼応するように震えだした。

 呆気にとられていた瞳が焦点を失い、揺らいでいく。



 「すまない……お前のこと、何もわかっていなくて……すまない……!」



 懺悔にも近い言葉を吐き、村長は抱き締める腕に力をこめた。

 本当はもっと早く、こうして怒るべきだったのだと思う。

 せめて村から出て青年騎士を連れてきた、あの時にでも。人を心配させるなと、精一杯叱るべきだったのだ。


 何もわかっていなかった。

 ジャンの思いも、引き取った責任も。

 村長としての役割がどうとか、そんなことばかりを考えていた。


 引き取ったのも、村長だから。それが自分の役割だから。それで、ジャン個人を見ようとはしていなかった。

 ジャンを引き取ったのではない。村長の責任を果たした。本当にそれだけだったのだ。

 その後は、腫れ物を触るように。両親を殺された可哀想な少年を傷つけないよう、大人らしく振舞っていた。

 だから気づかなかった。魔女に騎士を襲わせるほど、追い詰められていたことに。


 実際に引き金を引いたのは、騎士について質問してきたあの男だ。だが、彼を手引きしてたきつけたのはジャンだという。

 そんなことをしていたなんて、思いもよらなかった。

 クーアが言ってくれなければ、こうして塔に来ることもなかっただろう。彼を問い詰めることもなく、事情を知ることもなく、ただただ後から何もかもを知って肝を冷やすだけの情けない姿を晒していたに違いない。


 いや、今だって大して違いはない。

 何もかもが終わった後に、こうして偉そうに叱り付けている。

 親代わりであろうと、そう思っていたはずなのに。

 結局、何もできず、何も気づかず。後悔ばかりが先にたつ。


「すまない……」


 声が震える。体の震えも止められない。

 情けないと思っても、どうにもならなかった。

 こんな自分を、ジャンはどう思っているのだろうか。

 やはり、こんな親代わりは嫌だろうか。

 何も言ってくれないのが、答えであるように感じた。


「……ごめんなさい……」


 小さく漏れた声は、だが確かに村長の鼓膜を揺らした。

 ふと気づけば、抱き締めた腕から自分のもの以外の震えが伝わってくる。


「ごめん、なさい……!」


 ジャンの声は震えていた。

 それは紛れもなく涙声で、伝わる震えはジャンのもので、思わず目を見開いた。


 どうして泣くのだろう。

 分からない。分からないけれど、何でか涙が出てきた。

 背中を掴んできたこの手は、間違えようもなくジャンのもので。

 わけも分からず、涙が溢れてきた。


 もっと早く、気づけていれば。

 もっと早く、こうして抱き合えたのだろうか。


 尽きることのないもしもに、村長は泣いた。

 その村長の背中を握り締めて、少年も泣いた。



 この日、村長は初めてジャンを怒鳴った。

 その日、ジャンは両親が死んでから初めて泣いた。


 何かから解き放たれたように、大人と子供は同じように泣き続けた。



  ※              ※                ※


 二人が泣き止むのを待って、一行は村へと戻った。

 事件は解決した。そうリデルが説明すると、村は歓喜の声に包まれた。

 魔道具を持たないティスにはもう何の力もない。村の誰もが安堵の息を吐き、事を成し遂げた青年騎士に喝采を浴びせた。


 魔女に密告した男は、村長によってリデルの前に引っ立てられた。頬が赤く染まっていたのは、村長か誰かに殴られたのか。

 要求を呑むなら不問にするというリデルに、男は一も二もなく頷いた。

 リデルが男に出した要求は、ティスを守ること。騎士団が来るまでの間、恨みを持つ村人によって私刑が行われないようにすることだった。


 ティスをかつてのジャンの家に寝かせ、リデルとクーアは旅支度を済ませる。

 もう村に留まる理由はない。

 山林に潜んでいた魔物も、姿を消していた。おそらく、あの暴走の時に何か起きたのか、それとも杖が壊れたので召還されたか。どちらにしても、脅威は消え去った。


 ティスは目を覚まさない。下手をすれば数日眠り続けるだろう、とリデルは見積もっていた。

 あれだけ衰弱した状態で魔道具が暴走したのだ。殆ど力を吸い尽くされているはずだ。

 暴走。資料の中だけでしか見たことがないが、あれがそうだろう。

 一部の魔道具は術者の強い願いに作用し、強制的に力を吸い上げて発動することがある。ともすれば命に関わる問題で、国が研究を諦めた要因の一つでもあった。


 今回は、資料でしか見たことがないものに出会い過ぎた。

 遺跡の隠し部屋に、魔道具の暴走。そして『サラマンダー』。

 魔物の中でも上等な種で、記録では遺跡でのみ発見されたことがあるという。その時は数十人の死傷者を出して、ようやく倒したらしい。

 この剣がなければ危なかったな、とそっと腰の剣に視線を落とす。


 対『魔法使い』用に下賜された、風の魔剣。訓練を積んだとはいえ、あれだけ思い切り使うと流石に疲れる。

 この魔剣は、風を自在に操ることができる。風の刃を飛ばすことも、風の塊を生み出して足場にすることも、自由自在だ。風を剣身に纏わせ、あらゆるものを切り裂くことも。

 ティスの持っていた杖は、この剣でなければ壊すことができなかっただろう。

 ジャンのナイフを弾き飛ばしたのも、この剣の力があればこそだ。そうでなくば、彼の魔女への復讐は果たされていた。


 強力な魔道具だからこそ、自由に使えるわけではない。

 制限は二つ。一つ、魔道具共通であるが、行使するのに『力』を使うこと。

 もう一つは、直接柄を握る必要があること。

 だから、安全弁として同じ形状の柄と鍔を上から被せている。騎士であることを示す紋章は、この蓋代わりの金具についている。


 魔剣を使ったことは、報告しなければならない。だが、ジャンについては伏せておこう。

 彼の復讐は終わった。

 何かを言う必要も、ないはずだ。


 預けていた馬に荷物を載せて、クーアに目配せする。

 彼女は肩を竦めて、見送りにきていた村長達に頭を下げた。


「お世話になりました」


 彼女と一緒に頭を下げる。

 村長は大仰に首を振って、


「とんでもない! こちらこそ、貴方方のお陰で村は救われました。感謝しております」


 さっきまで泣いていたとは思えない晴れやかな笑顔で、頭を下げ返してきた。

 クーアと視線を交わし、彼女が馬に乗っている間に村長と話す。


「今月中には騎士隊が来ると思います。それまで、彼女のことをお願いします」

「分かりました。責任を持ってお預かりします」


 頷く村長に微笑み返し、馬の手綱を引く。

 クーアが乗ったのを確認して、その後ろに跨る。


 今回は、自分で報告に行くことにした。

 魔道具関連の事件であるし、壁の鍵も早いところ渡したい。使いを出すより、自分で出向いた方が早いだろう。

 それに、


「ジャン」


 声をかけると、頭にたんこぶを作った少年が見上げてきた。

 目つきが、少し変わったように思う。

 どこかすっきりとしたような、何か抜け落ちたような。

 それがいいことか悪いことかは、判別しづらかった。

 だから、それは本人に決めてもらうことにした。



「ティスのこと、任せたよ」



 驚きに見開かれた少年の目が、揺れた。

 今回は譲る、と彼は言った。

 だとして、恨みも何もなくなったわけではないだろう。

 自分が見張っていればともかく、村からいなくなれば一体どうなるのか。


 分からない。

 もしかしたらまた復讐を果たそうとするかもしれないし、それとも何か別の方法をとるかもしれない。

 男を一人護衛にはつけたが、彼をどこまで信用したものか。


 それでも。

 それでも、今回の決着は彼ら自身が決めるべきだ。

 こちらの言うことを聞いて、騎士団が来るまで保護するのか。

 それとも、自分達で何かしようとするのか。

 その選択肢を与えなくては、何一つ終わらないと思う。

 力なき少女を前に、彼らがどんな選択をするのか。

 そればかりは、他人がどうすることもできない部分だろう。



 ――パンを盗まれた店主は、どうすればいい?



 分からない。

 その問いの答えは、まだ見つけられていない。

 けれど、多分。


 今は、これが正しいように思った。



 手綱を引いて馬を歩かせ、村人達の見送りの声を背中に山を下りた。



  ※            ※               ※


 馬に揺られながら、クーアとリデルは山道を進む。

 騎士団が駐屯している町は、魔法使いの里とはまるで反対方向だ。

 急ぐ旅ではないが、時間がかかって仕方がない。

 ぼうっと空を眺めて、クーアは思いついたように口を開いた。


「あの子、どうなるだろうね」


 あの子、とは一体どの子を指すのか。

 それ以外何も言わず、木々に切り取られた空を眺め続けた。


「分かりません」


 リデルが答えたのは暫く経ってからで、クーアは首を更に傾けて堅物な騎士の表情を見やる。

 いつものように寂しげな真顔で、済ました面をしていた。


「逃げちゃったりして」


 リデルは連れの薬師を一瞥して、正面に視線を戻した。


「それなら、仕方ないですね」

「怒られるかもね」


 もう一度青年騎士が視線をおろせば、試すように見上げるクーアと目が合った。

 一瞬見詰め合って、すぐに視線を逸らした。


「そうなった時は、責任を取ります」

「騎士、クビにならないといいね」


 そう言って、クーアは首を戻して前に向き直った。

 リデルは少しの間彼女の後頭部を見つめ、視線を戻した。



 下山したリデル達は、数日かけて騎士団の駐屯する町にたどり着いた。

 そこで山村のことを報告するのと一緒に、王都へ騎士団長宛に荷物を送った。

 厳重に封をされた箱の中に入れたのは、塔で見つけた野狐の紋章が入った蓋。

 ティスという名の少女が重要な証言者であるという一文を一緒に入れて、騎士団経由で届くように手配した。


 それにどれだけの意味があるかは、今は誰にも分からない。

 すぐに魔法使いの里へ向けて出発したリデル達は、その後何が起こったのか知らない。

 彼がそれを知るのは、ずっと後の話だった。




 それから半月。

 リデルとクーアは、魔法使いの里がある山へと足を踏み入れた。

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