表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第二部・追う二人
81/85

第七十八話 「騎士と魔女」

 月明かりだけを頼りに、リデルは夜の中を歩く。

 塔から村までの道は特に手入れもされておらず、ただ人が踏み均した跡だけがあった。その道を辿りながら、若き騎士は三文芝居を繰り広げた相手の事を思い返す。


 塔の魔女。彼女は、ティスと名乗った。

 村長から聞いたものと同じ名前。おそらくは本名だろうが、さして重要なことではない。

 魔女――ティスは、傍目に見ても分かるほど弱っていた。


 気丈に振舞ってはいたが、揺さぶりをかけてみてはっきりした。緊張から解かれた後に転びそうになったのは、体がついてこなかったのだろう。

 多少の負荷をかけた程度であの有様だ。随分と体力も失っているはず。今頃は、もう寝ているだろうか。

 どうしてそこまで弱っているのか。考えられる答えは、一つしかなかった。


 魔道具の酷使。

 詳しい調査はなされていない――表立ってはそう発表しているが、実際には国は魔道具の研究に手をつけている。

 いや、手をつけていた、というべきか。

 もう数十年も前に打ち切られている。だから、資料として残っているのは化石のような記録だけだ。

 だが、今も何もしてないわけではない。

 新しい魔道具が見つかる度に、かつての資料と照らし合わせながら調査はしているのだ。


 国庫には、魔道具専用の保管庫がある。厳重に管理されたそこに仕舞われる前に、騎士団が主体となって魔道具を調べるのだ。

 手元に意味不明な劇物を置いておくことほど危険なことはない。保安の為、どのようにして動くのか、どのような性質を持つのかを把握しておく必要があった。

 結果、幾つかの魔道具については用途を把握して保管できている。勿論、理解できないものも数多くあって、それらは決して外に出ないよう管理しているが。


 そうした調査の中で、魔道具に共通する特徴が幾つかあった。

 その中の一つが、過度な行使による身体の衰弱だ。


 半ば日常的に魔道具を行使していると、使用者はどんどん衰弱していていき、最終的に死に至る。かつての国の研究が打ち切られた原因の一つだ。

 理由は分からない。ただ、魔道具は力を吸い取る。


 力。活力とか生命力とか、そういった類の何か。『力』としか表現できない曖昧なもの。

 それを人体から吸い取って、魔道具は威力を発揮する。

 だから、魔道具は門外不出の禁忌となった。こんなものが世に出回れば、確実に世界は混乱する。圧倒的な力もそうだが、使いすぎれば命すら奪う道具など、呪いでしかない。

 力に溺れる者は後を絶たない。例え命が失われると分かっていても、手にする者は少なくないだろう。

 


 ティスという名の、少女のように。



 おそらく、あの杖が魔道具でほぼ間違いない。鍵穴のあった壁の先に保管されていたのだろう。

 肌身離さず持っていることや、揺さぶりをかけた時に杖を握り締めた様からも大事なものであることは窺える。

 性質は、魔物を召喚して使役するものか。それなら、今までの行状にも全部説明がつく。


 魔女の正体は、魔道具を手に入れただけのただの少女だった。

 『魔法使い』かもしれないという最悪の予想が外れてくれて助かったが、今度は別の問題が出てきた。

 あれだけ衰弱していたのだ。すぐに魔道具の使用をやめさせなければ、早晩命に関わる。

 言って聞くような相手じゃないのは、塔を案内してもらった僅かな時間でも十分に理解できた。


 それに、彼女はもう人を殺している。

 罪を問わずに済む一線は、とっくに踏み越えていた。

 今もその気になれば魔物を使役できるだろう。危険な存在であることには違いない。

 『魔法使い』である、マギサと同じように。


 秩序を乱す、人々の安寧にとって危険な存在は排除しなくてはならない。相手がどうとか、そんなことは関係なく。それが、騎士として正しい姿だ。

 ティスを、斬らなくてはならない。


 弱っている状態の彼女ならば、今の自分一人でも十分に対処できる。むしろ、何故あの場で斬らなかったのかと父ならば叱るだろう。

 調査任務だから、など言い訳だ。可能ならば対処するのが正しい。それはリデルだって、嫌というほど理解している。


 斬ろうと、全く思わなかったわけでもない。

 斬ってどうするのか、と思ってしまった。


 馬鹿な考えだ。斬ればこの村は助かる。所在不明の魔道具が一つ手に入って、世界に一つ平穏が訪れる。

 迷うことは、ないはずだった。

 少なくとも、少し前までの自分なら。


 そんな自分とは別に、早計だと止める自分がいた。まだ情報も十分集まっていない、早く事を片付けようとすると逆に問題が起きる可能性もある。十分に準備を整えてから行動に移すべきだ、と。

 どちらの自分の言葉を聞くかで、後者を選んだ。


 甲斐は、多少あったと思う。次の約束を取り付けることができたし、経過観察ができる。

 本当に魔道具の酷使で衰弱しているのか、確かめる間も必要だろう。彼女が何の目的で魔物を使役しているのかも。


 それに、この蓋を手に入れることもできた。

 野狐の紋章。間違いなく、ミニストロ家の家紋だ。

 これで団長やギューテ卿への面目も立つ。彼らの予想通り、ヴィシオ・ミニストロは各地で遺跡を探索させていたという動かぬ証拠だ。

 証人が自分とティスしかいないのがやや不安だが、それでも物的証拠はこれ以上ない切り札となるだろう。


 鍵穴を隠してあったことといい、奴等がティスより先に見つけていないのは明らかだ。運がよかったというべきか、悪かったというべきか。

 どのみち、そこから先は一般団員である自分が口出しできる場面ではない。団長達に任せるのがいいだろう。



 ――それでいいのか?



 ふと生まれた疑問に、自分で驚いた。

 『魔法』を除けば人畜無害な二人を追って、明らかに何か企んでいるヴィシオを放っておく。その判断は正しいのか、と自分の中の何かが語りかけてくる。


 深呼吸を繰り返して、頭の中の声を追い出した。

 騎士は王命と法にのみ従うべし。

 父の忠告の中でも、最も心に刻み込まれているもの。


 個々が勝手な判断を下せば、世の中は乱れる。秩序と人々を守る騎士だからこそ、独断は許されない。

 ヴィシオが法を犯しているならば、団長とギューテ卿が突き止めるだろう。自分は、自分の成すべきことをすべきだ。

 蓋を懐に仕舞いこんで、月明かりを頼りに村までの道を急いだ。

 塔で情報を得たからこそ、村長と話したいことがあるのだ。


 徐々に近づく村は、家々から微かな明かりが漏れていて、人々の生活がそこにあることを教えてくれる。

 もう少し早めに帰れば、煙突から漏れる煙や、夕食の匂いを嗅げたことだろう。一度立ち止まって、村を見回す。

 何も異常はない。それと同時に、自分が何を守っているかを再確認する。

 騎士はその背に、人々の暮らしを背負っている。自分が預かっているものの重さを確かめて、リデルは村長の家に足を向けた。



 魔女ティスがどこからきたのか。村長の話から、もう一度考える必要があると思った。



  ※               ※                ※


 皿洗いを済ませて、村長は食後の茶をリデルに出した。


 塔に行くといったこの青年騎士が戻ってきたのはつい先程のこと。一人遅い夕食を摂りながら、話したい事があると言ってきた。

 知っていることはもう全て話したはずだが。何にせよ、村の者から不審がられていることを伝えるには丁度いいと思って二つ返事で引き受けた。


 相変わらず青年騎士は表情が読めない。単に真顔なだけだが、だからこそ余計に何を考えているのか。塔で一体、何を見てきたのだろうか。

 魔女には会ったはずだ。そのことも、気にはなっていた。

 茶を一口啜って、リデルは口を開いた。


「村長。彼女は、一体どこから来たのかご存知ですか?」

「えっ? いえ、以前お話したとおり、そういう事はさっぱり……」


 何を聞かれるかと思ったら。

 魔女について話した時、それらは全て話したはずだ。どこからともかくぼろぼろの状態で村に流れついて、自分のことは何も喋らなかった、と。

 何故改めてそんなことを聞いてくるのか。塔で何かあったのだろうか。

 疑問に思っているうちに、彼が続けざまに問いかけてくる。


「親や、それに類する人は?」

「全く。話も聞きません」

「故郷を思って憂いたりは?」

「見たこともありませんな」


 嘘偽りなく答える。本当に見たことがない。

 もしかしたら誰も見ていないところで一人郷愁を覚えていたかもしれないが、それは流石に知るところではない。

 こちらの答えに青年騎士は暫し黙考し、


「彼女は、『放浪隊商』の出身かもしれません」


 言われて、不思議なくらいに納得した。

 『放浪隊商』とは、一つところに住まう場所を持たない隊商のことだ。様々な理由で故郷を失った人々が寄り集まり、隊商として活動する。

 行商人の中には同じような者もいるが、彼らは家を持つこともある。『放浪隊商』の隊員が家を持つ時は、そこから抜けるときだ。


 根無し草の彼らは、どこへでもいくしなんでもする。時には、法に反するようなものの取り扱いをする場合だってある。

 言ってしまえば反社会組織の卵とも言えた。だからか、騎士団から特に目をつけられている。


 魔女が何らかの都合で隊商から逸れた一員だとすれば、一人だったのも理解できる。

 いや、それでも元の隊商に戻ろうとしないのはおかしいか。

 なら、考えられることとしては、隊商から追放されたか、


「彼女の所属していた『放浪隊商』は、なくなったのかもしれません」


 考えていたのと同じ事を、若い騎士が言ってのけた。

 騎士団の取り締まりでも受けて、そこから逃げてきたのだろうか。だとすれば、巡回がきたときのあの異様な剣幕も納得できる。

 村でのことを知られたくない、という事以上に騎士団に恨みを持っているのか。その可能性は、低くないように思えた。


「村長から見て、どうでしょうか」

「……そう、ですね。その可能性は、あると思います」

「そのことで、彼女が騎士団に恨みを持っている可能性は?」

「ある、でしょうね。巡回がきた時の魔女の怒りは、我々が言葉を失うくらいでしたから」


 真顔のリデルに、村長はあちこちに視線を逃がしながら頷いた。

 仮定に仮定を重ねるような話ではあるが、少しずつ魔女の正体が透けてくるような気がしてくる。


 もしかすると。

 あの魔女は塔にこもりながら、騎士団への報復を考えているのではなかろうか。

 ずっと大人しくて何をしているのか分からなかったが、魔物の数をそろえて力を蓄えているのでは。


 自分達は、それに半ば加担してしまっている。

 そう思いついた途端に、目の前の騎士に背筋が凍るような恐怖を覚えた。


「わ、私達は脅されて仕方なく! あの魔女が何をしているかも知らないんです!」

「分かっています。もし想像通り彼女が騎士団への反旗を考えているとしても、貴方方に罪はない。それは私が保証します」


 微笑んで頷く青年に、安堵の息を吐く。

 いまいち安心しきれない笑顔ではあるが、騎士ともあろう者が言葉を違えることはないだろう。少なくとも、彼がいれば村は被害者でいられる。


 益々彼に協力しないわけにはいかなくなった。村の者の不審も、なんとかこちらで抑えるしかないだろう。頭の痛いことだが、村が疑われるよりマシだ。

 顔を引き締めて、青年騎士がこちらを見据える。


「しかし、そうなれば余計に私が騎士だと知られるわけにはいかなくなりました。このことは、絶対に内密に。ジャンにも一言お願いします」

「え、えぇ、勿論です」


 もしバレたら一大事だ。魔女が怒り狂えば、村がどうなるか考えたくもない。

 内心の恐れを噛み殺して頷いて見せれば、彼は廊下につながる出入り口の方に視線を向けていた。

 同じように見てみるが、特に何もない。


「あの、どうかなされましたか?」

「……いえ、なんでもありません」


 視線を戻してカップを傾ける若い騎士に、村長は困惑しながらもそれ以上追及しなかった。

 この男の動向を一々気にしていたら、精神が磨り減るばかりだ。ある程度距離をとるのが正解だろう。

 騎士の考えることなど、我々村人には到底分からないものだ。

 そこで、すべき話をようやく思い出した。


「あのぅ、それで、魔女についてなのですが」

「えぇ、なんでしょう?」

「塔で何かありましたでしょうか? それと、どのくらいかかるか教えて頂いても? 村の者が不審がっておりますので……」


 青年騎士が眉根を寄せて考え込みだす。

 あまり機嫌を損ねたくはないが、こちらにも村長という立場がある。村の者を抑えておくにしたって、何も知らぬのではどうすることもできない。

 正体不明という意味では魔女もこの男もいい勝負で、一々神経を使うのが疲れるところだ。


「まだ何もかも推測の域を出ていません。どのくらいかかるかも、今の時点ではなんとも。遅くとも五日以内には済ませたいと思ってはいます」

「……はぁ……そうですか……」


 要領を得ない答えに曖昧に頷いて、溜息を吐く。

 一応の期限は聞けたものの、断言されなかったことに一抹の不安がよぎる。

 村の者が不満を訴えてきたらどうするべきか。考えるのも嫌になる。

 もう一度溜息を吐きそうになった時、若い騎士が力強く言った。


「ただ、貴方が思っているような酷い事態にはならない。私は、そう考えています」

「……はぁ……?」

「彼女――ティスには、それほどの力は残されていない、ということです」

「そう……なんですか?」

「えぇ。ですから、ご安心下さい。早めに片をつけます」

「はぁ……」


 真顔でそういわれては、村長には何を言う事もできない。

 ただ水飲み鳥のように頷くしかなかった。

 その夜の話し合いは、そこまでだった。



 どこかで、扉がパタンと閉まる音がした。



  ※                 ※                ※


 それから三日。リデルは塔に通い、クーアは村長の仕事を手伝う日々を過ごした。


 嫌そうに付き添うティスの様子を観察しながら、リデルは少しずつ確信を強めていった。

 魔道具以外に衰弱の要因がないこと。そして、塔内の魔物に何らかの命令をするときに杖を振っていること。

 それとなく話を振ってみたが、彼女は世間話には一切乗ってこない。が、父母の話をしたときに反応したことからも、何かがあるのは窺えた。

 騎士について話を振ってみると、分かりやすく肩が震えた。もう間違いない。彼女は、壊滅した『放浪隊商』の一員だ。


 話してみて分かったのは、彼女は意外に引っ込み思案な性格はしていない、ということ。言葉ははっきり言うし、目つきも弱々しくはない。どちらかというと心を閉ざしているだけで、大人しい方ではなさそうだ。

 それだけに、時折窺える瞳の奥の昏い炎が気にかかる。騎士や『放浪隊商』について話を振ったとき、それは明確に揺れていた。


 憎悪と怨嗟を固めて燃やしたそれは、ジェローアの町にいたグラッジなどとは比べ物にならない。

 近く見た似ているものといえば、ジャンだろうか。

 復讐。報復。それに取り付かれているものが持つ炎。

 似た状況にあって、マギサはもっていなかったもの。


 情報が集まるにつれて、リデルの中でどうすべきかという議論が巻き起こる。ここで討つべきか、それとも任務どおり下山して伝えるべきか。

 どちらにせよ、衰弱具合からして時間の猶予はそれほど残されていなかった。


 一方、クーアは村長の畑仕事などを手伝いながら、ジャンの様子を窺っていた。

 二人をこの村へ連れてきた少年は、初対面の印象とは違って実に真面目だった。村長の言うことをよく聞いて仕事に励み、村の人達にも好かれている。故郷の子供達に見習わせたいくらいだ。

 時折塔の方を見て立ち竦んでいることがあるが、特に何かをしようというわけでもなさそうだった。

 見ている限り、無茶をしそうにはなくてほっとする。だが、胸のどこかがざわめいて仕方がない。


 何か、よくないことが起こりそうな気がする。

 それが何かまでは分からないけれど。


 少年の瞳に燃える炎は、決して尽きてはいない。むしろ、今になって更に燃え上がっているような気さえする。

 それは多分、リデルのせいだろう。

 彼の存在が、夢物語に過ぎなかった少年の復讐に現実味を持たせてしまった。

 だからといってどうするべきか答えもでず、クーアはただ少年を見守っていた。



 事態は、思わぬところで動きを見せた。



  ※             ※               ※


 畑仕事を終えた村長を見つけ、男は足早に近づく。


「村長!」

「ん、あ、あぁ、君か」


 引きつった笑みを浮かべる村長に男は顔を歪め、相手が何を言うより先に怒鳴った。


「あの旅人、また性懲りもなく魔女の塔に向かっているというじゃありませんか! 話をしてくれるというのはどうなったんですか!?」

「お、落ち着きなさい。とりあえず、こっちに」


 肩を捕まれ、男は家の裏に連れて行かれた。

 一応死角の多い場所だが、畑の前に比べればマシという程度でしかない。

 周囲を気にする村長に、男は肩を怒らせて問い詰める。


「それで、なんであの旅人は凝りもせず塔へ? 忠告はしたんですか!?」

「したよ、勿論。でも、強制はできないだろう? 縛り上げろとでもいうのか?」

「なら早く村から追い出すべきです! 魔女の気に障ったらどうするつもりですか!?」

「い、いや、その、変な話をしたら逆に魔女の気に障るかもしれんだろう? 穏便に出て行ってもらうように話はしているから、勘弁してくれないか」

「もう三日も経ちましたよ!? 他の者も不安がっています、折角何事もなかったのにこれじゃあ台無しだ!」


 いきり立つ男を諌めるように、村長は両手で肩を叩く。

 男にしてみれば、村長の態度は全く不可解だった。

 自分と同じく、村を守る意思を持っていると思っていた。だからこそ、ずっと村長と仰いできたのだ。


 あの妙な旅人が来てからというもの、どうにも様子がおかしい。魔女の塔に近づかせるなんて、本当に何を考えているのか。

 折角魔女が村に来ず、平和な日々を過ごしていたというのに。このまま魔女が塔から出ないでいてくれればそれが一番なのに、蜂の巣をつつくような真似を何故許しているのか。

 男には、全く理解ができなかった。


「大丈夫さ、今も何も起きていないだろう? あと一日二日もすれば出て行くと言っているし、ここは一つ抑えて、な?」

「……村長は、何かを隠しておられるのでは?」


 村長の愛想笑いが、引きつった。

 何かおかしい。自分の知らない何かがあるのではないか。そう思ってカマをかけてみたが、どうやらあたりらしい。

 村長は何かを隠している。それも、こうしてあの旅人を庇わねばならないような何かを。

 あと一日か二日で出て行く、というのもどれほど信用できた話か。


「な、何も隠してなんかいないさ。とにかく、もう少しの辛抱だ。我慢してくれ、な?」

「……分かりました」


 これ以上追求しても何も出るまい。そう判断し、男はその場は引き下がることにした。

 小走りに立ち去る村長の後姿を見ながら、小さく舌打ちをする。村長ならば何より村のことを考えるべきなのに、一体何を考えているのか。

 村にとって有害な存在を放置するなど、到底信じられるものではなかった。

 村長の隠し事をどう暴き立てるか考えながら身を翻すと、


 ジャンがいた。


 つんのめるように立ち止まって、男はジャンを見下ろす。

 両親を魔女に殺され、村長に引き取られた少年。面識はあってもさほど親しくはない。

 避けて帰ろうと一歩踏み出すと、


「村長が隠していること、教えようか?」


 ぴたりと足が止まる。

 ぐるりと視線を下に向けると、ジャン少年が真顔でこちらを見上げていた。


 冗談を言っているようではない。しかし、何故この子がそれを知っているのか。そういえば、旅人を案内したのはジャンだったはずだ。

 なら、知っていてもおかしくはないかもしれない。


「前に、村長と旅人さんが話しているのを聞いたんだ。知りたい?」

「……是非、聞かせてほしいね」


 見上げてくる少年の表情は、いまいち何を考えているか読みきれない。だが、何にせよ重要な情報だ。聞いて損はないだろう。

 微かに口角を上げて、ジャンはその秘密を口にした。



「あの旅人さんは、騎士なんだ。魔女を倒しにきたんだよ」



 驚きのあまり息が詰まった。


「……騎士、だと? 本気で言ってるのか?」

「嘘じゃないよ。何なら荷物を調べてみるといい。鎧や兜に紋章がついてるから」


 自信満々に言うジャン少年に、男は言葉を失う。

 調べてすぐに分かる嘘をつくとも思えない。なら、あの旅人は本当に騎士なのだ。

 一体何をしに。いや、ジャンの言うとおり魔女を退治しにきたのだろう。


 一人で?


 いくらなんでも、それは無謀というものではないか。騎士がどれほどのものかは知らないが、相手は多くの魔物を従える魔女だ。到底一人で立ち向かえるものではない。

 困惑する男の隙をつくように、ジャンが言い添えた。


「もし、あの騎士様が魔女を倒し損ねたらどうなっちゃうだろうね。村長だけが隠してたって言って信じてくれるかな」


 息を呑む。

 そうだ。そこが一番の問題だ。


 あの騎士がただやられて死ぬだけなら勝手な話だが、村にまで被害を及ぼされてはたまらない。なのに、何故村長は黙っているのか。

 まさか、あの騎士が勝つことに賭けているとでもいうのか。

 それならそれで結構だが、まさか村長だけが加担していたなどと魔女が信じてくれるはずもない。間違いなく、村はまた襲われる。


 村を守らなくてはならない。

 村長がやらないのなら、他の誰かがやるべきだ。


「ありがとう、助かったよ」

「どういたしまして」


 少年に礼を言って、男は走り出す。

 向かう先は、決まっていた。

 だから、振り返りもせず、気づくこともなかった。



 男の背中を見送る少年の口元が、薄っすらと笑みの形に歪んでいることに。



  ※               ※                ※


 今日で何日目だろうか。

 毎日やって来る青年をようやく追い返し、ティスは安堵の息を吐いた。


 一体いつまで居るつもりだろうか。早くどこかへ行ってほしいが、彼の興味が尽きないことには無理かもしれない。

 鍵を見つけさせてやれば気は晴れるかもしれないが、その為だけに父母の形見でもあるものを他人に触らせるのには抵抗があった。


 リデル、と言ったか。明日もくるのだろうか。来るだろう、帰り際にそんなことを言っていたし。

 おかげでここのところ魔道具を使う暇がなく、体調も回復している気がする。

 慢性的なだるさはどうにもならないが、朝起きるのは苦労しなくなった。

 今こそ杖の力を使いこなす訓練を始めるべきだが、明日に差し支えるかと思うと踏み切れない。いざという時にあいつを殺せるだけの力は、常に確保しておかないと。


 空を見上げれば、もう星が瞬いていた。

 寝よう。そう思って自室に戻ろうとして、


 ノックにしては乱暴な音が響いた。


 眉を顰め、玄関を見やる。もう一度、殴っているのかノックなのか判別しづらい音がした。

 杖を握り締め、天井にいる蜘蛛を見やる。

 おかしなところはない。命令すれば、きちんと制御できるだろう。


「誰?」


 突き放すような誰何に、玄関の向こうの誰かが息を呑む気配がした。


「あ、あの、村の者です。どうしても早急にお伝えしたいことがありまして……」


 眉根を寄せ、杖を軽く振る。


 ――合図したら、襲え。


 久しぶりに力が抜ける感覚。杖を突いて息を吐き、玄関を睨む。

 一体村の人間が何の用なのか。こちらが何か言わない限り、塔にくることなんてなかったのに。


「開けて中に入れ」


 指示通り玄関を開けて、村で見た覚えのある男が中に入ってくる。

 名前なんか一々覚えていない。だが確かに、村の人間には違いなかった。


「それで用件は?」


 言外にくだらないことだったらただではすまさない、という圧力を込めて問う。

 男は怯えながらもこちらを見据え、


「じ、実は、最近こちらによく来る旅人についてなんですが――」



 そこから先を聞いたティスは、怒りのあまり言葉を失う。

 瞳の奥に揺らめく憎悪の炎が、猛り狂い始めた。

 許しては置けない。絶対に。



 拳の振り下ろし先を見つけ、ティスは魔女へと変貌した。


  ※              ※                  ※


 塔と村を繋ぐ道。

 月明かりしか頼るもののない場所で、ジャンは焚きつけた村人が戻ってくるのを待っていた。


 夜は少しだけ寒い。緊張と合わせて震える手に息を吐きかけ、ぎゅっと握り締める。

 大丈夫。上手くいったはずだ。あの男は一目散に塔に向かっていった。騎士と鉢合わせるような馬鹿な真似もしないだろう。

 夜中にこっそり聞いた村長と青年騎士の会話。あれが本当なら、男から話を聞けば魔女は動く。

 その時が、両親を殺した報いを受けさせる最後の機会だ。


 足音がした。

 物陰に隠れて、足音の主がはっきり見えるまで息を潜ませる。こんなところ、他の誰かに見られたら困る。

 足音の主は、先程焚きつけた男だった。


 深く息を吐いて、はっきりと音を立てて男の前に出る。

 声を出して驚く男に、ジャンは口だけで謝った。


「ごめん、驚かせるつもりはなかったんだ。それで、どうだった?」


 悪びれない物言いに男は眉を顰めたが、気にしないことにしてくれたようだった。


「あぁ、ちゃんと伝えたよ。明日は塔に近づくんじゃないぞ。それと、村長の家からは離れた方がいい。旅人を始末した後、襲いにくるかもしれん」

「へぇ……やっぱり怒ってた?」

「そりゃあ、凄い剣幕だったさ。殺されるかと思ったよ。だが、これで一安心だな。村には手を出さないと約束してもらったからな」

「そっか……よかったね」


 上手くいった。

 これで、明日には魔女と騎士は激突する。

 村には手を出さないとかどうとか、そんなことはどうでもよかった。


 三日、いやもう四日か。リデルと名乗った騎士がきてからずっと我慢していた。

 このまま何もなく、調査だけされて帰られても困るのだ。

 頭の中は、明日どうやって魔女にナイフを突き立てるかで一杯だった。


「お前も早く帰れ。村長には悪いが、村の為には仕方ないことだ」

「……そうだね、そうするよ」


 聞きたいことは聞けた。

 村長がどうとか言っていた気もするが、耳には入っていても頭で処理していなかった。


 どうでもいい、そんなこと。

 すぐにでも帰って、早く休まないと。

 男に背を向けて、勢いのままに走り出す。


 振り向くこともなく歩きなれた夜の道を踏みしめ、家へと駆け込む。

 乱れた呼吸を整えて、寝入っているであろう皆を起こさないよう足音を忍ばせて部屋に戻った。

 ベッドに寝転んでも、興奮が収まらずに中々寝付けない。


 明日だ。

 明日、ようやく念願が叶う。

 あの魔女に、思い知らせてやれるのだ。


 一体何がおかしいのか分からないのに、笑いが漏れてくる。

 顔を枕に押し付けて、必死に噛み殺した。



 いつの間に眠ったのか、ジャン自身にもよく分からなかった。



  ※              ※                 ※


 翌朝。

 いつものように朝食の席についたとき、クーアは微かな違和感を覚えた。


 何が、といわれても困る。ただ、何か普段と違う、ボタンを掛け違えたような感覚。

 すまし顔のリデルに、常に困ったような顔の村長に、大人しくパンを齧るジャン。普段どおりの光景だが、何か変だ。


 しばらくして、ようやくその原因に気づいた。ジャンが、それとなくリデルを横目に見ている。

 バレないようにちらちらと、しかし普段よりも確かに意識して。


 何かあったのだろうか。

 ジャンがリデルを気にするといえば、魔女関連が一番に思い浮かぶ。だが、特に進展があったという話は聞いていない。

 ただ、塔には来ないように厳重に言い含められてはいる。

 昨夜も言われた。何が起こるかわからないから、村に居るようにと。

 リデルは何も言わないが、何か起きる予兆くらいは感じ取っているのかもしれない。だとしても、ただの薬師には何もできないから言われたとおりにするしかないけれども。


 朝食を終え、リデルはいつもどおり村を見回りに出た。

 ジャンもいつもどおり皿洗いを手伝って、畑仕事へと繰り出す。

 気のせいだったかもしれない。進展がないから、ジャンもせっつきたかったのだろう。

 そう自分を納得させて、村長の畑仕事を手伝う。

 ひとしきり働いて日が随分と昇ったのを見上げて、



 ふと気づけば、ジャンがどこにもいなかった。



 嫌な予感がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ