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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第一部・逃げる二人
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第七話 「レスタの村・下」

――『魔物』とは、『魔法』によって生み出された生物の総称である。


 大別して二種類。既存の生物をモチーフにしたものと、そうでないものだ。

 既存の生物をモチーフにした魔物は、元となった生物の特性に強く依存する。外見的特徴は勿論、行動や習性まで似通ったものとなる。その代わり、個体によるバラつきが多い。

 対して、モチーフのない魔物は実に自由で、様々な特性を持つ。一見して分からない能力を持つ種も多く、知識のない者が相手にできる類ではない。その代わり、個体によるバラつきはほぼない。

 特殊な例を除けば、魔物はこの二種に分類された。


 そして共通の特徴として、魔物は全て勝手に増えたりはしない。そうでなければ、今頃世界は魔物で覆い尽くされていることだろう。

 分裂能力を持つ種は存在し、スライムなどがその代表的な例である。これも無条件ではないが、それ故にスライムは最も数の多い魔物だと言われていた。

 しかし、生殖能力を持つ種は存在しない。それらしい器官を持っていたとしても、それらは全て飾りに過ぎないのだ。

 魔物が何故、どのようにして生み出されたのか、今となっては知る者はいない。


 マギサでさえ、その事は教わらなかった。


 ただ、『魔法使い』達は『魔法』の力でもって、魔物を使役していたという。

 体のいい労働力にする為とも、戦わせて遊ぶ為とも、『魔法使い』の数の少なさを補う為の兵だとも言われるが、真実は最早歴史の彼方に消え去ってしまった。

 死ねば砂となり灰となるのも、死骸(しがい)を片付ける手間を省く為とされるが、果たしてあらゆることを可能とする『魔法』を操る存在がそんな考えをするか分からない。

 寿命がないのは、同じく寿命を超越した『魔法使い』が永遠を共に生きる(しもべ)を欲したから、という話もあった。


 どちらも、後世の人間による想像に過ぎない。

 だが、事実として、魔物には寿命が無く、死ねば(ちり)と消える。基本的に数は増えず、大別して二種類存在する。

 『魔物』について今の人間が分かっているのは、そのくらいのものだ。

 『魔法使い』によって使役されていたからには、同じように魔物を使役できる『魔道具』がある筈と識者達は言うが、今の所公式に発見されてはいない。

 魔物の強さは種によってまちまちだが、訓練も積んでいない人が倒すことはまず無理だと言っていい。

 戦い慣れている人でさえ、油断すれば命を失うことになる。

 魔物は人々にとって大きな脅威であり、騎士団の重要性を認識させられる存在だった。


 その数が増え、遭遇する機会が増えたということが、どれほどのことなのか。

 魔物などお伽噺でしか知らなかったような人達が、その脅威を目の当たりにすればどうなってしまうか。

 騎士団にとっての急務が魔物討伐となるのも、道理の通った話なのである。



 皮肉な事に、『魔法使いの里』が滅ぼされた理由の一つである魔物の増加が、今のマギサ達が逃げ切れている理由の一つになっていた――



  ※            ※             ※



 不安定な岩場の上で、マギサは巨大な蜘蛛とナイトが切り結ぶ姿を呆然と見ていた。

 確かに、魔物を使役しようとするのに不安はあった。今までしたこともないし、少しだけ特殊な『魔法』ではある。

 けれど、ちゃんと教わったし、何より『魔法』の制御には自信があった。

 弾かれた理由が分からない。魔力も問題なかった筈だ。だとしたら、先に誰かが使役していたのだろうか?

 有り得ない。魔物への使役は術者が解くか死ぬかすれば効力が失われる。そして、今も生き残っている『魔法使い』は自分一人。


 理論上、使役されている魔物は一匹だっていない筈なのだ。


 『魔法』について、マギサだって全て分かっているわけではない。困惑と焦燥(しょうそう)が胸を焦がし、棒立ちのままでひたすらに記憶を探る。

 何かしら忘れていることは無いか。この状況について聞いた覚えは無いか。手が震え、息が荒くなる。初めて『魔法』を使った時の恐怖が蘇る。

 得体の知れない何かが、体の中に巣食っているような感覚。

 その恐怖から逃れたくて、魔力もないのに制御ばかり努力したというのに。

 落ち着け、落ち着けと頭の中で繰り返しても、一向に動悸が治まらない。自分が化け物に乗っ取られていくような気さえする。周りを気にする余裕が欠片も無い。


 歯を食いしばって、震えを止めた。


 『魔法』の怖さは、マギサが誰よりも良く知っている。騎士団に追われる理由も、あの若い騎士隊長の言い分も、その通りだと納得してしまう。

 『魔法使い』の自分ですら怖いのに、そうでない他人が怖くないわけがない。

 こんな訳の分からない力、なければいいと何度も思った。

 こんな訳の分からない力が、今となっては唯一の家族との思い出だった。

 深呼吸して、思考を巡らせる。原因は不明だが、使役する為の『魔法』は失敗した。魔力の大部分を使ってしまって、もうロクに残っていない。

 杖の補助を考えても、凝ったものは使えない。少なくとも、今の乱戦状態で魔物だけを狙い打つような『魔法』は無理だ。

 ナイトにも被害が及ぶような使い方は、絶対にしたくなかった。


 杖を構え、機会を(うかが)いながら、もう一度『魔法』を使えるか自分に問いかける。

 『魔法』を制御しきるには、精神を安定させることが何より重要だ。

 心の乱れは、制御の乱れ。暴発でもさせようものなら、何が起こるか分からない。

 足を踏みしめ、息を吸って、マギサは深く目を瞑った。

 大丈夫、出来る。

 やらなければ、誰かが死ぬことになるかもしれない。

 もうこれ以上、人が死ぬのを見たくはない。

 耳に聞こえる剣戟が、マギサの決意を後押しした。

 杖先に魔力を集中させながら、ゆっくりと(まぶた)を上げて、



「こっちだ、化け物ぉっ!!」



 聞こえてはならない声に、マギサは目を見開いた。



  ※           ※             ※



 岩陰に隠れながら、レスタの心は焦りと罪悪感に満ち満ちていた。

 最初から劣勢で、なんとか盛り返したかと思ったら暴れる魔物に攻めあぐね、妙な光が出たと思ったら油断して吹っ飛ばされる。

 ナイト一人では、とてもではないが荷が重いようにしか見えなかった。

 もう一人のマギサはといえば、ずっと杖を持って突っ立っている。一体何をしているのか、レスタにはさっぱり分からない。

 どう見ても何かの役に立っているとは思えない。いよいよもって、自分がとんでもない間違いをしてしまったのではないかと思えてきた。


 もしもの時が、来てしまった。


 震える足を叩いて、腹を(くく)る。自分で蒔いた種だ、自分で始末をつけねばならない。

 足音を忍ばせて、切り結ぶナイトと魔物の側面に回りこむ。ついでに手頃な石を拾って、気を引く用意を整える。

 荒れる呼吸を無視して、少し顔を出して様子を探った。

 巨大な蜘蛛の足を切り払い、受け流し、一歩も引かずにナイトが競り合っていた。だが、息は荒いし、体力は間違いなく削られていっている。

 このままだと、遠からず押し負けることになるだろう。

 手の中の石を握り締め、狙いを定めて機会を窺う。

 魔物の爪を防ぎ、ナイトが体勢を崩して軽く後退した。


 今だ。


 巨大な蜘蛛に向かって石を投げ、岩陰から身を乗り出して叫んだ。


「こっちだ、化け物ぉっ!!」


 八つの眼が、ぐるりと動いて自分を見る。

 薄紅く光る異形の瞳に、背筋を悪寒が走り抜けた。

 反射的に背中を向けて逃げ出す。本当はもっとひきつけるはずだったが、構っていられなかった。


 背後から、巨大な蜘蛛が追ってくる音がする。岩を突き刺す爪の音に、恐怖心が全身を縛り付けてくるような感覚がした。

 余りの怖さに、石を投げたことを後悔する。なんであんなことをしてしまったのか。

 足が遅い。まるで水の中を走っているような遅さ。なんで、どうして、もっと速く走れた筈なのに。

 思った通りに体が動かない。ちょっとした段差にすぐ(つまず)きそうになる。転んだら死ぬと、必死に足を前に出す。

 魔物の足音が近づいてくる。涙が出た。

 死にたくない。生きていたい。誰でもいいから助けてほしい。怖くて仕方が無い。

 逃げ切れそうにもない現実が目の前に迫り、足に力が入らなくなる。

 (にじ)む視界には、足元なんて映っていない。何かに足をとられ、視界がぐるりと回転する。


 こけたのだ、と気づいた時にはもう何もかもが手遅れだった。


 体が生き延びようとして立ち上がり、目の前に現れた巨大な蜘蛛の顔に恐怖で金縛りにされる。

 動けとどれだけ念じても、体が言うことを聞いてくれない。

 震える足は後ずさりさえできず、強張る腕では何の抵抗も出来そうに無かった。

 獲物を見定めるように、魔物がゆっくりと僅かな距離を詰めてくる。

 ナイトで学習でもしたのか、すぐに鎌のような上顎で噛み付こうとせず、用心深く左右に動く。

 レスタの頭の中は真っ白で、最早声も出ない。喉まででかかった悲鳴が、何かに()き止められているみたいだ。

 歪んだ視界の中で、巨大な蜘蛛が脚を振り上げた。

 レスタなど簡単に貫けそうな槍の如き爪が、勢い良く振り下ろされ、



 横合いから跳んできたナイトに庇われた。



 タックルでもするように押し倒され、思い切り岩場に体を叩きつけられる。

 痛みに一瞬気が遠くなるが、ナイトの声に現実に引き戻される。


「大丈夫!? しっかり!」


 必死な顔のナイトに、ほんの少しだけ安堵する。

 何かに気づいたようにナイトは顔を上げて身を起こし、剣戟の音を響かせた。

 魔物が襲ってきている。再び恐怖がぶり返し、逃げ出そうと体を起こす。

 真っ赤な血が、目に入った。

 慌てて自分の体を確認する。痛みは酷いが、それらしき怪我は無い。安心して顔を上げると、



 ナイトの背中に、大きな傷が出来ていた。



 やや斜めに斬られた傷口から、生々しく血が滴り落ちている。

 巨大な蜘蛛の脚が振るわれ、ナイトが力を込める度に、真っ赤な鮮血が噴き出す。

 言葉も思考も失って、レスタはナイトに釘付けになった。



 心も頭も、全てがレスタの許容量を超えていた。



  ※           ※            ※



 岩場の上を走って、マギサは魔物の背後に陣取った。

 レスタが隠れているだなんて、これっぽっちも気づかなかった。

 それは多分、ナイトも同じだったろうと思う。余りの事態についていけなかったのも、きっと同じだった筈だ。

 それでも、身動き一つ取れない自分と違って、ナイトはすぐに駆け出した。

 『魔法』も失敗して、ナイトだって混乱している筈なのに。


 もう一度魔力を集中させながら、レスタとナイトの様子を窺う。グラン・スパイダーが不機嫌そうな鳴き声をしていたから、無事だとは思うけれど。

 倒れているレスタを確認する。大きな怪我もなさそうだ。

 安堵しそうになって、岩の一部に真っ赤な色がついていることに気がついた。

 慌てて視線を動かす。

 レスタではないと思う。倒れたところから赤く染まっているわけではない。

 魔物と斬り合うナイトを見る。

 足元に血が滴り落ちているのが見えた。

 背中だ。

 さっきレスタを庇った時に、背中を斬られたのだ。

 今のマギサの位置からでは、巨大な蜘蛛が邪魔しているのもあって良く見えない。だが、軽い傷でないことぐらいはすぐに分かった。


 心臓が跳ねる。


 頭の中で、焼かれる里の光景が鮮明に蘇ってくる。

 馬の(いなな)き、響く剣戟、吹き出る鮮血、家と血と肉が焼かれて焦げ付く臭い。

 喉をせり上がってくる吐き気を堪えて、杖を構えた。

 もうあんな思いは二度としたくない。

 もう誰も死なないでほしい。

 その為なら、『魔法』だって何だって使いこなしてみせる。

 涙を飲み込んで、意識を研ぎ澄ます。心の乱れは、制御の乱れだ。何事にも揺らがぬ精神で臨まねば、『魔法』は全てを喰い尽くす。

 深く、静かに、何もかもを鎮めていく。限りなく無に近づけば、誤ることは何も無い。

 杖先に宿った魔力が、炎を形作っていく。

 さっきの頭の中のイメージに引きずられているのだろう。魔物が倒せれば、問題ない。

 十分な大きさになるまで、しっかりと練り上げる。


 そこにはもう、いつものマギサが居た。

 この世でただ一人生き残った、『魔法使い』のマギサが。



  ※            ※              ※



 巨大な蜘蛛の爪を受け止める度に、軽い眩暈(めまい)が起きるのをナイトは感じていた。

 頭も痛いが、背中はそれよりも痛い。血が止まらず、力が入らなくなっていく。

 このままだと、自分もレスタも殺される。かといって、打開策も思いつかない。

 こんな状態で斬りつけても、余計に怒らせることにしかならない。勝ち目が完全に消え去った。

 ()えそうになる心を叱咤(しった)して、頭を働かせる。どうすれば勝てるか。せめて、レスタだけでも助けられないか。

 どこをどう考えても、道はなかった。元々、余り頭の良い方じゃない。ここでそんなことを思いつけるくらいなら、村に戻れなくなったりしないのだ。


 相打ち覚悟でなら、倒せるかもしれない。


 唯一思いつくことといったらこんなもので、そんなことをすればマギサは一人で逃げ続けなければならなくなってしまう。

 まるで見捨てるようで、そんな真似はできない。

 八方塞がりの状況に、ナイトは歯噛みして魔物の脚を切り払った。

 体温が下がっているのか、少しだけ寒くなってくる。本格的に訪れた死の予感に、魂が震えるような恐怖を覚える。


 ふと、熱を感じた。


 血が抜けて、温度に敏感になっているせいだろうか。巨大な蜘蛛の後ろから、不自然なほどの熱量を感じる。

 この熱の発生の仕方には、少しだけ覚えがあった。

 振り下ろされる魔物の脚を受け流し、お返しに軽く切りつけて、後ろに跳ぶ。

 巻き込まれないようにして、ナイトは叫んだ。



「マギサ!」



 呼応するように、熱源が動いた。

 巨大な蜘蛛の雄叫(おたけ)びが響く。

 魔物を後ろから襲った炎は瞬く間に全身を包み込み、音を立てて燃え盛った。

 下がったナイトでさえ、余りの熱さに自分が焼かれているように感じる。例え狙ったもの以外傷つけないと分かっていても、畏怖してしまう光景だ。

 火の粉を高く空に舞い上げ、炎は巨大な蜘蛛の断末魔さえ飲み込んで、真っ黒な消し炭へと変えていく。

 魔物の体が動くのを止め、岩場に倒れ伏す。端から崩れて、砂のような粒となり、黒い灰となって消えていく。

 まるで炎に焼かれて、塵となるように。


 後に残ったのは、いつものような無表情で杖を抱えるマギサの姿だけだった。

 ナイトは心底気が抜けて、倒れこみそうになるのを何とか堪える。


 ――死ぬかと思った。


 何はともあれ、退治できたことには違いない。これでマギサに怪我がないか確認できる。

 近づこうとして足を踏み出せば、マギサの方から早足に近寄ってきた。

 何を言う前に杖先に魔力を込め、ナイトの背中に押し当てる。傷の痛みが、少しだけ楽になった。

 先程の炎といい、『魔法』の凄さを改めて実感してしまう。

 マギサを見下ろして、一応自分の目でも確認してからナイトは尋ねる。


「大丈夫? 怪我は無い?」


 小さく肯くマギサに、ようやく安心して気を休めることが出来た。

 グラン・スパイダーが一匹だけで本当に良かった。自分が強いつもりはなかったが、ここまで苦戦するとは思わなかった。

 野盗団を倒して慢心していたのもそうだが、何より実戦経験の無さが酷い。これからはもっと慎重にならなくては、最悪の事態を招きかねない。

 魔物の討伐を任務としている騎士団は、間違いなくこれよりも強い。元から戦いたくはなかったが、下手なことは考えずにまず逃げようと心に決めた。


 そういえば、レスタは無事だろうか。

 目立つ怪我はなかったが、どこか悪くしているかもしれない。転げまわったのに加えて、庇う為とはいえ力加減も考えずに押し倒してしまったから。

 ナイトがレスタの方を振り向くと、釣られるようにマギサも振り向いた。



 顔面蒼白になったレスタが、引き()ったような悲鳴を上げた。



 無理も無い、とナイトは思う。魔物に襲われれば、誰だってこうなる。


「もう大丈夫だよ」


 ナイトが笑いかけても、レスタの顔は青ざめて引き攣ったままだ。

 どこか怪我でもしたか、もしかしたら骨でも折れてしまったか。眉をハの字にしてマギサと顔を見合わせると、マギサが無言でレスタに近づいた。


「やめろっ!!」


 恐怖に上擦った声を上げて、レスタが這いずるように後ずさる。

 察しの悪いナイトにも、理解できてしまった。

 レスタが脅えているのは、マギサだ。


「ちっ、ちっ、近寄るな! 化け物!!」


 レスタの悲鳴にも似た叫びにも、マギサは眉一つ動かさない。

 黙ったままレスタを見つめるマギサの横顔からは、何を考えているのか読み取ることはできなかった。

 無理からぬことではある。

 突然どこからともなく出てくる炎を操る存在なんて、普通は恐ろしくてたまらない。

 ナイトだって、『魔法』を恐ろしいと思わなくなったわけじゃない。

 マギサが使っているから、大丈夫だと思えるだけだ。

 この世の誰にも同じように思ってもらえるだなんて、そんな夢みたいな話はないと知っている。

 だからこそ、出来るだけマギサの事情は話さずにいようと決めたのだ。

 レスタが、震える手でマギサを指す。


「おっ、おま、お前、な、何なんだよ!?」


 度が過ぎた恐怖は、憤怒に転じることがある。丁度今のレスタのように。

 怒りと怯えが混ざった瞳に、マギサの姿が映し出される。

 こうなることは分かっていたのだ。今までたまたま運良く巡り合わなかっただけで。

 分かっていても、辛いのはどうしようもなかった。


「『魔法使い』」


 マギサが、単語だけで答える。

 それ以上の説明は不要だった。

 それ以上に、説明のしようがなかった。

 何を言われたのか理解できず混乱するレスタに、マギサは黙って背中を向ける。

 結局何も言えず、ナイトはマギサを追いかけた。


 握った拳を解く事も、振り下ろす事もできなかった。

 震える拳を強く強く握り締めて、歯を食いしばった。

 どうしてこんなことになってしまうのだろうか。一体誰が悪いのだろうか。

 何で、マギサがこんなに苦しくて悲しい目に合わなくてはいけないのだろうか。

 命懸けで他人を助けて、脅えられなければいけない理由はなんだろうか。

 どんなに恐ろしい力を持っていたって、マギサはマギサなのに。

 不器用だけど優しくて、喜んだり悲しんだりもするのに。

 皆と変わらない心を持った、小さな女の子なのに。

 どこにもぶつけようがない感情が溢れ出して、涙に変わって零れ落ちる。

 本当に泣きたいのはマギサの筈なのに、どうしようもなく止まらなかった。

 もっと自分が強ければ、マギサが『魔法』を使うことも無かった。一人で倒せていたのなら、レスタが手を出すこともきっとなかった。

 今日この時ほど、自分の弱さを呪った事はない。


「ごめんね」


 涙と一緒に零れ落ちた言葉は、果たしてマギサに届いただろうか。

 マギサの手がナイトの拳に重ねられた。

 マギサに慰められる自分が情けなくてみっともなくて、ナイトはまた泣いた。



 背の高い『騎士』と小柄な『魔法使い』は、互いに支えあって歩いていた。



  ※           ※           ※



 『魔法使い』を追って街道を進むリデルは、十人規模の騎士隊と遭遇した。

 聞けば、この先にある村で魔物と野盗が出たらしい。流石に放って置く訳にもいかず、同行を志願した。

 『魔法使い』の追っ手となったリデルだったが、彼らの行く先に心当たりはなかった。

 逃げた方角を鑑みて、おおよそのあたりをつけただけだ。運次第というところがあるのは致し方ない。

 なので、どのみち『魔法使い』達の目撃情報を当たらねばならなかったのだ。言うほど寄り道というわけでもない。


 村に着くと、どういうわけか明るい空気に満ちていた。とても魔物や野盗に脅えているようには見えない。

 村人に案内され村長に話を聞くと、なんと魔物も野盗も既に退治されたとのことだ。

 詳しく説明を求めると、とある二人組がどちらも倒してしまったらしい。

 人の好さそうな背の高い青年と、小柄で無口な少女。

 とても信じられないとざわめく騎士隊の面々とは裏腹に、リデルは黙り込んだ。


「見ず知らずの村を助ける為に命を張るとは、感心な若者もいたものですね」

「我々も、見習わなければなりませんなぁ」


 騎士達が話し合うのを横目に、リデルは村長に二人について尋ねた。

 外見的特徴と戦闘力。合わせて考えれば、ナイトとマギサの可能性が高い。

 まさか、こんなにもすぐに見つかるとは思わなかった。

 二人が村を出たのは数日前。魔物を退治してそのまま出て行ったようだ。詳しくは、レスタという少年が知っていると村長は言った。

 一通り話を聞いて、騎士隊は野盗団が捕まっているという倉庫に向かう。

 後の事は任せても問題は無いだろう。

 リデルは隊長に断りを入れて、レスタという少年の家へと向かった。


 訪ねた先で出てきた少年は、村長の話と違って随分大人しかった。いや、これは気落ちしているというべきか。

 騎士の身分を紋章で証明し、中に入れてもらう。通された居間で向かい合って座り、リデルは早速二人のことを聞き出した。

 ぽつぽつと少年が話し出し、リデルは黙って聞き役に徹する。

 話された内容は、大体リデルが知る二人の姿そのままだった。間違いなくナイトとマギサだと確信できる。

 あの二人なら、行き過ぎた親切心で無茶をすることも有り得ない話ではない。

 考えが甘いところまで予想通りだった。

 レスタと名乗った少年は話し終えた後、懺悔(ざんげ)でもするようにぽつりと呟いた。


「『魔法使い』って、本当にいると思いますか?」

「……何故、そんなことを?」


 突然出る単語にしては突拍子もなさ過ぎる。村長達は何も言っていなかった。

 リデルが答えずに聞き返すと、少年は小さく(こぼ)す。


「マギサは、『魔法使い』なんでしょうか?」


 黙るリデルに構わず、少年は顔を両手で覆って(うめ)いた。

 それは、後悔と煩悶(はんもん)に心を支配された人間の姿だった。


「俺は、助けてくれた人に酷いことをしました。でも、怖かったんです。怖かった……本当に、怖くて仕方なかったんです……」


 マギサが彼に何を言ったのか、リデルは知らない。

 彼女が『魔法使い』だと言えば、その心も少しは休まるのだろうか。

 お伽噺に出てくるくらいの悪者なのだから、構わないだろうと。

 恐れたことは正しくて、暴言を吐いたのは正当で、だから気にすることはないと。

 本当にそう思えるのなら、誰も苦しんだりはしないのだ。



「君は何も悪くない」



 はっきりと、少年を真っ直ぐに見つめてリデルは言い切った。

 (すが)り付くような目をする少年に、リデルはしっかりと頷いてみせた。

 そしてもう一度、耳に残るように口にする。


「君は何も悪くない。俺が保証する」


 少年の瞳が(うる)み、嗚咽(おえつ)交じりの嘆きが漏れる。

 あの二人との事が、ずっと心に影を落としてきたのだろう。

 すすり泣くような声と一緒に、懊悩(おうのう)も吐き出してしまえばいい。

 胸の内に仕舞い込んでおくには、辛すぎる事だってあるのだ。

 ナイトやマギサが悪いわけではない。少年だって、そのことくらい分かっている。

 良し悪しで割り切れないからこそ、苦しさは消えない。

 口を噤んだリデルの耳には、少年の涙が落ちる音が聞こえていた。




 その音が止む時が来るのかは、誰にも分からない事だった。

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