第七十六話 「魔女の塔」
――彼が戻ってきた夜から、私と彼の関係は少し変わった。
正確には、私が彼への接し方を変えた。昔のような八つ当たりをするまいと自分に課した。
これ以上追い打ちをかけるような真似は、絶対にしたくないと思ったから。
そして、出来る限り彼の面倒を見ることにした。
罪悪感、なのだと思う。
彼の思いを間接的にでも踏みにじったことに対する贖罪。泥に塗れたずぶ濡れの姿で、泣く事さえ出来なかった彼を、どうにか守りたいと思った。
丸一日泥のように眠り込んだ後、彼は昔見たのと同じ笑顔で村の為に働き出した。
罪悪感というなら、彼にもあったのだろう。
両親の言うことを実によく聞いて、村のあちこちを手伝いに走り回っていた。
少しくらい休んだっていいだろうに、彼は「迷惑をかけた分頑張らないと」と言い張って朝から晩まで休まず働いた。
見ていて、どうしようもなく居た堪れなかった。
だから、皆の前で出来る限り昔と同じように接した。彼は村の仲間なのだと、誰しもに知らしめるように。何も変わっていないと、そう伝える為に。
その甲斐あってか段々と元の鞘に収まり、一月ほども経てば昔と変わらない日常が繰り返されるようになった。
相変わらずナイトは皆に頼まれごとをしては断らずに駆け回るが、過剰とも言える罪悪感は薄らいでいったように思う。村の皆も、そこは加減してくれているようだった。
その間、ナイトは一度も剣を握らなかった。
あれほど毎日、何があっても剣を振るっていたというのに。
村に戻ってきてからずっと、本当にただの一度たりとも剣を手にしたところを見たことがなかった。
胸を突き刺す罪悪感が消えないのは、そのせいだと思った。
夢を諦めた彼に、何を言えばいいのだろう。諦めろと、そう言った口で。
彼が剣を手にしないのは、その証明なのだと思う。かつての願いを、クローゼットに仕舞い込む為の儀式。
いつかの私が自分の夢を嘲笑ったのと、同じ行為だ。
その事に気づいてから、夜が来るたびに胸の奥がじくじくと痛んで、息をするのも苦しくなる。まるで心臓に棘が刺さっているみたいに。
彼の心はきっと、一部だけ壊れてしまったのだ。私が捨ててしまったものを、彼も同じように捨てようとしている。
王都で何があったのか、私は知らない。
ただ、きっと何も出来なかったのだろうとは想像できる。
何も出来ないまま、彼はこの村に戻ってくるしかなかったのだ。
遊びだと、自分の夢を蔑むくらいに思い知らされて。
胸の痛みが苛んで、ろくに眠れない日々が続いた。
彼は以前の私が言ったとおりに大人になった。遊びは終わりにして、真面目に将来のことを考えて、村の仕事に精を出している。
私の所為だ、なんてのは過剰な思い込みなのは分かってる。
それでも、私の言葉が彼を追い詰めた内の一つであることには違いない。
無理だ出来ないと、そう責め立てる声の一つが私のものだ。
剣を握らなくなった彼は、きっと大人になろうとしている。大切な気持ちは捨てて、思い出を仕舞い込んで、当たり前の日常の中に溶け込もうとしてる。
悪いこと、じゃないはずだ。
それは、決して悪いことじゃない。
それなのに、どうしてか胸の痛みは消えてはくれなかった。
ある夜、彼が村の誰かの手伝いを終えて家路についていたのを見かけた時。
気がついたら、走り出していた。
「……お帰り」
「へ? あぁ、うん、ただいま」
少し呼吸が乱れた私を見て、ナイトは一瞬驚いた後にいつもの笑みを浮かべる。
透明な笑み。優しいはずなのに、何も感じない表情。
大人になろうとする子供の顔だ。
自分がしていた顔だから、よく分かる。
唇を噛んで、話そうとした言葉を必死にまとめた。
「最近、帰り遅いね」
「うん、まぁ。色々やることが多くて」
「どうせ全部頼まれごとでしょ」
「村のことだから。他人事じゃないし」
襟首を掻きながら笑うナイトに、喉元まで罵倒が競りあがってくる。
残った理性を総動員して飲み下し、言うべき言葉を探す。
何を言えば伝わるのか。どうすれば昔のように笑ってくれるのか。
空っぽな笑顔なんて、見てるこっちが苦しいのに。
上手い話し方なんて、これっぽっちも分からなかった。
「最近、剣振らないんだね」
ナイトの動きが止まる。
石にでもなったように固まって、引きつった笑みを浮かべたまま視線をそらす。
心臓を貫く痛みに、もう耐えられそうもなかった。
「なんで? 前はあんなにやってたのに」
「……もう、いいんだ」
小さく返したナイトは、視線をそらしたまま力なく微笑んだ。
その仕草が気に食わなくて仕方がなくて、逃がすものかと覚悟を決めた。
「もういいって、何が?」
「終わりにしようと思って。結局、僕は騎士にはなれなかったし」
思わずした歯軋りの音が、骨を伝って耳の奥に響く。
違う。そう思う。そんなの、絶対に間違っている。
あの時の彼の憧れは本物だった。羨ましかったし、妬ましかった。
もし、本当に彼がそう思っているのだったら。
どうしてそんなに、薄ら寒い笑みを浮かべるのだろうか。
「クーアの言うとおり、遊びは終わりにしなきゃいけないって思ったんだ」
貫かれた胸の奥から溢れた血が、言葉になって口から飛び出た。
「バッッッッッッッッッッッッッッッッッッカじゃない!?」
搾り出すような大声に、ナイトの顔が驚きに満ちた。
視界が滲む。きっと今、私は泣いているんだろうと思う。
何もかもどうでもよかった。
「私に言われたから何!? あんた、王都まで行ったんでしょ!? そんだけ必死に頑張ったんでしょ!? 一回失敗したくらいで何よ!! あんたの憧れってそんなもん!?」
隠しようもなく声に涙が混ざる。
悲鳴みたいに甲高くて情けなくて、それでも言わなきゃいけないと思った。
どれだけ声が掠れても、今伝えなきゃきっと後悔してしまうから。
どうせ言っても言わなくても後悔するのだ。
だったら、言った方が良いに決まっていた。
「六年よ!? 六年、ずっとずっと剣振り続けて、一度ダメだったくらいで諦められんの!? 何があったか知らないけどね、あんたの六年がたった半年足らずでダメになるなんて私は絶対認めないからね!!」
酷い言い草だと、自分でも思う。
半年前は大人ぶって止めろといっておいて、どの口が言うのか。
私が認めないから何なのか。ナイトの辛さの、欠片だって分からない癖に。
叫ぶ度に涙が口に入って塩辛い。
何で私が泣いてるんだ。
泣きたいのはきっと、彼のほうなのに。
でも、
それでも、
彼だけは、大切な想いを捨ててほしくなかった。
何もかもを押し込めたような笑みを、これ以上してほしくなかった。
それが、どうしようもない我侭なのは分かっているけれど。
ずっと傍にいて、一度も味方になれなかった私が最後に出来ることは、彼の夢の味方になることぐらいだと思った。
「あんたの六年を、あんたが遊びにすることだけは許さないから!!」
何もかもを言い切って、荒く息をつく。
半年前と言ってる事が正反対で、めちゃくちゃな言い分に頭を掻き毟りたくなる。
優しい言葉をかけることができない自分に嫌気が差す。
どうしてこう、口が悪いのか。もう少しまともな言い方はできないのか。
そう思っても、考えるより先に言葉が飛び出すからもうどうしようもない。
いつだってこうして、何かをやってしまった後に悔やむのだ。
ようやく頭が冷えて、顔を上げるのが怖くて唇を噛む。
一体ナイトはどんな顔をしているのか。呆れ果てているか、それとも驚いたままか。
どちらにしろ、いつまでも怖がっていても仕方がない。
恐る恐る頭を上げて上目遣いに見やれば、
半年前に見たのと同じ笑顔をしたナイトが居た。
傷ついた顔で、それでも微笑んでいた。
戻ってきた後の、薄ら寒い大人の笑顔じゃなくて。
傷つきやすくて真っ直ぐな、子供の笑みを浮かべていた。
「そうだね……ありがとう、クーア」
お礼を言われるようなことなんて何もしていないのに。
首を横に振ると、ナイトは笑みを濃くした。
懐かしい顔。もうずっと、長いこと見ていないような気がする表情。
頑固さだけは父親譲りの彼の笑顔は、罪悪感の棘を溶かしていってくれるようだった。
次の日の朝、ナイトが剣を振るっているのを久しぶりに目にした。
この先ずっと世話を焼こうと決めたのは、その時だったように思う。
だけど、現実はこちらの都合に合わせてなんてくれない。
それから一年後に、彼の父と私の両親が相次いで亡くなった。
私たちは否応もなく家を継ぐことになり、ナイトの夢は完全に絶たれてしまった。
それでも、私は心のどこかで期待していたように思う。
ナイトが想いを成就させ、憧れをその手に掴む未来を。
そう思ってはいても日々に流され、何もできないまま三年が経って、
マギサと出会った。
だから、私はナイトに問わなくちゃいけない。
無理だ諦めろと彼を責め立てた一人として、許さないと言ってしまった味方として。
今の彼がどんなつもりで、どういう想いを抱えているのか。
その答え次第では、騎士や国にだって歯向かってやる。
あの時のナイトと同じような、薄ら寒い笑みを浮かべる彼にだって。
正しいことなんてクソ食らえだ。
そんなもののせいで誰かが苦しまなきゃいけないなら、躊躇なく捨ててやる。
それが、いいことばかりでないのはジェローアで分かったけれども。
それでも、一番何を大切にすべきかは自分で決めるべきだと思う。
そうじゃないと、笑顔だって嘘臭くなってしまうから。
今一緒にいる騎士の笑顔が嘘臭いのは、きっとそれがないからだと思っている――
※ ※ ※
村長の家の前で、ジャンは今か今かとリデル達が出てくるのを待ち構えていた。
村長との話には同席させてもらえなかったが、村を見て回るのも塔に行くのも案内が居たほうがいいに決まっている。
あの凄腕の騎士に、早く魔女と対峙してほしかった。
その為に出来ることはなんでもするつもりだし、協力も惜しまない。ようやく念願が叶いそうなのだ、焦るなというほうが無理だ。
懐に忍ばせたナイフを手に取り、深呼吸する。
落ち着け。変な様子を見せたら、あの青年に勘付かれかねない。
彼は調査に来た、と言っていた。つまり、今この場で魔女をどうこうするつもりはない、ということだ。
それでは困る。
本格的に準備した騎士隊が来てしまえば、自分が介入する余地などないだろう。
それじゃあ、復讐が果たせない。
何とかしてあのリデルとかいう騎士と魔女がかち合うようにしなければ、目的を遂げることは難しい。
その為にも、出来るだけ彼から目を離したくはなかった。
そうして暫く待っていると、何やら難しい顔をして考え込む青年と、その連れの女の人が表に出てきた。
思わず駆け出してしまい、二人の前に飛び出す。
青年は予想していたように真顔で一瞥し、女の人は少し驚いた顔をしてこちらを見てきた。
「あの、村の案内はいりませんか?」
勢い込んでそう言うと、女の人は若干困惑した顔で青年騎士に目配せをした。
彼は女の人を横目に、少しも動じずこちらを見下ろして、
「お願いできますか? あくまで、旅人を案内している体で」
「勿論です! 任せてください」
胸を叩くと、青年騎士は微笑んで頷いてくれた。
大丈夫だ、バレてはいない。こちらの目論見など、この人には思いも寄らないだろう。
この村に案内するところなど殆どありはしないが、塔に連れて行く理由くらいにはなる。
今日は少なくとも、場所を教えることが出来ればいいとしよう。そこから先は、また改めて考えればいい。
「じゃあ、俺についてきてください。村をぐるっと一周しましょう」
「分かりました」
頷く青年の後ろで、女の人も小さく首を縦に振る。
こちらを見る目が、少し訝しげなのは気のせいだろうか。
注意すべきは、彼よりも女の人のほうかもしれない。目的がバレてしまえば、間違いなく止められる。
悟られないよう、慎重に事を進める必要があった。
二人に背を向けて歩き出す。とりあえず、村の様子を見たいだろうし一周してみよう。
魔女に支配されたこの村が、如何に活気を失っているか理解してもらうのだ。
大人達はどいつもこいつも魔女に怯えて、肩を縮こまらせて生きている。この腹立たしくて仕方ない現状を見れば、青年騎士の胸にも芽生える思いがあるだろう。
あとはほんの少し、何かのきっかけさえあれば事態は動くはず。
そのときが、最初で最後の機会だ。
顔に出さないよう努めながら、出来る限り明るい声で案内する。どれもこれも見てもしょうがない当たり前のものばかりだが、旅人の案内という建前上仕方がない。
逸る気持ちを抑えて、出来るだけゆっくりと歩いた。
一通り村を回った後、狙い通り塔への案内へとこぎつけた。
心の中で挙げた喝采を、顔に出さないようにするのが大変だった。
※ ※ ※
案内された例の崩れかけの塔は、中ほどから先端がぽっきりと折れていた。
形を保っている方が驚くくらいで、あちこちが崩れて内部が露出している。近づけば下の方はまだ大丈夫そうだったが、確かにこれは村の人が立ち入りを禁止するのも頷けた。
日はやや傾いて、空の端から茜色に染まっていく。
はっきりと目視できたところで、リデルは意気揚々と前を歩く少年に声をかけた。
「ジャン、ありがとう。ここから先は結構です」
「えっ? で、でも、入り口とか分からないでしょう?」
どこか焦った様に振り返る少年に、リデルは小さく首を横に振る。
ここから先は魔女の領域だ。村長にも釘を刺されたが、何が起こるかわからない。そこまでジャンを巻き込むつもりはリデルにはなかった。
後ろについてきているクーアを一瞥し、
「大丈夫です。それより、彼女を連れて村へ戻ってください。この近辺に、魔女が放った魔物が潜んでいないとも限りませんから」
そう言うと、ジャンは慌てて周囲を見回した。
リデルが感知できる限りだと、近くに魔物の気配はしない。が、用心するに越したことはないだろう。
今回は、ジェローアのように村の人がグルというわけでもなさそうだ。なら、むしろ塔に連れて行くことの方が危険である。
村長は、ジャンは正義感が強い方だと言っていた。人の気持ちに付け込むようで悪いが、危険な目にあわせるよりはマシだと思う。
「お願いできますか? 私が魔女の塔を調査している間、彼女を守ってください」
「わ、分かりました。任せてください!」
どこか鼻白んだ視線が後頭部に刺さるが、リデルは無視することにした。取り合っても仕方がないし、向こうだって特に反応を求めてはいないだろう。
ジャンに見上げられ、クーアが気圧されたように眉を顰める。
「じゃあ、戻りましょう。こっちです」
「あぁ、うん……ありがとう」
僅かにこちらに視線を残しながら、ジャンとクーアが来た道を戻っていく。
その背中を見送ってから、リデルは塔へと向き直った。
村長から聞いた話では、魔女は月に何度か村へと来るらしい。大体四半月に一度。ところが、もう半月以上も村に顔を見せていないそうだ。
魔女が村に要求するのは、ベッドなどの家具か食料品のみ。生活に必要なもの以外、特に求められたことはないという。
いうなれば、村全体で魔女一人を養っているようなものだ。
村の様子を見回ったが、作物の育ちもいいし山の恵みも多い。少なくとも、生活に困るということはなさそうに見えた。
それで村長のやや引け腰にも見える反応にも理解がいった。
被害は大したことはない。このまま黙っていれば、村が襲われることもなく平和に過ごせる。そう考えても、何もおかしくはないだろう。
むしろ、変につっついて魔女の機嫌を損ねる事の方が恐ろしい。村長だけでなく、村の住民の中にもそう思っている人は少なくないかもしれない。
両親を殺された、ジャン以外は。
呼吸を整え、塔に向かって歩き出す。神経を集中して気配を探るが、特に妙なものは感じない。周囲に魔物は配置していないのだろうか。
魔女の目的は何か。村長の話を聞いたときから考えているが、どうもしっくりこない。
素直に考えれば、単純にこの村で暮らしていきたいだけのように見える。だが、それなら何も村を襲う必要はなかったはずだ。
ジャンから聞いた話と村長から聞いた話に齟齬はなかった。そのまま黙っていれば、村の一員として迎え入れられたはずだ。魔物を使って脅す必要などどこにもない。
それとも、そうできない何かの理由があったのか。
半月以上も村を訪れていない、というのも気にかかる。
聞く限り、魔女は随分慎重派なようだ。村に裏切り者がいないか、常に圧力をかけている。それなのに、半月以上も放っておくとは。何か理由があるように思えてならない。
どうにも、筋道だった考えが通じない。もしかしたら、魔女の個人的な事情か何かが大きく関わっているのだろうか。
だとすれば、直接魔女に会わないことには話にならない。
知らない人間の事を考えられるような特殊能力は、残念ながら持っていないのだ。
塔の周囲は荒れ放題で、雑草を踏みつけながら壁に触れる。
鉄とも、煉瓦とも違う感触。間違いなく、ここは『遺跡』だ。
硬くも柔らかくもない。冷たくも暖かくもない。時々不安になる手触りは、現代では再現不可能な技術の結晶だ。
指先を壁に触れさせながら、外周をぐるりと回る。
所々入っている傷や皹は、年月が刻んだものか、それとも。
遺跡については、まだ分かっていない事の方が多い。ただ、その多くは国に管理されている。理由として最も大きいのは、『魔道具』の存在だ。
魔道具。かつての魔法使いが作り出した、魔法を再現する道具。
使用用途が判然としていないものを含めれば、二桁は軽く超える。ただ、使用したどれもが現代では場違いなほどの力を発揮した。
困ったのは、中には遺跡から動かせないものもあるということだ。だから、ただでさえ人数の少ない騎士団が遺跡を管理する羽目になっている。
遺跡内部だって全て調べられたものの方が少ないくらいで、人手不足を理由に内部調査は随分前に打ち切られた。
大きな理由のひとつに、遺跡の仕掛けによって殉職者が絶えなかったというのもある。貴重な人材を浪費するわけにはいかないのだ。
つまりは、遺跡にしろ魔道具にしろ、殆ど分かっていないに近い。強大な力がある、ということだけが知れ渡っている状態だ。
段々と、予想が確信に近づいていく。
もし、魔女が本当に狡猾で、ジャン達の村を支配する為に様子見していたのだとすれば。
現状がおかしい。ただ一人養わせているだけにとどめている理由が分からない。
そして、村長からも聞いたおかしな二人組の旅人。数年前に訪れたという彼らは、暫く村長の家に寝泊りしながら毎日塔に通っていたらしい。そしてある日、唐突に立ち去った。
こんな村に一体何の用だったのか。
予想通り彼らがヴィシオの手下なのだとすれば、間違いなくこの塔の遺跡の調査にきていたのだろう。何かしら利用できるものがないか、探していたのだ。
彼らが見つけたのか、それとも見つけられなかったのかは知らない。ただ、おそらくこの遺跡には何かがあって、その『何か』を魔女が見つけたのだろう。
魔女――背の低い少女は、名をティスと言った。
見るも無残なぼろぼろの姿で村を訪れ、心を閉ざしたように表情を動かさず、口も開かない。少女が笑ったところを、村長も見た事がないという。
どういう経緯でそうなったのか、正直なところさっぱり分からない。だが、少女はこの遺跡に足繁く通い、そして魔物を連れて村を襲った。
ほぼ間違いはないだろう。この遺跡には、魔道具が存在していたのだ。
何故少女がそれを手に出来たのかは分からない。だが、それを考えるのは後の話だ。
魔道具を持っている、ということは限定的とはいえ魔法が使えるのと同じ事だ。あの魔法使いの少女――マギサと同じように。
本物に当たる前の予行演習にしては、少し厳しいものがある。やはり、調査に留めて後は騎士団に任せるのがいいだろう。
――本当に、それでいいのか。
――こんな事態に対応する為に、この剣を授かったのではないのか。
腰の剣に触れ、逡巡する心を叱咤する。
任されたのは調査まで。それ以上は、越権に近い。それに、この剣は無闇に使うものでもない。
魔女が危険な存在であることには違いないが、食料しか要求しないような子供だ。あえてこの剣を使ってまで倒すべき相手ではないだろう。
――ジャンの両親を殺したのに?
呼吸を整え、首を振る。
どちらにせよ、まだ魔女と会ってもいない内から判断するのは早計だ。
騎士団を呼ぶ前に対処すべきだと思えばするし、そうでなければ任務どおり調査を終えて報告する。
考えるより先に、やるべきことをやるべきだ。
指先が、扉に突っかかった。
これが入り口だろうか。壁に埋め込まれるように、見た目は古めかしい扉が設置されている。大きさは大体、大人一人が通れる程度のものだ。
周囲の気配を探る。扉の向こうに、何かの気配。ただ、正確な場所が割り出せない。
罠の類は見当たらない。食料を運んできた村人が通るところに仕掛けるとも思えないし、素直にないと判断していいだろう。
軽くノックをする。
反応はない。
取っ手を握れば、簡単に回って開いた。
頭上に、巨大な何かの気配がした。
※ ※ ※
村へと戻る道を歩きながら、クーアはぼんやりと少年の後姿を眺めていた。
最初に会った時から、妙な感じがしていたのだ。
年齢に比してどこか大人びた態度と、それに反してやや乱暴な言葉遣い。昔よく見た、子供が猫を被っている時の姿。
一体何でリデル相手に猫を被っているのかは知らないが、魔女の件と無関係でないことだけは分かった。
村の案内をしている時から、やたらと主張が激しいのだ。大人達への非難じみた口ぶりと、早く塔に行きたがる素振りが。
両親が殺されたのだ、それは思うところがあるだろう。協力的になるのも分かる。だが、少年のそれは協力的というより何か目的がある動きにしか見えなかった。
「村までもう少しですよ」
振り向いた少年の表情は、年齢に似合わぬ薄ら寒い笑みだった。
何かに嘘をついて、それを隠している時の顔。数年前、自分もナイトもしていた表情だ。
「一つ、聞いてもいい?」
「何ですか?」
首をかしげる少年を前に、クーアは一旦口を閉ざす。
直接的に聞いてもいいが、どうせ何も言わないだろう。それじゃ意味がない。
何を言うべきか、言葉を探す。あるはずだ、何か今言える事が。
彼に心に触れられるような何かが。
暫く考えて見つけたのは、当たり前の言葉だった。
「後悔してる? 魔女に親切にしたこと」
「……してますよ。本当に馬鹿だったって、心底後悔してます。間抜けもいいところじゃないですか、あんな奴に気を使ってただなんて」
憎々しげに吐き捨てるジャンを見て、クーアは確信した。
リデルに任せて終わりにするつもりなんて、きっとこの少年には最初からないのだ。
だから、村へ戻れと言われて食い下がった。多分、彼と一緒に魔女を退治するつもりなのだろう。
父と母の仇をとるつもりなのだ、この少年は。
気持ちは分かる、なんて気軽には言えない。両親がいないのは自分もだが、別に誰かに殺されたわけじゃない。病死だ。
だが、無力さに打ちひしがれる辛さは分かる。薬師だなんだといっても、病に完全に勝てるわけじゃない。衰弱する両親を前に、何も出来なかった時の事は今でも覚えている。
悔しくて仕方なくて、自分の弱さに絶望する。そういう気持ちを、ジャンだって味わったのだろう。
まして、その怨敵がすぐ近くにいるのだ。膨れ上がる憎悪が向かう先なんて、一つしかない。
危険だと言ったって、絶対に聞きはしないだろう。むしろ、多少頭のいいところがあるこの少年は、表立っては頷いて見せるかもしれない。
人の心に灯った炎は、そう易々とは消せないものだ。
それがいいことか悪い事かは置いておくとして。
何か言うべきか迷って、一度口を開こうとしてやっぱり閉じて、
それでも一言言わなくちゃいけないと思った。
「誰かに親切に出来る優しさは、いいことだと思うけど」
「……どうも」
何を言ってるんだこいつ、という目で見られてしまった。
自分でも思う。何を言っているのかと。
けれど、相手は魔女だったけれど、親切にしたこと自体は悪い事じゃないはずだ。
ぼろぼろの少女に笑顔を取り戻させようとしたことは、間違っていないはずだ。
自分でも何が言いたいのか分からなくなって、それっきり口を噤む。ジャンも、村に戻るまでもう一言も喋らなかった。
嘘つきの笑みなんて、しないほうがいい。
ジャンが村長から聞いたとおりの子なら、少しだって似合わない。
ナイトの時は叫ぶ事が出来た。けれど、ジャンにとって自分はただの通りすがりだ。
ジェローアの時と同じ。出来る事は何もない。
それでも、何かの力になることくらいはできないだろうかと思う。
またしても妙に肩入れしている自分に気づき苦笑する。
ここのところ、どうにも昔を思い出していけない。多分、状況が少しだけあの二人に似ているせいかもしれない。
ナイトは今頃、後悔しているのだろうか。
それとも、いつものように笑っているのだろうか。
マギサの心は、やっぱり恨みに囚われているのだろうか。
それとも、村に居た頃の様に優しいままだろうか。
少年の後姿を、再びぼんやりと見つめる。
どうか、この少年の末路が悲惨なものになりませんように。
祈る相手もわからないのに、クーアは心の中で願いを込めた。
※ ※ ※
――同居している男の子に連れられていった時、胸が高鳴った。
その塔は、『遺跡』と同じ材質で出来ていたから。
あちこち触って確かめて、間違いないと確信した。
遺跡なら、何か凄いお宝があるかもしれない。遺跡の宝は、魔道具というらしい。隊長が盗掘に入る前に言っていた事を思い出す。
魔道具には、凄い力が宿っているものがあるという。売れば暫くは遊んで暮らせる金が手に入る、と言っていた。
今となっては、もうお金なんてどうでもいい。必要なのは、力のほうだった。
このどうしようもない世界をぶち壊すだけの力がほしかった。
それから毎日、塔に通った。
塔の外も中も虱潰しに探した。何かないか、何か。
村の連中が何か言っていたが、何も気にならない。耳にも入らない。そんなどうでもいいことより、塔に何かが眠っていてほしいと毎晩祈りを捧げるのに夢中だった。
探し始めて一月。
崩れた塔の二階の一番奥の部屋。その更に奥に、埃で埋もれた鍵穴があるのを見つけた。
見つけられなかったのも道理で、埃の他に鍵穴を隠すように野狐を象った紋章で蓋をされていた。ずっと何かの文様だと思って、気にとめていなかったのだ。
気づいたのは偶然だった。埃を払ったとき、少し浮いているように見えたのだ。念の入った隠しようで、秘められた何かがそこにあることを確信させた。
だが、鍵など塔のどこを探してもない。
諦めかけたとき、ふと両親の形見になってしまった鍵の事を思い出した。
もしかして、と思う。
もしかして、これが嵌るんじゃないか。
そんなことあるわけないと思いながら、もしそうだったら神様か何かの思し召しだと思った。
私に、力を与えようと。
憎い全てに復讐することを許可されたのだ、と。
形見だった鍵は、鍵穴に綺麗に嵌った。
開いた扉の先には、力があった。
それは、魔物を呼び出し、使役する圧倒的な力。
杖の形をした魔道具が、そこにはあった――




