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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第二部・追う二人
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第七十三・五話「リデルとクーアのある日」

 ――参ったな……。


 声に出さずぼやいて、リデルは空を見上げた。

 雲が太陽を覆い隠し、ひっきりなしに降る雨が目と耳を塞ぐ。

 大木の下に避難したはいいが、突然振り出した雨から逃げ切れずに濡れてしまった。

 肩の傷がじくりと痛む。

 素人相手に不覚を取ったのは二度目だ。こんな雨の日は、一度目を思い出す。

 我知らず傷を負った肩に触れると、

「脱いで」

 突然隣から変態じみたことを言われて反射的に振り向く。

 仏頂面のクーアが、包帯と布を手に半ば睨むようにこちらを見ていた。

「濡れたでしょ。傷口周りの処置をするから早く」

「あぁ、はい。わかりました」

 不機嫌そうな薬師に逆らわず、リデルは大人しく言われた通りにする。

 それ以上は特に何も言わず、クーアは傷口周りを拭いて黙々と処置を始めた。


 ――参ったな……。


 まさに馬の尻尾のように濡れて垂れ下がった金髪のポニーテールを横目に、堅物騎士は胸の内で一人ごちる。

 これから先の進路について彼女に話しておきたいことがあるのだが、どうにも切り出す機会を見失っていた。

 何の気なしに会話するような間柄ではない。さり気なく口にするのは、友人の少ない騎士には難しい事柄だった。

 溜息を飲み込むと、雑音と化していた雨音が意識に這い登ってくる。

 大木はなんとか雨露を避けさせてくれるが、いつまでもつか。早いところ雨が上がってほしい。

 肩に触れる手の感触に素知らぬ振りをして、リデルは空を見上げた。


 ジェローアの町を出てから数日。

 二人の旅は、相変わらず言葉少なな日々だった。


 ※               ※                  ※


 幸いにも雨は来たときと同じく唐突に去り、日暮れ前には動けるようになった。

 雨の降った後だからか、地面はどこもぬかるんでいて寝床にするのは厳しいものがある。

 なんとか落ち葉に守られて比較的被害の少ない箇所を見つけ、リデルは鍛錬ついでに枯れ枝を拾いにクーアと別れた。

 雨が降ったばかりで、枯れ枝もないものである。

 通り雨だったのが不幸中の幸いというやつで、多少濡れた程度で済んでいるものを幾つか見つけることができた。

 ひとまず、一晩程度ならなんとかなるだろう。

 ほっと胸を撫で下ろし、伸びをするように顔を上げ、


 雫を受けてきらりと光る果実を見つけた。


 橙色の果実は、沈みかけの日の光の中に溶け込んでいた。

 雨の雫が光を反射してくれなければ、気づかなかったかもしれない。

 丁度いいんじゃないか、と思った。

 この果実を持って帰れば、自然に話すきっかけとしていいのではないか。そしてさり気なく進路が変わったことと新しい任務を受けたことを話せば、


 いける気がする。


 想定通りなら無理なく必要なことを全て済ませられる。

 一つ息を吸い込んで、濡れた木の幹に手と足をかけた。

 果実までの距離は身長の倍ちょっと。木登りは苦手でもないので、問題ないはずだ。

 訓練以外で木登りなんて、いつ以来かさっぱり思い出せないが。

 足と手の感覚をしっかり確かめて登る。

 思えば、遊びで木登りをしたことなんてなかった。同い年の少年達がそうした遊びに興じている時、自分は剣を振っていた。

 彼女も、やはり木登りなどをして遊んでいたのだろうか。

 彼と一緒に。

 多分、そうだろう。幼馴染だと聞いているし、森や山近くの村では一般的な遊びのはずだ。

 あの黒髪の少女は、果たしてどうだろうか。

 きっと、自分と同じでそんな経験はないだろう。

 根拠はないが、なんとなくそう思った。

 思うと同時に少しだけ笑いがこみ上げてきて、手が届く距離になった果実をもぎ取り、


 足が滑った。


 油断した。

 濡れて滑りやすくなっていると分かっていたはずなのに。

 物思いに耽っているからこんな目に合うのだ。

 咄嗟に体勢を立て直そうとして肩の傷の疼きに邪魔され、どうすることもできずに背中から地面に落下する。


 痺れるような痛みが全身に走り、湿った音が響いた。


 ※              ※               ※


 包帯と塗り薬の残量を確認して、クーアは一息ついた。

 ジェローアでだいぶ仕入れたので、しばらくは持つ。だが、次の町か村につくまでどのくらいかかるかはそろそろ聞いておかなければ。

 塗り薬は現地調達も不可能ではなさそうだが、包帯は流石に無理だ。布もできるだけ清潔に保ちたいから川か湖にも寄りたい。

 他にも色々、話したいことなら山ほどある。

 あるが、クーアもどう話しかけたものか迷っていた。

 これまでかなり頑なな態度をとってきてしまった流れで、いきなり軟化するのもどうかと思う。

 それに、あの騎士は常に近寄りがたい雰囲気を放っているのだ。

 完全無欠、なんて言葉を現実にしようとしているような。触るとこちらまで重荷がかかるような。

 あれでは友達も少ないだろうな、と思う。

 その辺のところ実際に聞いて弄ってやりたくもあるが、やぶ蛇のような気がしないでもなく、


 何かが落ちる音が聞こえた。


 肉の塊がぶつかる音。枝葉が雨粒の重さに耐えかねて落ちる音とは違う。

 考える前に駆け出していた。

 音がした方向はそう遠くなく、すぐに目的の場所について、


 リデルが地面に倒れていた。

 一瞬息が詰まった。


 ※            ※             ※


 ――参ったな……。


 痛いは痛いが、致命傷を負うような高さでもない。そんなことより、自分の間抜けさの方が辛い。

 もう笑うしかない。

 ここまで無様を晒したのはいつ以来だろうか。

 多分、あの雨の夜にナイトに一杯食わされたのが一番近い。そう考えれば結構最近の話だった。

 あの二人に関わってから、なんとも調子が狂いっぱなしだ。

 とりあえず笑って誤魔化そうにも、笑い声さえでてきやしない。

 溜息をつく為に大きく息を吸い込んで、


「あ、あんた、何やってんの!?」


 逼迫した声に視線を向ければ、クーアが目を見開いてこちらを見ていた。

 状況から見て彼女が何かしらの誤解を抱いているのは間違いなく、なんとか端的に現状を説明しようとして、


 他にどうすることもできず、手に持った橙色の果実を持ち上げた。


「これを、見つけまして」

 その一言で、クーアは察してくれたらしかった。

「そっ、それをとろうとして、落ちたわけっ?」

「……そうなります」

 一拍、間をおいて、彼女の表情がめまぐるしく入れ替わり、


「あっ、あんた、何やってんのっ!!」


 他にどうすることもできないと言わんばかりの笑い声が響いた。


 もう笑うしかない。できればリデルも一緒に笑いたかったが、残念ながら彼女のようには出てこなかった。

 立っているのも難しいらしく、クーアは腹を抱えてうずくまる。

 ようやく笑いが収まったところで、

「あー、もう、バカじゃない。怪我人が何してんのよ」

「……すみません」

 それ以外何も言えず、友達の少ない騎士は体を起こす。

「肩、痛くない?」

「……痛いです」

「無理するんじゃないわよ、ほんと」

 笑いの残滓を振り切ろうとクーアは勢い良く踵を返し、

「ちょっとそこで待ってなさい。道具とってくるから」

「……はい」

 頷くリデルに笑顔で首肯し、

「これに懲りたら、怪我してるときに無理しないこと。鍛錬もあんまりやらない方がいいんだけど」

「……それは、その」

「あーはいはい、分かったから。とにかく、何かあったら言う事。黙ってたら何も分からないし、傷口開くかもしれないからね」

 ぐうの音もでない正論にリデルが頷き返すと、クーアは足早に去っていく。

 その背中を見送りながら、リデルはすっかり雲が消えた空を見上げた。


 ――参ったな……。


 当初の目的はなんとか果たせたらしい。

 もう気後れはない。治療を受ける時にでも話せばいいだろう。

 みっともない失敗が功を奏した状況に、リデルはなんとも言えない表情を浮かべる。

 濡れた背中が、気持ち悪かった。


 その夜、初めてクーアとリデルはまともに普通の会話をした。

 その日、初めてリデルはクーアが木登りで遊んでいたことを知った。



 その日、初めてクーアはリデルが木登りで遊ばなかったことを知った。

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