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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第二部・追う二人
75/85

第七十三話 「夜が明けて」

――「つまり、皆さんには騎士団の振りをして頂きたいんです。彼らの戦意を削ぐ為に」


 ノーヴィの屋敷で、手隙の『川向こう』の住人達相手にリデルは作戦の概要を説明していた。

 話を聞いた住人達は顔を見合わせ、代表としてノーヴィが質問する。


「つまり、我々は彼らと戦うわけでは、ないんですね?」

「はい。むしろ、極力避けてください。皆さんにして頂きたいのは、森の中で大量の松明を灯すこと。そして、お預けした鎧を照らし出して野盗達に見せることです」


 そう聞いたノーヴィ達は、安心したような残念なような顔をして息を漏らした。


 リデルが発案した仕掛けとは、古来より使われてきた戦法の内の一つだ。

 松明でも旗でも、人がいることを示すものを大量に用意して、相手に大軍がいると思わせる。そして、自分の甲冑を別の誰かに着せて見せることで、その大軍を『騎士団と誤認させる』というものだ。


 人間、分かり易い代表例があれば、その集団が全て同じだと思い込む。人の思い込みを利用した、数を誤魔化す手段だ。

 仕掛けを施す場所が夜の森であるというのも有利に働く。松明で簡単に数を捏造できるし、銀の甲冑は火の光を反射して目立つことだろう。


 単純だが、それだけに強力だ。特に、冷静に思考できる状況でなければ十分以上に効力を発揮するだろう。

 その為に、リデルは野盗達の意識と視線を集め、冷静さを奪わなければならない。

 それに関しては、何もせずとも軽く挑発するだけで果たされるだろうと考えていた。


 何せ、向こうが招待してきたのだ。よっぽど騎士や貴族が嫌いと見える。首領であるグラッジが騎士団試験に落ちたと知れば、腹いせに騎士である自分を血祭りにあげようとすることなど簡単に想像がつく。

 母であるダメイアも、同じ考えだった。逃げろと何度も忠告したらしいが、その全てを無視してクーアを攫った。

 その事実が、彼らの腹積もりを何よりも雄弁に語っている。


 無傷ですまないことを覚悟しなければならない。が、逆に言えばそれさえ受け入れれば、作戦の成功はほぼ確実だと言っていいだろう。

 安い交換条件だ。死にさえしなければどうとでもなる。


 この作戦に難点があるとすれば、ノーヴィ達を巻き込まねばならないことだ。野盗達と直接争うことはないはずだが、トチ狂った誰かが松明の中に飛び込んでいかないとも限らない。その可能性だけが、唯一の懸念材料だった。

 ノーヴィ達の様子を伺う。提案に否定的なようには見えない。むしろ、意気込んでいる人もいるくらいだ。


 少しだけ、心苦しい。


「それで、騎士様。我々は何を合図に始めれば宜しいのですか?」


 ノーヴィが代表して質問する。後ろに並ぶ人々も、リデルの言葉を待っている。

 一度口を引き結んでから、リデルは説明を再開した。


「私が彼らの注意を引き付けます。剣戟の音が聞こえたら、準備を始めて下さい。手持ちと仕掛けた松明を全て灯したら、その場で待機。後は私がやります」

「わかりました」


 ノーヴィ達、ジェローアの住民は神妙な顔で頷く。

 説明はそこで終わってもよかった。ただ、リデルは一言付け加えずにはいられなかった。


「もし、何か野盗達に不審な様子があったらすぐに撤退を。その場合、作戦は中止とします。これは各自で判断して結構です。何よりも、自らの身を第一に考えてください。彼らと争おうとは思わないように」


 騎士としては、甘すぎる判断。

 素人に勝手に判断していい、というのは決して褒められた指示ではない。


 それでも、リデルは口にしてしまった。

 父親に知られれば、殴り倒されてしまうような言葉を。


 ノーヴィ達は神妙な顔のまま頷き、


「分かりました……ですが、騎士様。これは、私共の町の問題でもあります。『旧市街』の人々が関わっているとなれば、尚更でしょう。どうか、私共にも奴等に一矢報いる機会をお与え下さい」


 ノーヴィの言葉に、集められた人々がそれぞれに同意を示す。


「連中に言いようにされたまま、黙ってられないですよ!」

「お任せ下さい、必ずやり遂げてみせます!」

「連中が幽霊野盗団なら、こっちは幽霊騎士団ってわけですね!」


 口々に息巻く人々を前に、リデルは胸の内で反省する。

 自らの未熟を理由に、彼らの思いを軽く見てはいなかったか。

 自分達の町を守ろうとする思いは、きっと騎士が国を守りたいと思う気持ちとそう変わらない。


 彼らは、町を守る為に戦士となることを覚悟した。

 ならば、自分はその思いに応えねばならない。


 今夜、全て終わらせる。


 腰の剣に触り、小さく鳴る金属音を聞きながら誓った。



 その後、動けるだけの『川向こう』の住人を連れて、リデルは野盗が待ち構えているであろう森へと向かった。

 松明などを仕掛けて準備し、時間を見計らって後をノーヴィ達に任せ、待ち合わせ場所へと向かう。


 そこにまさかダメイアが飛び込んでくるとは、露ほども思わずに――



  ※              ※              ※


 ふと気がつくと、知らない天井が見えた。

 慌てて起き上がり、クーアは周囲を確認する。と同時に頭に痛みが走った。


「痛ぁ……!」


 思わず上半身を折り曲げて頭に手をやると、包帯の感触がした。

 それでようやく思い出す。ここは、『川向こう』の診療所だ。


 リデルと野盗が戦ったあの夜。ダメイアが気絶した後、野盗達は全員リデルと町の人達によって捕まえられた。

 騎士団がいないことに気づいて暴れた奴もいたようだが、すぐにリデルに大人しくさせられていた。野盗団は結局、リデル一人に手も足も出なかった。


 町の人にダメイアを担いで貰って、そのまま診療所まで運んで治療した。



 ダメイアは気絶したまま、治療が終わるまで目覚めなかった。

 幸いにして、命に別状はなかったが。



 殴られた時に地面に頭を打ったのは確かだが、コブになっていたくらいだ。

 他は殴られた所が腫れ上がっているくらいで、本当に大した事はなかった。


 『川向こう』の初老の医者と一緒に治療を終え、何事もないことを確認して安心したのは覚えている。ほっとして胸にたまっていたものを息と一緒に吐き出した。

 その後の記憶がない。


 多分、倒れたのだと思う。気絶するように寝てしまったのだろう。

 ベッドの上でもぞりと体を動かす。手首と足首に薄く包帯が巻かれ、両頬に消毒薬が塗られた木綿布が貼り付けられていた。

 手枷と足枷は、思いの(ほか)体を傷つけていたようだ。頭と頬は殴られたり壁にぶつけられたりしたからそのせいだろう。


 どのくらい寝ていたのかは分からないが、疲労がのっぺりと体にまとわりついている。体の重さは意識がはっきりするにつれて痛みに変わり、じくじくと責めてくる。

 もう一眠りくらいしようか。

 そう思ったところで、隣から声が聞こえた。


「おや、起きたのかい?」


 心臓がどくんと脈打ち、反射的に身を起こして隣のベッドと区切る垂れ布の間仕切りを開く。

 そこには、ダメイアがいつもの斜に構えたような笑みを浮かべていた。


「なんだい、案外元気そうだね。丸一日寝てたとは思えないよ」


 皮肉気な笑みは想像以上にいつも通りで、なんだか狐か狸にでも化かされているような気分になる。

 それを言いたいのはこっちだ、と言いたいのを我慢して、なんとか頭の中を整理しようと努めた。

 出来る事と出来ない事があった。


「どうしたんだい、口が利けなくなっちまったのかい?」

「……頭、痛いんで静かにして下さい」

「それだけの口が利けりゃ上等さね」


 挑発するような口ぶりに不機嫌に返し、大きくため息を吐く。

 命に別状がないことも、大した傷じゃないことも知っていたが、やはりこうして直接元気な姿を見ると安心する。

 あの夜のやりとりを見ていれば、尚更だ。


 最後の最後で、ダメイアは息子を叱った。騎士団に出頭することも薦め、結果守ってきたはずの息子に殴り飛ばされた。

 そして、その息子は今町のどこかの空き家に放り込まれて、本物の騎士団に引き渡される時を待っている。


 ダメイアは、その事を知っているだろうか。

 知っているだろう。あの時は気絶していたが、起きれば間違いなくいの一番に事情を話されるはずだ。

 リデルは、そういうことはきっちりしている。もし彼が話さなくとも、他の人が伝えるだろう。


 それなのに、何事もないように振舞っている。

 ダメイアの心積もりを図りかね、先に気になったことを聞くことにした。


「私、丸一日寝てたんですか?」

「そうだよ。私の手当てをした後、バッタリ倒れたって聞いてる。だいぶ疲れてたみたいだし、怪我のせいもあるだろうってこっちの先生が言ってたよ」


 言われて納得する。

 確かに、全身が泥沼の中にいるような重さがあるし、さっきから体のあちこちが痛みを訴えてきている。殴られたのもそうだが、錘つきの枷で暴れたせいもあると思う。体力が相当もっていかれていた。

 意識すると一気に押し寄せてきて、上半身を起こしているのも辛くなって寝転がった。


 頭の傷がずきずきと自己主張する。分かったから大人しくしていて欲しい。あの時、喉を掴まれて壁に叩きつけられた時の傷。

 ダメイアの息子につけられた傷だ。


「……すまなかったね、お嬢ちゃん。うちの馬鹿息子がとんでもない真似をして」


 その声は余りにくたびれていて、視線を動かそうとして止めた。

 代わりに右腕と枕で頭を挟んで、どうにかこの痛みが治まらないかと無駄な抵抗をしてみる。

 少しだけ楽になった気がした。


「顔も、赤く腫れちまって。女の顔を殴るなんて何考えてんだろうね、あの馬鹿は。痛かったよね……本当に、すまないねぇ」


 声に滲んだ悔恨の気配は隠しようがなく、自責の念が彼女を追い詰めているのは顔を見なくても分かった。


 息子の頬を張った後、ダメイアは言った。

 本当はずっと分かっていた、と。ようやく動けた、と。

 診療所に運び込まれた行商人の安否を聞いた時、彼女は救われたような安堵の表情を浮かべた。


 ダメイアはグラッジとは違う。口は悪いし皮肉屋だが、人を傷つけて悦ぶ趣味はない。

 ずっと、罪悪感が心を占拠していたのだろう。

 人を見殺しにしている。もっといえば、それに加担している。その状態で平気な顔が出来るほど、彼女は息子と同じ精神をしていなかった。


 何を言うべきか、少し迷う。

 何を言っても、ただの慰めにしかならない気がした。

 そんなもの、今更何の力も持たない。

 だから、聞いてみることにした。


「……息子さんの、グラッジ。このままだと騎士団に引き渡されますよ」

「そうだねぇ」

「そしたら、多分ほぼ間違いなく死罪になりますよ」

「……だろうねぇ」

「それで、いいんですか?」


 何を言っているんだろう、と自分でも思う。

 まるで逃がせといっているようだ。犯罪教唆だ。この場にリデルがいたら、多分言葉を遮られていたことだろう。


 けれど、聞いてみたかった。

 社会に逆らってまで大事な人を守ってきた人に。

 追い詰められた果ての答えを、知りたいと思った。



 ダメイアは、いつかの診療所前で見たように、酷く悲しそうに笑った。



「それでいいよ。ありがとうね」



 そう言ったダメイアの目は、酷く優しい色をしていた。

 胸に渦巻く感情の正体を、ようやくクーアは突き止めた。



 これは、痛みだ。

 かつて感じた痛みを、心が勝手に思い出しているのだ。



 ダメイアは諦めて、受け入れた。状況を、世情を、誰かの意思を。

 自分にはどうすることもできないと手放して、その上で納得して飲み込んだ。


 それは、一つの選択だ。

 力なき弱者が、それでも自分に降りかかった運命と向き合って出した答えだ。


 かつて、同じ答えを自分も出したことがある。

 薬学の本を読むたびに夢想した未来。


 薬学の勉強をして知識をつけ、都でも噂の薬師になる。それを聞きつけたどこかの偉い人がやってきて、王宮かどこかに招かれて、専属の薬師へ。十分な環境を用意されて思う存分研究に実践にと腕を振るい、歴史に名を刻む。


 下らない妄想と切り捨てて、自分の現状を諦めて受け入れた。

 けれど、もしかしたら在ったかもしれない未来。でも、目指したら酷い未来が待ち受けていたかもしれない。

 食うにも困って堕ちるところまで堕ちる。そんな未来が訪れていたかもしれない。

 だから、鼻で笑ってゴミとして捨てた。


 結局は、選択肢は無限なんかじゃない。実際には有限で、その中から少しでもマシなものを選んでいくしかない。

 そう思って、少しでもマシな選択肢を選んだ。手の届かない妄想は捨てて。


 ダメイアのそれは、自分と同じものに見えた。

 諦めて、受け入れる。少しでもマシな選択肢を選ぶ。

 だから、こんなに取り返しがつかない気持ちになるのだ。

 決定的なものを、踏み越えてしまった。選択する、ということで。


 何か言わなくては、と思う。

 でも、何を言えばいいのか分からない。


 他人の選択に口を出せるはずもない。そんなことができるのは、よっぽど親しい間柄か家族だけだ。

 自分でもやったからわかる。その選択は、決して楽なものじゃない。

 悩んで考えた果てに、どうしようもなく選んでしまったものだ。


 だからかつて、ナイトにあんな罵声を浴びせてしまったのだ。

 何も言えずにいると、先にダメイアが口を開いた。


「あの馬鹿は、やっちゃいけないことをやった。その報いは、受けるべきさ」


 その声音は優しくて、空っぽで、清々しささえ感じられた。


 背負い続けた荷物を、ようやく下ろしたような。

 大事なものを、永遠に手からすべり落としてしまったような。


 こっそりと腕を動かして隙間から覗き見たダメイアの顔は、この数日で一度も見たことがないほど柔らかかった。


「私も、やっちゃいけないことをやった。だから、あの子と一緒に報いを受けるさ」


 憑き物が落ちたような顔で、微笑みながらダメイアはそう言った。


 思う。

 ダメイアは一体、どんなやっちゃいけないことをしたというのか。

 彼女はただ、大切な人を守りたいだけだったのに。


 分かってる。その『大切な人』がよりにもよってグラッジで、その馬鹿息子は人を襲い奪い殺していたからだ。

 人殺しの野盗を庇った事が、ダメイアが行ったやっちゃいけないことなのだ。


 分かってる。

 けれど、だったら、



 大切な人を守りたいという気持ちまで、罪なのだろうか。



 何も言えずに考え込むクーアをどう思ったのか、ダメイアは言葉を続けた。


「最初からそうしてりゃよかったんだ。あの子が町に戻ってきた時に、一緒に騎士団に行きゃよかった。ざまぁないね、こんな事態になるまでそんな簡単なことができなかったんだから」


 自嘲するダメイアから視線を逸らし、クーアは天井を見つめる。

 何本もの梁が通った頑丈そうな作り。診療所は災害などがあった際の避難所にもなることが多い。安全と安心を守る場所だ。


 リデル達騎士団と同じものを、守っているところ。

 薬師である自分が働くべき場所。


 安心と安全を脅かしたダメイアは、その罪を問われることになる。

 きっと、厳しい罰が下るだろう。それはもう、どうしようもない。

 聞きたいことが、もう一つ出来た。


「もしも、ですけど」


 ぽつりと呟く。ダメイアの視線を感じる。

 腹に力をこめて、続きを口にした。


「もしも、グラッジ――息子さんが、何一つ悪いことをしていなかったとして」


 ダメイアが下した答えに、納得できないところも不満なところもない。

 それでも、もやもやとした気持ちを払うべく身勝手な質問をした。


「それでも、生きてるだけで罪だと言われて、今回みたいなことになったら」


 もしも話に意味なんかない。

 ただ、それでも、聞いてみたかった。


「それでも、今と同じ答えになりますか?」


 天井からダメイアに視線を移す。

 彼女は少しだけ驚いた顔をして、次に不思議そうに首を傾げ、息を一つ吐いて黙り込んだ。

 馬鹿なことを言った。変な奴だと思われたかもしれない。

 今更になって少し恥ずかしくなって、前言を撤回すべきかどうか悩んで、


「もしも、だけどね」


 何も言えずにいる間に、またしても先にダメイアが口を開いた。

 宿屋の女将はどこか遠くを見ながら、夢を語るように零した。


「もしも、うちの馬鹿息子がそんな殊勝で健気な人間だったら、」


 もしも話に意味なんかない。

 それでも口をついて出るのは、そこに希望があるからだ。

 淡雪のような希望を食べて、人は糊口(ここう)を凌ぐのだ。



「私は、あの子に平手を打つことはなかっただろうね」



 それだけで十分だった。

 出てきた答えは、心の底で望んでいたものと同じだった。


 きっと、もしもグラッジがそんな人間だったら、ダメイアは最後の最後まで大切な人を守ろうと戦い抜いたことだろう。

 敵いっこない騎士団相手に、例え一人でだって挑むはずだ。


 今もどこかで戦っている、幼馴染のように。


 安心するのと同時に、どっと疲労が重さを伴って押し潰してくる。

 起きてすぐに面倒なことを考えたからだろうか。頭は痛いし体は動かない。意識がゆっくりと塗り潰されていく。


 瞼を開けているのも辛くなって、勝手に閉じていこうとする。

 ダメイアの声が聞こえる。


「おやすみ、ゆっくり寝な」

「……お休みなさい」


 返事はできた、と思う。口がちゃんと動いたかどうかも分からなかった。

 意識が途切れる寸前、ドアが開いたのが見えた。


 見知った顔が部屋に入ってくる。

 旅に出てから毎日嫌というほど見てきた顔。


 何をしにきたのか、と思うが、尋ねられるような状態でもない。

 こちらを見た気がする。そういえば、昨夜から一度も会話をしていない。

 森から町に戻る時は、ダメイアが心配で他のことなんて気にしていられなかった。


 助けて貰ったことの礼くらいは言おうと思うのに、口が動かない。

 そのまま、意識が暗闇に飲み込まれた。



 次に目覚めたのは、翌日の昼過ぎのことだった。



  ※             ※               ※


 野盗団が拿捕されてから二日。

 この二日で、ジェローアの町は大きく変わった。というより、変わらざるを得なかった。


 野盗団の正体がジェローアの元悪ガキ集団である以上、『旧市街』の面々は騎士団の追及に晒されることになる。

 実質的に野盗団を庇うような行為をしていた上、何人かは首領がグラッジだと知ってもいた。騎士団によって罪に問われるのは、何もダメイアだけではない。


 その中の代表的な人物の一人が、町長のビエホだ。彼は、間違いなく騎士団によって連行される。

 ダメイアからはっきり証言が取れている上、本人も認めた。つまりは、事実上の二人目の野盗団への協力者ということになる。

 そんな人物を町長のままにしておくわけにはいかない。急遽ビエホは解任され、ノーヴィが仮の町長として収まることになった。


 野盗団が捕まった日、町は上から下への大騒ぎとなった。『川向こう』の人達はようやく長年苦しめられてきた腫瘍が取り除かれたと大喜びし、『旧市街』の人々は野盗団の面々を見てあちこちで泣き崩れた。

 倒れたダメイアを心配して診療所には人だかりができたし、ビエホの家には『川向こう』と『旧市街』それぞれの人々が事情の説明を求めて押し寄せた。


 野盗団の事が知れ渡るにつれ、乱闘騒ぎも起きた。クーアが倒れていた丸一日の間、リデルは肩の怪我をおして、殆ど休むことなく町の治安維持と野盗団の見張りに努めていた。

 事件というのは、常に解決した後の方が起こる問題は多いものだ。


 そのリデルによって、騎士団には使いが出された。彼らがやってくれば、後は全て順当に処理されていくだろう。

 だが、その前に片付けねばならないことは山積みだ。それは、誰にとっても。


 昨日に起きた乱闘騒ぎは、『川向こう』と『旧市街』の人だけでなく、『旧市街』の人同士の殴り合いだってあった。

 誰も彼もが事情を知っていたわけじゃない。野盗のことを嫌っていた人達だっている。


 裏切られた思いなのは、果たしてどちらだっただろうか。

 清算しなければならないのは、数十年の時間に降り積もった全てだ。


 元町長となったビエホの家、その応接間。

 背の低い机を挟んで、背もたれの椅子に座った男が二人向かい合っている。

 いつかの日にクーアと話した大工の棟梁と、家の主であるビエホ。

 旧知の仲でもある二人は、決して朗らかといえない空気の中、お茶に手も出さなかった。


「本気なのか、棟梁」

「悪いな、ビエホさん。俺には、若い衆を守る責任と義務がある」


 ビエホは膝の上で拳を握り締める。

 棟梁は真っ直ぐに元町長を見つめ、別れの言葉を口にした。


「お前ともあろう者が、川向こうの連中なんぞに頭を下げるのか」

「あぁ。あんたと同じだよ、ビエホさん。大事なもん守る為なら、出来る事は何だってやるさ。あんたらがグラッジ達を守っていたように」


 その口調に、責めるような色はなかった。

 ただ、事実を口にしているだけだ。

 それなのに、ビエホの耳には棟梁の言葉は自らを責め立てているようにしか聞こえなかった。

 奥歯を噛み締め、握った掌に爪が食い込む。


「この町が貴族共に見捨てられた時、一緒に守っていこうと誓ったじゃないか。あれは嘘だったのか?」

「嘘じゃないさ。だが、この町はもう終わっちまった。いや……違うな。俺達が守りたかったもんは、とっくの昔に終わってたんだ。この町は、新しくなってた。俺達がそれについていけなかったんだ」


 どん、と。

 机に拳が叩きつけられ、コップに入ったお茶が揺れて飛沫が散る。

 鬼のような形相で、ビエホは棟梁を睨みつけた。


「終わったって何だ!? 何も終わってなんかいやしない!! 新しくなった!? そんなもん、川向こうの連中の身勝手な言い分だ!! この町は何も変わってない、終わってもいない!! 何もかもに見捨てられた町で、私達が守らなければならん場所だ!!」


 心底からの叫びに、棟梁の瞳が揺れる。

 元町長の思いを、分からないはずがない。

 自分だって確かにそう思って、ずっと守り続けてきたつもりでいたのだ。


 だが、その結果はどうだ。

 グラッジなんていう悪ガキを野放しにし、仲間であるダメイアを苦しめ続け、こんな町に寄ってくれた人達を殺してしまった。


 直接手を下したのがグラッジ達だなどというのは言い訳だ。

 その連中を守っていたのは、他ならぬ自分達だ。

 仲間を守り、故郷を守る。そう硬く誓って寄り添いあった末に、悪党に好き勝手に利用された。


 裏切られたのは一体誰か。

 薄々勘付いていたのは、自分含めてそれなりの数がいるだろう。だが、何も知らない奴らだっていた。

 自分すら気づかぬうちに人殺しの片棒を担がされた連中は、どんな思いだっただろうか。


 若い衆は、本当に何も知らない。おっさん達が何かを隠しているのを知ってて、黙ってついてきてくれた。

 せめて最後くらいは、大人としてやるべきことをしなくてはならない。

 それは、目の前の元町長とて同じはずだ。


「ビエホさん。川向こうなんていうのは止めろ。同じ町の人間を憎んで、一体何になるって言うんだ」

「お前まで!! お前までそんなことを言うのか!? あの騎士みたいなことを!? 仲間だと思っていたのに!! 誓いを破って、仲間を裏切って、そんなに自分達さえよければいいのか!?」



 我慢の限界がきた。



「同じ言葉をそっくり返すぜ!! 仲間だと思ってた! 裏切ったのはどっちだ!? 俺達が誓ったのは、この町を守ってきたのは、人殺し連中を匿う為なんかじゃねぇ!!」


 言い返され、ビエホが喉を詰まらせる。

 それでも握り締められた両の拳は震え、瞳は涙を湛えて睨みつけている。


「グラッジはダメイアの息子、仲間だ! 守るのは当然だろう!? この町を守る事と、それは同じ事だ!」

「どこがだ!? あんた、今のダメイアに会ったか!? 全然すっきりした顔してるぜ! ずっとずっと、ダメイアは苦しんでたんだ! 仲間を苦しめて、あんたは一体何を守ってたって言うんだ!?」


 机に棟梁の大きな拳骨が叩きつけられ、ビエホの時とは比べ物にならないほど揺れる。

 気炎を吐く棟梁は一歩も譲らず、ビエホもまた引く姿勢を見せない。

 事ここに至って、両者は平行線に辿り着いてしまった。


 同じ志を持っていたはずの仲間だったのに。

 誰もが見捨てた町を、死なせないように守ってきたのに。


 最後の一撃を与えたのは、リデルではない。

 町の人々が積み重ねた思いが、ひび割れた『旧市街』に止めを刺した。

 深く深く息を吐いて、棟梁が零す。


「分かっただろ。俺とあんたでさえ、この有様だ。この町は……いや、『俺達の町』は、もう終わりだ。昔の面影にしがみつくのも、時間切れなんだ」


 口を開こうとして、棟梁に睨まれビエホは言葉を飲み込んだ。

 言いたいことは、まだお互いに山ほどあった。

 けれど、それをどれだけ浴びせた所で最早何の意味もない。

 罵声と同じだ。かつて仲間と信じた相手に、そんな真似はしたくなかった。


 この町が主街道から外れた時、確かに選択肢はあったはずだ。

 新しいものを求めるか、古いものにしがみつくか。

 どちらがいい、という話ではない。どちらを選んだか、という話でしかない。


 棟梁も元町長も、古いものにしがみついた。

 そこには、思い出も誇りも親から受け継いだものもあったから。

 けれど、時間はさかしまには流れない。昨日から今日へ、今日から明日へと流れていく。

 それは、例えビエホや棟梁が何百人集まって不満を訴えても、変わる事のない事実だ。


 今回再び、どうしようもない事態が訪れた。

 元町長はそれでもしがみつくことを選び、棟梁は新しくなることを選んだ。


 もし、誰も罪を犯さなければ。

 選択肢が訪れるのは、もっとずっと先立ったかもしれない。

 もしくは、死ぬまでそんなものは訪れなかったかもしれない。


 もしも話に意味はない。

 今を必死に生きる人達の前には、厳然とした現実があるだけだ。

 俯くビエホを前に、棟梁は堂々と宣言した。


「俺はノーヴィのところに行く。行って、若い衆の面倒を見て貰えないか頼み込む。どれだけとめても無駄だ。俺もあんたも、清算する時がきたんだよ」


 騎士団が来る。それは、どうしようもない現実だ。

 罪は追求され、何をどう喚こうともビエホは連れて行かれ、棟梁もまた問われる可能性がある。


 強制的にくる最後の時を前に、遅ればせながらの覚悟を棟梁は決めた。

 そしてビエホの覚悟は、それでもしがみつくことなのだろう。


 二人が気づかぬ内に、応接間のノブが回る。

 その向こうから現れたのは、どうしようもない現実の化身。

 この事態の引き金を引いた存在の一人、



 騎士リデル・ユースティティア。



 心優しく真面目な青年は、どうしようもない終わりを連れてきた。



  ※              ※                ※


 事件が解決した夜からおよそ半月後、使いと共に騎士団が町に到着した。

 必要な連絡と引継ぎを終え、リデルは旅支度を整える。


 町は、すっかり落ち着きを取り戻していた。折り合いがついた、とも言う。乱闘騒ぎは最早起きなくなったし、『旧市街』の人達はすっかり大人しくなってしまった。

 これから詳しい調査が行われるが、おそらく『旧市街』の住民の内、十数人は捕まるだろう。ビエホを始めとした関係者と、野盗団の家族。犯罪者を匿うことも、立派な犯罪だ。


 『旧市街』の住民の中で、事件に関係が薄い、または全くないと思われる人達はノーヴィ主導の下、『川向こう』で新しい生活を始めている。

 ジェローアの町は、新しい形を受け入れて変容していた。

 逞しい町だ、とリデルは思う。宿場町でなくなってからも生き残ってきたしぶとさは、住む人が変わっても受け継がれるものらしい。


 グラッジ達は、騎士団の手で都市へと連行された。

 勿論、ダメイアも一緒に。


 連行される様子を遠巻きに眺めていたクーアとリデルを目敏く見つけ、ダメイアは小さく笑いかけた。

 その笑顔の意味を、リデルは図りかねている。

 逮捕されたというのに、救われた顔をしていた。踏み外した道の先で、ようやく正道に戻れた事が嬉しかったのだろうか。


 合っている気もするし、間違っている気もする。

 クーアに聞いてみようかとも思ったが、なんだか無粋な気がして聞けなかった。


 ともあれ、これでリデルはお役御免だ。後の事はやってきた騎士達が処理してくれる。

 やるべきことは終わった。本来の任務に戻る時間だ。


 ノーヴィに預けていた馬を引き取り、補充した荷物を確認して積載する。

 もう一頭馬を連れてはどうかと言われたが、乗馬の心得のないクーアに手綱を握らせるのは冒険が過ぎる。丁重に辞退した。


 そのクーアだが、診療所を手伝う傍ら、リデルの怪我の世話を一手に引き受けていた。

 肩の傷を縫って貰いにリデルが診療所を訪れた時、クーアは眠っていた。なので、縫合は初老の医者が執り行った。

 だが、それ以外。毎日の包帯の取替えに消毒、経過観察。全て他の誰にも譲らなかった。

 本人曰く、これから先も旅を続けるのだから、全部知っておいた方が都合がいいとのことだが。

 リデルにも特に異論はなく、任せるままにしている。


 少し閉口したのは、剣の鍛錬をすると妙に不愉快そうな顔をする事だ。

 確かに、肩を怪我している状態で剣を振るのはよくないかもしれない。だが、それより腕が鈍る方が問題だし、痛くないわけでもないからなるべく負担をかけないようにしている。

 それでも、クーアは毎日鍛錬の後は臍を曲げるのだ。


 こればっかりはどうしようもないので、リデルは黙って突き刺すような視線を受け入れる事にした。

 荷物を積み終わったところで、クーアがやってきた。後ろにはノーヴィと派遣されてきた騎士隊の隊長。どうやら、見送りにきてくれたらしい。


「準備終わった?」

「えぇ。そちらも準備はいいですか?」

「うん、大丈夫。終わらせてきた」


 頷くクーアを先に鞍に乗せ、鐙に体重をかけて一気に体を持ち上げる。

 久しぶりの愛馬の背中は、実家にもどったような安心感を与えてくれた。

 手綱を軽く引くと、愛馬が嘶く。

 その声に驚きながら、ノーヴィがリデル達を見上げる。


「お見送りは、私が代表して参りました。大人数で押しかけても、と思いまして」

「お気遣い、感謝します」


 お互いに会釈しあって、ノーヴィが相好を崩す。

 最初に会った時に比べて、随分と表情が柔らかくなった。肩肘を張る必要がなくなった、というのが大きいだろう。

 これから先、大変な事はまだまだあるが、当面の悩みの種は去ったのだ。

 ノーヴィは深々と頭を垂れる。


「今回は本当に、ありがとうございました。このご恩、決して忘れません」

「騎士として当然の事をしたまでです。こちらこそ、解決が遅くなってすみませんでした」


 頭を下げ返すリデルに、ノーヴィは首を振り、後ろの騎士隊長は苦い笑みを浮かべた。

 彼は一帯の担当であるらしい。今回の件は、自らの不明を晒された形になってしまった。

 幸いだったのは、彼がその事を恨みに思うより、次へ活かそうと考える人間だったことか。

 ノーヴィと入れ替わるように隊長が進み出る。


「騎士リデル。今回の件は、勉強になりました。噂に違わぬ天才騎士ですね」

「名前と評判だけが一人歩きしているようなものです。私一人では何もできませんでした。後の事、宜しくお願いします」


 一礼するリデルに隊長は頷き、


「それと、少しお耳を拝借しても?」

「何でしょう?」


 手招きに従い馬から下りたリデルに、隊長は何事かを耳打ちする。

 一瞬リデルの眉が顰められ、すぐに真顔に戻る。

 体を離し、隊長は安心させるよう笑みを浮かべた。


「どうぞ、こちらの事はお任せ下さい。任務の成功を祈っております」

「……ありがとうございます」


 頷き返し、リデルはもう一度鐙を蹴って馬に跨る。

 短く別れを告げ、馬を軽く走らせて町から出た。


 ノーヴィ達の姿が遠くなり、町の姿が背後に置き去りになっていく。

 ある程度距離が離れたところで、クーアが口を開いた。


「これから、あの町はどうなるの?」

「そればかりは、町の人達次第です。ただ、打てる手は打ちました」


 首だけ動かして見上げてくるクーアと一瞬だけ視線を合わせ、すぐにリデルは正面に向き直る。


「騎士団を通じて、一帯の領主にお触れを出して貰えるよう頼みました。どのくらい人が集まるかは分かりませんが、何もしないよりはいいでしょう」


 『旧市街』の人々はその殆どが町からいなくなる。極端な人口減少は、町の維持を困難にしてしまう。

 可能な範囲のフォローとして、リデルはあの騎士隊長に領主への具申を頼んでいた。

 その提案は受け入れられた、という報告は少し前に受けている。どの程度の効果があるかは、流石に知りえないことだ。


「……そっか。ありがと」

「お礼を言われる事では。当然のことです」


 二年も何もできなかった身として、出来る限りの事をすべきだと思った。

 とはいっても、町の運営に関わるわけにもいかないので、このくらいのことしかできないが。

 ところが、クーアは小さく首を振った。


「そのこともだけど。まだお礼言ってなかったと思って」

「……お礼、ですか?」

「グラッジ達から助けて貰った事。ありがとう。それと、捕まってごめん」


 正面を向いたまま、クーアは呟くように言った。

 視線を下に向けても、リデルに見えるのはクーアのつむじくらいのものだ。

 正面に向き直り、手綱を握る手に少し力をこめた。


「いいえ。私こそすみません。危険な目にあわせてしまって」

「……くそまじめ」

「それが取り柄ですから」


 ぽつりと呟いたクーアの軽口に軽口で返しながら、馬の速度を緩めて歩かせる。

 軽くでも走りながらでは喋りにくいものだ。

 彼女が何かを言いたそうにしているのは、ここ暫くの付き合いでなんとなく分かった。


 蹄の音が晴天に響く。

 踏みしめられた土が、ここがかつて主街道であったことを示す数少ない痕跡だった。

 つむじが動いた。


「ダメイアはさ。悪い事をしたけどさ」


 リデルは黙ったまま続きを促す。

 何か口を挟めば、きっと彼女の言いたいことは溶けて消えてしまうだろうから。

 耳を澄ませば、その小さな訴えが聞こえた。



「誰かを大切に思う気持ちは、何も悪くないよね」



 頷きたかった。

 そうだと、言いたかった。

 けれど、リデルはとまった。


 彼女の意図に気づいたから。

 彼女の言葉が示すのはダメイアではなく、



 ナイトとマギサのことだと、分かってしまったから。



 反応のないリデルに焦れたように、クーアは言う。



「ナイトはグラッジとは違うよ。それでも、捕まえるんだよね?」



 リデルは何も言えなかった。

 晴天に、蹄の音だけが高く響く。

 その日の会話は、それっきりだった。



 『魔法使いの里』へ向けて、リデルとクーアは再び歩み始めた――

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