第七十二話 「騎士殺し」
全てを話し終え、医者は顔を覆ってカウンターに突っ伏した。
「すまない……本当にすまない……」
まるで呪詛のような小さな呟きを聞きながら、リデルは細く長く息を吐く。
人で賑わっていた宿には、今はダメイアとリデル、医者の三人しかいない。只事ではないと察したダメイアが、客を全員帰したのだ。
おそらく、この事態に巻き込みたくはなかったのだろう。
クーアが攫われた。
最悪の予想が当たった。攫ったのは、当然というべきか野盗団の連中だ。
診療所に押しかけ、「話がしたい」といって医者を使ってクーアを呼び出したらしい。
勿論、そんなものは全て嘘だ。だが、この医者は信じた。
妄想だと切って捨てたものが、殆ど当たっていた。野盗団はジェローアの悪ガキ集団が浮浪者や悪党を抱きこんで大きくなったもので、彼らはそれ故に庇っていた。そして、自分達に嘘をつかないとも思っていた。
愚かだと切り捨てることは容易い。
しかし、リデルはそれを嫌った。
誰にだって、信じたいことはある。仲間だと思っていた相手から裏切られるなんて、思いたくなんかないだろう。
咎められるべきは、裏切った野盗団。そして、事前に防げなかった自分達騎士の不徳だ。
悔やむのは後回しだ。今は、とにかく攫われたクーアを助けなければならない。
視線をダメイアに動かせば、顔面を蒼白にしてカウンターに手をついて倒れるのを防いでいた。
この状態の相手に詰問するのは気が咎める。
が、今はそんなことを言っていられる状況ではない。
連中が医者を通じて告げてきた『待ち合わせ』は、月が中天に差し掛かる頃。場所は、森の奥、崖の手前の開けた場所。ご丁寧に道順も医者に伝えていた。
今は、月が昇り始めた頃合。時間はあまりない。
事情を理解し、対策を取る必要があった。
「……すみませんが、ダメイアさん。お話を聞かせてもらいます」
「……あぁ……そうだね……」
ちらりとこちらを見て、ダメイアはふらつく足で倒れこむように椅子に座った。
乱れる心を整えるように、椅子に背中を預けて深く深く嘆息する。
その間、リデルは少しも急かすような真似はしなかった。
「さて……どこから話そうかね……まぁ、今しがた先生が話した事は全てその通りだよ。あんたが狙ってる野盗団はこの町の出身者が殆どで、首領は私の息子のグラッジさ」
どこか遠い場所を見ながら話すダメイアに、リデルは言葉を躊躇う。
しかし、同情していられる余裕はないのだ。
「野盗団についての情報を、可能な限り話してください。彼女を助ける為にも」
「……あぁ、分かったよ……」
ぽつぽつと語りだすダメイアの話は、必死に掴んできたものをゆっくり零していくようでもあった。
四年半ほど前、グラッジは騎士になるといって数人の手下を連れて町を出て行った。帰ってきたのは、二年程前。手下の数は、数倍に膨れ上がっていた。
騎士団試験に落ちて以降、各地を歩いて路頭に迷った人や野盗の類を取り込み、主に旅人を襲って暮らしていたらしい。
町に戻ってきたのは、野盗団の規模が大きくなって拠点が必要になったから。移動しながら襲うのにも限界があると言っていた。
町に残っていたかつての悪ガキ仲間を引き入れて、野盗団は総勢三十人にも膨れ上がった。そして、行商人や旅人を襲いだしたらしい。
最初はダメイアも止めようとしたが、連中は言う事を聞かない。そうこうしている内に『川向こう』の人々が騎士団に通報したのを知り、このままでは捕まってしまうと思ってそのことを野盗団に告げた。
それが、最初の協力だったとのことだ。
それからは、もう転がる石のように。何かある度に報告し、とにかく彼らが捕まらないようにした。
自分以外を犯罪者にしてはならないと誰にも言うことはなかったが、ダメイアと親しい人にはグラッジが一度戻ってきたことを知っている人もいるし、元悪ガキが町から出たのを知っている人もいる。察するのは難しいことではなかっただろう。
特に町長のビエホには一度野盗団と会うのを見られており、彼は確実に知っている。他にも、知っている人はいるだろう。誰も彼もが、消極的に野盗団に協力していることになる。
観念して全てをビエホに打ち明けると、「彼らの仕業と決まったわけでもない。この事は自分達だけの秘密にしよう」と言われたらしい。
ダメイアは、その言葉に甘えてしまった。息子達の仕業と分かりきっていたのに、そう自分を誤魔化して協力を続けた。
「……旦那に先立たれて、息子もでていっちまって。何の為に生きてるのか分からなくなってたんだ。分かってたよ、こんなことしちゃいけないって。でもさ、息子は……息子を、守ってやりたかったんだ……!」
リデルは、黙ったままダメイアの話を聞いていた。
夫の死。その意志を継いで賢明に働くも、そのせいで息子を放任してしまった。罪悪感もあったのだろう。息子がああ育ったのは自分のせいだと。
ゆっくりと過疎化していく宿場町で。どんな思いで、その変遷を見てきたのだろうか。
ダメイアは俯いた姿勢で、リデルにはその顔色を伺うことができない。
だが、その声色から察することくらいはできた。
ダメイアが言葉を搾り出す。
「……この宿場町は、あんたら国に見捨てられた。分かってるさ、そういうもんだって。でも、私らはずっとこの町で生きてきたんだ。この町を私らだけは見捨てない。だから、皆で一丸となって動いた。結束が大事だったんだ」
その結束が、転じて野盗団を庇う気持ちへと繋がった。
その気持ちを、分からないと言い切って捨てることはできない。
彼らをそんな凶行に走らせたのは、少なからず国側の責任もある。
この町に来る前、行商人が襲われている現場に遭遇する前にクーアと話していた事を思い出す。
止むを得ない事だ、と思っていた。
金銭さえあれば取引はできる、と口にした。
人の気持ちを考えない奴だ、と思われても仕方がない。間違ったことだとは思わないが、それで全てが納得できるわけでもない。
正しいか、間違っているか。その二つだけで判断できないことだってある。
だが、それでも、
やってはならないことはあるのだ。
「……ダメイアさん」
リデルに声をかけられ、ダメイアの肩がびくりと震える。
顔を俯かせたままのダメイアに近づき、リデルは膝をつく。
なるべく目線を合わせ、穏やかな声で告げた。
「事件が解決した後、騎士団に全てを話してください。自首、という形にはなりませんが、貴女が反省していることは示せるはずです。貴女に罪の意識があるのなら、是非」
「……分かった……話すよ。話すからさ……」
垂れ落ちた髪の隙間から、ダメイアが首を動かして目を覗かせる。
その瞳は、縋る様に潤んでいた。
「うちの馬鹿息子から、あの子を助けておくれ……!」
罪なき人を犠牲にして、平気な顔をしていられる人間は少ない。
ダメイアはずっと、自分の中の罪悪感を見ない振りをしてきたのだろう。
だが、今回その対象が顔見知りのクーアとなり、医者の伝言によって全てが明るみになってしまった。
堪え続けた罪の意識が噴き出したとしても、不思議はない。
リデルは小さく鋭く息を吐き、立ち上がった。
「はい、必ず」
その目は、静かに研ぎ澄まされていた。
※ ※ ※
再び意識を取り戻した時、クーアはまたも暗い洞窟の中にいた。
前と違うのは見張りの野盗が居た事と、喋る度に殴られることだった。
何を言うかは関係なく、口を開けば殴られた。グラッジより幾分か優しい拳であったが、顔が腫れるには十分な威力だ。
どうやら、余程グラッジに嫌われたらしい。そう理解して、クーアは喋ろうとすることを止めた。
頬が熱を持っている。頭も痛いし、ぐらぐらと揺れているような気さえする。この後どうなるかなんて考えたくもない。鎖に繋がれた足が震えて、金属が擦れる音がする。
壁に背中を預けると、後ろに回されて縛られた手が痛くなる。楽な姿勢も取れず、背を丸めて震える吐息が漏れる。自分の意志とは関係なく、体が恐怖を訴える。
覚悟は、していたはずだ。
旅に出れば何が起こるか分からない。全て承知の上で、ここまで着いてきたはずなのに。
結局は、騎士と一緒だから何とかなると甘えていたのだろう。本当の意味で危機感なんてもっていなかった。
馬鹿だと思う。
町が怪しいなんて最初から分かっていたのに、勝手に別行動を取って。こうしておめおめと攫われて、彼の弱点になってしまっている。
毎日毎日、彼が何か言いたそうだったのは、こんな状況を危惧していたのだろうか。それは流石に考えすぎか。
でも、別行動なんてしなければ、もしくは彼の言うとおりノーヴィという人の屋敷で大人しくしていれば、違う結果になったかもしれない。
後悔先に立たず。本当に、悔やむことのない人生を歩くのは難しい。
ナイトやマギサも、こんな旅をしているのだろうか。
いや、自分よりも酷いだろう。何せ、騎士団から追われているのだ。休まる時のない旅を続け、心も体も磨り減っているはずだ。
会ったら、何を話そう。お互いの旅の話をする余裕はあるだろうか。
追っ手である彼と一緒に来ていることを知ったら、どんな顔をするだろうか。
想像したらなんとなく笑えてきて、体の震えが収まってきた。
こんなところで折れていられない。もう一度ナイト達に会うまでは、旅を続けるのだ。
もういい、後悔のない人生など諦めた。どうせ今までだって後悔し通しだったのだ、今更都合よく生きられるとは思わない。
それでも、今この一瞬を後悔せずに生きてやる。後でどれほど悔やむことになろうとも、それぐらいしか馬鹿な自分にはできないから。
今、外はどうなっているだろうか。気絶する前は夜に変わる頃合だったから、すっかり夜中になっていてもおかしくない。
周囲を見渡す。暗さにも目が慣れて、壁の凹凸くらいは見えるようになってきた。見張りの野盗は、適当な場所に座ってこちらに背を向けている。
沈黙だけが支配する暗闇で、さっきから見張りは何度も欠伸を繰り返している。暇だし静かだし暗い。気を抜くには十分な条件が揃っていた。
そっと錘に手を触れる。大きくて重いが、少しの間なら持ち上げられるだろう。
馬鹿なことをしようとしている。このまま大人しく彼の助けを待つのが、今の最善の手段だろう。
人質がいようと、こんな連中相手に彼が負けるとは思い難い。
けれど、このまま足手まといでいるのは御免だった。
人質なんていないほうがいいに決まっている。こちとら、お伽噺のお姫様じゃないのだ。
例え愚かだとして、自分が一番納得できる道を選ぶのだ。
錘を抱え上げ、できるだけ音を殺して見張りに近づく。他に誰もいないからか、見張りは大きな欠伸をかまして眠そうに猫背をさらに丸めた。
その後頭部目掛けて、錘を叩きつけた。
「ひぎっ!?」
鈍い音と共に見張りが短い悲鳴を上げて倒れる。
まさか死んでやしないだろうなと疑わしくなったが、確かめている時間が惜しい。
錘を抱えて走るのにもすぐに限界が来て、歩くのと大差ない速度で引きずっていく。
今夜はどうやら月が明るいらしく、入り口と思しき方向から明かりが漏れ入る。
二度目の脱走の成功を確信して入り口から飛び出し、
「よぉ」
待ち構えていたとしか思えないグラッジにぶつかりそうになった。
足がびたりと止まり、体が硬直する。
にたにたと気色悪く笑うグラッジと、その背後で顔を顰める武装した手下達。
空では、月が中天に差し掛かろうとしていた。
「元気も威勢もいいな、クソアマ。呼び出す手間が省けて助かったぜ」
「……あんた達、なんで、」
「そろそろ、騎士様との『待ち合わせ』の時間でな。見張りはどうした? 足腰立たなくしてやったか、ん?」
先んじてクーアに答えを返し、グラッジは手の中でナイフを弄ぶ。
下世話な質問に唾を吐き、クーアはグラッジを睨み付けた。
「見てきたら? 中でノビてるよ。鍛え方が足りないんじゃない?」
果たして錘を頭にぶつけられて倒れるのは、鍛え方が足りないのかどうか。
鼻で笑って煽り返すと、グラッジは真顔になって近くの手下に顎で洞窟を示した。
「おい、見て来い」
「うっす」
横を通り過ぎる手下を視線で追うクーアの顎が、思い切り掴み上げられる。
骨が小さく音を立て、口が動かせない。
「ったぁく、せっかく人が気持ち良く出ようとしてたのに、水を差しやがぁる。アホの処罰も考えなきゃいけねぇし、面倒ごとを増やしてくれるぜ」
目だけは屈すまいと睨み続け、見下ろすグラッジと視線がぶつかる。
不愉快そうに鼻を鳴らし、グラッジは手下に向かってクーアを投げつけた。
「いくぞ。そいつはうるせぇから喋らすな」
「うっす!」
後ろに縛られた腕を捕まれ、口を塞がれる。錘は重いからか外されたものの、枷はついたままだ。
一切の抵抗ができない状態にされてなお、クーアは野盗達を睨み続けた。
結局何もできなかった。その事が悔しくて仕方がない。
ただ、諦めてはならない。いつか必ず、逃げ出すチャンスはくる。
その時を逃すまいと、クーアは心に決めた。
野盗団、総勢三十名。その全てでもって、リデルを迎え撃たんと移動を開始した。
※ ※ ※
指定の場所に向けて、リデルは森の中を歩いていた。
森を抜けた先、崖近くの開けた場所。指定場所から見え透く魂胆。逃げる場所を制限し取り囲みやすくし、殺した後は崖下に投げ捨てて行方不明にでもするつもりなのだろう。
おそらくは、野盗団全員が集まるはずだ。騎士を嬲り者にする最高のショー。首領であるグラッジが、全員を呼ばぬはずがない。
あの後、更に彼らの詳細をダメイアを含めた旧市街の人々から聞いた。
ダメイアは他の人を巻き込むことを渋っていたが、事ここに至ってそんなことを言っていられない。
野盗団の構成員の内、ジェローアを出身とする者の性格から生い立ちまで、大体の事を聞き知ることができた。
肝が太いのは、誰もいない。グラッジでさえ、数と威勢で誤魔化しているだけだ。
だとすれば、今回立てた作戦でいけるはずだ。ジェローアの町全体を巻き込んでしまったが、止むを得ないだろう。
ノーヴィ達が、自分達の町の問題だから、と協力的だったのがせめてもの救いではあった。
ここまで人々を動かしたのだ。失敗したではすまされない。
腰の剣を掴んで、小さく音を立てる。剣の鞘と柄が鳴らす金属音。母の子守唄にも等しいくらい心安らぐ音。
幼い頃から聞き続けた、人々を守る誇りの音だ。
結局、旅に付き合ってくれている同行者一人守れず、町の人々に助けを請う始末だが。
草花を踏み分け、並み居る木を避けながら目的地に向かう。
騎士団として過ごしてきて、全ての人を守れてきた自信はない。掌から零れ落ちた人もいるし、どうにもならなかったこともある。
それでも、ずっと、いつかは全ての人々の安寧と平和を守れるようになろうと努めてきた。
思う。
いつかの為に、切り捨てられる人はどう思うだろうか。
この町の人にしたってそうだ。
国とて、全ての町や人を救えるわけではない。国庫にも限りはあるし、補填にも限度はある。金の成る木なんてどこにもないし、金の卵を産む鶏もいない。
この町の人達も、いつかの為に切り捨てられた人達だ。
その結果が、グラッジを頭とする野盗団の台頭だとすれば。
自分のやっていることは、本当に正しいのだろうか?
完璧なんてどこにもない。
だからこそ、完璧を追い求める。
いつかは、誰もが平和な暮らしをできる世界を作るために。
その『いつか』の為に誰かを切り落として、本当にそんな世界は来るのだろうか。
今もこうして、同行者一人守れず、町の人々に協力してもらう身の分際で。
『いつか』に、本当に手が届くのだろうか。
疑問はずっとあった。
ナイトやマギサは、悪人ではない。
彼らを追うことは、果たしてこの町の野盗団よりも優先すべきことなのだろうか。
国も王も団長も、そう思ったからこそ自分に彼らを追わせている。
自分も、少し前までは同じ思いだった。
今は、疑問に思っている。
もし、彼らの居場所が分かっていたとしたら。
自分は、この町の野盗団を無視して進んでいただろうか?
分からない。けれど、騎士としては無視して進むべきだ。
何事も優先順位というものは存在し、騎士一人一人が個人的な優先順位で動いていては国の治安は維持できない。
いずれこの町の野盗団は捕まえるとして、それは別の騎士隊が行う任務だろう。
それは、本当に正しいのだろうか?
半分ほど地面に埋まった石に蹴躓いて、思考の海から浮かび上がることができた。
周囲を見渡す。少し東の離れた場所に見える、巨大な一本杉。方向は間違ってはいないようだ。
物思いに耽っている場合ではない。まずは目の前の事件を片付けなければ。
月の位置を確認する。中天に座すまであと少し。仕込みに思ったよりも時間がかかってしまった。
藪を掻き分け草を踏み分け、木々の間を縫うと一気に視界が開けた。
森を抜けた先、正面に崖を臨む開けた場所。
そこに、性根の腐った笑みを浮かべる男達と、手足に枷をつけられたクーアがいた。
「ようこそ、若き騎士リデル・ユースティティア! 罠と分かっていてくるとは、流石といったところかな?」
大仰に手を広げて見せたのが、おそらくは首領のグラッジだろう。
嫌味たらしい口調に、人を嘲る事に慣れきった笑み。一発でリデルは確信した。
話通り、この男は他人のことなんぞなんとも思っていない。
自分が世界の中心でないと気がすまないという、子供時代から何一つ成長していない精神の持ち主だ。
誰だって似た気持ちを持っているところはある。だが、だからといって人を襲ったりはしない。
この男は、その心を言い訳にして好き放題しているだけだ。
「約束どおりきました。クーアさんを解放して下さい」
「あぁ? 誰がそんな約束した? 俺は、お前にここに来いとしか言ってないはずだが?」
予想通りの答えに、リデルは眉一つ動かさなかった。
確かに、医者からの伝言にそんな約束は一つもなかった。「連れの命が惜しかったら指定の時間に指定の場所に来い」と言われただけだ。
当たり前だが、言われたとおりにしたところで彼らにクーアの命を保証する気など欠片もなかったらしい。
一帯に視線を走らせる。
聞いたとおり、野盗団は三十人程度。全員がここに集まっていると思っていいだろう。
ご丁寧に、崖から半円状になるよう位置取りしている。ここまで予想通りだと、逆に安心する。
仕掛けも、おそらくはうまくいくだろう。
半円のちょうど真ん中で、首領のグラッジが腕を組んで見下してくる。
「それにしても、騎士様よぉ。防具の一つもつけてこねぇたぁ、いい度胸してんなぁ」
「話し合いには無駄だと思いまして。顔が見えないと不便でしょう」
「その割りに、腰の剣は佩いてくるんだな?」
「森も安全ではありませんから。それに、貴方方が話し合いに応じてくれるとも限りませんので」
珍しく挑発するような物言いに、野盗達がやや殺気立つ。
抑えるように片手を挙げて、グラッジが意地の悪い笑みを深くした。
「言うじゃねぇか、クソ貴族。そんだけ覚悟してるってことは、これから何されるかもわかってんな?」
「やはり、話し合いをする気はありませんか」
「当たり前だろうが。頭の中までピンクのお花畑かよクズ」
吐き捨て、グラッジはリデルを手招きする。
大人しく従い、リデルは半円の中央でグラッジと向かい合った。
「さて、決闘だ騎士様。邪魔はいらねぇ、タイマン勝負といこうか。遠慮すんな、思いっきり抵抗していいぞ? 結果はかわらねぇがな!」
言うが早いか、グラッジは腰の剣を抜いて襲い掛かってきた。
身を引いて一撃目を交わし、続けざまに襲ってくる二撃目、三撃目を体勢をずらして紙一重で避ける。
剣先が髪に触れ、先端が切り裂かれてぱらぱらと地面に降り落ちた。
「そらそらそらぁ! どうしたどうしたぁ! 抵抗していいんだぞ、んん~?」
袈裟懸けに振り下ろされた剣を足の動きだけで半身になって避け、反動をつけて振り抜かれる横一線の刃を後ろに下がってかわす。
更に踏み込んで切り上げられる一閃を逆方向に踏み込むことで掠らせるだけに留め、斜めに振り下ろされたのを円を描くように反対側に動いて避ける。
どれもこれも、後一歩で剣閃が届きそうだった。
どれもこれも、完全に間合いを計られていた。
「逃げてばっかりじゃねぇか! クソ貴族が、それで騎士だとふざけんな! どうせ貴族だから騎士になれただけのゴミの分際で!」
叫びながら横薙ぎに払われる切っ先を上体を反らしてかわす。
息一つ乱さぬまま、リデルは口を開いた。
「騎士は貴族しかなれない、というのは、一面においては真実です」
「あぁ!?」
グラッジが振り回す剣を避けながら、淡々と語りだす。
まるで何事もないかのように。
「百年前、最後の平民出身の騎士は反社会勢力と繋がっていました。金銭の取引があったようです。以降、平民が騎士になるのは殆ど無理といって差し支えなくなりました」
「そいつぁ迷惑なこったなぁ!」
自分の事は棚に上げ、グラッジが叫んでは切りつける。
その切っ先は掠るだけで、リデルの体にまでは届かない。
「国の治安と中枢を司る役割には、貴族がなります。それは、単純に利害の問題です。現社会で多く利益を受ける人間は、下手に社会を壊そうとしません。損だからです。人間の感情として、『社会が存続してほしい』人は社会を守ろうとします」
平然としたリデルと対照的に、グラッジの息は荒くなっていく。
全く訳がわからない。さっきからずっと全力で振るっているのに、掠るだけで当たらない。一体どんな卑劣な手段を使っているのか。
焦り始めるグラッジに構わず、リデルは言葉を続ける。
「そういう人を要職に就ければ、社会はより安定します。だから、貴族が要職に就くのです。こんなところで野盗をするような人を要職に就ければ、遅かれ早かれ自分の利益の為に社会を壊そうとするでしょう。それが、貴方が騎士団に入れなかった理由です」
最早返事をするのも苦しく、グラッジは剣を振るう。
大振りで速度も大した事ない剣の下を掻い潜り、リデルは告げた。
「抵抗、していいんですよね?」
返事は待たなかった。
鞘の中から刃を走らせ、振り抜きざまにグラッジの剣をかちあげた。
思い切り上に引っ張られ、無防備になった懐に潜り込んで剣の腹を打ち込む。
「げ、ふっ!?」
体をくの字に折り曲げるグラッジの顎に肘を当て、剣の柄で胸を突く。
戻そうとする剣をもう一度腕ごと弾いて、顔面に裏拳を叩き込んだ。
鼻血を漏らしながら、剣を手放したグラッジが仰向けに倒れる。
剣を抜いてから、ほぼ一瞬。瞬きを二、三回繰り返す間に、あっという間に形勢は逆転していた。
圧倒的な実力差を前に、その場の全員が声を失う。
静まり返った夜の中に、リデルの声だけが響いた。
「それで、次は誰ですか?」
リデルは視線を巡らせ、目が合った野盗の誰もが恐怖に体を硬直させていた。
この場の誰もが確信していた。
相手は、人間じゃない。死神か何かだ。
きっと、全員で一斉に飛び掛っても手も足も出ずにやられてしまうだろう。
格が違う。勝負にならない。
こんなものを、相手にしていたのか。
震える足は、逃げ出すことさえ忘れさせていた。
小さくリデルは溜息を吐き、
「誰もこないなら、彼女を離して――」
「――ウオォォォォォォォォォォォォォォォッ!」
叫びと共に、倒れていたグラッジが起き上がる。
鼻血と怒りで顔を真っ赤に染め、頭半分ほど背の低いリデルを見下ろして荒々しく鼻息を飛ばす。
リデルは眉を顰めて剣を構え、
「動くんじゃねぇ、クソ野郎!」
森中に響くと思うくらいの大声で牽制し、クーアを指差す。
「少しでも動いてみろ、あの女がどうなるか分かってんだろうなぁ!!」
クーアを捕まえていた野盗が慌ててナイフを取り出し、首筋にあてがった。
リデルの余りの強さに呆けていたクーアもまた、それでようやく現状を認識する。今のはチャンスだったのに。そう思うより先に、首筋に当てられた金属の感触が頭を支配する。
動けば、切られる。間違いない。
野盗は、リデルの強さを恐れている。ナイフを持つ手が震えているのがその証拠だ。今、変に刺激を与えればどうなるか。
奥歯をかみ締めるクーアに視線を向け、リデルはゆっくりと瞬きをして動きを止めた。
「そうだ、それでいい。剣を捨てろ」
言われたとおりに剣を放り投げる。
グラッジはリデルから視線を外さないまま剣に近づき、更に遠くへ蹴り飛ばした。
もうこれで、飛びついたって取れる距離ではない。
ようやく安心したのか、グラッジは真っ赤な顔を歪めてリデルを見下ろす。
「よくもやってくれたなぁ、えぇ? 人が疲れるのを待って隙を狙うたぁ、随分と高等で卑劣な戦術を使ってくれるじゃねぇか」
誰が見たって明らかな実力差を、グラッジは『卑劣な戦術』と言ってのけた。
どこまでも自分に都合よく考える男である。自分が疲れるまで紙一重で避け続けたリデルの実力は見ない振りだ。
グラッジの剣閃は、完全に見切られていた。
素人目にさえわかるそれを、グラッジは無視した。
「調子こきやがって、クソが!! 騎士団試験の時もそうだ、貴族様は俺達よりも卑劣な手段がお好みのようだなぁオイ!」
ナイフを抜き放ち、リデルの肩に深々と突き刺す。
鮮血が飛び散り、リデルの顔が痛みに歪む。
しかし、声は一つも上げない。奥歯を噛み締めて耐え、じっとグラッジを見据え続ける。
その顔に益々苛立ちを覚え、
「なめた顔しやがってクソが――」
ナイフを引き抜いて更に突き刺そうと振りかぶり、
「――止めな、グラッジ!!」
その瞬間、リデルも含めた全員の動きが止まった。
リデルの視線が声の主を捉える。
どういうことだ。彼女は宿で他の人達と一緒に待っているはずなのに。
突然の事態に、リデルもどう対処すべきかすぐに結論が出せない。
誰しもが呆然とする中、森から現れたその人物はグラッジに走りより、
その頬に平手を打った。
「何してんだい、この馬鹿息子! 本当に昔っから人の言うことなんざ聞きゃしない! もういい、あんたを庇うのも金輪際御免だよ! 騎士に手を上げてただで済むわきゃないだろ!? いい加減現実を見なよ!」
乾いた音に続いて放たれた言葉に、グラッジは何を言われているのかわからない顔で目の前の母を見やる。
グラッジの母――ダメイアは瞳に涙を堪えながら、平手を打った手を掴んでいた。
「もうここまでだよ。我侭ももう十分だろう。お嬢ちゃんを離して、騎士団に出頭するんだよ。今更かもしれないけど、少しでもマシに、」
全て言い終わる前に、ダメイアの体が宙に浮いた。
振り抜かれたグラッジの拳がダメイアの横っ面を殴り飛ばし、地面に叩きつける。
何の感慨もない目でグラッジはダメイアを見下ろし、その体を蹴り飛ばした。
「なんだ、婆? 今更出てきて何様だ? 水差してんじゃねぇよクソが」
咳き込む母親にゴミを見る目で吐き捨て、グラッジは再びリデルに向き直った。
その顔には、すでに元の意地汚いにやけた笑みが浮かんでいた。
「悪かったなぁ、騎士様よぉ。お待たせ。さぁ、続きを――」
「――この、クソ野郎!!」
叫んだのは、野盗に囚われたままのクーアだった。
その目は怒りに震え、今にも噛み付かんばかりの勢いでグラッジを睨む。
「あんた、自分の母親に何したかわかってんの!? こんなざまになって、それでもまだあんたを心配してきたっていうのに、その人になんて仕打ちを!!」
「うるせぇ」
大股で近づき、クーアを殴りつける。
ナイフが当たりそうになって、手下のほうが焦って刃を引っ込めた。
それにも構わず、グラッジは殴り続ける。
「婆一人殴ったくらいでぎゃあぎゃあやかましい。自分の立場分かってんのか、えぇ?」
もう一度殴ろうとして、
その手が後ろから掴まれて止められた。
「貴方の方こそ、自分の立場を理解したほうがいい」
声に振り向こうとしたグラッジの顔が、殴り飛ばされた。
体重の乗った一撃に天地がひっくり返り、グラッジの頭が地面と激突する。
振り抜かれたリデルの拳が、馬鹿息子の顔を地面に叩き付けた。
「てっ、てめぇ!」
慌ててクーアの首筋にナイフを突きつけようとして、腕を掴まれる。
簡単に捻りあげられてナイフを取り落とし、顎を掠めた拳が意識を刈り取っていく。
戒めから解き放たれたクーアは枷をつけたままダメイアの元に駆け寄る。
ダメイアは殴り飛ばされた姿勢のまま、口から血を流していた。
「ダメイア! 大丈夫!? 声聞こえる? 私がわかる!?」
「……お嬢ちゃん……悪かったねぇ……」
「いいから! もう喋らなくていいよ、分かったから!」
何かないかとクーアは体中を探るが、何も持っているはずもない。
攫われた時に持っていたものは全て取られてしまった。今、できることといえば楽な姿勢にしてやることしかない。
口から血が出ている。血が。
体を横にして喉が血で詰まることがないようにしつつ、口内を確認する。幾つか傷がある。
治療したくても、何にもない。
「ごめんよ……今更、かもしれないけど……」
「いい、今は喋らないで! ちょっと、誰か薬もってきて!!」
クーアが叫ぶも、その声に応える者は誰もいない。
突然の事態に野盗達は顔を見合わせ、一部の血気盛んな連中は殺気を漲らせている。リデルも、彼らがいるのにこの場を離れるわけにもいかない。
命に別状はない、と思う。ただ殴られただけだ。
だが、頭を打っていたようにも見えた。当たり所が悪ければ、もしもということは有り得る。
薬師だというのに、何にもできない。
なんでこう、世の中はままならないのか。
「ずっと……ずっと、このままじゃ駄目だって……分かってたのに……」
「分かってる、分かってるから! 大丈夫、ダメイアが心底悪人じゃないって知ってるから!」
手を握る。
今は、このくらいしかできない。
ダメイアは嬉しそうに微笑み、
「ありがとう……やっと、動けたよ……」
その手から、力が抜け落ちた。
気絶しただけ。そう自分に言い聞かせる。
脈を確認する勇気は、どこからも湧いてこなかった。
「な、なんだあれ!?」
野盗の一人が、森の中を指差して叫ぶ。
明かりが、見えた。
森の中、少しばかり離れた場所。
揺らめく火の光が、何かを映し出していた。
野盗達の視線が集まり、それが何かと目を凝らせば、
騎士の甲冑が、森の中で火の光を反射して煌いた。
揺らめく光の中で、それは間違いなく銀色の輝きを放っていた。
見渡せば、森の中には幾つもの明かり。そのうち幾つかは、銀色の何かを浮かび上がらせている。
いつの間にか、森は明かりによって囲まれていた。
「き、き、騎士団!?」
誰かが叫んだ。それは、野盗達を恐慌状態に陥らせるには十分な威力を持っていた。
尻餅をつく者、逃げ出そうと周囲を見渡す者、誰かの後ろに隠れる者。
一気に場が混乱し、誰もが次にどうすべきかわからずに、
「動くな!」
裂帛の一声が響き渡り、野盗達が硬直する。
声の主であるリデルが、野盗から取り上げたナイフを構えて睥睨する。
「全員、投降して下さい。抵抗する場合、命の保証はしません。逃げ出す場合も同様に。かかってくるのは構いませんが――」
一呼吸置き、怖気づく野盗団全員を見回して、
「――命の要らない方から、どうぞ」
その一言で、その場の誰もが戦意を失った。
勝てるはずもない。頭ではなくそう理解して、膝を折る。
肩から流れる血を気にも止めず、リデルはナイフを下ろす。
隣に視線を向ければ、動かないダメイアと、座り込んだまま同じく動かないクーア。
考えるべきだった。医者の話を聞いていたのは、自分だけじゃない。ダメイアだって場所を知っていたし、こうして飛び込んでくる可能性だってあったはずだ。
つくづく、自らの未熟を思い知らされる。
小さく唇を噛んで、リデルは野盗達へと向き直った。
こうして、『幽霊野盗団』はたった一人の騎士によって、一夜にして壊滅したのだった――




